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2010年12月26日 (日)

恐怖の棚田・・・ 失われた能力?

さて、いよいよイフガオ州フンドアン郡ハパオ村とバアン村でのアート・イベントを観る。

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その前に・・・

ハパオ村の目抜き通りは・・・これである。

この幅30センチほどの棚田の中の道。

左は田んぼ、右はちょっと段差のある水路。

ここはまだいい。

片側が田んぼ。道を踏み外しても 田んぼに足をズボッと突っ込めば済む。

しかし、反対側には 2~3メートルの段差があったり、川が流れて 岩がゴロゴロの箇所もあるのだ。

落ちたらどうなる・・・・

足の運びがぎこちない。 

あまり意識すると、足がもつれそうになる。

この道が水平なら、まだいい。 ちょっと左右へ傾いているところもある。

セメントの道が切れて、石が並べてある箇所もある。

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景色がきれい・・・

冗談じゃない、そんな心の余裕など あるものか。

眼は 小道に釘付け。 視界は狭く、短い。

そして、狭くて、急な階段・・・・

あげくに、水がチョロチョロ、道の半分ほどが雑草に覆われて、苔のように滑り易くなっている場所もあるのだ。

で、辿り着いたのが、

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このバアン村の小学校。 棚田に上下左右を囲まれた小学校。

校庭に人が集まっているのが分かりますか? 一番上の段。

人の背の高さ、 白いノボリの高さが分かりますか?

そして、その下の田んぼとの段差の高さが分かりますか?

こんな棚田の「ヘリ」に目抜き通りが、細い道があるんです。

・・・・

我々が到着した頃には もう陽が落ちて暗くなっていた。 足元がなんとか見えるうちに着くことができた。 車が通る道から、ハパオ村に下り、バアン村に上って およそ40分くらいの緊張の連続であった。

・・・・しかし、この細い道は、この小学校の登下校時の子供達の道でもあるんですね。

この村の人たちにとっては フツーな道なんです。

私は、夜のイベントの間中、真っ暗になっていく棚田を見ながら、

「帰りは どうすんだ!?」

誰かと一緒に帰らなくっちゃ・・・

しかし、道案内はやってもらったとしても、30センチの狭い道じゃあ、 誰も手を引いて歩いてくれるわけでもなし、自分で歩くしかないのだ・・・

・・・・・・・

そして、イベントは終わった。

地元の子供達が 棚田の細道を家に帰っていく。

だれも 懐中電灯なんて使っちゃいない。

ゲゲゲ・・・?

子供達は 月夜の明かりで 十分に あの細道が歩けるのだ。

地元の人たちがひとしきり家路に着いた後、日本人のグループが恐る恐る 棚田を下り始める。

手に手に、あるいは頭にランプを付け、一歩一歩 階段を下り、一歩一歩 懐中電灯に照らし出された 細い白っぽい道を 用心深く 探るように歩く。

「怖~~い、歩けない。」

「お先にどうぞ。」

そんな中を 地元のお兄ちゃんたちが、重い、かさばる荷物を担いで、追い越して行く。

地元の女達は 頭の上に物をのせて、背筋をスッと伸ばしてあるくのだ。

地元の人たちには、細い小道が はっきり見えている。

足の裏は、しっかりと小道を捉まえている。

そう言えば、お昼のイベントで 棚田に立てられた 白いノボリには、子供達の足裏の形が、土踏まずがしっかりくびれた足型が プリントされていた。

我々は、日本人は、人間として 退化しているのだ・・・・・

考えても見てくださいよ。

さすがに 私は イベント中に ビールを飲む気にもなれませんでしたよ。

そりゃあ 飲めば 度胸はつくかもしれないけど、

千鳥足じゃあねえ~~~。

田んぼにハマッて、無様な姿をさらすわけにもいかねえし。

この村の男達は 酒を飲んだ時も、千鳥足でも 歩けるんだろうなあ。

・・・・もっとも、この村の近くにゃあ、居酒屋も、キャバクラも無ければ、バーやカフェもないけどね。

 

 

 

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コメント

へえ~~、そりゃあいいですね。
田舎じゃ「ひ弱な秀才」が、都会に出たら「スポーツ万能選手」ですか。

そういうことってありますよね。
それはたまたま偶然かもしれませんけど、自分の個性なり、性格、特質に合った 生きる場所ってのは どこかにあるんじゃないかと思います。

そこから踏み出して いい場所が見つかればめっけもん。 なくて田舎に戻っても損はない。

ちなみに、私はスポーツは全然駄目です。
特に球技は 苦手中の苦手。 近眼がひどかったこともあるかもしれないけど・・・。
だから学校の体育は 筆記試験で点を稼いでました。
それでも せいぜい「3」でしたけどね。 あはは

投稿: させ たもつ | 2010年12月29日 (水) 20時46分

その田舎者がね、町の高校に入学したんですよ。 クラスには田舎者は僕一人でしたね。夏休みが終わって学校に行くと、僕だけが真っ黒で他の人は全然日焼けをしていないんですね。 僕は夏休みは当然海で遊んで暮らすと思っていたのに、彼らは一生懸命勉強してたんですね! 中学の時はひ弱な秀才と思われていた僕が、高校ではサッカー部から誘いを受けるくらい彼らはスポーツ音痴でした。キャッチポールも満足にできません。 そんな高校生活は面白くなかったですね! 小国さんも、キャッチボールもろくにできないくちかな?

投稿: 印南 | 2010年12月29日 (水) 20時11分

へえ~~~~、印南さんって 「ド田舎者」だったんだ。  私は佐世保の住宅街の「小都会ボーイ」でしたからねえ。 
でも、夏休みに佐賀の田舎に遊びに行った時は 印南さんと同じような田舎でしたよ。
トイレも五右衛門風呂も屋外にありました。

まあ、三つ子の魂百までも、って言うから、その諺が本当かどうか試しに棚田を歩いていただきましょうかね。


投稿: させ たもつ | 2010年12月29日 (水) 10時06分

小国さん、バアン村は山岳地帯か平地かの違いはありますが、僕の小学生低学年の頃の僕の田舎とよく似ていると思いますますね。50数年前です。 その頃は舗装された道路などなくて、夜になると家の外は真っ暗でした。 トイレは家の外にありましたので、トイレに行くのが怖かった。家は自分で建てたもので、掘っ立て小屋に毛の生えたような家でした。近くに小さな小さな山があって、中学生になるとその山を超えてよく釣りにいったものです。高い建物がないから、その山からは村全体がながめることができました。 田圃のあぜ道ちをよく歩いていましたから、多分パアンでも問題ないと思うな!

投稿: 印南 | 2010年12月28日 (火) 23時04分

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