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2011年1月18日 (火)

自分が自分で不安になる言葉

あるカフェでビールを飲んでいて、こんなやりとりをしたんです:

「ミックス・ナッツある?」
「すみません、置いてありません。」
「じゃあ、ポテト・チップスは?」
「それも ないんですけど・・・」
そしてウエイターが、
「カラマリ(イカ)は いかがですか?」」
「う~~ん、じゃあ、いいです。」

・・・言った直後、ウエイターがどういう行動を取るのか不安になった。

「はい、じゃあ、それで いいです。」と理解したのか、 あるいは
「いいえ、じゃあ、それは いいです。」と理解したのか・・・

「結構です。」は これと似たよく例に挙げられる表現ですね。

「はい、結構です。」
「いいえ、結構です。」

この「結構です。」の場合は語気の強さでだいたい分かりますが、
「いいです」の場合は それがあまりないと思いませんか?

時々、自分が発した言葉なのに、相手が反対に理解したんじゃないかと
不安になる言葉ってありませんか?

ちなみに、最初の例の時、私は「じゃあ、それで いいです。」の
つもりで言って、ちゃんとウエイターは出してくれたんですけどね。

ただ、ここはフィリピンですから、英語で「OK」って言ったんです
けど・・・・
英語じゃ どっちかわからない「OK」って使い方はあるんでしょうかね?

 

 

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2011年1月16日 (日)

省略された会話 / 2級の聴解を間違えて・・・・

日本語能力検定試験の2級の古い聴解試験問題を私も解いてみたんです。
答えを間違いました。32問中3つも間違えてしまいました。

この問題は スキットも 選択する4つの答えも すべて音声で出題されます。

A: 今度の雑誌の表紙ですが。これでどうでしょうか。

B: だいたいいいですけど。この丸がちょっと大きいんじゃないかな。

A: でもあんまり小さいと。

B: えっ、だからちょっとだけね。

A: ただ、このとなりの青い四角が大きめだから丸を変えるなら
   こっちも変えないと。

B: いや、やっぱりこれを多少変えましょう。そうしてください。

A: 分かりました。

Aさんは なにをどうしますか。
答えはどれが正しいですか。
1.丸を小さくする。
2.丸も四角も小さくする。
3.丸を大きくする。
4.丸も四角も大きくする。

1回目に聞いたとき、答えを3と書いちゃったんです。
2回目は1を選びました。

あんまり集中しないで、油断して聴いていたんですね。
・・・で、なぜ間違えたのかな? と気になったんです。

それで CDの会話を 上のように書き出してみたんですが・・・。

「そうしてください。」って言うBの言葉がありますね。

普通は「そうしてください。」って言葉は、相手の言った言葉を
受けて、その意見に賛成です、と言う場合が多いですよね。

しかし、この会話の場合は、Bが自分で言った
「やっぱりこれを多少変えましょう。」を受けているんですね。

普通は自分の近くにあるのが「これ」で、相手側にあるのが「それ」だし。
「こうしましょう。」は自分の考え、「そうしましょう」は相手の考え
を指し示すってのが原則みたいなもんですよね。

だから、いろいろ考えてみるに、このBが言った
「やっぱりこれを多少変えてみましょう。」の命令の言葉が、
この一瞬にAの側に移っていて、Aは当然その命令をやるべきものだ
という状態になっているから、Bから「そう」という言葉が発せられたと
考えるべきなんでしょうね。

しかし、この会話って よくよく見ると、よくこれで会話が成立するなって
思いませんか。
省略されていると思われる文を(  )で追加してみますね。

A: 今度(我が社で発行する予定)の雑誌の表紙(のデザイン)ですが。
   これでどうでしょうか。

B: だいたい(このデザインで)いいいですけど。
   この丸がちょっと大き(すぎる)んじゃないかな。

(A: じゃあ、この丸を小さくしたほうがいいですか。)

(B: そうだね。 小さくしたほうがいいね。)

A: でも、(この丸を小さくして、)あんまり小さ(くなる)と。

B: えっ、だからちょっとだけ(小さくするということ)ね。

A: ただ、この(丸の)となりの青い四角が大きめだから、丸を(小さく)
   変えるなら こっち(の四角)も(小さく/大きく)変えないと
  (バランスが悪くなるんじゃないでしょうか)。

B: いや、(四角はそのままでいいから)
   やっぱり(私がさっき言ったように、丸だけを)これを多少変え
   ましょう。

(A: この丸だけを 少し小さくすればいいんですね。)

(B:)そうしてください。

A: 分かりました。

・・・いやいや、難しい。
実際には現物を指差したりするんでしょうが・・・

3つばかり やりとりが省略されているとおもいませんか。 それだけ、相手の意図をくみとっているってことですよね。

しかし、よくこんなに難しい会話が 日本語の中級の人に分かる
もんだなあ。感心してしまいます。

日本語教師って、こんなのを教えなくちゃいけないんですよ。
もうたいへんです。

・・・で、結局 自分が1回目にどこをどう聞き逃して間違っちゃったのか
解明不能でした。

 

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日本昔ばなし・その2 「恋にだまされるな!」

今、私の日本語教室で流行っている言葉、それが「恋にだまされるな!」
なんです。

なぜか?  その理由は この読書感想文を読めば分かります。

「ぶんぶくちゃがま」 (元の作文は原稿用紙3枚です)

お父さんたぬきのようになりたいと思います。
彼は信頼できるたぬきだと思います。
お父さんは 家族のことが一番大切だと思いました。
他の人をだましてみました。 うそをつくのはよくないと思います。
しかし、なにもしないよりましだ。

(世界中の経済危機の時)
フィリピンには貧乏な生活を送っていた家族が増えていました。
正当な仕事をすることに決めた人もいれば、ずるい仕事をすることに決めた
人もいます。
ニュースによると、「誘拐している人」や「殺人者」や「泥棒」などが
増えてきたようです。
インタビューで、家族の為に何でもすると言っていました。

この頃、貧乏になっている家族は若い両親が多いです。
お金がなければ独身者になったほうがいいと思います。
恋を考えすぎないでください。
なにか決めたらその結果をよく考えてください。 特に結婚することです。
恋にだまされないで。

・・・・

この感想文を読んだ時は、大笑いしてしまいました。
「ぶんぶくちゃがま」が「恋にだまされないで」につながるとは・・・

たぬきの家族が飢饉のために食べるものに困って働いた「詐欺」行為。
フィリピンの国民の中にも これと似たことを、犯罪を、犯している者たちが
たくさんいる。
そして、その背景には、ティーンエイジャーが後先を考えないままに
恋愛し、子供が出来てしまい、結婚してしまう、と言う事を嘆いているのです。

「たぬき」だから 「だまされる」のでしょうか・・・(笑)

フィリピンのインテリはよく自嘲気味にいいます、
「フィリピン人はとても生産的なんでねえ・・・」

バギオの目抜きセッション・ロードを歩いて御覧なさい。
若い人たちがうじゃうじゃ歩いています。
この何分の一でもいいから、過疎と高齢化に悩まされている日本の地方都市に
送り込みたいと思うことがありますよ。

人は力です。 若さは力です。
「恋にだまされる」のも 若い力かもしれません。

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日本昔ばなしをフィリピンの人が読んだら・・・その1

日本昔話の「かざじぞう」や「ぶんぶくちゃがま」は ご存知ですか?

忘れた方は こちらで 朗読を聴いてみましょうか。

「かさじぞう」
http://chikakos.cocolog-nifty.com/mp3/2008/01/post_b809.html

「ぶんぶくちゃがま」
http://hukumusume.com/douwa/pc/jap/07/24.htm

実は、この二つの昔ばなしを 日本語の生徒に読ませ、読書感想文を書いて
もらったんです。

ただ、その本は子供向けの絵本でして、ぜんぶ振り仮名が振ってあります。

上にリンクした朗読のストーリーとこの絵本のストーリーを比べると、
絵本の方が長くなっていまして、内容も子供向けにもっと楽しいものに
創作してあります。

例えば、「かさじぞう」の場合は:
お爺さんとお婆さんの家にねずみの家族が住んでいて、お腹を空かせて
いたので、一握りだけ残っていたもち米を そのねずみの家族にあげて、
ねずみの家族だけはお餅をついて正月を迎えられるようにしてあげた、とか、
最後にお地蔵様からたくさんの食べ物をもらった時には、熊、たぬき、きつね、
ねずみの家族などをみんな呼んで 一緒にお正月のご馳走をいただいき、
お地蔵様にもおせち料理をお供えしたとかね。

そして、「ぶんぶくちゃがま」のたいへん可愛い絵本の方も:
最初の事のいきさつは、たぬきの家族が住んでいる山の村にたいへんな飢饉
が起こったので、たぬきのお父さんとお母さんは子供達のために一所懸命
食べ物をさがしたのだけれど、家族みんなが飢え死にしそうになったので、
やむなくお父さんが茶釜に化け、お母さんが人間に化けて、骨董品屋に
売りに行くという内容になっています。
骨董品屋から、お寺の和尚さん、それから古道具屋へと売られていくという
ストーリーで、貧乏な古道具屋を助けてやり、たぬきに戻ることが出来なく
なって、お寺でありがたい茶釜として祀られるようになったとしています。

私が何故 こんな絵本を日本語の中級者に読ませて、感想文を書かせたのか
と言いますと、もちろん作文の練習をするというのが第一の目的なんですが、
フィリピンの若い女性達が、日本の昔話、それも仏教や神道の考え方が
にじみ出ている話を読んで どのような思いをいだくだろうかという興味も
あったからです。 そして、日本の文化に根ざしている仏教や神道の
庶民的感覚を学んで欲しいという気持ちもあります。

以下、その感想文の主な部分だけをまとめ直してご紹介します。
なお、文そのものは本人が書いたままです。

「かさじぞう」(元の作文は原稿用紙2枚)

それはカルマ(業)の法則じゃないでしょうか。 そうだとすると、それは
世界中で何にでも当てはまると思います。
「種をまいたように収穫がある。」と格言にもあります。
私は世界の人々がカルマを信じていると思います。
私はお婆さまとおじいさまの楽天的な態度が大好きです。
私はその婆さまとじいさまのようになりたいです。

・・・・

カルマ(業)という言葉は 仏教の概念だそうで、因果応報や輪廻転生に
関連するものです。 元々はインドに発生した考え方ということですね。

私の生徒たちは いわゆる山岳民族の出身で、多くのフィリピン人同様、
敬虔なキリスト教の信者です。
キリスト教にこのカルマという考え方があるのかどうかも 私には分かりません
が、少なくとも心情的な部分では共通点があるようです。
キリスト教に詳しい方、コメントをお願いします。

・・・・・

「ぶんぶくちゃがま」は その2 でご紹介します。

    

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