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2010年11月 2日 (火)

へえ~~、 そうなんだ。  その4

穴にはまってしまいました。
「なんで 浄土真宗には お釈迦様のことが 出てこないのかな?」
と思って、いろいろインターネットでも 調べてみたんですけどね。

原始仏教(初期仏教)と大乗仏教の間に 結構な溝がありそうだと
言う事が いろいろ書かれているんですね。

中には「大乗仏教は仏教じゃない。」と言っている人もあるそうな。

で、そもそも、その原始仏教(初期仏教)ってのはどんなのを
いうのかって言うと、お釈迦様の入滅後、100年ないし200年ごろまでをいい、
阿含経や法句経などの お釈迦様が実際に語ったであろう言葉や行動などを
収めたものの時代のようです。
500年も経ったころには部派仏教と呼ばれる20ぐらいのグループに
分かれています。

http://www.kosaiji.org/Buddhism/early.htm

それじゃ、その頃のお経は日本にいつ頃伝わって来ていたのかっていうと、
これがよく分からないんですが、一説には 仏教が日本に伝来した頃
に一緒に漢訳のものが来ていたそうなんです。
ところが、その阿含経などのようなものが あまり振り向かれず、
研究もほとんどされなかったらしいのです。

元々、中国仏教、つまりは中国の儒教などと混ざった大乗仏教がどどっと
入って来ていたので、それとはかけ離れた小乗仏教である阿含経などの
原始仏教は ピンと来なかったみたいですね。

「原始仏教の段階では、あくまで個人が悟りを開くための共同体的
要素が強く、釈迦本人を崇拝したり偶像化することを釈迦も望まなかった
・・・」という文章もあります。(「手に取るように・・」から)

それで、私のような入門者でも不思議に思う、このへんの事情を
細かく書いてあるサイトを見つけました。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/oldkino/Tao636.html

このサイトの中で、「へえ~~、そんなことがあったのか。」と思った
のは 次のような文章です:
(サイトに書かれているのは かなりのボリュームなので抜書きします)

中国、日本においては、小乗経典であるとして大乗仏教の立場から貶せられ、
あまり重要視されないで来た。 しかしその内容が明快で合理的であるため、
明治大正時代以後、新しい仏教徒の間で重要視されている。

釈尊はいつの間にかお留守になりがちです。彼らにとっての関心は、はたして、
その経典の内容の如く、そのくりかえしつつある約束の如く、多くの罪をほろぼし、
輿ふるに無量の功徳をもってするやの実際問題となってしまひました。
釈尊はただ、 もしそのときに登場したにせよ、主人公ではなしに、ワキにすぎません。
証明人位の程度しか役目をはたしてゐません。かくして、 浄土門は釈尊を傍として
阿弥陀仏を主にいたします。
大日経では毘盧遮那仏が主体です。
普門品では観音菩薩が主人公です。
これらの尊い大乗経典に出づる人々はみな釈尊の胸にわき出たる利他大悲の権化と
して登場してゐるのです。

浄土思想に於いて道徳的生活が軽視せられ易いことは、この教祖の梵天思想にかヘリみて、深く反省さるべきだと思ふ。247
……『仏教聖典を語る』叢書、第二巻【阿含経】 友松円諦著

しかるに、小乗仏教の人々が伝持する初期の経典の語るところは、まず自己の人間形成に励むべきを説いているのであって、大乗仏教の人々のいうがごときことは、
どこにも説かれていないのである。だから、彼らは、大乗仏教の人々のいうところは
仏説ではないといって否認する。
大乗仏教の人々も、それは仏説ではないといわれることは、つらいことであったに違いない。
そこで彼らは、ブッダ・ゴータマを主人公とした新しい経典を製作して、その中に彼らの
主張を盛りこんで、「小乗の徒のしるところにあらず」とうそぶいていた。
それが大乗仏教なるものの生まれいでの消息である、
………p36『根本仏教と大乗仏教』増谷文雄著………

阿含経というお経の名前は、長い間日本人にとっては馴染みの薄いものでした。
何よりも大きな理由は、阿含経を毎日の経典、所依(よりどころ)の経典として
読む宗派がなかった
ため、 専門の僧たちの間でさえ、手にとる人がなかったことでした。

・・・ 成る程、やっぱり 専門家でも知らなかったのね。
    そして、小乗仏教であるインド仏教が ヨーロッパにどんな影響を
    与えているかというと。

インド思想のどこにいちばん興味をひかれるかをヨーロッパ人に尋ねますと、
十中八九の人が「カルマ(業)」の思想と「サンサーラ(輪廻)とこたえるのには驚いたと、ある学者は語っておられます。
……中略18……三井光弥著、「独逸文学に於ける仏陀及び仏教」(昭和十年第一書房)……

・・・ 従って、「仏教」と言うものに対するイメージは ヨーロッパ人と
    日本人では 相当違うものになっていると言うわけです。

大きくいって、日本の宗教学者、あるいは原始仏教学者の間では、こういう、
釈尊理解が主流であったといって差し支えないと思います。
釈尊の宗教のかかるヨーロッパ的理解を日本に搬入した最初の人は、何といっても
姉崎正治博士であったと思われますが、姉崎正治博士の名著「現身仏と法身仏」は
釈尊の不滅性を論じつつ、 現身仏(肉体をもって現れた釈尊)という理解については、
そこに人間釈尊としての悩み、その思想的克服という理解の仕方が顕著にうかがえます。
……202……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

とくに京都の学風が大乗仏教の存在に早くから注目していたのに対し、 東京大学は
ある時期までは、原始仏教オンパレード
という感じがあり、事実、画期的にすぐれた学者たち
を生みながらも、基本的には釈尊の理解について、 原始仏教において生じたさまざまな迷信的要素を釈尊はもっていなかった、迷信的要素は後世の伝説や付加である、という理解が主であったようです。

一時の日本では、大乗非仏説と、それに加えて政治的な廃仏毀釈の空気が、学問的に阿含仏教研究、根本仏教研究にあずけられた感があり、東京帝国大学をはじめとして、近代的なインド学を目指すほとんどすべてのところでは、
「原始仏教研究にあらずんば、人にあらず」という空気が生まれたのです。
この空気の下で、阿含仏教をふりかえるとき、 西洋人が組み上げた釈尊の理論仏教は、まさにぴったり彼らの要求とわれら日本人の要求に合致し、宗派仏教の打破に仮借ない力をふるったものと考えられます。

・・・ と、まあ、上記のように いろいろな論争があったんですねえ。
    今まで、まったく、ちっとも 知りませんでした。

これが中国の十三宗ですが、それを受けた日本の十三宗は次のとおりで、
この中には「小乗宗」は一つもありません。
・・・ とあるように、日本には 実際問題 小乗仏教は来ていなかったようです。

大乗仏教は本当の仏教ではない、仏教ではない、という考え方も一方にはでてきているのですから注意しなくてはなりません。 この「大乗仏教は仏教に非ず」という考え方を
「大乗非仏教説」ともうします。これは、わが國では、明治以後、西欧の学問が入ってきたとき、仏教学にも従来の学問は真の学問に非ずということで怒濤の勢いで流入し、大乗仏教を基調とする日本仏教に大打撃を与えたものでした。今日も、仏教学の主流をなす観のある
「原始仏教研究」も、 その基底には「大乗非仏説」の余韻がないとはいえません

……253……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

・・・ ってことで、日本の仏教は、もしかしたら 将来 名称を、看板を
    架け替えることになるのかもしれませんねえ~~。
    まあ、でも、新興宗教はいくらでもあるわけだし、「仏教」という
    商標登録があるわけでもないだろうし、いいんじゃないの? 
    浄土真宗だったら阿弥陀「教」だっていいんじゃない?
    ほんまに 色即是空、空即是色 の世界ですね。

さて、次回は 是非、気を取り直して、「教行信証」に行ってみたいと思います・・・

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2010年11月 1日 (月)

へえ~~、 そうなんだ。  その3

「教行信証」のことを調べようと思ったんですけどね、その前にまた引っかかったんです。

龍樹さんから始まっているんですよね、七人の高僧。
日本の仏教は北伝仏教(大乗仏教)だから そこからだろう、って言っちゃうとそれまで
なんですけど、なんで お釈迦様が 入っていないのかなって・・・

まあ、お釈迦様のことを書いた 原始仏教の時代の「阿含経」などが 親鸞さんの
時代には 一切手に入らなかったってことなんでしょうか。

・・・って言うか、元々お釈迦様が言ったことを 弟子が伝承して、それを後代の高僧たちがお経の形に書いたってことだから、書かれたベース、あるいはそれが漢訳されて
日本へ渡った順番でカウントすれば 龍樹さんからってこと ?

でも、浄土真宗は お釈迦様が信仰の対象じゃなくて、阿弥陀如来ですもんね。

「無量寿経」は親鸞さんが「教行信証」に、「それ真実の教をあかさば、
すなわち大無量寿経これなり」と述べた経典であり、釈尊がこの世に現れた
目的は阿弥陀如来の本願を説きたいがためであった・・・
と書いてあるんです。

そして、そのことを初めて 大乗仏教的に書いたのが 龍樹さんってことですかね。
要するに 優れた解説者、コメンテーター、新説・新解釈提唱者かな。
龍樹さんは 実在論を否定する「空」の理論を「中論」に書いているけど、
「無量寿経」を書いているわけじゃないんですよね。

日本では『無量寿経』というと、康僧鎧の訳とされる『仏説無量寿経』の事をさす
と言われているようだし、

原始仏教では、阿弥陀仏、極楽浄土の観念、浄土思想が
存在しなかった
という説が有力らしいし、編纂した人も分からないらしい。
・・・・ 誰が書いたんだろう??

それで、仏教の図書館は どうなってんの?
と思ったわけですよ。

「お経の本」にありました。
仏教の図書館みたいなものを 「大蔵経」と言うそうです。
次の三つを集大成した仏教聖典のことです:
「経」= 釈迦の教え
「律」= 教団の戒律
「論」= 経典の注釈文献

最初は書写で伝えていたものが木版印刷になったのが971年
宋版(中国の宋の時代ですね)だそうです。

そして、日本での最初は、天台宗の天海さんが作った 天海版又は
上野の寛永寺版だとか。
1453部 6323巻 665函のボリュームだそうです。
(と言われても 多いのか、少ないのか 見当つきませんけど。)

徳川家光の命で作り、完成したのは1648年、10年がかりでした。
しかし、この時に実際に印刷されたのは十数部だけで、ごく一部の
大きなお寺に置かれただけだったそうです。

それを もっと便利にしたのが 鉄眼さん。
この時に使われた版木は桜の木で、堅かったため、活字を直線的に
彫るため「明朝体」が生まれたそうで、さらに、20字X20字の
原稿用紙のさきがけとなり、B判の大きさも この時の印刷に
使われた和紙の大きさが元になっているんだそうです。
これによって、全国のお寺にコピーが出回ることになりました。

その後、経蔵が 不忍池の中島に建立され、日本初の公立図書館
ある文庫が増築され公開されたのが 1671年。
黄檗宗の了翁さんが、「錦袋円」という薬を売って 3000両の
大金を稼いで、この図書館に注ぎ込んだそうです。

そして、時代は1912年。 多田等観という浄土真宗の僧侶が
チベットへ渡り、10年間の学問の末、門外不出のデルゲ版大蔵経
を日本へもたらす。

ここで、チベットの経典なんですが、そもそも翻訳された
大蔵経は 大きく南伝、漢訳、チベットの3つがあるそうで、
その中でもチベット版は 原典にきわめて忠実に翻訳がされている
そうで、漢訳の比ではなく、デルゲ版というのが一番文脈が
正確であると言われているそうです。

翻訳って、翻訳者の能力にもよるし、表現もいろいろ個人差が
ありますからね。 難しいですよね。
漢訳って チベット版に比べたら 結構 間違いがあるじゃん、
なんてね。 今更言われても、ってところですかねえ。

これが今、どこに置いてあるかというと、東北大学なんですって。

そして、大蔵経の決定版として、今現在 世界的に高い評価を
受けているのが、「大正新脩大蔵経で、仏教学者の高楠順次郎など
240名が10年あまりを編纂についやしました。

1924年(大正13)に第一巻が、その後1932年まで
掛かって、 85巻 総ページ数80,634ページを完成。
さらに、1934年までに 全100巻となりました。

これは、中国、インド、欧米各国にも寄贈され、世界標準みたいに
なっているそうです。

・・・・、しかし、これって、日本語訳の大蔵経って
あるんですかね??
未だに お経が 漢語の音で読まれているってことは
日本語のお経、大蔵経って 無い ってこと・・かな・・??

どなたか、日本語のお経って聞いたことあります???

キリスト教は世界各地の言語でバイブルが出ているわけですよね。
なんで仏教は違うわけ?

もっとも 手元にある「お経の本」には 日本語訳が
書いてありますけどね。

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2010年10月31日 (日)

へえ~~、そうなんだ。 その2

親鸞さんが選んだ七人の高僧がいるそうです。
お釈迦様から法然さんまでの、浄土真宗にとって大切な七人で、
インドー中国ー日本へと どのように伝わったかが時系列に読み取れます。
http://1kara.tulip-k.co.jp/1kara/043.html
http://www.geocities.jp/yuurinji/230.html

親鸞さんも やっぱり 元々 仏教ってなんなの? って知りたかったんですかねえ。
そうじゃなきゃあ、歴史的なつながりのある七人を選んだりしないでしょ?

龍樹 南インド出身 150~250年頃。
「空」の思想を確立した人ですね。
阿弥陀仏の本願による救済を説いて、浄土教の祖と呼ばれているそうです。
「十住毘婆沙論」の「易行品」のみが 浄土真宗の依拠聖典。

天親 ガンダーラ出身 ~400年頃
龍樹の「空」を受け継いで、「無量寿経優婆提舎願生偈(浄土論)」で
往生への願いと方法を書いた。

曇鸞 中国 476~542年
道教の第一人者から浄土教に帰依し、他力の念仏を説いた。

道綽 中国 562~645年
曇鸞大師の影響で浄土教に帰依し、「観無量寿経」を講義。
称名念仏を実践。(称名とは、仏、菩薩の名をとなえること)

善導 中国 613~681年
道綽禅師の弟子。 「観無量寿経」の注釈書を著し、
法然の称名念仏の根拠となるものを書いている。

源信 日本 942~1017年
日本浄土教の祖。 
「往生要集」(極楽往生するには、一心に仏を想って念仏の行をあげるべしという本)
を著す。念仏の教えを広める。

源空(法然) 日本・岡山県生まれ 1133~1212年
「往生要集」を読み、善導大師の「観経疏」で、専修念仏を唱える。
「選択本願念仏集」(浄土三部経の経文の引用、その解釈など)を著す。
浄土宗の開祖。

これらの七高僧は、要するに「阿弥陀仏の本願を信じて念仏する」
ことを通じて、自力によらず他力で浄土往生することがポイントの
ようです。
親鸞さんの頭の中に、あるいは心の中に、民衆を救う為という信念があって、
その線に沿って、その根拠になるものを探求したんでしょうか。

それで、浄土真宗の聖典とされるものは何かって言うと:
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/oshie/

「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」と呼ばれている、
『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』
『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』
『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』

親鸞が書いた、
『正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)』
『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』 (1224年)
『浄土和讃(じょうどわさん)』
『高僧和讃(こうそうわさん)』
『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』

蓮如が書いた手紙
『御文章(ごぶんしょう)』

と言うようなものだそうです。
まあ、浄土真宗だけで、随分たくさんありますね。
浄土真宗の根本聖典は「教行信証」だそうです。

じゃあ、この「教行信証」って どんなことが 書かれているんでしょうね?

ところで、 11月1日は フィリピンの All Saints Day (万聖節)。

日本で言えば お盆の季節です。

こんな お経の話をやっているなんて、なんて間がいいんでしょうね。 

キリスト教のフィリピンだから 関係ないか・・・

 

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