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2011年11月19日 (土)

「ああ、 あそこはアブサヤフだからね。」? BONTOC EULOGY 

BONTOC EULOGY フィリピン人のアイデンティティ

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そのまま訳せば「ボントック追悼」になるこの映画は、
1995年にMarlon Fuentes監督によって制作された
ドキュメンタリー映画である。

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(ドキュメンタリーの最初のシーン。 主人公が古い録音を聞く。)

このドキュメンタリーの主人公はこの監督本人。
監督はフィリピン系アメリカ人である。
彼は自分の祖父の物語をこのドキュメンタリーで表そうとするのだが、
それが、フィリピンの植民地化、移民問題、そして、個人のアイデンティティ
の複雑に絡んだ物語へと発展する。

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(米比戦争。 アメリカ軍を迎え撃つフィリピン兵士たち。)

自分のルーツを調べるにあたり、監督は先祖に関係する様々の記録、文献、
博物館などに目を通すことになる。そして、記録映画や再現映像を
使って祖父の物語を作り上げた。

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(ボントック族? の儀礼の踊り。 190x年代の映像と思われる。)

祖父の足跡を辿るうちに、フィリピン・マウンテン州ボントックの民族、
ボントック族と呼ばれる山岳民族に出会い、そして、そのボントック族が
1904年にアメリカのセント・ルイスで開催された万国博で
他のフィリピンの少数民族1,000人以上と共に、「展示」された
ことを知ることになる。

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(アメリカ、セントルイスでの万国博のニュース映像)

ボントック族などの少数民族が万国博のために移民を強制されたのである。
アメリカは、このような万国博によって、植民地の宗主国であることを
誇示したのだった。

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(セントルイス万国博の会場内につくられたフィリピン家屋。)

万国博の敷地に住むことを強制されたフィリピンの少数民族の人々は、
その隔離された場所で、伝統的現実の生活とは関係のない、儀式や慣習を
見世物として行うことになった。

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(ボントック族? の儀礼の踊りを披露している万国博の様子。)

この不自然な環境に耐えられず、ある男が姿を消す。
それが主人公の祖父マーコッドであった。

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(アメリカで記録された フィリピン少数民族の足型。)

実際には、監督は自分の実際の祖父にまで辿れなかったのだが、
この失踪した男に重ね合わせた。
そうすることによって、フィリピン人自身の過去を重ねてみせたのだ。

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(アメリカの博物館に展示されている フィリピン人の人骨。)

以上が、この映画のあらすじです。

この映画の上映会とレクチャーがフィリピン大学バギオ校で開催されたので、
鑑賞させてもらいました。

一応大学の授業の一環だったみたいです。
歴史や美術を勉強している大学生が100人以上参加していました。

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講師は、Nick Deocampo という方でした。
http://cnc.net.ph/nick.html

大学ですからね、映画を観るだけじゃ終わらないんですね。
ちゃんと、「こういうことを考えなさい」っていう宿題があるんです。
下の質問は一部の抜書きです:

1. 植民地、フィリピンーアメリカの関係
   なぜ、アメリカはフィリピンのそれも少数民族だけを
   万国博で「展示」したのか。
   強制された移民と現在の自由意志による移民の違いは。

2. フィリピンに関するアメリカのニュース映画
   映画の中で使われた 1900-1905年頃のアメリカの
   フィリピン人に関するニュース映画をどう感じたか。

3. 国家/民族主義、その心理とアイデンティティ
   フィリピン人にとっての「国家」とは何か。
   どういう人間がフィリピン人か。
   「アイデンティティ」というものは最初から保証されたものか、
   あるいは何らかの努力によって得られるものか。

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(アメリカで実施された フィリピン少数民族の声の録音風景。)

日本人って、一般的にあまり日本人としてのアイデンティティなんて
考えたことないですよね。
同じようなアジアの島国でありながら、上のような質問、
特に1と3について考えなくても、真剣に悩まなくてもいい、ってのは
幸せなことだと思います。

2については、一昔前の日本の写真、日本人の映像を見ると、
日本人って「こんなに土人」だったんだなあ、と思います。

おそらく、西洋人は、200年前の日本人を、この映画でみる
エスニックなフィリピン人と同じような民族だと見ていたんでしょうね。
中には、日本の潜在力を見抜いていた西欧人がいたにしても・・・

そんな日本人が、明治維新で急に背広やドレスをまとって、
猿真似をするようになった。
西欧の新聞に日本人が猿として漫画に描かれたのも分かるような
気がします。

今現在の日本人。 洋服は似合っているんでしょうかね?

ところで、うちの下宿のお兄ちゃんに、
「バギオの大学の中じゃあ、どこが一番優秀なの? ランキング。」
って聞いたんです。

お兄ちゃんいわく、
「セント・ルイス大学、コーディリエラ大学、バギオ大学の順だね。」

「じゃあ、フィリピン大学バギオ校って、バギオの大学の中じゃ 
どういうランクなの?」

「ああ、あそこは アブサヤフだから、枠外だな。」

「あははは・・・」

分かりますか?
要するに、「反政府」の連中だ、ってことです。
いつも反政府のデモをやってますからね。

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(フィリピン山岳民族の「鼻笛」の記録映像。)

  

  

  

bontoc eulogy  documentary film directed by Marlon Fuentes

film show and lecture by Nick Deocampo  at  Philippine University - Baguio

colonialism  filipino american war and relation

nationalism  psychology identity  of the filipino people

             

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2011年11月18日 (金)

糞喰らえ ! 

<警告>

想像力が逞しい方は 読まないで下さい。

後遺症が出ても、責任は持ちません。

=======

私、日本語教師なんです。

週に2回、ある団体のフィリピン人スタッフに教えているんです。

2年間日本に留学していた女性なんで、コミュニケーションは出来るんです。

だから、教えているのは ビジネス日本語 なんですね。

ビジネス・レターの書き方とか、プレゼンテーションの仕方とか・・・

・・・で、今日も教えに行ったんです。

その団体の事務所の庭のベンチに座って、時間が来るのを待っていたんです。

すると、そのベンチの横に、小さくて細いサツマイモみたいなものが2本と、丸っこいのが2個ばかりあったんです。

・・・

はい、その庭には 二匹の犬が居ましてね。

身体がちょっと大きめのオスと、華奢なメスがいるんです。

・・・

メスは知らない人間には警戒心があって、近寄ってこないんですけど、

オスは愛嬌があって、尻尾ふりふり 頭を撫でろとやってくるんですよ。

・・・

いつものように、そのオスが、ベンチに座っている私の方に来たんです。

真っ直ぐ、頭を撫でろと来るのかと思ったら、

ちょっと視界の隅に そのサツマイモが入ったみたいなんです。

・・・

で、 そのオスは、真っ直ぐ そのサツマイモの方に行っちゃったわけ。

始めは、クンクンとやってたんです。

そして、何を思ったのか、手で・・・、前足で、そのサツマイモを転がした。

「何やってんだ、おめえ~よ~~」

すると、その転がったサツマイモの ちょっと黄色い中身が見えたんです。

焼き芋って、外が黒っぽくて、中が黄色いじゃないですか。 あれですね。

・・・と、やにわに、そのサツマイモを喰い始めたんです。

「おい、おい、いいのか、それで・・・」

・・・で、私が近くにいるもんだから、やっぱ、気になるんでしょう。

そいつ、そのサツマイモの一本をくわえて、私から離れて、

それを 両手・・両前足で押さえて、美味しそうに、丁寧に喰っているんです。

それで終わりかなと思ったんです。

「いくらなんでもなあ~。 旨かあ~ね~だろ~」

って思うじゃないですか。

ところが、どっこい。

残っていたあとの1本と、あとの2個を、全部ペロリとたいらげちまった。

「よおよお。 おめえ、あの女のサツマイモが そんなにうめえのかよ。」

・・・まさか、自分の落し物を喰うってことはないですよね。

昔々に、犬は糞を喰う って話を聞いたような気がしないでもないんですがね、

そりゃあ、腹ペコペコの野良犬なら あるかもしれないと思いますよ。

しかし、やつらは いわば ぼんぼん と おじょう ですからね。

喰いもんには困っちゃいない。

こんなに 美味しそうに、「糞喰らえ!」を、 実際に目の前で実演してくれた奴は 

初めてでした。

「明日から、ナメンジャ ね~~ぞ! 俺の手を 」

 

 

 

 

    

     

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2011年11月15日 (火)

般若心経 と 浄土真宗

自分の家が浄土真宗だったと言っても、その中身のことはさっぱり
知らずにきたわけです。
・・・で、浄土真宗が使っているという「教行信証」や
「仏説阿弥陀経」などを読んでみようという気になっているんですね。

ただ、日本人としては、どうしても「般若心経」ってのが
魅力的に思えるわけですよ。 なんてったって格好いいもんね。

浄土真宗じゃ「般若心経」は読まないの? 写経も関係ないの?
なんて、未練たらしいことを考えるわけ。

それで、どうしても、浄土真宗はなんで、お釈迦さんとか、
般若心経なんかとの 関係が薄いんだろう、って気になっちゃってね。

気になると、心がざわざわして気持ちが悪いんですよ。
スパッとケリを付けたいわけ。
で、調べました:

<<  >> は、私のコメントです。

「仏教のすべて」(日本文芸社)から引用(一部短く編集)

p82
インドにおける密教の起源は紀元前1200年以前にさかのぼる。
真言(呪文)をとなえて災いを除き幸福を招くために祈ることは、
すでに最古の宗教文献であるバラモン教の聖典などにも説かれている。
密教の起源は釈尊の誕生より6~7百年以前のアーリア人のヴェーダ
の宗教に見なければならない。
仏教が成立し、釈尊が当時の世間に広まっていた呪術や
秘儀を禁止したことはよく知られています。

<<ほうほう、そうか。 お釈迦さんが 真言(呪文)を禁止
  したってことか。>>

(大乗仏教では)仏の教えは、釈尊そのものになりきることではなく、
普遍的な真理なのだとした。 「仏=仏陀」を超越的な存在として
とらえ、その仏陀の化身として地球上に出現したのが「釈尊」だと
したのです。
これに対して、釈尊がやったように出家して修行s、釈尊になりきった
人しか救われないのだとするのが、小乗仏教の考え方です。

p83
大乗仏教では、仏陀は釈尊そのものではなく、最高の真理としての
仏陀が存在し、釈尊はその化身としてこの世に現れた一人であるから、
たくさんの仏が存在してもおかしくないことになった。

<<それで、お釈迦さん以外の 阿弥陀仏とか いろいろな仏さんが
  登場したってことですな。
  親鸞さんは、お釈迦さんじゃなくて、お釈迦さんの同僚の
  阿弥陀さんの系列のお店に入ったわけだ。>>

(インドでは)仏教は、インドの民族宗教であるヒンズー教の教理や
神々もとり入れ、現世利益的な儀礼や呪術的な要素も取り入れた
新しい仏教が成立した。 これが、密教として発展。
したがって、密教は大乗仏教が生んだともいえる。

p84
七世紀中ごろから八世紀にかけて、インドの仏教はほとんど
密教化してしまい、密教経典も成立した。

真言とは、サンスクリット語でいうマントラのことで、
もとはヴェーダ聖典のうちの、神々をたたえる賛歌、
あるいはバラモンという祭官がその儀式のときにつぶやく
呪文のことだった。

<<これが、真言密教の本社ってことなんですね。
  空海さんが日本の支社長でした。>>

P160
「般若心経」のもととなった「大般若経」は全六百巻もある膨大な
経典です。 ・・・大乗仏教の基本哲学である「空」の思想について
書かれているのです。

「般若心経」の「心経」は、「大般若経」の真髄、真意という意味です。

<<この「心」はエッセンスだという説には、異論もあるようです。
 エッセンスではなく 真言(マントラ)つまり呪文だという説が
 あります。>>

「手にとるように宗教がわかる本」(かんき出版)

P164
仏教の根底にある思想とは、まず、この世は苦しいことに満ちて
いるという現実を見すえ、その原因が自分の心のなかにある煩悩
であることを素直に認め、それと向き合って八正道を実践してこそ、
涅槃(悟り)の境地への道が開けるというものです。

<<元祖仏教、小乗仏教は 自力で悟りを開く実践なんですね。>>

P166
釈迦は生前、「私を崇拝してはいけない」「葬儀は行わなくてもよい」
と伝えていたようです。

P168
釈迦(仏陀)は、自分の周りにあった「苦から逃れるための法則」
に気づいたにすぎません。 神(救世主)でも預言者でもないのです。
仏教は基本的に釈迦に対する信仰ではないのです。
この世の成り立つ「法則」を信じるのであり、それを「法(ダルマ)」
と呼びます。

<<そう、神様じゃないんです。 仏様なんです。
  本来は宗教って感じじゃなかったってことかな?>>

P176
大乗仏教では、2~3世紀のインドの人、龍樹(ナーガールジュナ)
によって「空」の概念が体系化され、大乗仏教の考え方の中心に
なりました。 「般若心経」の「色即是空、空即是色」のくだりにも
登場する「空」です。

・・・・

さてさて、なんで、浄土真宗では般若心経を読まないのかって
いうところなんですが、 こんなサイトを見つけました。

http://jin.zen.or.jp/~sato/bunko/gongyou/

般若心経は、仏教の各宗派で唱えられ、日々のお勤めの中にも取り入れ
られています。ただし、浄土真宗では唱えません。最後の部分
(「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆呵」)が密教的な
呪文になっていて、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人がこのような祈りや
密教的なものを徹底的に排されたからです。

・・・この呪文の部分なんですが、
「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい
ぼじそわか」って読むらしい。

「仏教のすべて」によれば、この呪文の解説にはこうあります:
P173
真言は仏の言葉で、本来、その意味を詮索しないのが原則です。
また、「羯諦 羯諦」以下は通常の言語に置き換えて訳すことは
不可能であり、また訳しても意味がないといわれています。
つまり、この真言はとなえることに意義があり、音そのものに
不思議な力があるのです。

Wikipediaには以下のような説明があります:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C
般若経典群のテーマを「空」の1字に集約して、その重要性を説いて
悟りの成就を讃える体裁をとりながら、末尾に付加した陀羅尼によって
仏教の持つ呪術的な側面が特に強調されている。

一般に般若経典には、後期の密教化したものは別として、呪文などは
含まれていない。それを考慮すると、『般若心経』は、般若経典と
しては極めて特異なものと言える。

・・・・

以上のように、「般若心経」には、大きく二つの解釈があって、
ひとつは 「空」の概念を中心として 「般若経」全体のエッセンスを
まとめたもの、 もうひとつは 呪術的な最後の部分がポイントだ
というものがあるようです。

・・・
それで、そんじゃ「般若心経」っていつ書かれたの?
と疑問に感じたんです。

上記のWilipediaには こうあります:

現存する最古のサンスクリット(梵字)本は、法隆寺所蔵の8世紀後半
(伝承では609年請来)の写本とされる貝葉本であり、漢訳経典より
時代を下る。世界の仏教研究者の間では般若心経が中国で作られた偽経
であるという説が中心になっている。

・・・

おいおい、「偽経」だってよ。
一番人気の経典が にせもの かよ!!

私の結論:

「般若心経」は、仏教の考え方をサマリーしたもんだから、
基本的なことをコンパクトに理解するにはいいんじゃない?

でも、最後の呪文の部分は、お釈迦さんも、親鸞さんも、
「わけの分からん呪文はやめとけ!」と言ったらしいし、
そもそも「にせもの」だって噂だから、あんまり重要視することも
なかっぺ。

ばってん、長崎の佐世保弁で、「はらきゃ~て」という言葉があるとです。
「腹かく」=「怒る」の動詞変化で、「腹かいて」=「怒って」
ちゅう意味ばってんね。、
呪文の中の「はらぎゃてい」ちゅうとが、そぎゃん聞こえるわけたいね。
そいけん、なんか可愛かと。
笑ろうてしまうったい。

  

  

  

  

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2011年11月14日 (月)

荘厳な曲 vs おちゃめな詞 ・・・ お経 ??

「彷徨える魂を鎮めるには」 というタイトルで ほぼ一年前に こんなことを書いていたんです。

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2010/12/post-2a19.html

・・で、結論として 「阿弥陀経」を読もう、と決めていたんです。

しかしね、決めたからと言って、そんなに簡単に「読むぞ!」なんてことには なかなか成らないんですよねえ。

漢字ばっかりじゃないですか。

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お経ですよ。 意味だって分からないし。

・・・で、ぐずぐずとしていたんです。

一応 本は 日本で買って来たんです。

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これだったら 字も大きいし、簡潔に解説されているし、写真もたくさんあるし。

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読めなくても 飾りにはなるかな、・・・って軽いノリなんすけどね。

で、その気になったら 読もうと思っていたんです。

で、その気になれず、「教行信証を読む」を 今まで読んできたわけです。

・・・・

それで、いよいよ、逃げられなくなっちまったわけなんですが、

まだ、本を読もうという気が いまいちなわけ・・・

・・・

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だから、とりあえず、 その阿弥陀経のお経が どんなもんだかを

まず聞いてみようじゃないかと 思ったわけね。

今のインターネット社会は 実に便利。

こんなサイトがいくらでもあるんですね。

まずは、YOUTUBEで これをお聞き下さい。

(飽きたら 途中で聞くのを止めてもいいですからね。そのまま眠ってもいいですよ。笑)

http://www.youtube.com/watch?v=PW0rRPtXr9g

いかがでした ?

これこそ お経ですよね。 さっぱり分からない。 眠くなる。

永眠しちゃいそうな「曲」だと思いません ?

(真面目に読んでいる方がいらっしゃったら申し訳ない。 本当に信心のある方は怒りますよね。 ごもっともです。)

・・・で、お経を聞いていると、どうしても 荘厳というのか、厳粛というのか、肩が凝ってくるってのか、でも確かに、癒しにはなる「曲」だと思うんです。

・・・ で、たまたま、こんな YOUTUBEがあったんです。

デビー宮 訳 「仏説阿弥陀経」

お経の意味が 字幕で入れてあるんです。

じゃあ、さっそく この字幕をしっかり読んでみて下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=ov6h69b98rQ&feature=related

どうすか??

仏説阿弥陀経の意味が すらすらと分かるでしょ?

どう思いました ?

・・・

私はね、思わず笑っちゃったんですよ。(笑)

不謹慎なのは分かっていますよ。

でもね、笑っちゃったんです。

「えっ ?  このお経って こういう意味なの? 

こんなに簡単なことだったの?」

ってね。

もちろん、含まれた意味は 深いものがあると思うんですよ。

でも、 これを音楽だと考えてみましょうか。

読経そのものは 意味が分からないから 「曲」、旋律だと思うんです。

そして、 その書かれている意味は 「詞」だということにしましょうか。

普通の音楽、たとえば歌謡曲でも ポップ・ミュージックでもいいですよ。

それは、曲と詞が バランスしているって言うのか、それぞれが引き立て合うような関係があると思うんですよね。

でも、この「詞」の意味が分かった上で きいた読経という「曲」が

実にアンバランスで、可笑しかった、面白かったんです。

・・・

すみませんね、信心のある方にはお詫びします。

でも、この面白さを感じられて、私は俄然 読む気が出て来たんです。

・・・

誰か、けったいなミュージシャンがいませんかね?

お経の旋律に載せて、ポップな内容の詞をつくってくれる人。

なんか、このアンバランスな魅力が 結構 若い人に受けたりなんかして。

以上、「仏説阿弥陀経」を鑑賞した 感想文でした。

    

  

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