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2010年5月11日 (火)

女の戦い ・・・ バギオからトッカン 「従軍看護婦」

はっきり言ってしまえば、この著者の文章はヘタである。

しかし、女性が書き残した「戦記」は貴重だと思う。

男性が、元日本兵が書いた戦記はたくさん読んだ。 

女の視点からの戦争「最前線」がどのようなものか、勇ましくはないが、男のそれよりも もしかしたら いさぎ良いのかもしれない。

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石引ミチ著 戦争と人間の記録 「従軍看護婦」 日赤救護班比島敗走記

徳間書店 1979年発行

・・・・・・

男の書く戦記は 肩に力が入っている。 客観的・・に見えるように書いてある。 そして、理路整然と、日時なども出来る限り、錯誤があったにしても、いろいろ調べて書いてある。

しかし、この「戦記」は違う。

戦争当時、特にバギオ周辺で、いつ、どのような事が、どこで起こったのかを知りたい者にとっては、この本を選んだのは間違いであった。

だが、他の戦記では見つけることが出来なかった、バギオでの様子、バギオから ラ・トリニダッド、21キロ地点、90キロ地点、そして そこから東のトッカンへと 山奥に敗走した日本軍の経路と実情を知ることが出来た。

そして何より、いままで読んだこともないような 戦場における女の平常心 をこの本に見たような気がする。

・・・・

バギオの近くの金鉱山の坑道にあった病院で

「手術用のカーバイドランプに照らされた青白い顔、合掌した姿、何の音も聞こえない奥の坑内、不気味な静けさに機械だけが妙に光っているのでした。

ほとんどの者が手術をしても助からなかったのですが、それでも若い兵隊さんは手術をすることを望みました。

手術をしなければ、くさってゆく膿のなかで死ぬのです。

そして死んだ人の毛布から、はみ出している手といわず足といわず額までも、油虫がなめつくすのでした。」

ボントック道90キロ地点から東に山奥へ入ったトッカンでは

「いよいよ現実に食糧がなくなってきました。 畠中掘りまわしても、芋のつるさえありません。 豚五匹ばかりを連れたイフガオ族が、女ととりかえてくれといって来たのはその頃でした。

いよいよ赤十字看護婦もバボイ(豚)五匹の値になったのね。

もうこんなにやせたら豚より安いかもしれない。」

敗戦、武装解除の地点へ向う途中 大きな川のほとりで

「兵隊さんたちがたむろする間を、原住民たちがウロウロと何か珍しいものはないかと物色して歩いているのでした。 彼らの交換の材料は甘藷でした。 ・・・・

首のまわりに、ボタンやスナップを連ねて、ネックレスにしています。

裸で、はだしで、イレズミをし、鼻には角を横に通したりしています。

日本人のように六尺褌をしめ、下がった前の布はちょっとむすんであります。

女は腰巻だけで、女の人の顔を見ていると、日本人のなかにも、似た人がたくさんいることにきがつき、 きっとこの人たちの祖先が 日本へ渡ったのだろう、と思いました。」

そして、 捕虜収容所へ護送される途中の ラ・ウニオン州サン・フェルナンドでは

「大和なでしこの名をけがすな、 行儀よくしろ、と元軍司令部の参謀がどなっています。

自分で強心剤を注射しながらしか歩けない病人が行儀をよくしろといわれても、・・・

何閣下か知りませんが、勝つ勝つといばっていた人にちがいありません。」

「胸がむかむかして砂の上にはいたら、回虫の三十センチも長いのが三匹出てきました。 ・・・・ 

トイレで肛門から、回虫が二、三匹出ました。 さっきの薬は 回虫駆除剤だったのです。

草やなま芋ばっかり食べていたから・・・」

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そして、飢餓地獄の中での 様々な心理的葛藤が描かれている。

しかし、この著者は本当に運の強い人である。

榎さんという従軍看護婦の同僚、友だちがいなかったら、生きては帰られなかったに違いない。

それも 飢餓地獄の中での友である。

まさに戦友と言うべきであろう。

 

 

 

    

 

 

 

 

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2010年5月10日 (月)

山下トレジャー にハマッテしまう前に  

もう10年以上前。 バギオの駐在員であった頃の話。

私の内線電話に社内のフィリピン人社員から、「日本語で書かれているものを ちょっと見て欲しいんですが・・・」と電話が。

名前も顔も知らなかったその社員が持ってきたのは、日本手拭いみたいな布にかかれた、日本語もどきの文字のようなデザイン。

アメリカ系優良企業の社員が。

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金属探知機の設計図のようなものを見ながら 肉体労働者風の男となにやら打ち合わせ。

戦時中に覚えたという日本の軍歌も歌える。

ラ・ウニオン州サンフェルナンドで某私立大学の経営陣の爺さん。 

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そして、銀貨に傷のように入った 文字にみえなくもないものを解読してくれと。

警察署長や市議会議員を出し、市長にもチャレンジするようなバギオ市でも著名な名門とも言える一族の男。

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日本語教師である私のところには、 数え切れないほど「宝探しの地図」などが 持ち込まれてくる。

「こんなの 日本語じゃないよ」 と 一瞥しただけで言える代物が。

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フィリピンにちょっとばかり 長く滞在していれば 日本人と言うだけで あなたも経験することがあるだろう・・・

そして、日本人なら 「なんで そんな馬鹿げたことに、地位も名誉もあるフィリピン人が 熱をあげているんだろう」 と思うに違いない。

そういう時に是非 読んで欲しい本が これです:

Img_0226  

これを読んで、それでも 「山下財宝」なるものがあると信じるのなら、フィリピン人と一緒にハマッってみるのも あなたの人生です。

しかし、この 生江有二著「黄金伝説」 の他には、あなたが人生を棒に振ることから救ってくれるものはないんじゃないかと 思いますよ。 (笑)

実は 私もね、正直なところ、 地位や名誉もあるフィリピン人が身近で 何人もトレジャー・ハンティングを 真面目にやっているところを なんども見せられていると、「もしかしたら 本当にあるんじゃないか・・・」 なんて 思うことだってあるわけですよ。

生江有二氏の この調査能力には 感謝 !!

元日本兵の次の言葉が印象に残る:

「マルコスが掘り出したと夫人のイメルダが話している。これについては?」

「マルフク(金貨)でなく、華僑が(戦乱を避けるため)分散埋設した仏像などがあるかもしれない。 しかし、日本のODA(政府開発援助)からかすめた金(かね)の出所を、山下財宝だといって国民をごまかしているに過ぎない。」

もっと詳しくは こちらで お読み下さい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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