« 2008年11月16日 - 2008年11月22日 | トップページ | 2008年12月7日 - 2008年12月13日 »

2008年11月30日 (日)

修学旅行はバギオ! - マニラ日本人学校の六年生

日本人の小学生ってこんなんだったんだなあ~。

11img_9071

自分の身近に日本人の小学生を見なくなって何年?  バギオに来てそろそろ4年になろうかというだけなのですが、 この子達が珍しいもののように見える 今日この頃・・・

「ふるさと」や「赤とんぼ」の歌声には ぐぐっと来てしまいました。

11img_9085_2

おまけに、なんと 和太鼓の お腹に響く音まで聴けるとは・・・

11img_9109

狭い舞台でしたが、ひとつの太鼓を3~4人で舞いながら叩くという パフォーマンス。 こんなに素晴らしい子供達の演技をバギオで見ることができるなんて・・・

本当に子供って素晴らしい!

この子供達は マニラ日本人学校の六年生達。 20年程前から毎年修学旅行ではバギオを訪問し、地元の小学校や ここ日系人会館(アボン、北ルソン比日基金)での交流会を行っているそうです。

11img_9123

 

校長先生に伺ったところ

この太鼓を校外に

持ち出して

演奏するのは

非常に珍しい

ことなのだそうです。

バギオの小学生たちも

びっくりしたに

ちがいありません。

11img_9135

そして、バギオの日系人の若者たちからのお返しは、「世界にひとつだけの花」のダンス。

各テーブルに 日系人と日本人の子供達が同席しての交換会です。

11img_9152

そして、バギオで生まれ育ち、第二次世界大戦の時には この子たちと同じくらいの子供であった カルロス寺岡 バギオ日本名誉総領事のお話。

100年ほど前に日本が貧乏でフィリピンに出稼ぎに来ていた時代があった。 「ベンゲット道路」建設の為に 多くの日本人労働者がかかわり、多くの犠牲者が出たこと。 

その後、ミンダナオ島ダバオでのマニラ麻のアバカ産業、バギオ周辺での建設業や農業の開拓などで多くの成功者が出たこと。お手伝いさんを10人も使い、自動車を持ち、立派な生活をしていた時代があったこと。

そして、バギオのジョンヘイ基地に 日本軍の航空機の編隊が現れ、真珠湾攻撃と同日のこの爆撃によって 悲惨な戦争が始まったこと。

親や兄弟が次々に死んでいく中、 山々を逃げ回ったこと。

そして 爆撃が終わり静かな日が訪れた8月15日のこと。 それでも、日本軍は「これは敵の宣伝だ。」と信じなかった為、9月3日に山下大将がジョンヘイで降伏文書に署名しながら、9月中旬まで多くの日本人が飢餓状態に苦しんでいたこと。 

カルロス寺岡名誉総領事の話は、子供達に分かるように やさしい言葉でした。

初めて聴いた フィリピンと日本の大事な話。

子供達には どのように響いたのでしょう・・・・

11img_9159

「どこから来た子が多いの?」

「東京と・・・神奈川・・・かな。」

「バギオは何日間?」

「二泊三日です。」

子供達は 修学旅行のノートに 一所懸命 寺岡さんの話をメモっていました。

 

(注: セキュリティー上の都合により、写真にノイズを入れております。)

 

 

 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

« 2008年11月16日 - 2008年11月22日 | トップページ | 2008年12月7日 - 2008年12月13日 »