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2008年4月 5日 (土)

Bataan Day バタアンの日 ってなに?

4月9日は フィリピンの祭日です。

「バタアンの日」 あるいは 「英雄の日」と呼ばれている記念日です。

これは、日本に住む日本人にはほとんど知られていないのですが、

「バタアン死の行進」として悪名高い日本軍の残忍な捕虜の取り扱いで、多くのフィリピン人とアメリカ兵が死んだことを思い出す日になっているのです。

2008年のこの祭日は水曜日にあたりますが、アロヨ大統領によって、週末と繋ぐ目的で4月7日(月)に変更されました。 それも学校で知らされたのが 4月4日の金曜日です。 よくある事なんですけどね・・・

せっかくの この三連休を利用して、この日をちょっと調べてみましょう。

戦時中のことですから、国によって その受け止め方は当然異なってくるでしょう。

その違いを インターネットで調べてみました。

英文のwikipedia による解説と 同じく日本語サイトとの比較で 見てみたいと思います。

英文のサイトはこちらですが、 下に 佐世たもつの翻訳を書いてみます。

http://en.wikipedia.org/wiki/Bataan_Death_March

日本語のサイトは 英文のサイトの内容とは かなり内容が違っています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%AD%BB%E3%81%AE%E8%A1%8C%E9%80%B2

ちなみに、 この「バタアン死の行進」に対する報復だと元日本兵などに思われているのが、 敗戦後の北ルソン山中における日本軍の武装解除後の ボントック道からバギオの捕虜収容所までの日本人捕虜たちの行進です。

こちらのサイトをご参照ください。

http://www.jmcy.co.jp/~goto/Majime/toshio/shonin/shinin02.htm

「死の行進への報復
 米軍が標高二千三百二十メートルの高所で武装解除を行った理由の一つは、カバヤンの急坂を登らせて疲れさせることにあった。そしてもう一つの理由はボントック道55K地点からバギオまで六十キロになることにあった。その間を行進させて、「バターン死の行進」のお返(注1)しをすることにあったのだ。」

== 以下は、英文サイトの翻訳です。==

「バタアン デス・マーチ」Bataan Death Marchは フィリピンに於いて1942年に起こり、その後 日本の戦争犯罪と考えられた。 その60マイル(97キロ)の行進は 第二次世界大戦中のフィリピン戦(1941-42)の一部である三ヶ月にわたるバタアンの戦闘の後に起きたものであった。 日本に於いては 同じ意味によって 「バターン死の行進」として知られている。

その行進は、フィリピンに於いて日本軍によって捕らえられた9万人から10万人のアメリカ人及びフィリピン人捕虜を、バタアン半島から捕虜収容所まで強制的に移動させるもので、様々な肉体的虐待、殺人、残虐性によって特徴づけられ、さらに結果として、日本帝国軍によって、それらの捕虜及びその道筋の市民に多くの死亡者をもたらしたものである。  首を切られ、喉を切られ、そして無意味に銃撃されたことは、もっと普通で慈悲のある行為であった - これは 銃剣での刺傷、強姦、内臓破壊(内臓の抜き取り)、数え切れない小銃の台尻での殴打、そして 捕虜に食糧あるいは水を許すことへの計画的な拒絶に比べての話である。 それらは 熱帯の暑さの中でほとんど一週間(一番遅かった生存者)にもわたって、捕虜たちを歩かせ続けた中で行われたのである。

倒れることや、歩き続けることが出来ないことは、死刑宣告と同じであった。何故なら、

多少であろうが 抗議あるいは不満を表したからである。

捕虜たちは、衰弱で倒れた者を助けようとして、あるいは、なんら明らかな理由もなく攻撃された。 日本軍のトラックの列は、倒れた者をだれかれ構わず轢いて行くと知られていた。 車に乗っている者たちは 故意に小銃の台尻を突き出して、道路脇を並んで歩いている人々の喉の列を切るようなこともあった。 

なんの食糧も与えられず水をすすることも出来ずに 5-6日間強制的に歩かされたことの報告は、フィルムでの報告を含めて、戦後の公的記録の中に収められている。 

正確な死者数を確定することは出来ないが、何人かの歴史家は 最小の犠牲者数を 6千から1万1千と算出している;  一方では、戦後の関連レポートでは 72,000人の捕虜の内、54,000人のみが その目的地に到着したと表にしている - それを合わせると、 それらの数字は その強制的行進によって残忍な仕打ちを受けた人たちの 4分の1 から 7分の2(25%から28.5%)の率で 無意味に殺害されたことを裏付けている。  数は明らかではないが、 その行進の最後の捕虜収容所に到着後、残忍な体験が原因で死亡した人々はかなりの数に上るものと思われている。

== 以上が 翻訳です ===

以下に バタアン死の行進に関係する写真のサイトを 参考までに。

http://www.npswapa.org/gallery/album14

http://www.fourthmarinesband.com/march.htm

   

アメリカでは、こんな記念イベントが行われています。

タイトルは: バタアン メモリアル デスマーチ

http://www.bataanmarch.com/

バタアン死の行進 から 生きて帰った元アメリカ兵のサイトhttp://www.bataansurvivor.com/content/the_bataan_death_march/1.php

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