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2011年5月28日 (土)

日本語を話す民族に原子力は似合わない - その3

原子力と日本語の関係の話は その2で ほぼ終わりなのですが、
「日本語は敬語があって主語がない」に書いてある内容を
ヒントに、以前からたまに思ってきたことを書き留めてみます。

英語をそこそこ話せる方は感じる時があると思うのですが、
日本語を話している時と英語を話している時では、自分の性格が
がらりと変わると思いませんか?

その例として、宇多田ヒカルのインタビューから次のような
発言が紹介されています。

インタビューの質問は:
「作詞する際に、英語と日本語では気持ち的にどう違うのか」
というもので、その答えは、

「どちらの言葉を使うかによって、出てくるものが明らかに
違いますね。自然にそうなるんです。 ・・・・
英語だったら、遠慮なくはっきり言えるし、パワフルな
言葉遣いができるんですよ。 もちろんいい意味でね。
それはユーモアとかセクシィさとか遊び心、あるいは
詩的な表現ができるってことにもなる。
日本語で同じことを言ったら、ぜんぜん変で格好がつかなくて、
とても使えないですけどね。」

そして、言語学者中島和子の「言語と教育」から次の文を
引用しています。

「バイカルチュラルのある日本人女性が「日本語を話す私は
おとなしくて静かな女の子、英語を話す私は、はしゃいで
おしゃべりな女の子」と言いました。」

そして、著者 金谷武洋氏は、
「共生・共感・共視を基本的スタンスとする日本語の
「地上の視点」から自分を切り離して、典型的主語言語である
英語話者の視点に至るときに、バイリンガルたちは「自由」を、
そして「力」を感じるのでしょう。 <聞き手>との関係に
よって敬称を使うということもなく、弟であっても自分の
上司であっても同じ 「you」が使えるのが英語です。」
としています。

そして、もうひとつ、時に無責任と思われる日本語的表現に
ついては、次のような興味深い文があります。
自然にそう「ある」状態なのか、反対に誰かがそう「する」
意思的な行為なのかの違いについてです。

「「ある」は漢字で書けば「在る、有る、生る」で、
「ある状況でそこにある」、つまり動作主の意思を超えて
その状況で「ある」、あるいは「そういう状況になる」と
いう意味が加わります。 日本語の自動詞と言われるものの
多くが、この形をした複合動詞です。」

「考えてみると、「好きだ」は、意図的な行為ではありません。
これは「する行為」ではなく、「そうある状況」と日本人は
考えるのです。」

そして、結婚式におよんでも、
「結婚式の招待状にも、この度結婚することに 「なりました」
と書きます。 もしこれが「結婚することにしました」と
書かれていたら、読んだ人は行間に「決意」を感じて、
「おいおい、何かあったのか」と思うことでしょう。」

「意図的行為を全面に押し立てない発想からは、愛の告白
にも英語的な文が生まれないのは当然です。」

そして、人間の意思的な行為である可能動詞についてさえ、

「空腹なのでなんでも食べられた」などを例に挙げ、

「「何も努力しないのにそういう状況が起こる」という
意味が日本語の「可能」です。 英語の可能が表すのは
人間の積極的な能力ですが、日本語はそうではありません。
そもそも「出来る」という言葉自体が、「出て来る」と
書かれるではありませんか。」

そう言われればそうですよね。
「英語が出来る」とか「勉強が出来る」とか「運転が
出来るようになった」とか、自然にそういう状態に
なったという雰囲気ですね。

このように、なんだか他人事のように表現する日本語を
使う民族に、意志的な行為として原発のコントロールは
出来るんでしょうか?

誰かがうまいことやってくれて、「大丈夫」な状況に
なっているらしいよ、となるんでしょうか。

それとも、英語を話す民族がやってきて、
「日本の原発をコントロールするのだ!」と意志的に
やるのでしょうか。

・・・・

ちょっと無理やりですが、今日の落ちはここまで。

ところで、今日の新聞にこんな記事が:

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20110528-OYT1T00456.htm?from=main1

もしかしたら、日本語も無罪ではないかもしれませんね。 

 

 
 

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コメント


左脳は言語脳
右脳はイメージ脳
らしいですよ・・・
http://www.nou-iroirohikaku.com/2007/04/post_4.html

英語と日本語が別のところを使うってのは聞いたことがないですね。

ただ、今検索したら、
「日本語言語野を抑え、英語言語野を活性化」なんてのがありましたから、最近の脳科学じゃあ なにか分かっているんでしょうか。
http://www.forestpub.co.jp/amazon/gyaku/

投稿: させ たもつ | 2011年5月29日 (日) 19時37分

させさん、僕は英語は母国語でないから、英語で話をするときは、日本語と違う部分の脳を使っているため ハイ になるのかなと思っていました。 英語の読み書きの場合は 別に ハイ にはなりませんよね。
「バイカルチュラルのある日本人女性が「日本語を話す私はおとなしくて静かな女の子、英語を話す私は、はしゃいでおしゃべりな女の子」と言いました。」ということを聞いて、なるほどなと思うところもありましたね。だからアメリカ人はいつも ハイ なんだ! 

投稿: 宇宙人 | 2011年5月29日 (日) 17時09分

nogaさん、
書き込みをいただき有難う御座います。
叉、リンクもありがとうございます。

「英語の難しさ」を読ませていただきました。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/newpage180.htm

その中の シンプルな例文:

英文の ’I will go.’ (私は行きます) と、
‘I go.’ (私は行きます) とでは日本語訳では区別がつかない。

これを読んで、いままで日本語教室で教えていて もやもやしていたものが ちょっと腑に落ちたような感じがします。

今後も時々読ませていただきます。
よろしくお願いします。
またお立ち寄りください。

 
 

投稿: させ たもつ | 2011年5月29日 (日) 11時01分

言語は考えるための道具である。
英語は、高度の考えを編み出すために適した言語である。
英米人の高等教育は、子供には学習が難しい彼らの国語 (英語) 教育である。

我が国には、英米流の高等教育は存在しない。
修業年限を英米と同じにするなどの教育制度の確立だけでは、高度な職業人を育成することは難しい。
我が国では最初から最後まで行われている丸暗記 (rote memory) と受け売り (regurgitation) の修行では、自らを決することが難しい。
これを「教養がない (uneducated)」という。子供のような状態かな、赤子かな。

自らを決することのできない人たちには、論点を定めることができない。
自分の意見を大声で言う、
相手をこき下ろす、
相手がしゃべっている最中に反対意見を言うなど、「議論をすれば、喧嘩になります」という事態が事実になる。

議論と無礼は同等と見なされているのかもしれない。
だから、礼儀正しい日本人は誰も議論をしたがらない。
いつも静かに笑っている。
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、もって万世のために太平の世を開かんと欲するのみである。

少しおかしくはありませんか。
自分に必要なものを、自分自ら手に入れるのが大人の態度でしょう。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2011年5月29日 (日) 03時17分

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