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2009年3月21日 (土)

Dominican and Mirador Hill  幽霊に会えた ?

10年ぶりに 幽霊の名所のひとつ ドミニカン・ヒル と ミラドル・ヒルの ローデス・グロットに行ってきました。

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ドミニカン・ヒルとミラドル・ヒルは 同じバランガイ(地区)にあったんですね。

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10年前は、ここは荒れ放題になっていて、ガードマンから「入らないでください。」と言われたものです。

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元々ここは、修道院のサナトリウム(療養所)があったとか。 その後、ディプロマット・ホテルになり、1990年のバギオ大地震で破壊されたと聞いています。 この古い門柱の傾きは、その大地震の名残を留めたものでしょうか。 しっかりとセメントで固めてありました。

(ささきさんのコメントにより、英文サイトを検索してみましたところ、下のようなサイトにその歴史が書いてありました。 下記をご覧下さい。)

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建物の裏に廻ると、フィリピンには珍しい大振りのひまわりが咲いていました。

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屋上には、大きな十字架。 バギオ市の展望が開けたこの場所は、しばらくぼんやりと過ごすのにも いいかもしれません。

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朽ち果てた この建物は 今は バギオ市の所有となっているそうです。 歴史的遺産として保存し、観光資源としての開発計画もある・・・ と、たまたま ここに来て 見物客にインタビューをしていた フィリピン大学バギオ校の放送研究部の女子大生3人に教えてもらいました。

そして、この静寂を破ったのが・・・・

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この人たち。  サバイバル・ゲームで 機関銃のバリバリバリバリ・・・という音をたてて 遊んでいました。 この朽ち果てた建物の雰囲気がいかにも戦場という雰囲気で・・  

いいねえ、市が管理する観光施設で、ガードマンもいるのに、こんな遊びが出来るなんて・・・ 流石にフィリピン !!

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この機関銃の音に おののいた為か、幽霊には会えませんでした・・・ が、こんな可愛い女の子に会いました。 ホワイト・レディーならぬ、ピンク・レディー??

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そして、ドミニカン・ヒルを後にして、だらだらと坂道を下り、しばらく行くと、この ミラドル・ヒルにある ロードス・グロットに辿り着きます。 マリア洞窟ですね。

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ここは、フィリピンの人たち、カトリックの人たちの礼拝の場。 聖域です。

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お参りに来た人たちは、ちゃんと 参道の一番下から この階段を一所懸命登ってくるわけです。

信仰心が欠落している エセ仏教徒の私は、一番高いところにある ドミニカン・ヒルから だらだらと坂道を下り、 ロードス・グロットの一番高いところまで タクシーで登り、また だらだらと参道の一番下まで 歩いて降りてくるという・・・ まったく!

正しいお参りの仕方は 私の逆のコースでお回り下さい。

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<<ドミニカン・ヒル と ディプロマット・ホテルの歴史>>

http://www.photospill.com/philippines-2/diplomat-hotel-baguio/

このサイトによれば:

1915年5月23日 = 末期患者用の療養所が開かれた

1941年 = 第二次世界大戦が始まると、避難民がここに入った。

日本軍による爆撃があり、叉、多くの修道女や聖職者が首を切られ、殺害された。

1947-1948年 = 戦後、再建された。

1973年 = ディプロマット・ホテルにより買収され、ホテルとして改装された。

ホテル開業の時から、多くの客が長い滞在をしなかった。

その理由とは、部屋の中で亡霊を見た、悲鳴や唸り声が廊下から聞こえて来た、などというものだった。

今でも、ドミニカン・ヒルの住人の中には、ホテルから悲鳴や唸り声が聞こえてくると証言している。

叉、こちらのサイトでは:

http://profilingtheunexplained.com/forums/index.php?showtopic=3050

頭のない亡霊が ホテルの敷地内に出没した。

ホテルの所有者が 1987年に死去すると、ホテルは営業を止め、閉鎖された。

その後も、夜になると、ドアや窓をバターンと閉める音や、皿をカタカタ鳴らす音、悲鳴などが聞こえてくると、ホテルの近所の人たちが話す。

つまり、 1990年のバギオ大地震の前から ホテルは営業を止めていたところ、地震で崩壊し、今のような廃墟になったと考えてよさそうです。

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しかし、この亡霊騒ぎが、第二次世界大戦時の 日本軍による蛮行の結果であると推測させるような話があることに 驚きました。

事実かどうかは分かりませんが、バギオの5大幽霊の名所を調べる内に、このような歴史に出会うとは 思ってもいないことでした・・・

バギオ100年祭の前に 日本人として もっと知っておくべき事がありそうです。

ちなみに、 この敷地内で飲み物などを売っていた若い人たちや、門の外にあった サリサリ・ストアーの人にも 幽霊の話を知っているかと聞いてみましたが、誰も「知らない」とのことでした。

英文インターネットの空間では、このミステリー話のサイトがいくつかあるようです。

==== 後日談 ======

このドミニカン・ヒルでの戦時中の日本軍の蛮行の話を、戦前からのバギオをご存知の方に訊いてみましたところ、以下のようなお話でした:

ー 日本軍のバギオへの爆撃は ジャン・ヘイに限定されていた。 それも開戦当時のみ。 その後の爆撃は 米軍の絨毯爆撃などで知られているように、ほとんどが米軍によるものだった。 その中で一番悲惨だったのは、バギオ大聖堂の前に作られていたフィリピン人の避難所への直撃だった。

ー 日本軍が首切りを行ったという話は、今のバギオ・センター・モールの場所辺りであった。 フィリピン人ゲリラへの見せしめの為に行われた。 ドミニカン・ヒルで多くの修道女や聖職者を虐殺したという話は聞いたことが無い。

歴史というのはやっかいなものですね。

 

 

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2009年3月17日 (火)

いいじゃん、 仲がよくたって・・・

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「あら、 あんたたち! 楽しそうじゃん。」

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「邪魔するわよ!」

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「おい。 あいつ おめ~の 腹ん下 通りやがったぜ・・・いいんか!?」

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「おい! なにやってんだよ。」

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ガブッ !!!

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「おいっ! おめえ、マジ やってんの?」

「ええっ?  そんな つもりじゃ・・・」

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「・・・・・でも、 この彼女、こんなに噛んでも へっちゃらなんすよ・・・」

「マジ? こいつら なんなの?・・・・・」

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「ホントっすよ。

ほれ、

こんな風に

噛むと、

気持ちいい

みたいなん

っすよ。」

 

 

 

 

 

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「へえ~~、 カワイイじゃん。 俺にも紹介しろよ。」

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「だめっすよ~~。

先輩、この前、

ひっかかれて

ぷっつん

来てたじゃ

ないっすか・・・」

 

 

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2009年3月15日 (日)

バギオの夏、緊張の夏 ?

日本の夏と言えば?  「xxの夏」ですが、

ここでは 夏につきものの幽霊の話。

バギオの夏は 4月、5月ごろですからね・・・

このサイトは 2008年10月31日の記事なので、今更なんですが、

とりあえず バギオの5大幽霊名所が しっかり書かれていますので、ご紹介。

http://www.mysinchew.com/node/17892

これによれば 「バギオの五大幽霊の名所」 は:

  

1.      ティーチャーズ・キャンプTeachers Camp

フィリピン全土から教師を集め、アメリカの植民地政府が英語教育をやった場所。1908年に建設された。 

アメリカ人の霊が取り付いていたと言われている。 

戦争中には 日本軍の陸軍病院もあったとか。

  

2.       ドミニカン・ヒル Dominican Hill 

(もしかして、ミラドル・ヒルの間違いか?)

ローデス・グロット(ローデス洞窟)と呼ばれる聖母マリアを祭った場所。

(ミラドル・ヒルに聖母マリアが祭ってあり、その先のドミニカン・ヒルには バギオ大地震以来 朽ち果てたディプロマット・ホテルがある。 )

唯一の戦前からの幽霊話は この場所にあった。

ドミニカン・ヒルからフードをかぶった修道士が行進するというもの。1911年に教会のサナトリウムが建てられていた。

(戦前のバギオを知る方に訊いたところ、 ディプロマット・ホテルは、ホテルになる前は 修道院だったそうだ。 その修道院=サナトリウムということかもしれない。)

  

3.       キャンプ・ジャン・ヘイ Camp John Hay

戦争中には 捕虜収容所があった。

日本軍が最初に空爆を行い、山下奉文大将が降伏文書に署名した場所。

なお、旧正門のサウスドライブ側にあったハイアットホテルは

バギオ大地震で倒壊し多くの死者が出た。

  

4.       ロアカン・ロード Loakan Road

フィリピン・ミリタリー・アカデミーへ向う道で、打ち捨てられた 

昔の戦没者墓地があった。 

(白い衣服を着た女の幽霊が出るとの噂も多い。地元では ホワイト・レディー として有名

  

5.       ケノン・ロード Kennon Road

険しい山岳道路で有名な旧名ベンゲット道路では、100年以上前の建設当時 多くの犠牲者が出た。 その中でも日本人移民の犠牲者は数百人と言われる。

   叉、特にキャンプ3は、戦争中は日米攻防の激戦地であった。

   今でも、特に犠牲者が多かったこの道路の橋を通る時に、

   運転手たちはクラクションを鳴らしている。

バギオ100年祭委員会の議長である 元バギオ大学学長のバウティスタ氏は、

「幽霊話は本当だ。 私たちは感じるし、見た者もいる。」として、

「バギオが爆撃されたときの戦死者であり、1990年7月の大地震の犠牲者だ。」

と見ている。

「これらの霊を慰めなければ、100年祭を祝うことは出来ない。 

心の平安がみんなの心になければ・・・」

 

 

 

 

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