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2011年1月11日 (火)

外国人の日本語 と アスペルガー症候群 その3

さて、その本というのは
「アメリカ人の日本人観」(宮本美智子・水沢まこと著)
1982年 草思社 発行

この本には「240人のアメリカ人とのインタビュー」とあります。

この中から、日本語という言語はどんな言語だと思われているのかという
視点で 面白い言葉を拾い集めてみましょう。

D)これだけ難しい日本語を学び、マスターする日本人というのは、
  こと”学ぶ”という点にかけては大エキスパートではないかと
  思うのです。

B)大半のアメリカ人は他人との関係において、何よりもヴァーバル・
  コミュニケーション(言葉を使ったコミュニケーション)を重視 
  するんです。自分の思っていることを日常、言葉にし、口に出して
  伝えていこうとするんです。
  これに対して日本人は、ものごとの中心ではなく周辺を
  遠まわしに探るという方法をとるでしょう?
  大半のアメリカ人は、日本人のこういうコミュニケーションのし方に、
  ひどいフラストレーションを感じているんですよ。

AB)アメリカ人の間では、話し合いとかディスカッションをすることが
  よりよい理解と人間関係をつくり出すのですが、日本人はそういった
  ことを避けるようですね。 ・・・アメリカは毎日が戦争みたいで、
  本当に疲れますからね。

AB)日本では、日本人マネージャーが下の者に「こうしなさい」と
  いった細かい指示までは与えませんが、下の者は当然、気を配り、
  気をきかして仕事をするわけです。
  アメリカでは”気をきかす”なんて美徳はないのですね。

A)私は丁重な日本語を学びましたので、丁重な日本語を使います。
  私は日本語の言語としての質のせいでこういったやりとりを
  学んだのではないかと思っているんです。
  英語でしたらとてもこんな風には丁重さを学ぶことができない
  かもしれませんね。

BD)アメリカ人は一番大事なことを、文章で言えば頭のほうで、
  話でいえばまず最初に言ってしまうのに、日本人は一番大事な
  ことを最後に言うのです。
  だから、アメリカ人にしてみると日本人のやり方は遅いとか
  よくわからないとかいう不満になります・・・

B)日本人はアメリカ人に比べると、たいへんに間接的な表現が
  多いのです。 ・・・日本人ビジネスマンの意図や思いを
  つかむのは簡単ではありませんでしょう?
  相手に十分分かってもらえたかどうかを確信できないことも
  あります。

BG)日本人は基本的に”言葉によるコミュニケーション”をしないのです。

A)日本のやり方は、いわゆるタテ社会の日本でしか通用しないもの
  ではないかと思うんです。 アメリカとはあまりにも条件が
  違いすぎます。 日本のように地域性や人種の単一性からくる
  人間同士の”信頼関係”がすべての基礎になっている国と、
  アメリカのように世界中の人間が集まっている国とは違うんです。

             
A)日本では外国人が日本語を話すということはかえって具合の悪い
  ことが多いんです。・・・・本当にじょうずに話すと、
  イヤーな顔をされるんです。 ”変なガイジン”として敬遠
  するんですよ。

AG)たしか体育の時間のあとだったと思いますが、・・・
  講堂に集まって木の床の上に「着席!」って言われたんです。
  アメリカでは体育館で体育のときは男も女もおかまいなく
  自由に足を組んで座りますね。 私はそんなつもりで床の上に
  座ったんです。 そうしたらみんながギョッとした顔をして、
  「あの子はあぐらをかいている!」って言うんです。
  ・・・男の子から「やっぱりガイジンだ! ガイジンだ!
  日本人じゃないんだ!」と言われたんです。
  (この本人の両親は日本人で、ニューヨーク生まれ)

A)(日本の小学校に)制服があることにも驚きました。
  パブリック・スクールに行っていた私としては
  「なんでこんなもの着るのかしら」という感じでした。
  制服をみんな着て、登校するときは班ごとにまとまって、
  背の高さの順に並んで、一人が旗をもって・・・
  そんな風に歩くのがとても不思議でした。

A)アメリカにも人種差別はあります。
  ところが、アメリカでは自分の権利を主張し、差別と闘うことが
  可能です。 ・・・日本だと、闘うどころか、私自身が日本の
  社会に合うように変わらなくてはなrません。

まだまだあります。 次回 その4 に続きを・・・・
 
 

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コメント

悟空さん、
そうですか 発想がアメリカ的なんですかね。
私はあまり気を使えないタイプなんで、と言うより、相手の気持ちをおもんぱかってというのが当たっていればいいけど 大ハズレだってあるわけで、逆効果になってしまうと後悔しますからね。

確かに 単一言語ってのは幻想かもしれないですね。
方言と標準語は使い分けてますしね。
私の母方が鹿児島ですけど、さっぱり分かりません。
それに、長崎県の北部は 無アクセント地帯らしいんです。 だから私には日本語のアクセントの違いで意味が変わる単語は 判別できません。

はい、日本国籍であっても 日本語がしゃべられない人はバギオ周辺にたくさんいます。
どんな言語環境にいるか、ですね。
バギオ周辺の人たちは 英語、タガログ語、イロカノ語、そして住んでいる地域のローカル言語の少なくとも4つは 普通に使えますからね。

投稿: させ たもつ | 2011年1月14日 (金) 22時08分

これを読むと、私は日本人ではないみたい。
変だとか変わってるとは言われますがね。

話はちと逸れるかもしれないが、日本は単一民族だとか単一言語と言うのは錯覚だと思います。
日本語は5母音だと思ってましたが、3母音の言語の地域もまだ健在のようです。
日本では中国に於ける北京語の様に標準語と呼ばれるものが有り、それが中国と異なり日本全国の人が大体使いこなせているだけだと思います。
させさんご存知のように私は熊本で生まれ育ちましたが、この私でも熊本の親戚の話が半分位しか分かりません。 配偶者は100%理解できません。 この親戚は私が生まれ育った地域から車で40分位のところの人たちです。 このような事例は日本中に沢山有ります。

言葉を使うと言うのは人間の特徴の一つです。
日本国籍だから日本語が出来るわけではないのだし。
英語に限らず単に人間が話す言葉なのですから誰でもどんな言葉で使えますよ。その気さえあれば。

投稿: 悟空 | 2011年1月14日 (金) 21時43分

nogaさん、コメントをいただき有難う御座います。

日本の経済が一国だけでは成り立たなくなり、少子化・高齢化で日本の衰退が予測される状況を考えれば、おっしゃる通り 英語を第二公用語にすることは意味があるかもしれませんね。 もっとも公けがやる前に産業界がその方向に追い込まれていくでしょうから、遅かれ早かれ実質的にその方向に行くのではないかと思います。

英語教育が6年間もやって役に立たないというのは本当にもったいない話だと思います。
入社試験で優遇されるようになれば がらりと変わるんだろうと思いますが・・・・
 

投稿: させ たもつ | 2011年1月11日 (火) 14時49分

英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっていれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしがなりたたない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境がととのはないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。

「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

日本人は、国連中心主義が好きなようだ。
国連の議場で世界の人々を説得するためには、自己の言葉が冴えわたる必要がある。
議論のできない人があえて国連中心主義を唱えるのは、自己の他力本願を表明するための手段ということになるのであろうか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2011年1月11日 (火) 11時37分

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