« 2011年5月15日 - 2011年5月21日 | トップページ | 2011年5月29日 - 2011年6月4日 »

2011年5月28日 (土)

日本語を話す民族に原子力は似合わない - その3

原子力と日本語の関係の話は その2で ほぼ終わりなのですが、
「日本語は敬語があって主語がない」に書いてある内容を
ヒントに、以前からたまに思ってきたことを書き留めてみます。

英語をそこそこ話せる方は感じる時があると思うのですが、
日本語を話している時と英語を話している時では、自分の性格が
がらりと変わると思いませんか?

その例として、宇多田ヒカルのインタビューから次のような
発言が紹介されています。

インタビューの質問は:
「作詞する際に、英語と日本語では気持ち的にどう違うのか」
というもので、その答えは、

「どちらの言葉を使うかによって、出てくるものが明らかに
違いますね。自然にそうなるんです。 ・・・・
英語だったら、遠慮なくはっきり言えるし、パワフルな
言葉遣いができるんですよ。 もちろんいい意味でね。
それはユーモアとかセクシィさとか遊び心、あるいは
詩的な表現ができるってことにもなる。
日本語で同じことを言ったら、ぜんぜん変で格好がつかなくて、
とても使えないですけどね。」

そして、言語学者中島和子の「言語と教育」から次の文を
引用しています。

「バイカルチュラルのある日本人女性が「日本語を話す私は
おとなしくて静かな女の子、英語を話す私は、はしゃいで
おしゃべりな女の子」と言いました。」

そして、著者 金谷武洋氏は、
「共生・共感・共視を基本的スタンスとする日本語の
「地上の視点」から自分を切り離して、典型的主語言語である
英語話者の視点に至るときに、バイリンガルたちは「自由」を、
そして「力」を感じるのでしょう。 <聞き手>との関係に
よって敬称を使うということもなく、弟であっても自分の
上司であっても同じ 「you」が使えるのが英語です。」
としています。

そして、もうひとつ、時に無責任と思われる日本語的表現に
ついては、次のような興味深い文があります。
自然にそう「ある」状態なのか、反対に誰かがそう「する」
意思的な行為なのかの違いについてです。

「「ある」は漢字で書けば「在る、有る、生る」で、
「ある状況でそこにある」、つまり動作主の意思を超えて
その状況で「ある」、あるいは「そういう状況になる」と
いう意味が加わります。 日本語の自動詞と言われるものの
多くが、この形をした複合動詞です。」

「考えてみると、「好きだ」は、意図的な行為ではありません。
これは「する行為」ではなく、「そうある状況」と日本人は
考えるのです。」

そして、結婚式におよんでも、
「結婚式の招待状にも、この度結婚することに 「なりました」
と書きます。 もしこれが「結婚することにしました」と
書かれていたら、読んだ人は行間に「決意」を感じて、
「おいおい、何かあったのか」と思うことでしょう。」

「意図的行為を全面に押し立てない発想からは、愛の告白
にも英語的な文が生まれないのは当然です。」

そして、人間の意思的な行為である可能動詞についてさえ、

「空腹なのでなんでも食べられた」などを例に挙げ、

「「何も努力しないのにそういう状況が起こる」という
意味が日本語の「可能」です。 英語の可能が表すのは
人間の積極的な能力ですが、日本語はそうではありません。
そもそも「出来る」という言葉自体が、「出て来る」と
書かれるではありませんか。」

そう言われればそうですよね。
「英語が出来る」とか「勉強が出来る」とか「運転が
出来るようになった」とか、自然にそういう状態に
なったという雰囲気ですね。

このように、なんだか他人事のように表現する日本語を
使う民族に、意志的な行為として原発のコントロールは
出来るんでしょうか?

誰かがうまいことやってくれて、「大丈夫」な状況に
なっているらしいよ、となるんでしょうか。

それとも、英語を話す民族がやってきて、
「日本の原発をコントロールするのだ!」と意志的に
やるのでしょうか。

・・・・

ちょっと無理やりですが、今日の落ちはここまで。

ところで、今日の新聞にこんな記事が:

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20110528-OYT1T00456.htm?from=main1

もしかしたら、日本語も無罪ではないかもしれませんね。 

 

 
 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

日本語を話す民族に原子力は似合わない - その2

さて、その2では、
光文社新書 「日本語は敬語があって主語がない」
「地上の視点」の日本文化論 金谷武洋 著
を読みます。

なぜこの本を手にとってみたかと言いますと、
何年も前にこの著者が「日本語に主語はいらない」という本を
出す前から、ご本人のホームページでそのような主張をされている
のを知って、それ以来興味を持っていたのです。

そして、日本語教師をしているうちに、それなら、
主語に相当するものを日本語はどのように表現しているの
だろうか、と漠然と考えていたのです。

それが、日本語特有の敬語なのではないか、とピンと来た
という事なんです。

じゃあ、この本にはどんなことが書かれているのでしょう。
以下 「 」の中は本書からの引用です:

「日本語の場合は、この「対話の場」に<話し手>と
<聞き手>が一体となって溶け込むということです。」

「英語をその典型とする近代西洋語はこれと実に
対照的です。 <話し手>は、「対話の場」から
我が身を引き離して、上空から<話し手>と<聞き手>
の両者を見下ろすような視線をもつように私には思えます。」

そして、その例として このような文を挙げています。

まず一番シンプルな例は、

「愛の告白は英語で、「アイ・ラブ・ユー(I love you.)」
ですが、日本語は・・・・単に「好きよ・好きだよ」だけで
十分なのです。 ・・・逆に言えば、文脈が明らかなのに
それでも<話し手>と<聞き手>を言わなければならないのが
英語だ、ということなのです。」

もっと、文学的な例としては、

「サイデンステッカーによって 「The train came out of
the long tunnel into the snow country.」と翻訳された
原文はあまりにも有名で・・・もちろん「国境の長いトンネル
を抜けると雪国であった」です。」

つまり同じ状景を、英文では空から眺め、和文では列車に
乗っている人と読者の視点から描いているのです。
そして、筆者は、

「原文のほうがずっといいことは言うまでもありませんが、
これはサイデンステッカーが悪いのではなく、「話者が
世界を支配するかのように見下ろすSVO言語」になって
しまった現代英語のためです。」

そして、このことを、この本の中では、日本語と現代英語の
間に「地上の視点、神の視点」の違いがあると述べているのです。

ここで著者は「現代英語」と書いています。
著者は「英語にも昔は主語がなかった。」としているのです。

「そうした中で古英語に大量の仏語語彙が入り、
文法的には極端な単純化が起きます。・・・・」

「・・・さらにその「行為文中心の主語言語」傾向を
強めたのが現代英語なのです。 もはや文法関係が語順
でしか表せなくなった英語は、義務的に文頭に「行為者」を
おくようになりました。」

「これが主語の発生に他なりません。 つまり主語とは
人類の言語に普遍的なものではなく、一部の西洋語に
おいて例外的に発生した現象です。」

「それ以前の、自然が人間よりも力を持つと英語話者が
思っていた時代を、この「subject」という一語が
化石のように証言しているのです。」

さて、ここからが凄いところです。

「カナダに長年住んでいて私が恐いと思うものがあるとすれば、
それは何よりも、状況を上空の高みから見下ろす「神の視点」
です。 多くの場合、その視点はキリスト教という「一神教」
と手を組んで「神に守られた正義」の主張となります。」

「他の要素との関係で自分をとらえるのではなく、状況から
切り離した絶対的な「私」を考える傾向が英語話者に
大変強いのもこのためと思えます。」

・・・・

皆さん、その1 で書いた内容と上記の日本語論は
繋がったでしょうか?

つまり、私には 日本語は「生態圏」の中で八百万の神々
が自然に変化しながら話している一方、現代英語などは
一神教の神が「太陽圏」から見下ろしていると
理解されるのです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年5月26日 (木)

日本語を話す民族に原子力は似合わない - その1

手元に集英社の昴(すばる)6月号がある。
ひとに頼まれて買った文芸雑誌だ。
その中に緊急寄稿として
中沢新一氏の「日本の大転換(上)」というものがあった。

中沢氏という人はオーム真理教がらみで信頼を無くした
という過去をもつ宗教学者であるらしい。

その中沢氏が非常にユニークな視点で原子力に対する
見方を展開している。
(以下「 」内は引用です。)

東日本大震災の「出来事を境として、日本文明が根底からの
転換をとげていかなければならなくなった」として、
おおよそ次のように述べている。

「私たち人類は、・・・地球の表層部(地殻)を覆っている、
厚さわずか数キロメートルにみたない、ごく薄い層に
かたちづくられている「生態圏」を、自分たちの生存の
場所としている。」

「大量の放射性物質があたりにばらまかれてしまうと、
その土地で、・・・生存することが困難になる。・・・
暮らしていけなくなる。・・・その土地は人間にとっての
生態圏ではなくなってしまうのである。」

「それは原子力発電そのものが、生態圏の外部に属する
物質現象から、エネルギーを取り出そうとする技術で
あることに、原因がある。」

すなわち、地震と津波は人間の生態圏に属する現象であり
その後人間が生活を続けられる災害であるが、
原子力の事故は「生態圏」の外の「太陽圏」に属する
現象であるから取り返しがつかないと言っている。

「原子力発電は、生物の生きる生態圏の内部に、太陽圏に
属する核反応の過程を「無媒介」のまま持ち込んで・・・」

「ほんらい生態圏には属さない「外部」を思考の「内部」に
取り込んでつくられた思想のシステム、それはほかならぬ
一神教(モノテイズム)である。」

そして中沢氏はアニミズムや多神教と一神教を「生態圏」と
「太陽圏」の決定的違いだと言うのである。

そして、多神教は「絶対的な善などは、ここにはない。
しかし生態圏が自然状態にあるとき、全体は美しい
秩序を保ち続ける。」とする。

「一神教はその生態圏に、ほんらいはそこに所属しない
はずの「外部」を持ち込んだのである。」

「その「自然」は、太陽の内部や銀河宇宙にしか
見出せないものであり、地球生命はその「自然」のなかでは、
人工的な防護服なしでは生きていることができない。」

「このような意味で、原子力技術は一神教的な技術であり・・」

「原子力を扱う日本人の科学者の多くが、・・・・
まるで一神教的技術の生み出したモンスターに放水を
繰り返すことによって、その怒りを鎮めようとしている、
自然宗教の神官たちのようにさえ見えた。」

「日本文明は、西欧的な文明と違って、キアスムの構造
を基礎として、生態圏との豊かな交通の上になりたってきた
一種の「生態圏文明」である特質を備えている。」

・・・・

上の文章は雑誌への寄稿の(上)であるので全体では
ないのですが、とりあえず 地上での文明と 宇宙という
スケールの文明の違いが 日本文明と西欧文明、
すなわち 自然信仰と一神教の違いであると理解しました。

そう言えば、随分昔なのですが、
現代の科学技術は一神教であるキリスト教と一体であるという
話を聞いたことがあるような。

そこで、たまたま今回の一時帰国の折に買った本が
面白いつながりを与えてくれたのです。

光文社新書「日本語は敬語があって主語がない」
「地上の視点」の日本文化論 金谷武洋 著

私は日本語教師ですからね、こういう本を読むんです。
では、その2 をお楽しみに。

 
 

| | コメント (15) | トラックバック (0)

2011年5月24日 (火)

第一回 たけし日本語学校 日本語教師同窓会 in 新宿

私が日本に一時帰国中、「たけし日本語学校」の日本語教師同窓会が開かれた。

7img_4801

今は二代目「そのまんま東」として活躍している「ゾマホン」さんが この「たけし日本語学校」の創設者。

彼はビートたけしさんの付き人、英語の先生でもあり、彼の母国 西アフリカのベナン共和国では大統領特別顧問という役職にある。

7img_4804

私がゾマホンさんに初めて会ったのは 東京の日本語教師養成学校で勤務していたころ。 そして、「ベナン共和国に日本語教師を派遣して欲しい」との話を聞いた。

ゾマホンさんの熱意に感激した私は、初代日本語教師として「たけし日本語学校」で教えることとなった。

7img_4805

私には ゾマホンさんは幕末の日本の大変革の生みの親となった吉田松陰、そして「たけし日本語学校」は 松下村塾と見えるのである。

実際に、2003年に私が教えた時から、毎年次々と日本語教師の皆さんがボランティアとして熱心に日本語を教え、そして ベナン人の皆さんは母国の将来を支えていくプロジェクトを胸に抱きながら 日本の大学で研究を続けている。

7_ifeob

ベナン共和国での ゴミ処理問題の解決技術の研究、植物を利用する新しい薬の開発、有機農業の導入、新しい産業の開拓、外交官を目指す者などなど。

そして、もちろん、井戸掘り、小学校の建設、給食の提供なども、ビートたけしさん、所ジョージさんをはじめとして、日本全国の皆さんが様々な形でゾマホンを応援している。

ゾマホンさんの NPO法人IFEの詳しい活動については、こちらでご覧下さい。

http://www.zomahoun.com/

毎年 日本語教師のボランティアも募集しています。

あなたもアフリカに行ってみませんか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2011年5月23日 (月)

NHK 「クジラと生きる」 

皆さん、この番組は ご覧になりましたか?

http://www.nhk.or.jp/special/onair/110522.html

私は一言でいえば、

このシーシェパードなどの団体がやっている行為は許せません。

少なくとも 不愉快極まりない。

400年ほどの日本の伝統捕鯨で何代にも渡って生活をしてきた、平和で、善良な漁師町の人々を、ある特定の価値観を押し付ける形で、それも全くの「いじめ」「いやがらせ」としか見えないやり方で 個人攻撃をするというのが許せない。

これは私にはまったくの文化テロリズムと映るのです。

あなたの職場、それもファミリー・ビジネスのような職場に、ある日突然、地球の裏側の人間たちがやってきて、お前の仕事は間違っているからやめろ! と 様々な嫌がらせを受けたらどう思いますか。 お前たちの食っているものは先進国欧米の価値観に照らして「野蛮である」「残虐である」と言われたら・・・

こちらのサイトの映像も是非ご覧ください。

テキサス親父 (字幕)シーシェパードが太地でやりたい放題」

http://www.youtube.com/watch?v=qM3lOW12ZeA

「不愉快なシーシェパード・大地の現状」

http://www.youtube.com/watch?v=QUcfAyTTFd0&NR=1

「なぜ太地町の漁師をいじめるのか?」

→シーシェパード「楽しいから」

http://www.youtube.com/watch?v=9aR8aw6F9wY&feature=related

少なくとも、様々な汚い言葉を善良な漁師たちに浴びせげかける、醜悪な姿は、いかに高尚なことを考えていたとしても、彼等の人間性を疑うに十分です。

欧米、オーストラリアなどの医師、弁護士、学者などがこれらのグループのメンバーとして日本に「いじめ」に来ているのだという。

彼等のようなインテリたちが このような形で 善良な町を潰しにかかっていることに 憤慨すると同時に 悲しくてならない。

漁師を、日本人を、日本の伝統文化を無視した、結果さえ自分たちの思うとおりになれば 手段を選ばないやり方には 我慢がなりません。

私は このNHKの番組を見て、 憤慨のあまり昨日の夜は深夜の3時ごろまで眠れませんでした。

和歌山県太地町の漁師の皆さん、そして家族の皆さん、

胸を張ってください。

  

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月22日 (日)

やっぱり 日本は 社会主義だったのか

ウォール・ストリート・ジャーナルの日本語版に こんな社説が掲載されている。

「東電救済策-日本の社会主義的解決方法」http://jp.wsj.com/Opinions/Columns/node_238092

私には政治も経済も難しいことは分からない。

しかし、今回政府が発表した「スキーム」は 国策として原子力推進をやってきたから国としても東電を潰す訳にはいかないんだろうな、とは薄々感じていた。

それが やはりアメリカから見れば社会主義なんですね。

昔から 日本は民主主義、資本主義というよりも、中国なんかよりも社会主義的だと感じていましたが・・・。

政治主導、政治主導と叫びながら、政治家自身も 昔からの「お上」、つまりは官僚制度の呪縛から逃れられないのかなと感じます。

そして、社会主義体制が崩壊した道を辿りながら、最終的にすべての国民にツケを廻すことになっていくのでしょう。

しかし、そんな中でも希望の灯がないわけではないんですね。

「ベンチャー三銃士 復興を「日本の革新」につなげようじゃないか」http://mainichi.jp/life/money/kabu/eco/pickup/news/20110422org00m020061000c.html

政治家や官僚が新時代の開拓者たり得ないのであれば、

このような民間の旗手たちの活躍に期待したいと思います。

歴史上の日本の大転換期は すべて 20代、30代の若者たちによって 混乱の中で成し遂げられてきたわけですから・・・

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2011年5月15日 - 2011年5月21日 | トップページ | 2011年5月29日 - 2011年6月4日 »