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2011年12月16日 (金)

「般若心経」の本(1)  すっげ~~! 坊さんがメッタ切り

宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」(角川ソフィア文庫)を読んでいます。

うちは浄土真宗なんですけどね。
「般若心経」は前々からいつかは読みたいと思っていたんです。
今まで、教行信証やら阿弥陀経の本を読んでお付き合いいただきましたが、
これからは「般若心経」の本をいくつか読んでいきたいと思います。
長い旅路?になりそうですが、よろしくお付き合いのほど・・・・

で、真っ先にこの宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」っていうのを行って
みましょう。

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ただ、この本がですねえ・・・かなり凄いんです。
これを一冊目としたのが幸運なのか不運なのか・・・いずれ分かる時が
来るとは思うんですけど。

なんと言っても、この本の凄さは、著者である坊さんが同業者や学者や
著名人をメッタ切りにしているところなんです。
本筋とは関係ないんですが、その辺りからぼちぼち進めましょうか。

以下引用

p25
この経典のタイトルに関しては、「般若波羅蜜多心」とは何か、が問題です。
従来の解釈例をいくらか挙げてみますと、
「彼岸へ渡るための偉大な智慧の一番大切なお経」(「寂聴 般若心経」
瀬戸内寂聴著、中央公論社)、・・・・「真実を見抜く智慧の実践行を
することについての心」(「般若心経に学ぶ」花山勝友著、NHK出版)等などです。
どれもさまざまに工夫をこらした表現となっていますが、・・・
でも果たしてこれらは「般若波羅蜜多心」を正しく解釈したものと
なっているでしょうか。

p44
現代の「般若心経」の解説書の中では最も評価の高い中村元・紀野一義訳註
「般若心経金剛般若経」(岩波文庫)では、・・・
「心」の後に括弧で「真言」と言い換えているのは、まったく正しい理解
にもとづいています。
ところが、それにもかかわらず、・・・全然別の解釈を示しています。
まるで一貫性がありません。・・・多くの解説者に与えた影響は計り知れない
ものがあると言わざるをえません。

p47
多くの解説者の方々には失礼な言い方になるかもしれませんが、
タイトルの意味すら分からないようでは、この尊い経典を解説する資格が
ありません。

p76
「五蘊(ごうん)がある。 しかも、それらは自性空である」という
この一文は、普通に常識の立場で読めば、「Aはある、しかも、Aはない」
という一見まるで矛盾したことをいっているとしか思えないでしょう。
ここには、多くの解説書が説いているような、いかなる人生論も処世訓も
微塵もありません。

p111
こんな面倒な語源の説明をしたのも、多くの解説書では、最後の「識」だけが
通常の意味での「知ること」だと説明されているからです。

p130
「是諸法空相」の「空相」とは、「空という特徴」という意味です。
これを「空の相(すがた)」と読んで、「空の相は、不生にして不滅・・」
と訓読する人がいます。(例えば、金岡秀友校注「般若心経」講談社
学術文庫)が、それは誤りです。

p132
多くの解説書は、諸法が不生にして不滅、・・・ということをさも当たり前
のことであるかのように受けとめて、さまざまな処世訓を引き出しています。
処世訓じたいはどれも味わい深いものですが、「般若心経」とは
無関係な話ばかりしてもらっては困ります。 ・・・決して当たり前のこと
ではないのです。

p145
「不生不滅」の項をみると、・・・そのような意味で使われることは
たしかにあります。 でも、「般若心経」ではそういう意味では使われて
いません。
市販の「般若心経」解説書にも、例えば「初めも終わりもないということで、
永久とか永遠なものをさしている」(松原泰道著「般若心経入門」祥伝社)
といった解釈がよく見受けられますが、デタラメもいいところです。

p170
私の知る限り、この「智」と「得」について正しく解釈した本は一冊も
ありません。 古今のどの解説者も「智もなく、また得もなし」を
一つの文と解し、「智」と「得」を一対のものとしてみなしていますが、
・・・・「得」は「非得」と対なのです。

p177
岩波文庫本は、主語を「人は」と補い、「人は、心を覆われることなく
住している」と訳していますが、これははっきり申し上げて誤訳と
言わざるをえません。

p185
「般若心経」は「心の大切さ」」を説く経などでは全然なくて、
むしろその反対に、心というようなものはないのだ、ないということが
観察できるレベルのフロアがあるのだ、ということを説いている、
そんなそれこそ恐るべき経典なのです。

p192
結論を申し上げますと、「涅槃」という語には、現代の学者が考えて
いるような「煩悩の」「燃え盛る火の」「吹き消された」「消滅した」
といった意味はありません。
これは「覆いのない」状態、ただそのことをさす語です。

・・・以上 引用。

ことほど左様にですね、このお坊さんは 今まで書かれた「般若心経」に
関する解説本を バッタバッタと切り捨てているんですねえ。

まあ、快刀乱麻といいますか、読んでいて「よう、ここまでやるわ」と
あっけにとられて、気分爽快になる本なんですね。
切られた皆さんは・・・どうなんでしょうか。

では、次回(2)では、この著者の 自信の根拠を見ていきましょうか。
お楽しみに。

      

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