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2011年12月 3日 (土)

言葉か 映像か ・・・う~~ん、わからない

今週から来週にかけて・・・忙しいんです。

貧乏暇なしを絵にかいたように・・・忙しいんです。

早い話が 遊びで忙しいんです。

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今日は、ここに行ったんです。

この見世物小屋みたいなところ。 映画をやる小屋。 昨日の夜作ったそうで。

見た目はそんなに良くはないんですがね・・・

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テントの入り口にこんな張り紙があったり・・・

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こんなんがあったり。 テントの壁面ですよ。

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これだって、テントの壁面ですよ。

スライドをそのままシートにしたような。 それでテントの壁にしてるんですね。

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こんなのもありました。 キドラット・タヒミックという国際的に有名な映画監督なんです。 日本を含め、海外のあちこちを飛び回っているような。

で、これも、昔のイベントで使ったものをテントの壁面に使っているんです。

テントを外からみると「なんじゃこりゃ」なんですけど、内側は結構面白いんです。

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あっ、それで、映画を見に来たんです。

ここでしゃべっているのが そのKidlat Tahimik監督なんです。

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で、これがその映画。 見たんですけどね。 よく分からんかったんです。

大雑把なストーリーは最初に解説がありました。

マゼランがフィリピンに来たんですね。 そして、フィリピンの山岳民族の男を

奴隷というのか、召使というのか、にして。 で、今のOFW(海外出稼ぎ)のさきがけ

みたいなことがあって、最後は その召使の男が 主人とチェスをやって

頭の良いところを見せて、・・・フィリピンの山に帰っていく・・・。

なんか、そんなんでした。

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・・・でも、言葉・・ナレーションが多かったんです。

それが聞き取れない。 英語がね。

だから、結局 よく分からなかったんです。

・・・で、映像だけで 何かを人に伝えるってことは出来るのかな、と思ったわけ。

以前、「命の食べ方」っていう映画を観たんです。

ナレーションも台詞も、ほとんどなかった。

しかし、ビシバシと訴えてくるものがあったんです。

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でも、やっぱり、ストーリーがあるものは、言葉が必要なのかな・・??

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でも、絵画だって、言葉がなくても、何かは伝わりますよね。

動画の場合は、どうなん?

動くことで、絵が連続的に変わっていくことで、ストーリーってのは作れるよね。

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まあ、言葉っていっても、受け取り方は人それぞれだしね。

言葉の方が正確に伝えられるよ、とは限らないような気もするし。

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・・・まあ、いいや。

そのうち 考えよう。

      

 

 

 

 

 

    

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2011年12月 2日 (金)

「あなただけの阿弥陀経」を読む - その12

著者 阿部慈園  監修 中村元  小学館


「あなただけの阿弥陀経」を読んでいるんです。
今までに11ページから78ページまで67ページをを読みました。
で、この後は 123ページまであるんです。
その12なのに まだ後45ページもあるんです。

でも、ご安心ください。 この後は、面白くないんです。だから、すぐに
片付けます。

何故面白くないのかといいますと、東南西北と下方・上方合わせて六方の
世界の仏様たちが口々に、阿弥陀仏を褒めたたえるという内容
で、
延々とその仏様たちの名前が出てくるだけなんです。

そして、解説のところに以下のようなことが書いてあります:

「経の前後ではその主題が、阿弥陀仏と極楽の功徳についての称賛から、
諸仏と釈尊の功徳を称賛することへと変わっています。」

だから、前半と後半は元々別の経典だったものをガッちゃんこしたんじゃないか
という説があるのだそうです。

・・・とは言いながら、諸仏の名前をリストアップするのはやめておきますが、
ポイントになるところだけを、ダイジェスト版で見ていきましょうか。

「舎利弗如我今者讃歎阿弥陀仏不可思議功徳」
(しゃーりーほつ にょーがー こんじゃー さんだん あーみーだーぶつ
 ふーかーしーぎー くーどく)

「シャーリプトラよ、我が今、阿弥陀仏の不可思議の功徳を 褒めたたえるように」

ここで我というのはお釈迦様です。
お釈迦様自身が褒めたたえると同じように、以下の仏様たちも阿弥陀仏を
褒めたたえているっていうことなんです。

東方世界に五人の仏様たち。
南方世界の五人の仏様たち。
西方世界の七人の仏様たち。(阿弥陀仏を含む)
北方世界の五人の仏様たち。
下方世界の六人の仏様たち。
上方世界の十人の仏様たち。

これらの諸々の仏様たちが、

「あまねく三千大千世界を舌でおおいつつ誠の言葉を説きます。
汝ら衆生よ、 まさに、この阿弥陀仏の不可思議の功徳を称賛する、  
<一切の諸仏に護念せらる>と名づくる経を信ずべし と。」

要するに、これだけ多くの仏様たちが同じように阿弥陀仏を褒めたたえている
んだから、みんなも信じなさい、ってことみたいですね。

そして、「護念せらる」ですけど、これは、「慈悲のまなこで見守られる」と
いう意味だそうです。

つまり、阿弥陀仏を信仰の対象にすれば、それは同時に、上にリストアップした
多くの仏様たちからも見守ってもらえる、ってことのようです。

上のリストで「変だ」って気づきましたか?
これは「阿弥陀経」なのに、阿弥陀仏を讃えるお経なのに、

なんで阿弥陀仏自身が阿弥陀仏を讃えているの??
そう、矛盾があるんです。
だから、この阿弥陀経は前半と後半は元々べつのお経だったのを
くっ付けたんじゃないかと言われているそうです。

それはともかく、日本は特殊だそうです
なにが特殊かっていうと、仏教が細分化というか単純化しているそうで、
例えば、浄土系は阿弥陀如来、禅宗系は釈迦如来、日蓮系は法華経そのもの、
など 一つを選んで決めているんですが、
中国、台湾、韓国なんかでは、ひとつのお寺にいろいろな仏様たちが同居している
のが普通なんだそうです。
実際、この阿弥陀経の内容は、仏様たちが協力的ですもんね。

う~~ん、ここにも日本人の「こだわり」、「オタク」ぶりが出ているってこと
ですかねえ。
突き詰めていかないと気がすまない?
それが、今の日本の凄さを支えていると言ってもいいんでしょうね。
逆にいえば、鷹揚さがないのかな?
ストレスが多いのもその故か・・

さて、これで104ページまでいっきに読みました。

もう少しですよ。

その13に参りましょう。

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ゲージツ は 社会との出会いなのだ!

 

昨日なんですけどね、フィリピン大学バギオ校で 日本人のアート・ディレクターの方が講演会をやったんです。

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美術系と社会科学系の学生が参加していたみたいです。

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講演した方は、中西美穂さん。

http://osaka21-blog.cocolog-nifty.com/person/057/index.html

大阪でいろいろな社会問題に絡んだアートの活動をプロデュースしている方です。

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私は、ゲージツについては ほとんど知りません。

でも、興味だけはあるんですね。

だから、いろいろ見てみたい。 ゲージツってのが社会の中でどんな効果をもたらすのか、そのあたりが 面白いんです。

ただ単に、「へえ~~、凄いじゃん。」と感じるのが、新鮮で気持ちいいんですね。

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一般の社会人や子供達とのワークショップをやったり、病院で小児癌と闘っている子供達にアートの楽しさを教えたり。

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慰安婦問題を扱っているアーティストや、在日韓国人・朝鮮人のアーティストや、戦争のトラウマを抱えた日系人のアーティストなど、そしてさらに、ホームレスという道を選んだアーティスト。

そんなアーティストたちが発表する場をプロデュースするのが中西さんのお仕事みたいです。

私なんかは、社会問題なんて 真面目に考えたこともない ノンポリ人間ですからねえ。

でも、いろんな人たちのいろんな立場や経験や問題・課題を聞かせていただくのは、興味があるんです。

なんだ、聞くだけかい!? って言われそうですね。 すんまへん。

どうも、自分の身に実際に起こる、降りかかって来る災難じゃないと、真面目に考えないっていう性癖があるようなんです。

だから、薄情な男ってことですね。

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まあ、だから、ってこともないんですけど、

通訳のお手伝いなんかをさせていただきました。

通訳をやっていると眠っていられないですからね。 しっかり聴いていないといけないんで、私みたいないい加減な奴には ちょうどいいんです。

恥をかいたら冷や汗もかけるしね。

中学英語レベルの通訳でよろしければ、いつでもご用命を承っております。(PR)

・・・・えっ?  講演はどうだったか、ですか?

面白かったですよ。

日本のホームレスは大阪が一番多い。

日本のホームレスは ほぼ単身者だが、フィリピンのホームレスは家族である。

日本の男のホームレスは、多くが、出来れば田舎に帰ったり、仕事に復帰したいと思っているが、

女のホームレスは、家族のところに帰りたいとは思わないケースが多い。

その背景には、それなりの事情が隠されているということだそうです。

ホームレスの女性というのは、日本ではかなり少ないそうですが、その女性達が作った、デザインしたナプキンが紹介されました。

「おおお~~~! かわいい~~~!!」

と、学生の中からどよめきが起こりましたよ。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

    

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「あなただけの阿弥陀経」を読む - その11

著者 阿部慈園  監修 中村元  小学館


今、佳境なんです。
極楽往生を願う(発願往生)ことに、どんなメリットがあるのか ってことを
まとめてある箇所なんですよ。

「舎利弗我見是利故説此言若有衆生聞是説者応当発願生彼国土」
(しゃーりーほつ がーけんぜーりー こー せつしーごん にゃくうー
 しゅーじょう もんぜーせつ しゃーおうとう ほつがん しょう
 ひーこくどー)

「シャーリプトラよ、我は この利を見る。 ゆえにこの言を説く。
 もし、衆生ありてこの説を聞かば、まさに、かの国土に生まれんと、
 願を発すべし。」

と言うことなんですが、内容は、以下のようなまとめになっているんです:

ー 阿弥陀仏の名号を一心不乱に心に思っていれば、
  その人が亡くなる時にジタバタすることがない
  (執持名号=しゅうじ みょうごう)
  (心不顛倒=しんぷ てんどう)

ー 阿弥陀仏と聖衆(声聞と菩薩さん)たちのピックアップ・サービスがある。
  (臨終来迎=りんじゅう らいごう)

ー 極楽往生が確定されて安心。
  (極楽往生=ごくらく おうじょう)

こんなに素晴らしいご利益があるんだから、極楽往生を願うのが当たり前ですよ、
ってことみたいです。

しかしですね、「一心不乱」でなくちゃいけないんですよ
今の私みたいにですね、いい加減な気持ちじゃ駄目なんです。
ちゃんと信仰しなくちゃいけないんです。

考えてみると他力本願ってのも随分難しいもんですね。

自力本願はそりゃあ自分で修行をしなくちゃいけないんだから、難しいですよ。

他力本願は易しいよ、念仏さえ唱えておけばいいんでしょ、なんて思っていた
わけですよ。

でも、その他力ってのは、一心不乱でなくちゃいけない、打算的じゃいけない、
信仰がなくてはいけないんです。

この信仰ってのが難しい。

私は、宗教は好きなんですよ。
勉強するのは好きなんです。 その歴史とか、考え方とか、哲学とかね。

でも、信仰にはならないんだなあ・・・これが。

信仰ってのは、出会いだと思うんです。
おそらくそれは、親鸞さんなんかが言っているように、素晴らしい先生が
いるかどうかなんじゃないかと思うんですね。
まあ、卑近な話で、結婚相手に出会うようなもんでしょう。
当たり外れは世の習い。

でもなあ、私は天邪鬼だからなあ。 いい先生がいてもねえ。
すぐに疑うんですよね。

それに、懐疑的なんだけど、楽天的なんですよね。
まあ、あまり深く悩まずに、ケセラセラになるってこと。

だから、信仰との出会いってのが本当に来るのかな、なんて思うわけ。
悩まなくちゃ、そんな出会いは来ないでしょう。

信仰にならないと極楽往生のチケットはもらえないですからね。
困ったなあ~~~。

自力をやるほどの気合もなし、他力をやれるほどの信仰心もなし。
どうすっぺ・・・

結論は出そうにもないので、次に行きます。

その12をお楽しみに。

               

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「あなただけの阿弥陀経」を読む - その10

著者 阿部慈園  監修 中村元  小学館

「極楽に行きたいなあ~~」と思ったら、どうしたらいいのかな?
と言う質問に答える部分なんです。
「よくある質問 Q&A」です。
インターネットのサイトにあっても良さそうな内容ですよね。
「極楽浄土へのポータル・サイト」とかね。

「舎利弗不可以少善根福徳因縁得生彼国」
(しゃーりーほつ ふーかー いー しょうぜんごん ふくとく いんねん
 とくしょう ひーこく)

意味は:
「シャーリプトラよ、少ない善行や福徳だけでは、極楽往生はとても
かないませんよ。

となっているんですねえ。

「福徳」てのは、一切の善行だそうですから、ちっとやそっとじゃ極楽に
行くことはできんと言うことでんな。

かなり絶望的です。

そこで、どうやったらいいか、なんですが。

「若有善男子善女人聞説阿弥陀仏執持名号若一日若二日若三日若四日若五日
若六日若七日一心不乱」
(にゃくうー ぜんなんしー ぜんにょーにん もんせつ あーみーだーぶつ
 しゅうじー みょうごう にゃくいちにち にゃくにーにち にゃくさんにち
 にゃくしーにち にゃくごーにち にゃくろくにち にゃくしつぃにち
 いっしんふーらん)

「もし立派な若者や立派な娘が、阿弥陀仏という名号を心にとどめて保つことを
 一日でも、二日でも、三日でも、四日でも、五日でも、六日でも、七日でも、
 一心不乱に心に思っているならば、・・・出来る。」

と言っています。

そして、何が出来るかというと:

「その人命終わる時に臨んで、阿弥陀仏は、もろもろの聖衆とともに、その前に
 現在したまう。 この人終わる時、心、顛倒せず。 すなわち阿弥陀仏の
 極楽国土に往生することをえん。」

となっていまして、 阿弥陀様をはじめとする阿羅漢さんやら菩薩さんたちが
お迎えに来てくださるんだそうです。
つまりですね、「阿弥陀二十五菩薩来迎図」という仏画に描かれているように、
わざわざエアポート・ピックアップ・サービスみたいな送迎サービスがあるって
いうことなんですよ。

ここで、「心、顛倒せず。」ですけど、
解説によれば、「死にたくな~~い」とか「いやだ~~」とか言うことがなく、
穏やかに極楽往生できるということだそうです。
送迎サービスが来たということは、間違っても地獄に行くってことはない。
極楽浄土に行くという目的地が決定しているから安心ってことですね。

まさか、「あんたは地獄の一丁目で途中下車してください。」なんてことは
ないでしょう。

もうひとつ。 よくよく上の文章を読んでください。
翻訳がですね「りっぱな若者や立派な娘」ってなっているんですよ。
サンスクリット原文は「クラ・プトラ、クラ・ドゥヒトリ」で、
「立派な若者や立派な娘」とあるんですが、漢文では「善男子善女人」と
なっているんですね。
原文だと、爺・婆は駄目みたいですよ。
若いうちから信心がないと、死にそうな奴が急にその気になっても無駄?

漢文翻訳で日本に来てもらって良かった。
もしかして、翻訳者の鳩摩羅什さんが、翻訳本の買い手に合わせて
高齢者でも大丈夫なように、営業目的で書き換えた? なんてことはないよね。

では、次回 その11では、極楽往生を願うメリットのサマリーを
作ってみましょう。

   

   

   

   

   

   

 

      

     

宗教 仏教 浄土宗 浄土真宗 阿弥陀経 無量寿経 極楽浄土 信仰

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2011年12月 1日 (木)

早婚のすすめ - 結婚は出会い頭の事故でんがな

こういう記事があったんです。

日本の若者に「セックスレス」の風潮 

少子高齢化さらに加速か

http://www.cnn.co.jp/fringe/30004742.html

やっぱり、フィリピンから日本に まとめてドッと 若い連中を送りこまなあきまへんな。

日本の爺さんたちがフィリピンに来るよりも、フィリピンを爺捨て山にするよりも、

将来の日本に貢献できますがな・・・

高齢結婚はいけません。

結婚は 出会い頭の事故 みたいなもんですからね、

早婚で日本を盛り上げましょうよ。

分別が出来てからじゃあ、結婚なんて できまへん。

じゃない??

S

南無阿弥陀仏・・・

   

   

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ゾマホン、福島県会津若松市内の仮設住宅を訪問

皆さんは、ゾマホンをご存知ですか?

二代目そのまんま東でもあり、ビートたけしさんの付き人兼英語の先生でもあり、

タレントとして結構有名なんですね。

そのゾマホンさんが、東日本大震災の被災者を応援しようと

彼の母国 西アフリカの ベナン共和国で募金活動。

そして、今回は、そのベナンの人たちの温かい気持ちを携えて

福島県会津若松市内の仮設住宅を訪問したそうです。

詳しくは こちらのサイトでご覧下さい。

http://www.zomahoun.com/ife/staffs/yamamichi/message/001418.html

皆さんも 是非 NPO法人IFE にご協力下さい。

私との関係ですか?

たまたま、昔、ベナン共和国で日本語を教えたつながりです。

   

  

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2011年11月30日 (水)

「あなただけの阿弥陀経」を読む - その9

著者 阿部慈園  監修 中村元  小学館

ここからが佳境だ、と私が思うポイントの部分です。
「倶会一処」(くえいっしょ)が出てくるんですね。

この言葉は、今までは、お寺の墓石なんかに彫られているのを、たまに
見たりするくらいで、字面からなんとなく分かったような気になっていたんです。

「衆生聞者応当発願願生彼国」
(しゅーじょう もんじゃー おうとう ほつがん がんしょう ひーこく)

「衆生にして 聞く者あらば、 まさに願を発して、かの国に生まれんと
 願うべし」

「応当」の部分がよく分からんのですが、上の意味からすると「べし」に
相当するんですよね。

漢和辞典で調べると・・
「応」= 「こたえる、まさに、すべし」(訓読み)となっていまして、
<語法>のところに、「まさに~すべし」とよみ、「きっと~であろう」と訳す。
再読文字。 って説明されているんです。
おお、初耳だ。

「当」= 「当に」で、「確かに。間違いなく。」という意味があります。

だから、「応当」で、「まさに、間違いなく~すべし」でいいんでしょうね。

解説にあるこの部分の意訳を踏まえて、ぶっちゃけ意訳をすれば:

君達衆生は、この「阿弥陀経」を読んで、極楽浄土や阿弥陀様や阿羅漢・菩薩の
ことを知ったんだから、極楽に行きたいなあという願いをきっと間違いなく持つと
思うよ。

と言うことになりそうです。
かなりの自信ですなあ。
まあ、宣伝部長なんだから、そうじゃないと困るけどね。

そして、その理由として:

「所以者何得与如是諸上善人倶会一処」
(しょーいー しゃーがー とくよー にょーぜー しょー じょうぜんにん
 くーえーいっしょ)

「所以(ゆえ)はいかに。 かのごときの もろもろの上善人とともに、
 一処に会うことを 得ればなり。」

「者何得与」の部分が どう読み下すのか分からない・・・
「いかに」と「得ればなり」でいいんでしょうか?

意味は、

何でかって言うと、あの世で いろんな立派な人たちと 同じ所で
会うことができるからだよ。

いろんな立派な人たち、って言うのは、阿弥陀様やハイランクの阿羅漢さんや
菩薩さんたちってことです。

つまり、「倶会一処」という言葉は、こういう意味だったんですね。
浄土教、特に浄土真宗で良く使われているらしい。

「倶」は「具」と同じで、「いっしょに行く。 連れ立つ。連れ添う。縁づく。」
という意味があります。

まあ、もちろん、そういうハイレベルの人たちの所に、
自分のご先祖とか、親とか、兄弟とか、家族とか、友達なんかも一緒に居て
くれるってことだと思いますけどね。

凡夫も、そういう聖者の皆さんたちと共に 同じところに居られるという
メリットがありますよ、と言うことのようです。

「あの世で会おうねえ~~、立派な人たちもいるみたいだし~~」
って感じじゃないかな?

・・・でもね、この後に、なかなか厳しいことが書かれているんですよ。

それは その10 で。

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2011年11月29日 (火)

「あなただけの阿弥陀経」を読む - その8

著者 阿部慈園  監修 中村元  小学館


さて、今回は、極楽浄土に住んでいる人たち、その相関図を紐解いていきましょう。
我々の大先輩ですからね。 そそうの無いように、しっかり覚えておきましょう。

その7で人民(にんみん)という言葉が出てきました。
人民は声聞(しょうもん)と菩薩でした。

「彼仏有無量無辺声聞弟子皆阿羅漢」
(ひーぶつ うー むーりょう むーへん しょうもん でーしー
 かい あーらーかん)

「かの仏に無量無辺の声聞の弟子あり」

意味は、
「阿弥陀仏には数限りない声聞のお弟子がいらっしゃって、みな偉い阿羅漢
 なんだよ。」
となっています。

菩薩さんたちについても、

「諸菩薩衆亦復如是」
(しょーぼーさつ しゅーやく にょーぜー)

「もろもろの菩薩衆も、またまた、かくのごとし。」
とあります。

ここでの菩薩衆というのは、4人だけです。
その2で、その名前をあげていました。 

この本の解説によれば、ここには小乗仏教に対する心遣いが読み取れると
しています。
「阿弥陀経」は大乗仏教のお経ですから、小乗仏教とはいわば敵対したわけですね。

その証拠に、玄奘訳の「法住記」にはお釈迦さんの直弟子は一人しか書いてない
のに、この「阿弥陀経」では十六羅漢の中の7人を登場させているからとしています。

大乗仏教を優先するなら、二十五人の菩薩をここで書いてもいいのに、ってこと。

お経の世界にもいろいろと歴史的確執、政治がらみというか、生臭い空気が漂って
いるんですねえ。

「衆生生者皆是阿び跋致 其中多有一生補処」
(しゅーじょう しょうじゃー かいぜー あーびーばっちー
 ごーちゅう たーうー いっしょう ふーしょー)

「衆生としてうまれし者、みな、これ阿び跋致にして、その中に多く、
 一生補処(の菩薩)あり」

それで、その「阿び跋致」ですけど、

「び」の漢字は 「革」+「卑」と書きますが、この漢字のフォントがないんです。

この意味は「不退転」ということだそうです。
元々は「あびばっち」という読みはサンスクリットの音で、日本語にすると不退転。

「一生補処」は、「ひとつの生涯だけその場所にとどまり、次の生涯には、
 人間の世界に生まれてきて仏となる」という意味だそうです。

要するに、阿弥陀様の極楽にいる人たちは、不退転の気持ちで悟りを求めていて、
その中には、あの世からこの世に戻って生まれる人もいる、ってことみたいです。

そしてさらに、その生まれ変わる人たちの数は、「其数甚多」、つまり
「その数甚だ多し」で、めっちゃ多いらしいのです。

なんで、ここで「不退転」なんて言葉が出てくるのかと思いきや、
解説にありました。

仏になることが決まっている菩薩さんでも、修行をなまけたら、降格になるらしい
んです。

降格になると菩薩から、悪趣、声聞、縁覚、凡夫などに転落するそうな。
悟りの程度に応じたランキングがあるようですよ。

悪趣(あくしゅ)  = 地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界
声聞(しょうもん) = 仏法を学んでいるレベル 
縁覚(えんがく)  = 仏道に縁しているレベル 自分としては悟ったと思っている。
菩薩 = 仏の使いとして行動できているレベル
仏  = 悟りを開いたレベル

厳しいですね「極楽」。

まあ現世で言えば、一応医師の国家試験には合格したんだけど、その後の
インターンでなまけてたら、医師にはなれない。それどころか、国家試験合格も
なかったことになっちゃう、みたいな・・・ね。

・・・なんだか、「極楽」って「地獄」みたいじゃないですか・・・
どこに行っても「甘くない」ってことかあ~~。 がっくり。
お経を読んでいて、ストレスが益々溜まりそうだな。

さて、いよいよです。 
「阿弥陀経」の核心部分に入っていきます。
極楽浄土に行くためには、どんなことをすればいいのか。
極楽に入るための選抜試験ってあんのかな?

では、その9 をご期待ください。

    

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2011年11月28日 (月)

「あなただけの阿弥陀経」を読む - その7

著者 阿部慈園  監修 中村元  小学館

阿弥陀さんは、な~~んで阿弥陀って呼ばれるのか?
それをここの部分でお釈迦様が説明するんです。

「彼仏光明無量照十方国無所障礙」
(ひーぶつ こうみょう むーりょう しょうじっぽうこく むーしょーしょうげー)
意味は
「かの仏の光明は無量にして、十方の国を照らすに障礙するところなし。」

「かの仏」は、もちろん阿弥陀様。
「光明」の意味は、漢和辞典によれば「仏の徳の光」「仏のからだから出る光」
とあります。

「無量」は、すでにご存知のとおりで、「数量では計り知れない」、つまり
めっちゃ凄いってことですね。

「十方」ねえ。
普通はせいぜい四方八方ですよね。十方ですから、それより全方位ってこと。
辞典によれば「東西南北」にその間の「南東・南西・北東・北西」、
そして後はどこだと思いますか?
「上方・下方」だそうですよ。 ちょっとフェイント掛かりましたね。
これで、「あらゆる方角」「宇宙」だそうです。

「障礙」、これは普通は「しょうがい」=「障害」と書いているんですね。

だから、もっと易しく訳せば:
「あみだ様のからだから出てくる徳の光は、はかり知れないもので、
 あらゆる方角の国々を照らすのに まったく障害になるものはないんです。」

と言ってもいいんじゃないっすかね。

だから、
「単に外界や対象を照らすのではなく、迷い苦しむわたしたちの心の中まで
 照らします。 そして、わたしたちの心や人格を豊かに育てるのです。」
と解説にあります。

以上のことを難しい言葉では、「無量光(空間的無限定性)」=「超空間性」
と書いてあります。

そして、二つ目ですが、
「彼仏寿命及其人民無量無辺阿僧祇劫」
(ひーぶつ じゅーみょう ぎゅう ごーにんみん むーりょう むーへん
 あーそうぎーこう)

意味は
「かの仏の寿命およびその人民の寿命も、無量無辺にして阿僧祇劫なり。」

寿命の話。
「無量」は「はかり知れない」
「無辺」は、辞典によれば「ひろびろとして限りがない。」です。

「阿僧祇劫」が難しいんですね。
「阿僧祇」=「アサムケーヤ」で、十の百四十乗、つまり「無数」
「劫」=「カルパ」で、「極めて長い時間」の意味だそうです。
まあ結局、永遠に近いと思えばいいんでしょうね。

「其人民」、その人民(にんみん)って誰?
解説によれば、「極楽の声聞や菩薩」だそうです。
声聞=阿羅漢とあります。

なので、易しく翻訳すると:

「あみだ様の寿命と極楽の住人である阿羅漢さんや菩薩さんの寿命は、
 はかり知れなく、限りがなく、ほとんど永遠なんだよ。」

ってことかな。

これを難しい言葉では、「無量寿(時間的無限定性)」=「超時間性」
と呼んでいるそうです。

阿弥陀仏そのものについては、これだけ、です。
え~~っ、たったこれだけ?
阿弥陀経なんだから、もっといろいろ阿弥陀様の人となり・・仏となりを
詳しく書いていても良さそうなもんじゃないの?

・・で、どうなっとんじゃ、と言う事で、インターネットで調べました。
「無量寿経」ってのがあるそうです。
そっちには、ちゃんと阿弥陀様の履歴書があるらしいです。
それによれば、「ある国王が世自在王仏のもとで出家し法蔵菩薩と名乗り」
その法蔵菩薩さんが阿弥陀仏に昇格したらしいです。
「阿弥陀経」は、この「無量寿経」を前提としているってことですな。

サンスクリット語の経典では、「極楽の荘厳」というタイトルで二つの
経典があるんだそうで、「小・極楽の荘厳」の方が「阿弥陀経」で、
「大・極楽の荘厳」の方が「無量寿経」なんですって。

だから~、早い話が、この「阿弥陀経」ってのは、入門者向けのダイジェスト版
みたいなもんだってことじゃないっすかね?
極端に言えば、「阿弥陀経」は「無量寿経」の宣伝チラシって感じかな?

さすがだね。 私みたいにいちゃもんつける奴がいることは、とうの昔にお見通し。
本当に知りたきゃ、「無量寿経」も読めってことですな。
やばい・・・深入りしそう・・

では、イチャモンはこれくらいにして、次回は、
この「極楽浄土」にどんな人たちがいて、どんなことをやっているのかを
読んでいきましょう。

我々が近いうちに行く新天地に、どんな人たちがいるのか、どんな人間?関係があるのかを事前に知っておくのも必要ですからね。
「阿弥陀経」ってのは、結局 「極楽浄土案内ガイドブック」ですもんね。

では、その8も よろしく。

   

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2011年11月27日 (日)

「あなただけの阿弥陀経」を読む - その6

著者 阿部慈園  監修 中村元  小学館

「四荘厳」の最後、化鳥・微風の荘厳です。
いわば「極楽」の自然環境ですね。

これも要点を書き出しますと:
ー いろいろな鳥たちがいる
  白鳥、孔雀、オウム、サギ、妙音鳥(藪鶯に似ている)、共命鳥(雉の一種)
  (この中の最後の二種は、想像上の鳥で化鳥といわれている。
   妙音鳥はお経の中では「迦陵頻伽(かりょうびんか)」と書かれている。)
ー これらの鳥たちは、和やかで雅な音(こえ)を出す。
ー その音は、4つの大切な徳目についての教えを述べている。

大切な徳目というのは:
ー さとりを得るための機根(5つの感覚器官)
ー さとりにいたらしめる5つの力(信仰や努力など)
ー 七つのさとりに役立つもの(真実を選ぶ、とらわれを捨てる、など)
ー 人間の正しい八つの生き方(八正道のこと)
 
鳥たちがこういう徳目をさえずっているって・・・どういう声なんだろう。
読経みたいな音なんですかね。
今の世でいえば、さしずめiPodみたいなものかな?  生iPod。

バックグラウンド・ミュージックが楽器での生演奏で、おまけに、鳥たちの
生iPodで読経みたいなのが流れているわけだ。
ちょっとうるさくないかな・・・

そして、極楽の住人は、これらの鳥たちが鳴くのを聴き終わってから、
仏と法と僧のことを心にじっと思います。

これは、化鳥が仏に代わって、修行徳目を説くということのようです。
やっぱり、仏さんの説教を録音したものを生iPodで聴くってことだな。

さてさて、ここで鳥について、仏教ではどう考えているのかってことが出てきます。
「畜生」って言葉がある通りで、普通は動物類はあまり良くないという考え方が
ありますよね。

ここでも、普通の鳥は罪を犯しているとしてご法度なんですね。
特に猛禽類は他を殺して食べてしまうから、畜生なんですね。
しかし、極楽浄土の鳥は例外なんですって。
ここにいる鳥たちは、輪廻転生し罪の報いとして生まれてきたものでは「ない」から
例外だとされているんです。

それは何故かというと、極楽浄土には、三悪趣(地獄・餓鬼・畜生)という
悪い所はないからなんです。 三悪趣(さんまくしゅ)という名前すらないから
なんです。名称がないんだから、実体なんか無いのだ、とお釈迦さんは
言っているんです。

言葉がなければ実体もない。
逆にいえば・・火のない所に煙は立たない??

極楽にいるこれらの霊鳥たちは、皆 仏の教えを宣べるために、阿弥陀さんの
力で仮につくり出されたものだと言うわけです。
上記の6霊鳥のうち「迦陵頻伽(かりょうびんか)」なんですけど、
これは空想上の鳥で、上半身が菩薩で下半身は鳥の形なんです。
海の人魚みたいなもんですかね?
空だから人鳥なんですな。  
この空想上の鳥は、平泉の中尊寺などに見られるそうですよ。
世界遺産。 見に行きましょう。

化鳥の後に残るは、微風(みふう)です。
極楽ではさわやかに風が吹き動いていると言うのです。

このそよ風が吹くと、先に述べた宝石で飾られた並木や、鈴をつけた網がゆれて、
美しい音が流れる、ってお釈迦さんが説明するんですね。

風鈴みたいなもんなんでしょうが、
その音は、多くの聖者たちが、天上の楽器を演奏しているみたいだそうです。

なんだか、ますます賑やかになってきましたね。
まあ、日本人なら、電車の駅の構内みたいに、いろんなアナウンスや音楽に
慣れているから、懐かしく現世を想いだせて、ちょうどいいかも。

さあ、ここで四荘厳の最後の言葉です。

これらの音を聞く者たちは、皆 何の疑いもなく、自然に仏・法・僧を念ずる
心がおこる。 そのような功徳が成し遂げられる
、自然にね。

ここで重要なのは、「自然(じねん)」=「何のはからいもなく」という
ところだそうです。
浄土教での他力の考え方なんですね。
阿弥陀さんにお任せするという信じる心です。

さて、みなさん。
極楽という所は、これまで書いてきたような四つの荘厳(みごとな光景)が
ある場所なんです。

アパート・マンション情報にこんな情報が載っていたら、あなたどうします?
情報だけで決めちゃうほど皆さんも甘くはないですよね。
まあ、一度下見にでも行きますか? お客さん
早い方がいいですよ。 いい部屋はすぐに埋まっちゃいますからね。

次回は、その7。
阿弥陀仏ってどんな仏様なのかを読みましょう。

 

 

 

 

 

        

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