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2010年12月26日 (日)

土と 火と 水と 空に 祈る - アート・プロジェクト in Hapao/Baang

12月18日の夜、「棚田慰霊パフォーマンス」が バアン村の小学校と棚田の中で開かれた。

(イベントの概要は こちらで どうぞ。)

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バアンの小学校の校庭から 舞台となった棚田を見下ろす。

田んぼの中には 千個のキャンドル。 そして、白いノボリ、かがり火とオブジェが 浮かび上がった。

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尺八など日本からやってきたミュージシャン達とフィリピンのミュージシャン達が共演、幻想的な音楽がながれ、田んぼの中でのパフォーマンスが繰り広げられた。

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純アマントさんの 迫真の演技。

・・・しかし、地元の田舎の人たちにとってみりゃあ、相当「ぶっ飛んで」いたと思います。

私の後ろにいた男が、「あの動きは どういう意味だっぺ?」。

そりゃあ 少しは慣れている日本人だって びっくりするぐらいだからねえ。

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このバアン・ハパオ村から南に20キロくらいの山の中に、戦争中「大和基地」と呼ばれた 日本軍最後の砦があったわけです。

陸軍大将の山下奉文は、そこからキャンガン村に下りて、その翌日にバギオ市のキャンプ・ジョン・ヘイで 降伏文書に署名をしているんです。 1945年9月3日。

最後の最後、日本軍や日本邦人が この辺りに逃げ込み、飢餓状態の中で、終戦を迎えたわけです。

ですから、今でも 戦争遺児とされる方々や、旧日本兵の次の世代の方々が慰霊の旅をされる場所でもあるということです。

もちろん、この棚田は、この地元の人たちと 侵入者である日本人との間の争い、殺し合いを見た 何も語らぬ証人でもあるのでしょう。

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すべての霊に・・・

そして、 日本流のすべての神々に、

土の神に、火の神に、水の神に、空の神に、・・・

祈る。 

そんな パフォーマンスだったと思います。

・・・・

多分、すべての戦没者の霊も 神々も 驚いたと思いますよ。

朝からずっと雨が降りそうな雲行きだったのに、かろうじて眼を開いていたような おぼろ月の夜空でした。

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パフォーマンスの後、 ほっとしたひととき。

御疲れ様でした。

・・・・

で、私達は、ここから 例の棚田の細道を20分あるいて、車道に上がり、フンドアン郡ポブラシオン地区の宿舎に移動したってことでございます。

・・・だから、ここでも ビールなんか飲めない。 

 

 

 

 

 

 

 

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恐怖の棚田・・・ 失われた能力?

さて、いよいよイフガオ州フンドアン郡ハパオ村とバアン村でのアート・イベントを観る。

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その前に・・・

ハパオ村の目抜き通りは・・・これである。

この幅30センチほどの棚田の中の道。

左は田んぼ、右はちょっと段差のある水路。

ここはまだいい。

片側が田んぼ。道を踏み外しても 田んぼに足をズボッと突っ込めば済む。

しかし、反対側には 2~3メートルの段差があったり、川が流れて 岩がゴロゴロの箇所もあるのだ。

落ちたらどうなる・・・・

足の運びがぎこちない。 

あまり意識すると、足がもつれそうになる。

この道が水平なら、まだいい。 ちょっと左右へ傾いているところもある。

セメントの道が切れて、石が並べてある箇所もある。

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景色がきれい・・・

冗談じゃない、そんな心の余裕など あるものか。

眼は 小道に釘付け。 視界は狭く、短い。

そして、狭くて、急な階段・・・・

あげくに、水がチョロチョロ、道の半分ほどが雑草に覆われて、苔のように滑り易くなっている場所もあるのだ。

で、辿り着いたのが、

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このバアン村の小学校。 棚田に上下左右を囲まれた小学校。

校庭に人が集まっているのが分かりますか? 一番上の段。

人の背の高さ、 白いノボリの高さが分かりますか?

そして、その下の田んぼとの段差の高さが分かりますか?

こんな棚田の「ヘリ」に目抜き通りが、細い道があるんです。

・・・・

我々が到着した頃には もう陽が落ちて暗くなっていた。 足元がなんとか見えるうちに着くことができた。 車が通る道から、ハパオ村に下り、バアン村に上って およそ40分くらいの緊張の連続であった。

・・・・しかし、この細い道は、この小学校の登下校時の子供達の道でもあるんですね。

この村の人たちにとっては フツーな道なんです。

私は、夜のイベントの間中、真っ暗になっていく棚田を見ながら、

「帰りは どうすんだ!?」

誰かと一緒に帰らなくっちゃ・・・

しかし、道案内はやってもらったとしても、30センチの狭い道じゃあ、 誰も手を引いて歩いてくれるわけでもなし、自分で歩くしかないのだ・・・

・・・・・・・

そして、イベントは終わった。

地元の子供達が 棚田の細道を家に帰っていく。

だれも 懐中電灯なんて使っちゃいない。

ゲゲゲ・・・?

子供達は 月夜の明かりで 十分に あの細道が歩けるのだ。

地元の人たちがひとしきり家路に着いた後、日本人のグループが恐る恐る 棚田を下り始める。

手に手に、あるいは頭にランプを付け、一歩一歩 階段を下り、一歩一歩 懐中電灯に照らし出された 細い白っぽい道を 用心深く 探るように歩く。

「怖~~い、歩けない。」

「お先にどうぞ。」

そんな中を 地元のお兄ちゃんたちが、重い、かさばる荷物を担いで、追い越して行く。

地元の女達は 頭の上に物をのせて、背筋をスッと伸ばしてあるくのだ。

地元の人たちには、細い小道が はっきり見えている。

足の裏は、しっかりと小道を捉まえている。

そう言えば、お昼のイベントで 棚田に立てられた 白いノボリには、子供達の足裏の形が、土踏まずがしっかりくびれた足型が プリントされていた。

我々は、日本人は、人間として 退化しているのだ・・・・・

考えても見てくださいよ。

さすがに 私は イベント中に ビールを飲む気にもなれませんでしたよ。

そりゃあ 飲めば 度胸はつくかもしれないけど、

千鳥足じゃあねえ~~~。

田んぼにハマッて、無様な姿をさらすわけにもいかねえし。

この村の男達は 酒を飲んだ時も、千鳥足でも 歩けるんだろうなあ。

・・・・もっとも、この村の近くにゃあ、居酒屋も、キャバクラも無ければ、バーやカフェもないけどね。

 

 

 

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