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2008年10月13日 (月)

「ソルヴェイグの歌」― 8

バヨンボンはルソン島北部のカガヤン・バレー地方にあって、その盆地の中をカガヤン河が悠々と蛇行している。 その北には日本軍と在留邦人が最後に追い込まれ飢餓地獄となるイフガオ州やマウンテン州の山々が連なり、東にはシエラマドレ山脈、西にはコルディレラ山脈にバギオを望んでいた。

 

翌年1945年1月9日にバギオの西に広がる南シナ海のリンガエン湾に、マッカーサー総司令官率いる19万人余のアメリカ軍が、戦艦、輸送船、小舟艇など700隻以上で押し寄せ上陸。 その後、徐々にマニラから北上する、元々アメリカが造った立派な舗装道路、国道5号線を進出することになる。 日本軍の機械力最後の戦いともいえるバレテ峠・サラクサク峠の100日を超える激戦で日本軍を打ち破り、6月にはそこからほんの50キロ北のバヨンボンへとアメリカ軍が進軍するのであったが、今はまだそんなことになるとは、日本人の誰も露ほどにも思ってはいなかった。

抗日ゲリラは、バヨンボンのあるヌエバ・ビスカヤ州の南のヌエバ・エシハ州、パンパンガ州、ターラック州で活発に活動していた。 そして、ルソン島北部の山岳地帯にもアメリカ軍に支援されたゲリラが潜伏していた。 疎開地となっていたバヨンボンは南と北のゲリラの狭間にあった。

 

その日のゲリラは、町の南側を流れるカガヤン河の向こう岸の山から激しい攻撃を仕掛けてきた。 

「そうくるなら、応えなきゃあならんか・・・。」

山本は応援部隊を出すしかなかった。

その日の犠牲者はいつもよりも多かった。しかし、ゲリラにも相当数の犠牲者が出ているはずだった。

「憲兵隊が黙っていないだろうな。」

山本は、日本がフィリピンを植民地にするつもりなら、地元の人間を敵にまわすのは下手な作戦だと考えていた。 ましてや、ここは傷病兵や一般邦人の疎開地と定められた穀倉地である。

 

翌日、守備隊は警戒体制を敷いた。 しかし、いつもの定期便すら来ない。

そして、その翌日も定期便は来なかった。 バヨンボンの町には不思議な平穏が訪れた。

山本はマリアの家へと向った。 憲兵隊が動き始める前にカルロスに会わなければならない。

 

(続く)

   

注: この話はフィリピン人の体験者から直接聞いた話を元に創作しております。

   尚、著作権は放棄してはおりませんので、ご留意下さい。

 

   

   

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