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2008年10月11日 (土)

「ソルヴェイグの歌」 いよいよ 最終回です

ーー 「ソルヴェイグの歌」 次号 は 

いよいよ 最終回となりました。 

その前に一息、下の YOUTUBEで 趣きのある 「ソルヴェイグの歌」 をお楽しみ下さい。--

Solveig's Song by Barrientos

 

バリエントス『ソルベーグの歌』

http://jp.youtube.com/watch?v=X2Kzcv7GHEw

"Solveigs Sang" 「ソルヴェイグの歌」  シセル・シルシェブー   

https://www.youtube.com/watch?v=JyQ9lbgZDpQ

 

たまには、こういう音も心に沁みますね。

 

 

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「ソルヴェイグの歌」― 6

「・・・・・」

カルロスは顔をちょっとしかめて、ジンの味を確認するかのように山本の言葉を待った。

「カルロス、お前はアメリカって国を見たことがあるか。」

「いや。」

「俺は行ったことがあるんだよ。 ちょっと前までは、こう見えても商社マンでな。 ・・・だから、この戦争の先は見えているんだ。」

「日本が勝つとでもいいたいのか。」

「あはは、逆だよ。」

「じゃあ、なぜこんなところにいるんだ。」

「ソルヴェイグの歌を知ってるか。」

「ああ、たまにマリアが弾いている。 ペール・ギュントだろ。」

「うん、確かそういう曲だった。」

「それが、どうした。」

カルロスは、グラスにジンを足すと、丸太にゆっくりと腰をおろした。

「ペール・ギュントの話だ。 男ってのは勝手なもんだと思わないか。」

「なぜだ?」

「自分勝手な夢を見て、相手の正体も分からないのに、それを追いかける。」

山本は、日本刀を腰からはずすと、それをマンゴーの木に立てかけ、木彫りのちいさな椅子に「ふぅ~」と腰をおろした。

「君の母上はこの町におられるのか。」

「この町じゃあないが・・・。」

カルロスは言葉を濁した。 

   

「おいくつになられる?」

「46」

「俺の母はもう六十三でな。 四男坊なんだが、兄貴たちはもうこの世にはおらんのだ。」

「亡くなったということか。」

「中国戦線だ。 中国で夢を見過ぎたってことだ。 覚めない夢をな。」

「じゃあ、さっさと夢から覚めて、日本へ帰ることだな。」

カルロスは、煮豆を口に放り込みながら、乱暴に言った。

「そうしたいところだが、こういう夢は相当痛い目に合わないとなかなか覚めないらしい。 定期便の連中も同じようなもんだ。 真面目な奴ほど、夢を見る。 まさに夢中になるんだな。 定期便が来れば、それには応えないといけなくなる。」

「連中に撃たせるなと言っているのか。」

   

「夢をみるのはいいとしても、泣く人がいるだろうと言うことだよ。 アメリカと日本の喧嘩に巻き込まれて死んでもつまらんだろう。 所詮、植民地の奪い合いだ。 それに、フィリピン人同士までが傷つけ合ってなんになる。 夢としちゃあ、つまらん夢だ。」

   

いつの間にか、辺りの家々に灯がともり、マリアの家の窓にもカーテン越しにゆらゆらとした火が見え、女たちの声が聞こえる。 男達は、カルロスと山本を遠巻きにしてグラスを握りしめている。 そして、ピアノの音が聞こえてきた。山本にはその出だしの音だけでその曲であることが分かるようになっていた。

カルロスは薄暗くなった庭で、マリアとホセのことを思いながら、ピアノを聴く山本の姿をぼんやりと眺めていた。

(続く)

注: この話はフィリピン人の体験者から直接聞いた話を元に創作しております。

   尚、著作権は放棄してはおりませんので、ご留意下さい。

      

      

      

    

      

    

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2008年10月 9日 (木)

号外!!  ノーベル賞の下村脩さんは私の大先輩だったのだあ~~

この度、ノーベル化学賞が決まった下村脩さん(80)が私の大先輩だったことが発覚!?

まあ、まったくのまっかっか~~の赤の他人じゃあるんですが、なんでこんなに心がうきうきワクワクするのか・・・・

長崎県佐世保市にある 白南風小学校、佐世保中学と言えばわたくし佐世保(させ たもつ)のふるさとじゃあ あ~~りませんか!

 

西日本新聞より:

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081010-00000001-nnp-l42

長崎新聞より:

http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20081009/02.shtml

読売新聞より:

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20081009-OYT1T00492.htm

 

Ebosidake_s

  

佐世保中学というのは旧制中学で、私が出た長崎県立佐世保南高等学校の前身なのでありました。

上の写真が その佐世保南高校の全景です。(私が1969年に卒業した頃の写真)

 

右の手前には体育館がありますが、その後ろの校舎の左半分は鉄筋コンクリート造で、右半分は木造校舎です。

その古い木造校舎で 下村氏は勉強したのかもしれません。

 

学校の後ろにそびえるのは 烏帽子岳。 佐世保中の学校の生徒が遠足といえば この山に登ったものです。

 

その後に 下村氏が行かれたのは長崎大学・・・

無念なことではありますが、私はこの大学は「すべり」ました。 ()

  

まあ、高校の先生が受験しろっていうから受けただけなんすけどね。 受験の時のことは 大学のトイレに入ったことしか覚えていません。 その朝、下痢してたんです・・・とほほ

 

47NEWS 共同通信より:

http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008100901000290.html

これを読むと、

研究については「アマチュア性と、固定観念にとらわれないことが大切」と強調。「といっても基礎知識は十分に持っていなければいけない。その上で自分の考えを持ち、研究を進めるべきだ」

ってことが書いてあります。

ノーベル賞をいただく人ってのは、まさに執念の人ってことのようですね。

まっ、私のように常識に囚われた?人間の境地でないことだけは確かなようで・・・

なにはともあれ、目出度い めでたい!!

  

ついでに、 佐世保 といえば???

 

九十九島の絶景

佐世保バーガー

佐世保バーガーMAP in させぼ

  

でしょうか?

   

   

 

 

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「ソルヴェイグの歌」― 5

カルロスが竹の串をナイフで削り、山本の持ってきた蛙をさばき始めた頃、数人の男女がギターやら小さな太鼓やらを担いでやってきた。 カルロスよりもひと回りは年かさと見えるエドウィンは地元のジンのでかいビンを早速開けると、手際よく小さなグラスに分け、みんなに手渡し、黙ってカルロスの手伝いを始めた。

山本は、小さなグラスにはいった強いジンをカッと空けると、それをカルロスに差し出した。 なんのことだか分からぬカルロスが言われるままにグラスを持つと、山本はジンのビンを持ち上げ、酌をした。 

「日本流だ。 飲め。」

山本はカルロスの飲みっぷりを眺めていたが、カルロスがにやりと笑ったのを見逃さなかった。 マリアと若い女達が豆を煮る匂いが漂って来る。 

まだ高校生くらいだろうか、ボビットはギターを弾き始める。 スペイン風のフォーク・ソングであった。 ちょっと甲高い声で歌い出すと、女達も男達もはやし立てた。

山本はマリアの甥っ子が戻ってきていないのに気が付いていた。

焼きあがった蛙を皆がほおばり、鍋の豆も皿に盛られ、ギターも二人になり、太鼓の音も入って来たころにはジンも半分ほどになっていた。 

その時である。 遠くでパン、パン、パンと銃声が響いた。 そして、それに応ずるような機関銃の音。  若い連中はいっせいにその方角をみた、音楽もやんだ。

「吉田、ちょっと見て来い。」

山本は部下に命じた。 門の外にいた部下は、音とは反対の方角へ走り出した。 本部のある小学校の方角だった。

「カルロス。 続けよう。 あれは、定期便だ。」

「・・・・・。 いいだろう。 ボビット、続けよう。」

ボビットは、遠くの銃声を気にしながらも、甲高い声を張り上げた。

銃声はまもなく終わり、風のそよぎが戻った。

   

「カルロス。 馬鹿な話だと思わないか。」

山本はつぶやくように言った。

「なんのことだ。」

ジンをグラスに注ぎながらカルロスが山本を見た。

「俺はフィリピン人と撃ち合う為にここに来たわけじゃない。」

「どういう意味だ。」

「俺の相手はアメリカだ。」

ボビットは、声をひそめ、女達はマリアに従うように家に入っていった。 夕暮れが近づいていた。

(続く)

注: この話はフィリピン人の体験者から直接聞いた話を元に創作しております。

   尚、著作権は放棄してはおりませんので、ご留意下さい。

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2008年10月 7日 (火)

「ソルヴェイグの歌」― 4

何事もなく数日が過ぎた昼下がり。 ダンは庭先のマンゴーの木陰で、煙で眼が痛くなるのを我慢しながら蛙が焼きあがるのを待っていた。 南京袋で作られた半ズボンを穿いたカルロスは、タオルでひたいの汗を拭きふき、手際よく蛙をさばきながら、串に刺し、薪の火加減を調節していた。マリアとその夫ホセ、そしてホセの親友カルロスは、学生時代からの音楽仲間であった。

ダンの父ホセは、フィリピン軍の志願兵として米比軍に参加していたが、2年半ほど前の1942年4月に起こった悲劇「バターン死の行進」で命を落としていた。 ホセは、7万人以上の米比軍がコレヒドール島に近いバターン半島のマリベレスで投降した時には、既にマラリアに冒されていた。 4月といえばフィリピンでは真夏である。 灼熱の炎天下、ターラック州カパスの町に日本軍が造ったオルドネル捕虜収容所までの100キロとも言われる徒歩での捕虜移送には耐えることが出来なかったのである。 命尽きた1万人とも言われる犠牲者の中にホセの名前があったのだが、マリアはその姿を探し出すことはできなかった。 ホセが死んだとは今でも信じてはいなかった。

カルロスが5匹ばかりの蛙を焼き上げたころ、日本人将校と兵士2人が庭先に現れた。 カルロスはそのことを前もって知っていたかのように、平然と、串の一本をダンに手渡し、自分も一本を口にくわえた。 日本人将校は山本であった。 

山本は部下がぶらさげて来た麻袋をカルロスに突き出して言った。

「これも焼いてくれないか。」

麻袋はずっしりとして、中で何かが暴れている。 袋の口を開けてみると蛙が詰まっていた。 二、三十匹は入っていそうだ。

 

「ずいぶん取ったもんだな。」

カルロスが山本を見据えながら言った。

「その子と君が蛙を取っているのを見かけたもんでね。 これはその子とお母さんへの手土産なんだよ。 この二人が随分苦労してね。 あはは・・・」

山本と部下たちのズボンの裾は腰のあたりまでずぶ濡れになっている。

「ほお、こんなにあるんなら、周りにもおすそ分けだな。」

「マリア、連中を呼んでくれ。 エドウィン、ボビット、メリアン・・・」

いつの間にか、外の様子に気づいたマリアが戸口に立っていた。

マリアは、不可解な顔をしながらも、下働きの甥っ子に しばらく何やらぼそぼそと言い含めるように話すと、その連中を呼びにやらせた。

「この前、ここの女主人に素晴らしいピアノを聴かせてもらってね。」

「ああ、マリアは町一番のピアニストだからな。」

「マリアさんか。 私は山本だ。」

「カルロス。 マリアの学生時代からの友人なんだ。」

カルロスは、汚れた手を広げて見せ、握手はしなかった。

 

「その子の名前は?」

「ああ、こいつはダン。 マリアの息子だよ。」

カルロスは、蛙の焼け具合を見ながら、串を一本山本に差し出した。

「そうか、ダンか。 よろしくな。 ダン。」

山本は、そう言いながら蛙の串刺しで乾杯のまねをした。

「こんにちは・・・」

ダンは小さく応えた。

ダンは初めてまともに山本の顔を見た。黒い顔の中に光る小さな眼は笑っていた。

「マリアさんのご主人は?」

「亡くなったよ。 ・・・・二年前かな。」

カルロスは、残りの串を二人の兵隊に渡しながら、それ以上は言わなかった。

山本もそれ以上聞くことは憚られた。

(続く)

注: この話はフィリピン人の体験者から直接聞いた話を元に創作しております。

   尚、著作権は放棄してはおりませんので、ご留意下さい。

 

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2008年10月 5日 (日)

「ソルヴェイグの歌」 ― 3

マリアは、しがみつくダンの髪を撫でながら、黙ってピアノから立ち上がり、台所へ向った。 家の中には、にわとりが餌をついばみ、ひよこがそれを追いかける声だけが聞こえている。 鍋にお湯を沸かす音が、シュンシュンと山本の嗚咽を凌いで部屋に広がっていった。 

マリアはその鍋の前に立ったまま窓から夕暮れの穂波をしばらく眺めていたが、意を決するように紅茶の入った缶とティー・カップ、そして砂糖壷とスプーンを盆にのせると、山本が座っている応接間に進んだ。 ダンは母の顔を見上げながらそれを見送った。

応接間はすっかり暗くなり、山の端のかすかな夕焼けが差し込むばかりだった。 マリアは応接間の明かりを点けようとしたが、ためらったまま紅茶の盆をテーブルの上に置き、紅茶を入れた。 山本の息づかいは収まっていたが、帽子を深くかぶったその顔を見ることは出来なかった。

「どうぞ・・・」

喉がからからになって、それ以上の言葉は出てこなかった。 マリアはそのままゆっくり後ずさりして、ダンのところまで戻ると、ダンの手を握りしめた。

山本はハンカチを隠すようにポケットに押し込むと、紅茶に砂糖も入れずに一口だけ啜った。 そして、その紅茶の缶に書いてある英文字にチラリと眼をやった。 それは抗日ゲリラがアメリカ軍の航空機から補給を受けている支援品に違いなかった。 マリアは、その山本の視線に気づきはっとした。 しかし、もう遅かった。 

「どうも、ありがとう。  またピアノを聞かせて欲しい。」

山本は初めてマリアに真っ直ぐ視線を投げ、帽子を取って几帳面なおじぎをした。 

マリアにはその眼が 夕焼けに染まった目元とともに涼しげに見えた。

「いくぞ!」 くるりと振り返った山本は部下に声を掛けると、腰に下げた日本刀をぎゅっと握りしめて足早に遠ざかって行った。

しかし、マリアはその晩は落ち着かぬ夜となった。マリアの家には カルロスという抗日ゲリラの隊長が出入りしていたのである。

(続く)

  

注: この話はフィリピン人の体験者から直接聞いた話を元に創作しております。

   尚、著作権は放棄してはおりませんので、ご留意下さい。

 

 

 

 

 

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