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2010年12月 4日 (土)

彷徨える魂を鎮めるには・・・4

さて、日本にやってきた大乗仏教なんですが・・・。

「手に取るように・・・」によりますと:

仏教と神道、さらに他の宗教の思想や行事が入り乱れた
日本の思想は、最近始まったことではなく、平安時代には
もう渾然としてしまっていたのでした。

仏教の輪廻思想でも、死んだ人は地獄で責め苦にあっているか
天上界で修行しているか、動物になっているかなど、
霊は「六道」のどこかに再生し、次の人生を生きていくため、
現世に出てきて災いをなすヒマはありません

日本の悪霊や幽霊は、生前の個人の人格や怨みを保持した
まま現れ、怨みを晴らすと成仏してあの世に行くという
考え方があります。 しかしこれは、たとえ仏教であっても、

日本以外ではありえないものです。

・・・ ありえな~~~い!! ことが日本では起きている、
ってことらしいですね。

で、往生ガイドである「往生要集」が天台宗の源信さんに
よって書かれたのが985年。

その前は、仏教は国家鎮護が目的でしたから、聖徳太子が
「法華経」を重んじたそうで、「法華経」の歴史は、
日本仏教の歴史とともに始まっている
、そうです。

「お経の本」には 法華経について:

平安中期から後期にかけての宗教行事は、・・・・
生者が死者のために修善して功徳をあの世に振り向け(回向)、
故人の冥福を祈る、追善のための法華講がある。
法華経は、鎮護国家や生者の現世利益のみならず、
死者の成仏をうながす経としても信仰されたのである。

・・・ ここですね。ここです。
「冥福を祈る」のは法華経でした。

それで、なぜこれが可能かと言えば:

その理由は方便品に明記されている。
「この経に説かれた法を聞いた者は、ただの一人として
成仏しないという者はいない」からなのである。

と、あります。
で、この「方便」。
「うそも方便」の「方便」ですが、辞書によれば:

①機会。チャンス。
②ある目的のために使われる、まにあわせの手段・方法。
③《仏教》仏が衆生(シュジョウ)を導くために用いる仮の手段。
④(タズキ)・(タツキ)《日本語での特別な意味》生計の手段。

「仮の手段」ってありますね。

そして、
「法華経」が強くアピールしている、この簡便な現世
利益性が、古代日本における法華信仰の中心だった。
人々は「法華経」写経や読誦、造塔、造仏といった
修善によって、・・・

ともあります。

そして、平安末から鎌倉にかけての時期は・・・
この時代の法華信仰の特徴を端的に言い表した言葉に、
「朝題目、夕念仏」がある。

法華関係の儀礼のほとんどは、生者が活動する日中に
行われた。 一方、死後世界にかかわる念仏行は
もっぱら夜に修されたが・・・

というスタイルが一般的にあったのだそうです。

で、ここに出てきた念仏なんですが・・・・

そもそも、念仏で往生できるという思想自体が、
浄土教の創案ではなかった

「法華経」方便品の中で、「一たび南無仏と称えれば
皆すでに仏道を成せり」と説かれていたのである。

・・・ そうだったのか。 ふむふむ。

そして、さらに、「死後世界を説いた経」という章を
読んでみますと:

仏教が説く死後世界はさまざまだが、
日本仏教では、ほぼ2つに大別することができる。
第一は、永遠に転生をくりかえす地獄、餓鬼、畜生、
修羅、人間、天の六道輪廻の世界、
第二はその輪廻の世界から抜け出た浄土の世界だ。

日本では、浄土こそが仏教者のための最終目的地
と見なされるようになった。

・・・ それを詳しく書いたのが いわゆる
浄土三部経なんだそうです。

そして、760年ごろの浄土信仰は、
死者のために善行を積んで死者の往生を阿弥陀仏に
祈願する追善供養が中心だった、とあります。

それが、自らの浄土往生への信仰へと姿を変えていくのは
平安も中期すぎあたりから、だそうです。

・・・・ 要するに、自分が浄土へ行くためと、
死者を浄土へ行かせるための、両方の意味があるってこと
なんですね。

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2010年12月 2日 (木)

彷徨える魂を鎮めるには・・・3

そして、葬式という儀式は・・・

インターネットで調べ、叉 辞書によれば:
「葬儀とは死者に対する授戒成仏が主たる意味を持つ。」
(授戒とは戒律を授ける意味。 成仏は 悟りを開いて仏陀になる意味。)

「葬儀の時、導師の僧が棺の前で、死者が迷わず悟りを開くよう
法語を唱えることを意味する」
となっています。

しかし、これも、浄土真宗では 引導を渡すということはしない、らしいし、
そもそも 成仏って言っても、日本じゃあ普通には 極楽浄土に行くという
程度の意味ですよね。。

さて、元々の日本人の伝統的な宗教が神道であるとすれば、
その神道では どんな死生観、葬儀に対する考えかたがあったんでしょうね。

で、さっそく数年前に買って、そのまま埃をかぶっていた
「神道の本」をぱらぱらとめくってみました。

そこには、次のように書かれています:

「生死を「神々のはからい」と考えていた日本人の死生観は、
神々の世界から生まれて、やがて一生を終えると神々の世界へ
帰っていくというものでした。
死者の世界は生活の場の近くにあり、常に交流があって、
私達を草葉の陰から見守ってくれていると考えていたことを
表しているようです。」

「枕飯、北枕、葬送の列の松明や箒、埋葬後のお祓いなどは、
もともと仏教とは関係のないものです。」

ありました。 私なんかが思いこんでいた「死んだ人の霊」が
近くにいるとか、死者の霊がなにかをするとか、「草葉の陰」で
見守ります、なんてのは 神道の考えだったんですね。

ちなみに、神道の葬式に関連する記述は この「神葬祭」という章に
ちょっとあるだけで、江戸時代の寺請制度によって仏式の
お葬式が強制されるようになった、とあります。

それに、神道の場合は、穢れということを非常に重く考えていて、
死は穢れとされているらしく、そもそも神社の中で
葬儀関連のことをするというのはよろしくないらしいのです。
葬式等の後に塩をまくという習慣も神道のものだそうで・・・。

話がややこしくなって恐縮なんですが、
「手にとるように・・・」では、神道の死生観について以下のように
書いてあるんです。

「神道には、固有の教義や経典がありません。 どうして
人間がそこにいるのか、死んだらどうなるのか、聖書や
仏典と違って、その点は明確にしていないのです。」

上に書いたこととは、若干ニュアンスが違いますね。

さて、仏教の最初に立ち戻って、葬式がどういう位置づけ
だったのかを 辿ってみましょうか。

・・・・・

まず、仏陀。
「手に取るように宗教がわかる本」には、

釈迦(仏陀)は、自分の周りにあった「苦から逃れるための
法則」に気がついたにすぎません。
神(救世主)でも預言者でもないのです。

仏教は基本的に釈迦に対する信仰ではないのです。
それは、この世の成り立つ「法則」を信じるのであり、
それを「法(ダルマ)」と呼びます。

原始仏教の段階では、あくまで個人が悟りを開くための
共同体的要素が強く、釈迦本人を崇拝したり偶像化する
ことを釈迦も望まなかった。

とあり、一方で 「葬儀は行わなくてよい」と伝えていた、
とされています。

叉、出家と在家ですが、在家の信者は出家者をサポート
することで、その功徳を現世利益として受け取ることが
出来ると考えます。

・・・とありますし、

叉、「お経の本」には、

原初の仏教には、もともと死者を礼拝したり供養したりする
といった観念はありませんでした。

ともあります。

小乗仏教は、この路線ですから、その後の
日本に渡った大乗仏教で 葬式がどういう扱いになったのか
探してみます。

その前に儒教かな・・・・

 

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2010年11月29日 (月)

「すてられ なかった おばあさん」 むかし話から・・・

葬式の話をする番なんですが、ちょっと 休憩です。

内容は、お葬式にかなり近い話なんですがね・・・・

日本語の生徒たちに 時々作文の宿題を出しているのですが、
今回は 絵本の日本昔話を読ませて 感想文を書いてもらいました。

読んでもらった昔話は「すてられなかったおばあさん」というタイトルで
絵本で4ページの物語です。

「捨てられなかったお婆さん」は、昔の日本で慣習であったと
言われている「姥捨て山」を題材にしたものです。

日本語能力試験旧3級レベルの生徒(大学卒23歳・女性)が書いたものに、私が少しだけ手を入れています。

・・・・・

この物語の一部は現代社会と とても関係があります。
介護施設は山の奥と同じじゃないでしょうか。
この二つは、同じ目的を果たします。
それは、老人を捨てる場所です。
山の奥に比べたら、介護施設は世話をする人がいるし、
必要な物と医療を与えるし、それに便利な所です。
祖父母が快適な暮らしもできます。

不運にも山の奥に捨てられた場合、だれも世話を与える
ことが出来ないのに、死期を待っている間に自然の驚異を
楽しむことは出来ます。

お金について言えば、介護施設ではとても高くて、
山の奥では全然お金を使いません。

許されるなら、私は山の奥を選びます。
この死に方は面白いと思いますから。

幸運にもフィリピンでは、老人を捨てることはありません。
最近、フィリピンでも介護施設に祖父母を預ける家庭の
比率が高くなってきました。
しかし、世界では、これはアメリカとヨーロッパの比では
ないから いいんじゃないでしょうか。

とにかく、この物語はお婆さんと親父さんと息子さんが、
山奥への旅について書いたものです。
そして、何故 親父さんと息子さんがお婆さんを
連れて帰ることを決めたかの話です。

登場人物三人から教訓を得ることができます。
例えば、息子さんから哀れみ深い態度、お婆さんからは
親切な、呑気な態度、親父さんからは 法を守る態度を
学ぶことができます。

他の教訓は、理解する為には、心をつかわないといけない
ということです。
私はお婆さんの呑気な態度の方が好きです。

私は祖父母は大切な人たちだと思います。
彼等は、体力がない人たちですが、家庭内の決定をするには
大切な人たちです。
ですから、世話をする責任は子供にあるんじゃないでしょうか。
他の理由は、祖父母がいなかったら、子供もいなかったという
ことですから。

祖父母に礼を尽くすために、子供には祖父母の世話をすることが
与えられるのです。

・・・・・

この昔話の大雑把なあらすじを以下に参考までに
書いておきましょう。

むかしむかし、ある村に、お婆さんと、その息子と、
その孫息子がおりました。

村の掟として、お婆さんやお爺さんは、山に捨てるという
決まりごとがありました。

親父は、この掟を忠実に守って、息子と一緒に
お婆さんを山の中に捨てに行きます。

お婆さんは、息子と孫息子が帰り道に迷わないように
通り道の木々にリポンを結んであげます。

親父と一緒に籠をかついだ息子は、どうしても
お婆さんを山に捨てるのには賛成できません。

山の中の洞穴の前で、「もう籠はいらないから」と
親父は籠をそこに置いたまま里に帰ろうとします。

その時、息子は、籠を持って帰らなければいけない、
と親父に言います。

親父がその理由を息子にたずねると、その答えは、
「親父が年を取ったら、籠が必要になるでしょう。」
だったのです。

 

 

 

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