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2011年11月30日 (水)

「あなただけの阿弥陀経」を読む - その9

著者 阿部慈園  監修 中村元  小学館

ここからが佳境だ、と私が思うポイントの部分です。
「倶会一処」(くえいっしょ)が出てくるんですね。

この言葉は、今までは、お寺の墓石なんかに彫られているのを、たまに
見たりするくらいで、字面からなんとなく分かったような気になっていたんです。

「衆生聞者応当発願願生彼国」
(しゅーじょう もんじゃー おうとう ほつがん がんしょう ひーこく)

「衆生にして 聞く者あらば、 まさに願を発して、かの国に生まれんと
 願うべし」

「応当」の部分がよく分からんのですが、上の意味からすると「べし」に
相当するんですよね。

漢和辞典で調べると・・
「応」= 「こたえる、まさに、すべし」(訓読み)となっていまして、
<語法>のところに、「まさに~すべし」とよみ、「きっと~であろう」と訳す。
再読文字。 って説明されているんです。
おお、初耳だ。

「当」= 「当に」で、「確かに。間違いなく。」という意味があります。

だから、「応当」で、「まさに、間違いなく~すべし」でいいんでしょうね。

解説にあるこの部分の意訳を踏まえて、ぶっちゃけ意訳をすれば:

君達衆生は、この「阿弥陀経」を読んで、極楽浄土や阿弥陀様や阿羅漢・菩薩の
ことを知ったんだから、極楽に行きたいなあという願いをきっと間違いなく持つと
思うよ。

と言うことになりそうです。
かなりの自信ですなあ。
まあ、宣伝部長なんだから、そうじゃないと困るけどね。

そして、その理由として:

「所以者何得与如是諸上善人倶会一処」
(しょーいー しゃーがー とくよー にょーぜー しょー じょうぜんにん
 くーえーいっしょ)

「所以(ゆえ)はいかに。 かのごときの もろもろの上善人とともに、
 一処に会うことを 得ればなり。」

「者何得与」の部分が どう読み下すのか分からない・・・
「いかに」と「得ればなり」でいいんでしょうか?

意味は、

何でかって言うと、あの世で いろんな立派な人たちと 同じ所で
会うことができるからだよ。

いろんな立派な人たち、って言うのは、阿弥陀様やハイランクの阿羅漢さんや
菩薩さんたちってことです。

つまり、「倶会一処」という言葉は、こういう意味だったんですね。
浄土教、特に浄土真宗で良く使われているらしい。

「倶」は「具」と同じで、「いっしょに行く。 連れ立つ。連れ添う。縁づく。」
という意味があります。

まあ、もちろん、そういうハイレベルの人たちの所に、
自分のご先祖とか、親とか、兄弟とか、家族とか、友達なんかも一緒に居て
くれるってことだと思いますけどね。

凡夫も、そういう聖者の皆さんたちと共に 同じところに居られるという
メリットがありますよ、と言うことのようです。

「あの世で会おうねえ~~、立派な人たちもいるみたいだし~~」
って感じじゃないかな?

・・・でもね、この後に、なかなか厳しいことが書かれているんですよ。

それは その10 で。

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コメント

越中屋店主どの

こっちは読めば読むほど 悟りは遠くなりにけり・・・だなあ。

悪い奴ほど資格があるらしいから、越中屋の方が 浄土に近いな。 (笑)

  


投稿: させ たもつ | 2011年12月 1日 (木) 08時57分

「倶会一処」 はぁーいっ! 墓石で見かけます

ただ、それを調べてみようとまでは、今までケツが上がりませんでした

はるか 遠く さとりの一段目が微かに見えてきましたよ~
バギオの お代官さまのおかげです

投稿: 越中屋店主 | 2011年12月 1日 (木) 00時46分

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