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2011年8月27日 (土)

あなたは どこに座りますか ?

今日は 朝から停電だったんです。

どうも「計画停電」ではなかったみたいなんですね。

パソコンをやっていたんですけど、こりゃだめだってんで、

映画を見に行くことにしたんです。

SMに行けば 映画館は停電でも営業していますから、時間はつぶせる。

で、この映画を観ました。

ディズニーのアニメ、「CARS 2」です。

http://www.disney.co.jp/cars/

子供向けだろうなんて なめていたんですがね、

なかなか、大人向けと言ってもいいくらいでした。

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3Dなんですね。 入場料も高かった。

普通の2倍。

チケットを買って、もぎりさんのところに行ったら、

「あそこの店で ポップコーン もらえるよ」

チケットに込みになっているんです。

こんなに? っていうくらい大きい袋。

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それと、3D用のメガネを もぎりさんにもらって入る。

まっ、それはいいんですけどね、

皆さんは 映画館に入ったら どのあたりに座ります?

金曜日の午前11時。

封切り後3日目なのに、お客は10人くらいしか入っていません。

私は、ちょっと早目に入ったんで、二階席の一番前のど真ん中に座ったんです。

後から入ってきた 家族みたいな数人が 二階席の私の後ろ、真ん中、五番目くらいの列に座っています。

そして、その後に、若い男女が二人で入ってきたんです。

で、あなただったら、どの辺りに座りますか?

一階席はまだだれもいません。

二階席も、左右の席、後ろの席、まだ誰もいません。

で、そのアベックなんですけどね、

私のすぐ後ろの列、私の真後ろに座ったんですよ。

私の背中に足があたって、背中に響くんですよ。

「おいおい、これって ありかい?」

日本人だったら、フツーは、他のお客からちょっと距離を置いて座りませんか??

私はどちらかっていうと、暇つぶし、眠ってもいいくらいのリラックス・モードだったんです。

それがガラガラの客席で、いきなり後ろにピッタリつけられてしまった。

高速道路だったら、「てめ~~、どういうつもりだ!」ってなもんじゃないですか? (笑)

これって、フィリピン人のフツーの感覚なのかな?

大家族で いつも家の中で くっついて生活していると

こういう感じになるのかな?

なんてことを考えちゃったわけ。

・・・・

映画は 冗談テンコ盛りの英語ですからね、

分かるわけがない。

・・・で、時間もたっぷりあるし、二回目を観ました。

午後1時半ごろからね。

午後はちょっとお客も増えましたよ。

でも、20人くらいかな。

で、今度は 私は 二階席の画面に向って右側の 前から2番目の列に座ったんです。

終わったらすぐに、真っ先に出られるように。

すると、子供連れの家族が入ってきたんです。

他のお客は まだ入ってきていません。

どこに座ったと思いますか?

はい、当り !

私のすぐ前の列でした。

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ところで、なんで この映画を観にいったか 気になりますか?

気にならなくても言いますけどね、

これはカーレースのストーリーになっていて、

世界を転戦するんです。

それで、東京が レースの会場のひとつという設定なんですね。

それと、もうひとつは、日本のパーフュームというグループの歌が

挿入歌として入っているという宣伝を見たからなんです。

日本の、東京近郊の風景がたっぷり入っていて、なかなか良かった。

監督がすごく気に入ったんで、東京あたりを、日本の文化をしっかり入れてくれたらしいんです。

・・・でも、あのドラを鳴らすところだけは、ちょっとなあ~

あそこは大太鼓でしょう。

そして、二回も観たんですけどね、パーフュームの歌らしいものは

気がつきませんでした。

もしかして、日本向けのバージョンだけに使っているんでしょうか?

映画に詳しいかた 教えてください。

ストーリーですか?

2回も観ましたからね、大体分かりました。

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2011年8月26日 (金)

「戦争は なぜ起こるか」 知ってますか?

こんな本を 映画にうるさい方から お借りしまして・・・

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確かに、この本は とても分かり易く書いてあります。

中学生でも読めるんじゃないかなと思いますね。

・・・で、私の感想は・・・

「戦争はなぜ起こるか」 佐藤忠男 (ポプラ社発行)

著者の佐藤忠男氏は 映画評論家、日本映画学校の校長で、教育や大衆文化についての評論もしている人なんですね。

それで、映画にうるさい人から この本を読むように薦められたわけで。

その知人は、戦争を体験した父上とは若い時からさんざん喧嘩をしていたそうで、戦争に対する考え方が相当違うそうです。

私自身は、戦争について深く考えたことはつい最近までありませんでした。

今も深く・・とは言えないですね。

長崎県出身ですから、小学生の時から、原爆の話は聞いていましたよ。

保健の先生が 長崎に行って被災者の看護をやった話も、ウジムシを取ってあげた話も聞きました。 印象には、記憶にはしっかり残ってはいます。

ノンポリっていうのか、興味がないっていうのか、戦争の話を聞いても「へえ~~」って感じでした。 実感があるわけないですからね。 感受性がないといってもいい。

私の父は、兵役検査で不合格。 当時の世相に乗っかって、満州に行き、商事会社で石炭関連の仕事をしていたそうです。 ・・・で、7人家族のうち4人が満州そして引揚げの時に亡くなった。

ただ、そういう話を父から直接に聞かされたことは一度もなかったんです。

バギオに来て初めて、戦争が身近になった。

フィリピン戦の最後が戦われ、多くの人びとがここで戦死あるいは餓死したことを知ってからです。

「戦争はなぜ起こるか」なんて、真正面から論じた本は 今まで眼にしたことはなかったように思います。 いろんな戦争の記録はたくさんありますし、いかに残酷で悲惨かを書いたものもあります、そして平和を守ろうという本も。

でも、「なぜ」という問いかけは、それもこんなに分かり易く論じたものは読んだことはありません。 たいていは難しいことを書いてあるもんです。 それも政治的であったり、結構戦争当事者としての偏りがあったり。 そんなもんだと思います。

そこで、どんなことがこの本には書かれているかっていうと、下のようなことです。

ここでは、この本のユニークだなと思う部分だけを紹介したいと思います。

(以下、同書からの引用です。)

家族の中では弱い子どもを強い大人が守ってくれるのが当たり前なのに、学校や社会では強い者は弱い者を助けようとしない。 しかし人間はたいていは、子どものころの家庭での生活を、いちばん楽しい幸福な生活だったと記憶しておおきくなってゆく。 ・・・ 弱い者を助けることは強い者にとっては楽しいことであるはずなのである。 それが生きるものとしての人間の本能なのではないか。

じつは、未開の土地で一見野蛮な生活をしているように見える人びとこそが、いわゆる文明人たちよりも、もっと道徳的な生活をしているということが、民族学とか文化人類学という学問のおかげで分かってきた。 そういう学問の学者たちが、原住民たちといっしょに暮らしながら彼らの考え方を調べてみると、彼らの生活の中ではひじょうにしっかりとした道徳的な規則が守られていることがわかるようになったのである。

人間は、どうも、助けたり助けられたり、心を通わせて見守り合ったりし合える範囲の人間にはたいへんやさしくふるまうことができるが、その範囲の外にあると感じる人間に対しては、まるでちがう種類の動物に対するように冷酷になってしまうことがある。

じっさい、民族や人種の争いがなぜ起こるかということについて、これまで、人間はあまりにも考えることが少なすぎたのである。 これまでは、どこの国でも、自分の国さえ良ければ他の国のことなど考えていられない、とか、おなじ国の中でも人数の多い民族や人種を中心に考えて、少数派はおとなしくついてきさえすればいいではないか、という考え方でやってきたから、どうしてもそうなってしまったのである。

(イスラム原理主義というのは)決して一般的なわけではない。 ただ、それが目立つようになったのは、・・・・アメリカやヨーロッパの国ぐにが入ってきて、ああしろこうしろと指図をしたり、指導したり、味方になれば援助してやると言ったりする。 ・・・いいなりになったりしたら自分たちがバカみたいなことになることだってある。

そこで彼らは自尊心のよりどころとして、信仰をいっそう大事にするようになったのである。 自分たちのほうが、道徳的にはアメリカやヨーロッパの人びとよりもむしろ上だ、と考えて誇りを持とうとしたのである。

これまでの歴史を見てくると、戦争を起こすのは主として国民が十分に栄養をとっている豊かな国ぐにであって、国民の多くが飢えに苦しんでいるような国ではない。

オーストラリアの動物学者で、コンラード=ローレンツという人がいる。 ・・・その結果を「攻撃―悪の自然誌」という本にまとめた。

理性も道徳も持ち合わせていないように見える動物たちの行動というものが、いかに、理性的、道徳的であるかを明らかにしていることである。 むしろ、・・・人間は動物が確立した道徳を正しく受け継いでいないとさえも言えるのである。

鹿なら鹿、犬なら犬という動物同士は、ケンカはしても仲間を殺すということがない。 殺さないで勝負を決める方法をそれぞれに身につけているのである。傷つけると死ぬかもしれないようなところは攻撃せず、勝ったときには相手をそれ以上いためつけるかわりに、ただいばった動作をするだけでやめておく・・・

さいわい、闘争本能というものがたしかに人間に生まれつきあるという科学的な証拠などはなにもないのである。 ・・・うまく説明のしにくいことを、なにもかも本能だと言ってしまうのは、ものごとを深く考えることをやめてしまうことである。・・・・もっと理詰めに考えることがたいせつだ。

ある民族が他の民族を支配して、言うことを聞かないやつは皆殺しにする、などというひどいことは、動物は決してしないのである。 そんなバカなことをするのは人間だけなのである。

まだ残っている考え方は、教育が進んでいて文化的に程度の高い国は、有利なもうかる仕事だけをしてぜいたくに暮らす権利がある、という考え方である。 ぜいたくに暮らすということは資源をうんと使うということである。・・・資源を求めて外国に力をのばしてゆく。 ・・・品物を売るために勢力争いをする。 ・・・弱い国の資源を奪い合うということが起こる。

軍国少年のなれの果てとして、私は、恥ずかしながら、世界の平和という問題を真剣に考えながら日びを過ごしてきたのである。 そして考えたことは、しごく平凡なことながら、この地上に貧富の差があるかぎり、戦争のタネはつきない、ということであった。 自分は楽をして他人を働かせようとする気持ちが戦争のもとなのだ。

・・・・ 以上が本文からの引用です。

ユニークと言ったのは、戦争というのは人間の本能なのだという漠然とした前提の部分に、「そうじゃないんだよ。」と言っているところなんです。

極端に結論を言えば、知的労働といわれる仕事をしている者たちが法外な報酬をもらい、肉体労働をやっている人たちが法外に安い報酬しか稼げない。 それが国と国との間の貧富の差として大きくなり、それに失業が多くなったりすると、戦争という手段に出る国が出てくる。 日本もかつてはそうだった。 ・・・てことなんですね。

これは理想論だって言ってしまえばその通りだとは思うんです。

でも、人類が過去数千年、あるいは数万年?に渡って 戦争をしてきたとするならば、現実論では解決は出来ないってことにもなりませんか。 今までやったことのない理想論でやらなくちゃ。 

でも、そうなると、報酬は 世界中のどこで仕事をしても、だいたい同じってことにしないといけなくなりますね。

・・・・ってことは、 ユーロみたいな共通通貨が、グロブとかなんとかいう名前の世界共通通貨が出てこないといけないってことか?

世界中どこに行っても物価はほとんど同じ??

・・ってことは、まずいな。

フィリピンで日本円を使って気楽に暮らしているやつらは・・・

どうも、すみません。

でも、マジな話。

余程強力な宗教みたいなものが出てこないと、世界中をまとめるのは無理じゃないですかねえ。

今の経済のありかたそのもの、考え方そのものを変えるような。

でも、本当に、人間って なんで戦争をするんでしょうね?

 

  

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2011年8月24日 (水)

DNAがイタズラするんですよ。

今日 買っちゃいました。

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予備を含めて 2本。

上はマニュアル傘、つまりバネなし。 400ペソ(800円)

下はオート傘、 要するに 開閉が手元で出来るタイプ。 600ペソ。

なんで 2本も買ったのか。

今まで、2本持っていたんです。 バックアップを含めて。

一本は 日本で買った オート傘。 もう一本は バギオで買ったマニュアル傘。

2本ともに、一度は バギオで骨の修理をしたんです。

オート傘は、また壊れてしまって、修理しようかどうか思案中。

マニュアル傘は、銀行に置き忘れてパア~~。

・・・・

で、この銀行での置き忘れのことなんです。

小切手を数枚持って行って、入金手続きをしたんです。

カウンターのところに立って、入金申し込み書に記入するじゃないですか。

雨が降ってたもんですからね、傘をそのカウンターの下に立てかけた。

そして、その10センチくらい手前の足元に カバンを置いたんです。

小切手を一枚一枚確認しながら その番号やら金額やらを

申し込み書に書いたわけです。

そして、通帳と、小切手と、申込み書を手に持って、

足元のカバンを持ち上げた・・・・

普通 その時に 足元の10センチ先に立てかけた傘に 気がつくじゃないですか。

・・・・ それが 気がつかない んだな、これが。

目の前にあるんですよ。 傘が。

なのに 気がつかない。

な~~んでか?

子供の頃からなんです。

目の前にあるのに 探そうとすると それが見えなくなるんです。

よく姉に 「目の前にあるじゃないの」 と笑われたもんです。

家内からも 同じことを よく言われたもんです。

・・・

どうも、何かに集中していると 他のことに気がいかない、目がいかない。

意識がいかないんですね。

銀行では、さて 通帳と、小切手数枚と、申込み書を持って、

次は窓口の前に 並ばなくっちゃ・・・ 

とかなんとか 頭の中で考えている次の行動に 注意が集中するんですね、多分。

だから、傘のことを忘れる。

目の前にあるのに、それが見えなくなっている。

・・・・

どなたか 脳科学者の友だちいませんか?

あるいは、DNAの構造に詳しい親戚なんていません??

これって DNAのイタズラですよね。

・・・・・

こんなこともあるんです。

何かを考え始めると、それに集中するんです。

周りでいろんな雑音があったにしても、それは聞こえなくなるんです。

とくに これは恐ろしいことにもなります。

私は 車を運転している時には 同乗者とおしゃべりをしてはいけないんです。

おしゃべりが面白いと、そっちに頭が集中しちゃうんです。

分かりますね。 怖いですねえ~~~。

・・・ それは、教習所での筆記試験の結果にも表れたんです。

試験中に 教官が 歩き廻るんです。

そして、意図的だと思うんですけどね、音を立てるんですよ。

(教習所の方 そうですよね?)

試験中に音を立てる。

気になるじゃないですか。

同じ考え中でも、 自分の興味のある物ごとを考えているときは

集中するみたいなんですね。

でも、興味のないことになると 周りの雑音が邪魔をする。 

そして 結果は 「他に気をとられて、うわの空になる傾向がある。」

だったんです。

要するに 試験には集中できていなかったってことなんですね。

「このやろう! 試験官め、うろうろしやがって!」

なんてことを考え始めちゃうわけ。

これも DNAのイタズラですよね?

それとも 巷では これを 「注意散漫」 って言うんですか?

   

  

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2011年8月21日 (日)

フィリピン山岳民族の戦い - 若者が掘り起こす 第66歩兵連隊の記憶

2011年8月20日。 ベンゲット州国立大学のホールで

PROJECT66による 「NOWHERE YET EVERYWHERE」

というビデオ・ドキュメンタリー映画の上映会があった。

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プロジェクト66と言うのは、第66歩兵連隊の歴史を記録に残そう

というプロジェクトで、タイトルの意味は おそらく

「どこにもない、なのに、どこにでもある」 あるいは

「だれも知らない、されど、誰もが知っている」 ぐらいの訳に

なるだろうか。

第66歩兵連隊というのは、フィリピンは北ルソン山岳地帯の

イゴロットと呼ばれる山岳民族のゲリラ部隊のことである。

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このビデオ作品は、元ゲリラ兵などの証言を基にして、再現ドラマ、

米軍が残したと思われる第二次大戦中の映像、写真、文書などで

構成されている。

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上記は 再現ドラマの一場面であるが、ここでは、日本兵がゲリラ兵に

銃殺された様子がある。

もちろん、日本兵が山岳の人々を恐怖に落とし入れたことも出てくるが、

過去に話に聞いていた 日本軍による赤ん坊の銃剣による殺害などの

残虐なシーンなどは出てこない。

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そして、マッカーサーの再上陸によって始まった反攻作戦。

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日本軍の司令部が置かれていたバギオ市の奪還作戦は このような

ルートで進められた。

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ナギリアン・ロードから進攻した米比軍は イリサンでの攻防戦を制して、

アバナオ通りからセッション通りへの入り、バギオを開放した。

もちろん 日本側からすれば「バギオ陥落」である。

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そして、米軍による絨毯爆撃では、バギオ市全域が真っ平らになったとあります。

日本軍を追い出す為の爆撃だったようですが、バギオ大聖堂の前に

避難していたフィリピン人たちもその犠牲になったのだとか。

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そして、バギオ陥落の日は 昭和天皇の誕生日を意識しての

進攻だったと出て来ます。

フィリピンの年配者は 日本の天皇のことを良く知っています。

エンパラー・ヒロヒト などと名前を記憶しています。

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そして、もちろん山下奉文大将が 9月3日に バギオのジョン・ヘイで

公式に降伏文書に署名したのは有名です。

・・・・

このドキュメンタリー映画を作ったのは、ほとんどが二十代の若者です。

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そして、この上映会を観た人たちも

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この通り、ほとんどが ハイスクールや大学生の若い人たち。

・・・・

私はこの一番前の席で観ていたんですけどね、

後ろの席から 上映中に何度も笑い声が聞こえて来たんです。

日本だったら考えられないことだと思いませんか?

日本だったら、間違いなく 物凄くシリアスで、笑いなど出てこない

戦争の歴史の映画ですよ。

負けた国と、勝った国の違いでしょうか?

「箸が転んでも笑ってしまう。」 お年頃と言えばそうなんですがね。

やっぱりフィリピン人の国民性なんだろうなあ~と思ったわけです。

再現ドラマが ちょっと稚拙だったというのはあるとは思うんです。

でも、ドラマの中の会話やら、元ゲリラ兵の話の中にも

ちょっと笑える言葉が出て来るんですね。

元ゲリラ兵のお爺ちゃんがこんなことを言うんです:

「いやあ~、戦争中は本当に大変だったんだよ。

めちゃくちゃ暑いし、蚊にはやられるし、

それに、きれいなお姉ちゃんには会えないし・・・」

もう後ろの席は大爆笑でした。

・・・・・

なぜ 今更 このドキュメンタリーなのか?

そこには 山岳民族、イゴロットと呼ばれてきた歴史もあるようです。

イゴロットは山岳民族に対する蔑称だと言うんです。

実際、マニラの国会議員が 「イゴロットの山猿」とかなんとか発言して

国会で大問題になったこともあるようです。

それほど フィリピンの中で 差別されてきた。

だから、戦争中のゲリラの日本軍との戦いも フィリピンの歴史の中で

正当に扱われてこなかった、ということらしいのです。

山岳地帯の人々の歴史は、植民地だったということもあって、

ほとんど文書として記録されてこなかったんですね。

あったとしても、それはほとんどがアメリカ人による英語の本。

あるいは、マニラなどの都会のフィリピン人によるもので、

地元の人たちによって記録されたものがほとんどない状況

のようなんです。

・・・・・

もう一つ、日本人の立場から言えること。

元日本兵、あるいは、その遺族にとって、

今まで知られてこなかった日本軍、日本兵の最期に関する情報が

もしかしたらこのドキュメンタリーによって明らかになるかもしれない。

つまり、全滅してしまって、生き残り兵がいなかった日本軍の部隊の

最期が、 日本側の記録と付き合わせることによって、

明らかになるかもしれないということです。

フィリピン戦の最後は、この山岳地帯、バギオからさらに山奥の

地域で戦われたのですから。

   

  

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