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2010年7月16日 (金)

「私の家に日本人の幽霊が出たんです。 それで引っ越し・・・」

看護師で、日本語を勉強している若い女性が こう言った。

「10年くらい前の話なんですけどね、私が家族で住んでいた家に 日本人の、日本兵ですね、その幽霊が出たんですよ。」

「だれが見たの?」

「私にははっきりとは見えないんですけど、私の兄は第三の眼があるもんだから、よく見えるんです。」

「御両親も見たの?」

「いいえ。 兄が学校から帰ってきたら、家の中にその幽霊がいたんです。 それで、両親に、お客さんが来てるよ、と言ったら、 親は、そんな人いないよって・・・・」

「・・・で、どんな日本兵?」

「一人は、普通の日本兵なんですけど、凄くおしゃべりなんです。 よく兄が自分の部屋で その幽霊としゃべってました。 だから、うるさくってしょうがなかった・・・」

「もう一人はどんな?」

「多分、司令官かなにかだと思うんです。 刀を下げていたから。 ・・でも、その幽霊は頭がないんですよ。 首から下だけ。」

「その家って、どこにあったの?」

「ブギアス(Buguias)です。 それで、引っ越したんです。」

「ブギアスって、あのハルセマ(ボントック)道路から東にちょっと入ったところ?」

「ええ、そうです。 引っ越したって言っても、3軒隣の お婆ちゃんの家に みんなで引っ越したんですけどね。」

「へえ~。 その近くじゃ、そういう話は他にもあるの?」

「はい、先生。 ボコド(Bokod)の女の人が 幽霊から逃げるために マニラに引っ越してしまったんです。」

「ボコドって、アンブクラオ・ダム湖の東岸にある町?」

「ええ、そうです。 日本兵の幽霊だけじゃないんですけど、あまり頻繁に その女の人のところに出てくるんで、耐えられなくなって 逃げ出したんです。」

「はあ、それで、その女の人って 何歳くらい?」

「そうですね、もう大学を出ているくらいの歳です。」

「聞くところによると、日本兵の幽霊は 日本語を話すらしいね。」

「ええ、だから、何をしゃべっているのかは 分からないんです。」

「その、おしゃべりな日本兵は なにをしゃべっていたんだろうね?」

「それは 分からないですけど。」

「それで、もう一人の 司令官は?」

「ああ、その幽霊は、庭の、窓の外によく出てました。 しゃべってはいなかったな。 ささっと 通り過ぎるくらいで・・・・」

「日本兵の幽霊は、キリスト教の神父さんなんかは信用しないらしいね。」

「へえ、そうなんですか?」

「やっぱり、仏教の坊主じゃないと駄目らしいよ。」

「じゃあ、先生、仏教の僧侶になってくださいよ。」

「・・・・・・、そうねえ。 考えておくよ。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ブギアスという町は、バギオの北東、直線距離でおよそ50kmのところにあって、 ハルセマ・ハイウエイ(ボントック道)から 少し東に入ったところにある。

ボコドは、  バギオから東に直線距離で20kmほど行くと、アンブクラオ・ダムがあって、そのダム湖の東岸を、グレルの三叉路から 北に10kmばかり入ったところにある。

ダム湖の北岸に カバヤン村があるが、カバヤンからさらに北に進むと ブギアスに繋がっている。

つまり、バギオ - グレル - ボコド - カバヤン - ブギアス -バギオ と、この経路が アンブクラオのダム湖を 一周する形になる。

カバヤン村で 以前に聞いた話では、終戦の時に、カバヤン村を通って、ブギアス方面へ多くの日本兵たちが ボントック道路への坂道を登って行ったと言う。

 

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2010年7月15日 (木)

そんなビジネスも ありかい? 

日本語教室の入門コースが終わった。

その中の一人が、これで止めると言う。

その理由は、

看護師として サウジ・アラビアに行くのだと。

「月給はいくらくらいもらえるの?」

「公立の病院なら3万から5万ペソ(6万円~10万円)くらい、

私立だったら 2万ペソくらいなんです。」

「でも、言葉は大丈夫なの?」

「教育をちゃんと受けている人たちは英語で大丈夫。」

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・・・・・

今、我が下宿に 看護師のグループ8名が 1か月の予定で滞在中である。

バギオにある学校で、 メディカル・トランスクリプショニストの訓練をしている。

アメリカ本土の医者が 処方箋の内容をしゃべり、録音し、その録音をバギオで書類に起こすという仕事である。 病院の仕事の一部が海外へアウト・ソーシングされている。

訓練は 毎日8時間学校に缶詰になり、アメリカの医者の声を聞き取るのだそうだ。 そのアメリカの医者の中には インド系やエジプト系の医者もいて、訛りが強くて なかなか骨であるらしい。 

この仕事なら、仕事さえアメリカから来れば、月給2万ペソくらいにはなると言う。 海外に出稼ぎに行くリスクを考えれば 自分の田舎にいても出来る、いい仕事になるようだ。 フィリピン人看護師の英語力がここでも生きている。 日本を目指すのなんか止めちゃえよ、と日本語教師でありながら思ってしまうのだ。

フィリピンには看護師があり余っている。 海外志向は勿論だが、そうは問屋もおろしてはくれないそうだ。

例えば、ある国に看護師として出稼ぎに行くためには 3年間の経験が必要だとしよう。

どうしても海外に出稼ぎに行きたい看護師予備軍には 経験が無い。

必要は発明の母である。

その経験を売る商売があるのだそうだ。

つまり、本当は必要ではない看護師を、経験を積むためだけに 病院に入れる。 看護師は弱い立場。 働いているのに看護師の方が 病院に金を払うというのだ。

既に国家試験に通った、免許を持っている看護師が、研修という名目で 只働きは当たり前、研修費まで支払うというのだから・・・・

(フィリピンの看護師の詳しい話は こちらのイッシンさんのブログで どうぞ。)

 

 

 

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2010年7月13日 (火)

文学的な、あまりにも文学的な・・

私がこの小説を、ある老婦人から薦められて、読もうという気持ちになったのは、その老婦人が、シルバーグレイの美しい、若い時にはさぞかし美貌の、日本のキャリア・ウーマンの先駈けとして世界を飛び回っていたバリバリの研究員だったろう、その婦人が薦めたからというわけではなく、 その小説のあとがきに、次のような一言があったからである。

「打ち棄てられた死体にも、死者の生涯はある。 骨を拾って線香をあげて何になろう。 たとえ残酷と言われようと、戦場の死者に、私は今も涙は流さない。」

その小説には、全体の空気を形作っていると言ってもいい、ある毒草のことが書いてある;

「p171

岩棚には、住民たちがパルパルと呼ぶベコニアに似た草の群落があった。 その一本が、地面に投げた死体の左足の膝に触れていた。 もし、彼の体に血が通っていれば、悲鳴をあげて飛びあがるほどの激痛をあたえる毒草である。 その可憐な葉や茎に生えた白い和毛に、毒が含まれているのだ。

茎も葉も柔らかなパルパル草にとって、和毛の毒は、わが身を護る唯一の武器である。 それがなければ、不死身の成長を続ける蔓草や、岩盤にへばりつく羊歯類とちがって、あたりに棲息するおびただしい昆虫の大群に、彼等はたちまち食いつくされ、死滅しなければならない。 強健無比の蛸の木とともに、パルパル草が岩棚の住人となり得ていたのは、その和毛の毒のおかげだった。

もっとも、この草を恐れぬ昆虫もいた。たとえば、蔓草を屋根に、岩棚と岩壁の接線に巣を張る蟻たちである。 彼等は平気でパルパルの茎や葉を這い回っていた。 植物を常食とせぬ蟻たちに、パルパルの毒は無毒なのだ。 ところが、同じ非草食虫でも、蜘蛛は近寄れなかった。 網をかけられておしゃれな葉並を崩されるのが癪だったのか、パルパルは蜘蛛を嫌った。 何か、ものを考える意志をもっているような、動物めいた草であった。

p242

岩棚の彼は、パルパルの和毛に包まれ、亀裂の一等兵はときおり谷川のしぶきに洗われ、いつか訪れる最後の日まで、そこにそうしているだけの人骨にすぎず、彼に首を刎ねられた女や、一等兵に串刺しにされた赤子の呪いも、そうとは知らず二人の安否を気遣っているにちがいない家族の祈りも、二人にとっては無縁の事柄だった。」

この小説は 「ルソンの谷間 最悪の戦場 一兵士の報告」 江崎誠致著(光人社名作戦記)に収録されている二つ目の小説「岩棚」である。

そして、このひとつ目の作品「ルソンの谷間」には、その異様な光景の伏線のように、私の脳裏に焼きついた次の文章があった;

「また靴音が近づいてきた。 今度は一人である。 重傷者の一人であろう、しかしかなり元気な足どりであった。 これが、戦闘の最中ならば、驚きはしない。 だが、一旦平静な感情をとりもどしてから、この男の顔を正視することの出来るものがいるだろうか?

顔がないのである。 迫撃砲の大きな破片が、ガバッ、と顔をどこかへ持っていってしまったのだ。 口のあったところに舌が見え、そこで呼吸している・・・・生きているのだ!

そして私たちとは比較にならぬ健康な足どりで、これもまたたちまち私たちをひきはなしていった。」

この小説はいわゆる「戦記物」である。

しかし、私がいままで読んできた、どんな戦記物とも全く違っている。

この作家は、どうして、この過酷な戦場で、このような光景を脳裏に、微細なまでの観察を刻み付けることが出来たのだろうか。 それも、まるでその死体が朽ち果てていく光景を、刻々と秒針が刻んでいくように、あるいは日がな一日、何日間も食い入るように見つめた描写ができたのだろうか。

書斎ではなく、戦場において、このような文学作品が生まれたことに、戦慄を覚えるほどの異常さを感じ、引き込まれていくのだ。

これは明らかに、いわゆる「戦記物」ではない。

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2010年7月11日 (日)

スパイス君、君は素晴らしい、偉いよ!

私は 豆が好きである。 ピーナッツなどの豆類が 好物である。

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ようするに、こういうピーナッツ。

ちょっとお腹が空くと、こういうやつを手のひらにごそっと載せて、パカッっと口の中に放り込む。

さて、今日は 西暦2010年7月11日。

この写真のスパイスト・ピーナッツを 下宿屋の前にあるサリサリ・ストアーで買ったのだが・・・

「これ お願いします。」

すると、サリサリ・ストアーの若いお兄ちゃんが 信じられないことを言った。

「これ、賞味期限が切れてますけど・・・・」

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ほお、なるほど、 確かに 04/17/10 と印刷してある。

およそ3か月前に賞味期限が切れているじゃないか。

しかし、こんな言葉をフィリピンのサリサリ・ストアーで聞くとは思ってもいなかった。

「いいよ、問題ない。」

私は その若いお兄ちゃんの 正直さに 感動していた。

スパイス君、君は素晴らしい、偉い。

私は、日本の「賞味期限」表示に、あるいは 賞味期限偏重主義の風潮に 昔から いまいましさを感じて来たひとりである。

ずいぶん前に、日本でも超一流の料亭が、高級な料理を使いまわしていたとして マスコミに叩かれ、お取り潰しになってしまった。

それはそれで、超高級な、庶民に縁の無い世界であるから良しとしよう。

しかし、賞味期限偏重主義の裏で、大量な食べ物がゴミにされていることに怒りさえ感じる時があるのだ。

「賞味期限表示」という いわばバーチャルなものに惑わされ、現実に「喰えるのか、喰えないのか」が 粗末にされ過ぎている。

喰えればいいじゃないか。

ある苦労人の芸人が言っていた。

「喰えるものなのか、喰ってはいけないものなのかは、私の五感で分かりますよ。」

自分の五感を使って生きるのが人間、動物なんじゃないか。

バーチャルなものを過信して、そのリアルを感じる能力が退化してしまってもいいのか。

変なものを喰って、腹を壊したら、それが その能力を高める トレーニングってものである。

・・・・ しかし、 期限切れだから ディスカウントしてもらえば よかったな。

失敗、失敗。

フィリピンの中で、こんなに感動してしまって、うっかり冷静さを失っていた。

のんびりとした生活の中に ちょっとしたスパイスをいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

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