« 2011年12月4日 - 2011年12月10日 | トップページ | 2011年12月18日 - 2011年12月24日 »

2011年12月17日 (土)

こんなん 観に行っちゃいました・・・・

こんなコンサートを観に行ったんです。

Photo

一応、説明もちょっとあったんですね。

Inspire.. A Concert to Warm Your Heart

STAGE brings you to another journey.. a concert that would inspire..
one that would strengthen faith, hope and love.. a concert to warm
your heart in this season of loving and sharing.

まあ、これを読んでみて、12月、クリスマス・シーズンでもあるし、 もしかしたらキリスト教関係の団体がコンサートをやるのかなあ~~、なんて思いながら、「まあ、行ってみるか。」

とどんなもんだか内容もあやふやなままバギオ博物館に行ったんです。

5img_9064

バギオ博物館にはたまにお世話になるもんですからね。 

「今度 いういうイベントをやりますから、観に来てくださいね~~。」って声がかかるんです。 過去に何度もその期待を裏切って、なかなか行けなかったもんだから、今度こそは年末だし、義理を果たしておかなくっちゃ、ってなもんです。 はい。

5img_9079

開演時間に20分ばかり遅れて入ったんです。 

ちょど、国歌の斉唱が始まるところでした。 へへへ、最近はフィリピン時間が板について来ましたねえ。

5img_9081

・・・で、しばらく歌を聴いていたんです。

「・・・・う~~ん。 失敗したかな。」と 正直思いました。

一応、普通の人より そりゃあ声はいいです。 まあ、上手いと思います。

でもねえ。 人に聞かせるようなレベルじゃないんじゃない? って感じたわけです。

まあ、どっちかっていうと、カラオケ・ボックスで ちょっと上手な人が歌っているって感じかな。

ソロになると ちょっと外れているようにも聞こえるし、リズムもちょっと・・・だし、コーラスもいまいちだし・・・

会場も・・・なんだか盛り上がらず・・・「来なきゃよかった・・」という声が会場になんとなく漂っているような雰囲気で・・・

5img_9084

バックに音楽が流れていて、映像なんかも映し出していて、まるで カラオケそのものって感じだったんです。

いっそのこと、カラオケ・ボックスみたいに、ツマミとか飲み物があれば、ちょっとおしゃべりしながら聞くならいいんですがねえ。

マジで姿勢をただして コンサートを聴くってなると 気まずいですよね。

気合をいれて聴いていますからね。

そして、このとおり、バンドも出てきました。 よかった。

・・・まあ、演奏もいまひとつ・・って感じでしたけどね。

入場無料ですからね。 文句は言えません。

5img_9090

そうしていると、だんだん、ミュージカル風の演出になってきたんです。

5img_9103

うん、こうなったら 若さと迫力で押すしかないよね・・・ いいんじゃない?

ほとんどの曲が、キリスト教っぽい歌でしたから、おそらくそういう団体のグループなんじゃないかな~~、って感じたんです。

こうなったら、徹底的に宗教音楽で行け!! なんてね。

5img_9102

お客さんも、開演時は三分の一くらいだったんで、ドキドキしたんです。

まあ、私が心配してもしょうがないんですがね。

でも、まあ、1時間くらい経ったころには、次第に増えて、三分の二くらいにはなりました。 なんとか、格好がついた形ですかね。

こういうコンサートもあるんだなあ~~、って思ったんです。

でも、やっぱりどういう団体だったんだろう、って気になるじゃないですか。

調べました。

Stage - The Theater Company
設立年月日 April 3, 2003
場所 7 Road 2 Manzanillo Subd. Easter Rd., 2600 Baguio City, Philippines
情報 profound, renowned, unbound(ed)

会社概要
STAGE is a theater company based in Baguio City, Philippines.
It produces musicals, straight plays, and various performance entertainment.
ミッション -under conceptualization-

1. to develop, train, and showcase the local talents of the city
   in the field of theater

2. to foster appreciation - among the residents of the city
   - of theatrical performances, as well as, sending profound and
   reflective messages through music, dancing, and acting

3. to utilize God given gifts of its members for His greater glory

FACEBOOKで見つけたんですけどね、一応法人登録しているみたいで、

バギオ在住の人たちの中から演劇のタレントを探し出そう、育てよう、メンバーの才能を将来に活かしていこう、みたいな団体ですね。

ミュージカル、演劇、いろいろなパフォーマンスなどをやるようです。

つまり、コミュニティーの文化事業として若者を育てていこうという趣旨みたいです。

批判するばっかじゃ駄目ですね。

検索してみたら、こんな新聞記事がありました。

http://www.baguiomidlandcourier.com.ph/turo.asp?mode=archives/2011/august/8-7-2011/turo_tour.txt

バギオ・ミッドランド新聞。

温かい目で見守ります。

 

 

 

   

   

   

    

 

 

 

    

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「般若心経」の本(5) 玄奘三蔵が悪者だったの?? 

宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」(角川ソフィア文庫)を読んでいます。

「般若波羅蜜多」を正しく解釈しちゃいない、分かっちゃいない、
ってことになっちゃいました。

じゃあ、な~~んで、こんなことになっちゃったの?

で、例によって、つまみ喰い:

ー 多くの解説者が漢字の「心」を現代流に勝手に解釈している原因の一つは、
  「心」という漢字に「真言」という意味があるとは思いもよらなかった
  からでしょう。
ー それは無理もないことです。
ー 羅什さんが、この経典を「摩訶般若波羅蜜大明呪経」と、誤解の生まれようも
  ない題名で訳出していた。
ー それなのに、その後、玄奘さんが般若波羅蜜多経」というタイトルに
  してしまった。

じゃあ、玄奘が悪者か!
お前が「心」なんて訳をつけたから 日本人は騙されちまったんじゃないか!!
って訳でもないんですね、これが。

ー 原語の「フリダヤ」を直訳すれば、「心」という漢字以外にありえない。
ー 「フリダヤ」=「マントラ」という意味は、一般のサンスクリットの辞書
  には載っていない。
ー しかし、インドの文献では、フリダヤ・マントラという言い方は
  珍しいいことではない。
  フリダヤがマントラの別称として用いられることはよくある。
ー 密教の漢訳文献では、
  「心咒(しんしゅ)」=「フリダヤ・マントラ」=「真言」とされる。

そして、次に 「般若波羅蜜多」の翻訳については:

ー 原語「プラジュニャー・パーラミター」は、
  サンスクリットの合成語を解釈する厳密な方法によれば、
  「智慧という完成」が正しい。
  あるいは、「智慧の彼岸に到っている状態」のことである。
ー したがって、般若(智慧)の完成をめざす修行ではなく、
  般若そのものに立脚した修行という意味になる。
ー 「般若波羅蜜多」は、原語の音を尊重した漢訳である。
  多義を含む固有名詞である。
  つまり、「掲諦、掲諦、波羅掲諦、波羅僧掲諦、菩提、娑婆賀」という
  マントラ(真言、祈りの言葉)の名称、あるいは、修行法の名称である。

したがって、著者が結論的に書いている「般若心経」の経題は、
「般若波羅蜜多のマントラを説いた経」だそうです。

じゃあ、その説いている修行って、どんなん???

ー インド仏教の伝統的な瞑想の仕方には、
  シャマタ(止)とヴィパシュヤナー(観)という二つがある。
ー シャマタ(止)は、心を静めること。
  背筋を伸ばして、肩の力を抜き、深い呼吸をこころがける。
  これ以外に何の特別な努力もしない。
ー ヴィパシュヤナー(観)は、シャマタを前提としている。
  原義は観察である。
  仏陀の示した法、仏法を観察する。 観法とも言う。
ー 観自在菩薩は この観法を会得していた。
ー そして、観自在菩薩が観法という瞑想によって何をどのように観たのか
  ということが、「般若心経」の大きなテーマである。

そして、さらに著者は この観法と マントラを誦する修行の関係を解説して
います。

ー 数珠は本来、マントラを数えるための道具である。
ー お釈迦様の時代には、まだ数珠を手にする習慣はなかったようだ。
ー アジャンター石窟群の最古に属する壁画の中に、数珠を手にした菩薩が
  描かれている。
ー 仏教がいつの時代からか、マントラ念誦法を取り入れたらしい。

ここで、ちょっとこぼれ話があるんです。
数珠は仏教が興る前から、マントラの回数を数える道具として、バラモン教
で使われていたんですって。
キリスト教のロザリオは、仏教の数珠に由来するものだった、そうですよ。

で、マントラ(=真言=祈りの言葉)の念誦というのは、
念ずる内容を観想しながらマントラを繰り返して誦することだとあります。

そして、その方法は、インドでは必ず「師からの伝授」、「しかるべき場所」、
「しかるべき手順」が要るそうです。

だから:
ー 「般若心経」においても、観自在菩薩が舎利子に伝授するというかたちで
  場面が構成されている。
ー 観自在菩薩は舎利子に 般若波羅蜜多の念誦法を伝授した。
ー どのように観法を行うとよいか、諸法をどのように観察すべきかと
  いうことも、伝授の内容に含まれる。
そして、さらに、
ここで、じゃあ、祈りの対象は、本尊はなんなのだ? という問いかけが
出てきます。

著者は、「般若心経」における本尊は、「般若波羅蜜多」そのものだ
と言っているんです。

どう言うこと???

その(6)でお会いしましょう。

    

    

   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「般若心経」の本(4)  「心」とは なんのことか?

宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」(角川ソフィア文庫)を読んでいます。

さて、一幕もののドラマの中で、観自在菩薩(観世音菩薩)は何を
語ったのか:

また、つまみ喰いです。

ー 観自在菩薩は 横で瞑想に入っているお釈迦様の代弁者である。
ー そのお釈迦様の瞑想力に感応して、観自在菩薩が ある修行を完成する。
ー その修行が 深遠な般若波羅蜜多の修行であった。

ー 観自在菩薩は文字通り「観ること自在」の「在家の求道者」。
ー その菩薩が、修行の結果 ある高みにおける見晴らしの良い展望を得た。

ー そこで、舎利子の「教えてください」に答えるわけです
ー 「五蘊(ごうん)皆空」の説明が始まる。
  「色不異空」から「無智、亦無得」までが具体的な内容である。
ー 何故そのような素晴らしい成果が得られるかというと、
  これが「般若波羅蜜多」と称するマントラを、念誦する修行である。

ー 大神咒(だいじんしゅ)、大明咒(だいみょうしゅ)、
  無上咒(むじょうしゅ)、無等等咒(むとうどうしゅ)であると
  知るべし、と賛辞が連ねられる。
  これは、般若波羅蜜多というマントラを褒め称えている言葉です。

ー この中の咒(しゅ)の原語は「マントラ」です。
  マントラとは祈りの言葉=真言です。
ー 玄奘訳の時代には、「マントラ」の訳語がまだ定まっていなかった。
ー 玄奘は「咒(しゅ)」と翻訳し、羅什は「明呪」と翻訳した。
ー 空海の時代には、マントラを「真言」と翻訳するのが定着していた。

つまり、マントラを唱える修行をすれば、ここに説明したような
内容が観えてきて、素晴らしい成果が得られますよと、観自在菩薩が
舎利子に語っているんですね。

で、そのマントラ(真言)とは何かと言うと:
「掲諦、掲諦、波羅掲諦、波羅僧掲諦、菩提、娑婆賀」
(ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー)

そして、その最後の言葉として、タイトルが現れるわけですね。
原典では、「プラジュニャー・パーラミター・フリダヤ」であって、
翻訳すれば、「般若波羅蜜多の心)」、提示し終わる
となっているそうです。

フリダヤ=マントラ=心=真言=祈りの言葉

だから、タイトルと言うよりも、これも観自在菩薩の台詞であって、
「これが般若波羅蜜多の真言である。」と本文の一部として理解できると
いうことに著者は結論をだしているんです。
よって、260文字の「般若心経」には、サンスクリット原典では、
序文も結びの文もタイトルさえももなかった、と言うことになりますね。

で、最終的に、この小本「般若心経」は、
お経の体裁を整える前の段階の、本文だけの、一幕もののドラマであって、
「マントラ」(真言)という「祈りの言葉」を説いたもの だということに
なりそうです。

よって、巷にあふれている「般若心経」を解説している本のタイトル、
あるいはサブ・タイトル、例えば、
「彼岸へ渡るための偉大な智慧の一番大切なお経」(瀬戸内寂聴著)
「空の智慧により人間の本心を開発する経」(松原泰道著)
「真実を現実に受けとめ活かす根本」(金岡秀友著)
「真実を見抜く智慧の実践行をすることについての心」(花山勝友著)
などなどは、
「般若波羅蜜多」を正しく解釈しちゃいない、分かっちゃいない、
ってことですね。

では、盛り上がったところで、その(5)にいきましょうか。

    

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「般若心経」の本(3)  ドラマの構成が問題なのだ

宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」(角川ソフィア文庫)を読んでいます。

玄奘さんは、とりあえずタイトル名を「般若波羅蜜多心経」としたんですが、
サンスクリット原典では、最後の締めのところに「般若波羅蜜多心」としか
書いてないそうです。 最後の「経」がないんです。

「経」=聖人の語録 という意味だそうです。

ここで、著者はタイトルそのものの意味を問題にしているんです。

「般若波羅蜜多」は、サンスクリットの「プラジュニャー・パーラミター」の
音をそのまま漢字で書き写したものだそうです。 だから意味はない。
カタカナと同じですね。

「プラジュニャー」=世間的な知恵を超越した仏の智慧
「パーラミター」=完成 あるいは 彼岸に到る
「心」=「フリダヤ」=心臓、人間の心、中心となるもの、精髄

だから、これをまとめると、
「智慧の完成の心(または精髄)」と結論できそうだ・・・・

しか~~~~し、これは間違いだ!

って著者は言っているんです。  げげげっ、ですな。

こういう意味にとってしまうと、本文の内容とま~~ったくちぐはぐに
なるじゃないか、って言うんです。

そこで、著者は、般若心経の全体の構成を見る必要があるというのです。

で、ここで、また つまみ喰いをしていきます:

ー 「般若心経」はだれが説いたのか。 - お釈迦様だ。
ー しかし、般若心経のどこにも お釈迦様は出てこない。なぜだ。
ー 出てくるのは、観自在菩薩(=観世音菩薩)と舎利子(しゃりし)の二人だけ。
ー 玄奘訳の「般若心経」は「小本」(略された経典)である。
ー 「大本」の「般若心経」には、お釈迦様も出てくる。
  「大本」には普通の経典の形式が揃っている。
  つまり、序文、本文、結びの文が揃っている。

ー 玄奘より後の時代の翻訳「般若心経」は、すべて「大本」」から。

ー 翻訳された歴史から判断すると、「小本」」は「略された」と言いながら、
  歴史的には「小本」の方が早かったと思われる。
ー 小本「般若心経」は、本文だけの、「一幕ものの劇」である。

これを、三幕仕立てのドラマだとすると:
第一幕: お釈迦様、観自在菩薩、舎利子、その他大勢の菩薩などがいる
     王舎城の山の上。
     お釈迦様は瞑想に入っている。
     それと同時に、観自在菩薩がある修行を完成する。
     舎利子が観自在菩薩に質問をする。
     「どのように学べばよいのか教えてください。」
     それに応えて、観自在菩薩が今から語りだす。
第二幕: ここが小本「般若心経」の内容
     観自在菩薩が舎利子に応えて語る内容。

第三幕: 瞑想をしていたお釈迦様が 観自在菩薩を褒め称える。
     観衆が喜ぶ。 結びの「賛嘆の文」

よって、この第二幕だけが 一般に読まれている260(あるいは262)文字の「般若心経」だということです。

さて、ここまで来ても、な~~んで、「まちがいだ~~」なんでしょうか?

それは、「心」という漢字をどう理解するかにかかっているようです。

それは、次回 (4)で・・・・

   

   

   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月16日 (金)

「般若心経」の本(2) 翻訳が問題だ 

 

宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」(角川ソフィア文庫)を読んでいます。

そもそも、なんで私がこの本を選んだのかってことなんですが、
般若心経についてどんな本がいいのかなあ~~、と思いながら
インターネットで検索していたら、こんな動画のサイトがあったんです。
http://video.weblio.jp/content/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E7%B5%8C

それで、これをちらっと見ていたら、この本が紹介されていたんですね。
まあ、こういう本の選び方がいいのかどうかは分かりませんが、
実に面白い本であることは確かです。

この著者がどういう方なのか。 まずはこちらで。
http://spysee.jp/%E5%AE%AE%E5%9D%82%E5%AE%A5%E6%B4%AA/1334566/

1950年長野県岡谷市生まれ。 73年高野山大学仏教学科卒。
名古屋大学大学院在学中、インド・ブネー大学に留学し、哲学博士の学位取得。
サンスクリットに精通する気鋭の仏教学者として仏教学に新局面を開く。

と本にあります。

この「サンスクリットに精通する」というところがポイントのようです。

サンスクリットはインドの古い言語だそうです。

「祈りの言葉をインドの古い言語、サンスクリットで「マントラ」といいます。
翻訳すると、真実の言葉、すなわち「真言」です。」

「インドのサンスクリットにも精通していた空海が、宗名として選んだのが、
サンスクリットで祈りの言葉を意味する「真言」なのでした。」

そして、この著者は、
「これからお話する「般若心経」は、実にこの「真言」を説いた経典なのです。」
と最初に宣言しています。

「「般若心経」のサンスクリット原典には、「マントラ」という語が用いられて
いるのです。 ただ、この語は「真言」ではなく「咒(しゅ)」と漢訳されています。」

この般若心経の生い立ちと、その中での翻訳の問題が 日本での「めった切り」の
根本のところにあるわけなんです。

生い立ちの部分を拾い読みしてみますと:

ー 三蔵法師玄奘(602-664)がインドからサンスクリット原典を
  持ち帰って漢訳した。 訳したのは649年。
ー 玄奘より前に、よう秦の鳩摩羅什(くまらじゅう)(350-409年頃)
  が別の題名「摩訶般若波羅蜜大明呪経」で訳出した。
ー それよりさらに二百年前に三国呉の訳経家の支謙が訳し、その題名だけが
  残っている。
ー よって、般若心経の原型はインドにおいて三世紀頃には成立か。

ー 一般には玄奘訳のものが使われてきた。

ー 日本にいつ伝わったかは確かではないが、660年に帰国した
  道昭(629-700年)が持ち帰った可能性が高い。

ー 日本における誤解は、
  玄奘の漢訳だけをたよりにして、本来のよるべきテキストから読解されて
  いないためだろうと思われます。

ー 一般に経典の正確な理解のためには、どうしてもサンスクリット原典に
  あたる必要があるのですが、数千巻に及ぶ厖大な漢訳経典に対して、
  原典が残っている経典はごくわずかです。

ー ところが、これは本当に驚くべきことですが、わが国の法隆寺に
  「般若心経」のサンスクリット写本が保存されていました。
  しかも、それは世界最古のものです。
  「般若心経」に関しては、なんと日本はサンスクリット原典の宝庫。

ー わが国で昔から読誦や写経に用いられたものは、玄奘訳そのままではなく、
  流布本と呼ばれるものである。
ー 流布本の般若心経の文字数は 262文字
  玄奘訳の般若心経の文字数は 260文字
  文字数以外にもいくつかの違いがある。
  経典の題名、タイトルも いろいろな言い方がある。

ここまで来て、びっくりなことがあります。
なんと、サンスクリット原典には このタイトル、お経の題名がないそうです。
「題名のないお経」なんですってよ。
インドの書物では珍しくないそうです。
その代わりに、一番最後に「以上で、xxxxxx 、 終わる。」と
記入されているとか。

この最後の部分を、玄奘さんは「般若波羅蜜多心経」と訳しているそうです。
とりあえずは、ここで これをタイトルと言うことにしておこうということです。

つまり、著者は、サンスクリット原典から中国の漢文に翻訳され、
それを元に日本人が日本語に翻訳したり解説したりしている中で、
様々な誤解や曲解が生まれて来たとしているんです。

極端に言えば、サンスクリットが分からん奴は 解説なんてとんでもない
って言ってるわけですなあ。

しかし、さらに、著者は、翻訳の問題だけにとどまらない
もっと般若心経の構成上の大きな誤解があるとしているんです。

それは 次回(3)で・・・・

   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「般若心経」の本(1)  すっげ~~! 坊さんがメッタ切り

宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」(角川ソフィア文庫)を読んでいます。

うちは浄土真宗なんですけどね。
「般若心経」は前々からいつかは読みたいと思っていたんです。
今まで、教行信証やら阿弥陀経の本を読んでお付き合いいただきましたが、
これからは「般若心経」の本をいくつか読んでいきたいと思います。
長い旅路?になりそうですが、よろしくお付き合いのほど・・・・

で、真っ先にこの宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」っていうのを行って
みましょう。

1img_9058

ただ、この本がですねえ・・・かなり凄いんです。
これを一冊目としたのが幸運なのか不運なのか・・・いずれ分かる時が
来るとは思うんですけど。

なんと言っても、この本の凄さは、著者である坊さんが同業者や学者や
著名人をメッタ切りにしているところなんです。
本筋とは関係ないんですが、その辺りからぼちぼち進めましょうか。

以下引用

p25
この経典のタイトルに関しては、「般若波羅蜜多心」とは何か、が問題です。
従来の解釈例をいくらか挙げてみますと、
「彼岸へ渡るための偉大な智慧の一番大切なお経」(「寂聴 般若心経」
瀬戸内寂聴著、中央公論社)、・・・・「真実を見抜く智慧の実践行を
することについての心」(「般若心経に学ぶ」花山勝友著、NHK出版)等などです。
どれもさまざまに工夫をこらした表現となっていますが、・・・
でも果たしてこれらは「般若波羅蜜多心」を正しく解釈したものと
なっているでしょうか。

p44
現代の「般若心経」の解説書の中では最も評価の高い中村元・紀野一義訳註
「般若心経金剛般若経」(岩波文庫)では、・・・
「心」の後に括弧で「真言」と言い換えているのは、まったく正しい理解
にもとづいています。
ところが、それにもかかわらず、・・・全然別の解釈を示しています。
まるで一貫性がありません。・・・多くの解説者に与えた影響は計り知れない
ものがあると言わざるをえません。

p47
多くの解説者の方々には失礼な言い方になるかもしれませんが、
タイトルの意味すら分からないようでは、この尊い経典を解説する資格が
ありません。

p76
「五蘊(ごうん)がある。 しかも、それらは自性空である」という
この一文は、普通に常識の立場で読めば、「Aはある、しかも、Aはない」
という一見まるで矛盾したことをいっているとしか思えないでしょう。
ここには、多くの解説書が説いているような、いかなる人生論も処世訓も
微塵もありません。

p111
こんな面倒な語源の説明をしたのも、多くの解説書では、最後の「識」だけが
通常の意味での「知ること」だと説明されているからです。

p130
「是諸法空相」の「空相」とは、「空という特徴」という意味です。
これを「空の相(すがた)」と読んで、「空の相は、不生にして不滅・・」
と訓読する人がいます。(例えば、金岡秀友校注「般若心経」講談社
学術文庫)が、それは誤りです。

p132
多くの解説書は、諸法が不生にして不滅、・・・ということをさも当たり前
のことであるかのように受けとめて、さまざまな処世訓を引き出しています。
処世訓じたいはどれも味わい深いものですが、「般若心経」とは
無関係な話ばかりしてもらっては困ります。 ・・・決して当たり前のこと
ではないのです。

p145
「不生不滅」の項をみると、・・・そのような意味で使われることは
たしかにあります。 でも、「般若心経」ではそういう意味では使われて
いません。
市販の「般若心経」解説書にも、例えば「初めも終わりもないということで、
永久とか永遠なものをさしている」(松原泰道著「般若心経入門」祥伝社)
といった解釈がよく見受けられますが、デタラメもいいところです。

p170
私の知る限り、この「智」と「得」について正しく解釈した本は一冊も
ありません。 古今のどの解説者も「智もなく、また得もなし」を
一つの文と解し、「智」と「得」を一対のものとしてみなしていますが、
・・・・「得」は「非得」と対なのです。

p177
岩波文庫本は、主語を「人は」と補い、「人は、心を覆われることなく
住している」と訳していますが、これははっきり申し上げて誤訳と
言わざるをえません。

p185
「般若心経」は「心の大切さ」」を説く経などでは全然なくて、
むしろその反対に、心というようなものはないのだ、ないということが
観察できるレベルのフロアがあるのだ、ということを説いている、
そんなそれこそ恐るべき経典なのです。

p192
結論を申し上げますと、「涅槃」という語には、現代の学者が考えて
いるような「煩悩の」「燃え盛る火の」「吹き消された」「消滅した」
といった意味はありません。
これは「覆いのない」状態、ただそのことをさす語です。

・・・以上 引用。

ことほど左様にですね、このお坊さんは 今まで書かれた「般若心経」に
関する解説本を バッタバッタと切り捨てているんですねえ。

まあ、快刀乱麻といいますか、読んでいて「よう、ここまでやるわ」と
あっけにとられて、気分爽快になる本なんですね。
切られた皆さんは・・・どうなんでしょうか。

では、次回(2)では、この著者の 自信の根拠を見ていきましょうか。
お楽しみに。

      

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月14日 (水)

Barangay Dalupirip, Itogon, Benguet  美しい村の小さな教会

the 5th day of Asian Pacific International Peace Memorial.

we visited barangay Dalupirip to see the village where a Japanese soldier lost his fingers in the battle  and also a church that was used as a hospital.

平和慰霊祭の5日目。 ベンゲット州イトゴン町のダルピリップ地区を訪問したんです。 このバランガイは、元日本兵が戦闘で指を失ったところであり、又、野戦病院となった教会があったと聞いています。

5img_9021

the entrance and bridge to barangay Dalupirip, a village of  ex-soldier's story.

これが その村への入口、つり橋です。

5img_9023

this is the point of Agno river where Mr. K,  japanese soldier during WWII, crossed with 60kg machine gun on his shoulder.

アグノ河のこの地点を 日本兵のK氏は 60キロの機関銃を担いで渡ったそうです。

5img_9025

i was informed that  from the top of this mountain, Mr. K used the heavy machine gun to shoot american soldiers in a camp down right in other side of this mountain.

several american soldiers were killed and others ran away. sometime after that, the american troop came back and had a very hard battle where he was injured and lost his fingers.

この山の上から、K氏は、山の向こう側、右下の方にあったアメリカ軍のキャンプを機関銃で撃ったそうです。

何人かのアメリカ人が倒れ、他はちりじりになって逃げていったとか。 しかし、その後、米軍が戻ってきて、激しい戦闘になり、K氏は負傷して指を無くしたのです。

5img_9029

there is a cute and lovely church in Dalupirip.  we were informed this church was built 67 years ago, during the war time (?).

ダルピリップの村落にある 可愛い教会。 この教会は67年前に建てられたと聞きました。

5img_9030

the people of the baranbay, in the war time, all adults were forced to get together in this church.  it meant this church became an internment camp.

and, it is said,  japanese army intended to fire the church together with the people.

however,  there is a story of miracle. Tokay Gecko saved their lives.

when japanese soliders were about to fire the church, there were voices of tokay gecko. (oh, i have never heard the voice yet, though.)  and, the voices changed the soldier's mind to stop it.   probably because  he thought the voice is the one of the god.

この村落の人々、大人は この教会に閉じ込められ、日本軍は教会ごと焼き払おうとしていたのだそうです。

そこで、奇跡の物語が残っています。 Gecko(トッケイ・ヤモリ)と呼ばれるヤモリが村人たちを救ったと言うのです。

日本軍が教会を今にも焼き払おうとした時、このゲッコーの声が聞こえたそうです。(私は残念ながら 未だその声を聞いたことはないんですけど。)  そして、日本兵たちは これは神様の声だと感じて、火を掛けるのを思いとどまったという話です。

5img_9035

old but very active ladies  telling the story of gecko.

とても元気なお婆ちゃんたちが ゲッコーの話をしてくれました。

5img_9037

incidentally, a wedding ceremony was about to start there on this day.

たまたま、この日は 結婚式の日。

5img_9034

we visitors offered prayers to the veterans' memorial stone beside the church built for the 66th infantry regiment, anti-japan guerrilla.

ビジターである私たちは、この教会の脇にあった 第66歩兵連隊、抗日ゲリラの慰霊碑にお参りをしました。

5img_9043

visitors interviewed these senior members of the baranbay to learn what happened in this village during the war.  they sang japanese songs they learned from japanese soliders.    the songs are  "spring has come",  "let us walk & sing together" , etc.

そして、この村落のお婆ちゃんたちにインタビュー。 戦争中にこの村でどんなことがあったのかを教えてもらいました。 お婆ちゃんたちは 日本兵に教えてもらったという日本の歌を歌ってくれました。 「春が来た」、「お手つないで」など。

5img_9045

i found this village very beautiful and well maintained with its culture and richness. and also, people and he children are helping each other as one family.

私はこの村に入った時から、この村はきれいだなあと思いました。 粗末には見えても、文化や豊かさがきちんと保たれているという感じです。 そして、村中がひとつの家族のように子供から大人まで 助け合っているという風情でした。

5img_9047

i was so impressed by this peaceful and beautiful village of Dalupirip.

thank you very much for giving the chance to visit there.

こんな村が ひっそりと平和に美しく あったのだなあ、というのが感激でした。

行ってみて良かった。 主催者に感謝。

 

 

 

 

   

   

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年12月13日 (火)

mambunong イバロイ族のマンブーノの儀式 adivay

the 4th day of asia pacific international peace memorial.

we went to the municipal hall of itogon, benguet, about 1 hour ride from baguio city.

in front of the municipal hall, i had a chance to observe a ritual conducted by shaman or spilit medium called mambunong of ibaloi tribe.

アジア太平洋国際平和慰霊祭の4日目。

バギオから1時間くらいのところにあるベンゲット州イトゴン町の町役場。

その玄関先で、イバロイ族のマンブーノ(mambunong) と呼ばれている霊媒師? シャーマン?が執り行う儀式をつぶさに見てきました。

豚ちゃんたちが生贄にされる写真がありますので、あらかじめご承知下さい。

これはあくまでも太平洋戦争中に亡くなった戦没者を供養する神聖な儀式です。

please allow me to show some photos where lovely pigs are sacrificed.  this is a part of  sacred ritual offered for the victims of the pacific war.

6img_8930

真ん中の方がマンブーノ(霊媒師・シャーマン?)。

手前に並んでいるのは、いずれも捧げものです。 マンブーノさんが一所懸命 数をチェックしていました。 戦没者の名前を読み上げると聞いていましたので、おそらくその数だけを揃えたのではないかと思います。

mambunong is sitting in the center. (spirit medium or shaman?)

in front of mambunong, everything is the altarage tributed to the victims.  Mr. mambunong was checking the quantity of the altarage carefully.  as i heard that he is calling the names of the victims of war,  probably, the quantity is the number of the victims.

6img_8941

地元の米のどぶろく(タプイ)他、いろいろ飲み物が並んでいます。

マンブーノさんは そのタプイを飲みながら ぶつぶつと何かを唱えています。

also in front of mambunong, there are various drinks such as local rice wine(tapoy?), etc. Mr. mambunong is drinking it and is chanting something quietly.

5img_8924

この儀式に供される豚は黒豚と決まっているそうです。

黒豚は、普通に食用とされる白豚と違い、野菜や草など(人工飼料なし)をで育てられているそうです。

ちなみに、黒豚の方が白豚の2倍くらいの値段で取引されるようです。

the pigs offered to this kind of ritual should be black pigs, i heard. black pigs are, different from white pigs,  fed only vegitable and grass(without artificial diet). and so, the price of black pig may be  almost double of white one.

5img_8940

この日の儀式には 2匹の豚ちゃんが捧げられることになりました。

ちなみに、お値段は 2匹で24,000ペソ(5万円くらい)だったそうです。

on this day ,  two pigs were offered.  by the way, the price was 24,000pesos(about 50,000 japanese yen) for the two,  i heared.

5img_8943

豚ちゃんは、足を取られた時から何が起こるかを察したようで、断末魔の声を上げ、暴れまくります。

心臓に近い脇の下?のあたりに、鋭いナイフで5センチほどの切れ目をスッと入れ、そこから棒を心臓めがけて何度も差し込みます。

when the pigs were held at their feet tightly by the guys, it seems that they scented something is happening on them, and they shouted death cry and struggled very hard.

the guys made a small slit about 5cm by a sharp knife around underarm close to heart, and impaled with wooden stick to the heart repeatedly.

5img_8947

そして、丸焼きにされます。

and, roasted whole.

5img_8949

外側がこんがりと丸焼きになったところで、衣類やお酒類などの供物と共に並べられました。

前列に二人座っている方々。 左がマンブーノ(霊媒師)で、右はイトゴンの町長です。

after roasted beautifully, it is laid side by side together with other offerings such as clothes and drinks.

two persons in front.  Mr. mambunong is sitting left and Mayor of itogon in the right.

5img_8950

ここから解体が始まります。 (見たくない方は、パスして下さい)

now, buchering starts.  (please skip some photos, if you dont like to see.)

5img_8952

綺麗な透き通るような内臓が表に出されます。

clean and clear internal organs are pulled out.

6img_8954

そして、ここでマンブーノ(霊媒師)が 肝臓(だと思う)を手に取り、それを広げて血管だか筋だか、その広がり具合や色などで 吉凶を占っている様子です。

村祭りなどの大規模な祭の時は、占いの結果が良くなるまで、何匹も豚を供することになるそうです。

スポンサーにとっては、何匹の豚が必要になるのか はらはらする瞬間だそうです。

then, mambunong(spilit medium) took the liver(probably), and extended it to check  the routing or color, etc. of the blood vessels or nerves(maybe), and seeing the fortune.

6img_8955

ここで 町長さんがマンブーノと協議?

結局、お客の数なども考慮して、2匹で手を打ったみたいです。

and then,  the mayor is discussing with mambunong.  and at last, it seems that they decided to offer two pigs considering the number of guests.

5img_8964

決定された後は、この通り。

after the decision, the pigs are processed like this.

5img_8966

大なべが待っていました。

then, a large pan was waiting for them.

7img_8972

そして、儀式の踊りが始まります。

これは、戦争中に抗日ゲリラとして第66歩兵連隊に参加した元軍人(ベテラン)の方とその奥様でしょうか。

now, the dance of ritual started.

these persons are the veteran of the 66th infantry or anti-japan guerrilla, and his wife maybe.

7img_8979

町長さんも 自ら踊ります。 そして、客人も加わって踊りが続きます。

ところで、この踊りの間に、「アディ~~バイ(adivay or adibay?)。 ほお~。 ほお~。」という掛け声が入りました。 アディバイというのは「楽しい集まり」とか「一緒に楽しもう」というような意味なんだそうです。

also,  the mayor himself joined the dance. and, the dance continued by other guests, etc.

during the dance, everyone called out " ADIVAY !!   HOO.  HOO. "   i learned that adivay means "cheerful gathering"  or "let's enjoy together", etc.

7img_8992

さて、豚ちゃんは、このように捧げものとなりました。

本当に、心から「戴きます」と言いたくなる経験です。

now.  the cute pigs are ready to be offered like this at last.

this is a very precious experience where  i wanted to say "ITADAKI MASU" from my heart.   ( japanese word "itadaki masu" probably can be translated to "thanks for the blessing")

7img_8995

戦没者の御霊安かれと祈りながら・・・・おいしい。

as praying for the spilits of the war victims in peace .....   Oishii (yum-yum)

(浄土真宗としては、ちょっと違うんですけどね。 まあ、堅いことは・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

ibaloi igorot adibay festival itogon benguet philippines filipino mambunong baguio asia pacific international peace memorial forum itogon municipal hall  lubong baguio  seeds  research mate  japanese  chinese  korean  taiwan okinawan

| | コメント (4) | トラックバック (0)

Itogon Hot Spring Resort  イトゴンの温泉 日本人も満足?

アジア太平洋国際平和慰霊祭のイベントの一環で、バギオからジプニーでおよそ1時間ほどのイトゴンという町へ下りて行きました。

4img_8917

バギオから行く場合は、バギオ・センターモールの裏にあるジプニー乗り場からイトゴン行きが出ているそうです。 イトゴン町役場が終点。 その役場の近くに河がありまして、その川沿いにいくつかの温泉リゾートが並んでいます。

7img_8880

ここが そのリゾートのひとつ、レインボー・リゾート。

7img_8881

これが その全景です。  大小4~5の温泉プールがあります。

7img_8890

イベントの主催者とビジターを イトゴンの町長さんが歓迎するということで、夕食会が開かれまして、台湾の大学からやってきた沖縄出身の二人の大学生が 沖縄の踊りを披露。

・・・で、温泉なんですけどね、

7img_8897

ぐずぐずしていたら、暗くなってしまって、こんな写真しか撮れませんでした。

7img_8900

過去に、バギオ周辺の温泉ふたつ、アシン温泉と ケノンロード沿いにあるクロンダイク温泉に行ったことがあるんですが、クロンダイク温泉は過去の台風の土砂崩れで流されてしまいました。

このイトゴンの温泉プールは、施設はアシン温泉には及びませんが、日本人が温泉にゆっくり浸かって楽しむのには 温度がばっちり日本人好みなんです。

ただし、過去にもここに来たことがある日本人の方によれば、シーズン中はフィリピン人が多くて、熱い風呂が苦手な人たちが水を入れてしまうので温度が低いそうな。

この日は、暗くなっていたこともあるし、他には誰もいなかったので、手探り状態で風呂に、いやプールに、入ったんですが、最高でした。

ちなみに、このリゾートの売店には 水着も売ってました。 男用のパンツは100ペソ前後でありました。

・・・で、この日の宿舎なんですけどね、町役場のあるイトゴン町のポブラシオン地区には、まともな宿はないらしいんです。

町の観光局の女性に聞いてみたんですが、まったく無いわけではないようで、ピーク・シーズンには予約を取っておかないと、バギオに戻るはめになるそうです。

それで、我々はどこに泊まったかといいますと、イトゴン町のTUDING地区、これが なんとバギオ方面に30~40分戻った場所なんです。

3img_8910

トゥディング地区にこんなハイスクールがありまして、その裏に・・・・

3img_8904

Itogon Training Center の宿舎があるんです。

イトゴン町のトレーニング・センターですね。

3img_8908

こういう二段ベッドが1部屋に3~4台ありまして。 割と清潔で快適でしたよ。

ベッドの幅は、寝返り厳禁幅です。

トイレとシャワーもちゃんとありますしね。

でも、トイレはバケツで水を流す。 シャワーは電熱器は立派なのが付いているんですがお湯は出ず、というフィリピンらしい状態でしたけど・・・(笑)

しかし、しかし、このイトゴンの温泉は、雨季、特に台風の季節は行かないようにした方がいいですよ。 と言うのは、バギオ・イトゴン間の道路事情がめちゃくちゃ悪く、長雨になると土砂崩れが頻発するんです。

我々が通った時も、過去の台風で被害を受けた場所で、いまだに工事をやっていました。

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

Baguio city,  Itogon Benguet, Hot spring resort in Itogon, Rainbow resort, itogon training center in Tuding,  asia pacific international peace memorial and forum, lubong baguio, seeds, research mate,  itogon municipal hall

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年12月12日 (月)

Japanese Trail in Camp John Hay バギオ キャンプ・ジョンヘイ

the 2nd Asia Pacific International Pease Memorial

「第二回アジア太平洋国際平和慰霊祭」が 12月8日にバギオのキャンプ・ジョンヘイの中にある Bell Amphitheater (ベル円形野外劇場)で開かれたんです。

3img_8799_2

バギオ市長のドモガン氏(黄色いシャツ)、キドラット タヒミック監督(左)、そして間に座っている方が キドラットさんの母上 デ・ギア夫人(戦後初代のバギオ市長)などが来賓でした。

この会場は、ベル円形劇場なんですが、Bellというのは人名なんです。

3img_8826_2

これが円形劇場なんですが、向こう側の建物が Bell House という家なんです。

アメリカ時代の高官の邸宅だったようです。

戦争中は、日本軍の司令部も一時置かれたという話もあります。

・・・で、Japanese Trail (日本人の小道)なんですが、

この平和慰霊祭のイベントの一環として この日本人の歴史がらみの道を歩こうという趣旨だったみたいです。

この写真の手前に公衆トイレがありまして、そこ辺りが出発点になっています。

5img_8843_2

向こうに緑色の橋みたいなのがありますね。

橋の手前を右にはずれて下におりて行きます

5img_8845

こんな道をずんずん下っていきますと・・・

5img_8847_2

こんな三つ又のところに出ます。

普通はここにある矢印のように左に行くんでしょうが、Japanese Trailは 

この地点を右に折れて入っていきます。

5img_8851_2

しばらく進むと、このようなちょっと広くなった所で景色も開けたところがあったり。

5img_8853_2

「ここは アメリカ合衆国です。」

って看板が掲げてあったり。

パスポートは、ビザは、ありますか?

これは、キャンプ・ジョンヘイがアメリカの所有地だった時代の名残りだそうです。

5img_8854_2

道は一本道ですから、必ずこの木道に出ます。

5img_8858_2

さらに ずんずん進むと、小屋が見えてきます。

5img_8860_2

なんと、アメリカ合衆国だ。

アメリカ大使のバギオにおける公邸なんですね。 その入口ゲート。

4img_8841_2

これがアメリカ大使公邸の写真。

「キャンプ・ジョンヘイの歴史」という本に掲載されている古い写真です。

・・・・・で、

Japanese Trail は ここで終点です。

ここまでで、ゆっくり歩いて およそ1時間くらいです。

なんで 「日本人の小道なんだ?」

ごもっともです。

この Japanese Trailという名前は一般的には知られていませんし、看板などもありません。

この名称は、近隣の地元の人たちの間で、戦争中くらいから そのように呼ばれていたということなんです。

日本兵などが、ジョンヘイにこっそり出入りする為に利用していた秘密のルートだったということらしいです。

4img_8837_2

ジョンヘイは、元々はアメリカ軍の施設として造られたんですね。

それで、戦争初期には日本人収容所、日本軍がバギオに侵攻してからは 外国人の収容所として、上の絵のようなバラックがあったようです。

絵の真ん中に、日本の国旗、その右に小さな小屋があります。 そのさらに右側に

小さなクレーターみたいなのがあるんですが、これは爆撃によるクレーターだと書いてあります。

1941年12月8日の真珠湾攻撃の同じ日に、バギオのこのジョンヘイに フィリピンでは初めての爆撃があって、日本とフィリピンの間の戦争が始まったそうです。

そして、1945年9月3日に、上記の現アメリカ大使公邸で、日本軍の山下奉文(ともゆき)陸軍大将が 降伏文書に署名しているんですね。

日比間の戦争は、バギオで始まり、バギオで終わったという歴史をもっているんです。

・・・・

さて、ここで「日本人の小道」は終わって、あとはどうすんだ?

ご心配なく、このアメリカ大使公邸への入口ゲートの道の向こう側から

ECO TRAIL ってのが続いています

5img_8863_2

ずんずん歩いて行きますと、マウンテン・バイクの人やら、

5img_8869b_2

颯爽と、馬を走らせている美少女たちに会ったりするんですねえ、これが。

5img_8872_2

乗馬は 一時間370ペソみたいですよ。

5img_8873_2

そして、ここで ECO TRAIL は一旦終わります。

ここまでで、ベル円形劇場から のんびり歩いて おおよそ2時間かかります。

この写真の左側には FILLING STATION とか言う 小洒落たお店が並んでいます。

この写真の右側方向に ジョンヘイの現在の入口があります。 ロアカン・ロードに出るということです。

さて、ゆっくり2時間程度のハイキングでは物足りないとおっしゃる方。

上記に書いた FILLING STATION というお店があるところの、道をまたいだ向こう側から ECO TRAIL の続きがあります

この ECO TRAIL は、今のジョンヘイの入口から、昔の正門(メイン・ゲート)までを繋いでいるハイキング・コースです。

こちらにそのルートの案内があります。

http://janl.exblog.jp/11497956/

ただし、このサイトでは、 昔の正門から 今の入口へと 逆に歩いていますので、ご注意下さい。

昔の正門は、ロアカン・ロード、 サウス・ドライブ、ミリタリーカットオフ、アッパーセッションロードが ロータリーで交差している地点にあります。

これを全部含めると、ゆっくり歩いて およそ3時間のハイキングが出来ます。

 

<追加情報>

尚、上記のアメリカ大使館のゲートから、別のコースをとって、ロアカン道路に出たい場合は、こちらのページで Texas Instruments/Moog 方面に向うコースを案内しています。

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/01/camp-john-hay--.html

バギオで 避暑を楽しまれる皆様。

お試し下さいませ。

「バギオ市観光局の手先」 がご案内致しました。

 

 

 

 

   

   

   

   

   

philippine ,  baguio city,  camp john hay,  eco trail,  japanese trail,  bell house,

bell amphitheater,  U.S. embassy in baguio,  world war II,  bombing to baguio,

japanese soldier,  prisoner of war in baguio,  tourism of baguio city,

lubong baguio,  seeds, research mate, la trinidad, loakan road, south drive,

military cut off,  upper session road, rotary

| | コメント (0) | トラックバック (0)

やっぱり、歴史教育って大事だよね・・・・平和慰霊祭・勉強会

12月8日は、皆さんご存知、太平洋戦争が始まった日。 真珠湾攻撃の日ですね。

で、私はフィリピン・バギオに1998年に駐在員として赴任してから、初めてバギオ周辺の山の中で いわゆる「ルソン戦」が、悲惨な戦争があったことを知ったんです。

「第二回アジア太平洋国際平和慰霊祭」というのが開催されるというので、12月6日から10日までの一連のイベントに毎日参加してみました。

まずは、6日と7日の日本人のための事前勉強会です。

5img_8782

DVDでフィリピンでの戦争についての映像をいろいろ見せていただきました。

この時期は、NHKでもいろいろ関連番組をやっていますから、特に元日本兵の方々の証言が生々しくて心に響きます。

5img_8788

これは、終戦時の日本人捕虜収容所のひとつモンテンルパの施設で、処刑場の写真だそうです。

戦争は誰が、誰の利益の為に、どのように仕組んで国民を誘導していったのか。

戦犯と呼ばれる人たちがいますが、東京裁判はともかく、日本国民が自分達で裁判をやったら、誰が戦犯になるんでしょうか。

7img_8749

ところで、この勉強会に台湾の大学で教えていらっしゃる古川ちかし教授がいらっしゃいまして、台湾の歴史、特に日本との関わりについてレクチャーをして下さいました。

台湾にも、北ルソンの山岳地帯と同じように、上記のような分布で様々な山岳民族がいるそうなんです。 高砂族と言われている人たちは、実はこのような多くの民族をまとめた呼称だそうです。 ベージュ色のところは、中国本土から移住してきた人たちの地域です。

7img_8753

1895年に日本軍が台湾を占領したんですね。 これが、1945年の終戦まで続いた。

7img_8760

そして、その時代、このような日本式の教育が山岳民族などに対しても実施されていたそうです。 だから、日本語を話せる年配者が多い。

7img_8763

もちろん、抗日の戦いもいろいろとあったんです。

この写真は、ある山岳民族のグループ、親日のグループが、抗日グループと闘った時の写真だそうです。

ショッキングな写真。

足元にあるのが何だか分かりますか?

はい、「首をとった」写真です。

北ルソンの山岳民族の中にも「首狩り族」と呼ばれた民族があるんですが、

台湾の民族の中にもおなじ風習があったようです。

7img_8770

そして、戦争中は、日本軍の一員としての志願兵、徴兵があったとか。

台湾の中の政治状況は、

元々のいわゆる原住民(この名称は台湾では山岳民族が勝ち取った呼称だそうです。)、

16世紀ごろから日本占領前までに移住した中国人、そして、戦後に中国を脱出して

再起を図ろうとした中国人の、三者が入り乱れて複雑な政治感情があるのだそうです。

日本による占領時代に日本人の警察官などによって教育された前者のふたつは

どちらかと言えば日本びいきで、戦後台湾に入った中国人は「日本と闘った」と

いうことで反日的な考えが多いそうです。

元々の台湾の民族、原住民、から見れば、自分達の国土に、勝手に中国本土から

中国人が移住してきた。 勝手に日本軍が占領した、勝手に戦後に新しい中国人

たちが「すぐに中国本土に帰る」と言いながら入ってきた。

外国人に勝手放題にされている、と言うことになりそうです。

こんな話は、今の今まで、まったく知りませんでした。

・・・・・

今回の勉強会には、沖縄の二人の若者が参加していました。 今は台湾の大学で勉強中のお二人です。

沖縄も、琉球王朝の時代、薩摩・日本に支配された時代、アメリカ時代、そして日本に「復帰」という歴史を歩んできたんですね。

フィリピンという国も、スペイン植民地時代、アメリカ時代、日本占領時代、そして独立という歴史があるんですね。

自分達の国を自分たちで支配する。 独立の国を守る。

これが大事なのか。

大事だったら闘わなくてはいけないのか。

戦争をしなければならないのか。

支配者が外から来ても、良い政治をやってくれるのならいいのか。

自分達の国の人間であっても、悪い政治指導者だったらどうなのか。

誰が、誰のために、国というものを守るのか。

そして、その為に死ぬのか、殺すのか。

人間って、本当に馬鹿な動物ですな。

「馬鹿は死ななきゃ治らない」ってか?

   

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

右手が あんぱんマン になっちゃった・・・

見苦しいものを お見せしますが・・・・

Img_8926  

ふっくらとして・・・・若い手 ??

Img_8927

ちょっと角度を変えると・・・・

いやいや、もう パンパンに膨れてしまって・・・

Img_8928

これが 本来の私の手 なんですがね。

いや~~、もう、痒いのなんのって・・・・

12月8日に バギオのジョン・ヘイの中にある「JAPANESE TRAIL」(日本人の小道?)って呼ばれている山道を歩いたんです。

でも、もしかしたら、12月8日の午後に行った イトゴン町の温泉プール・リゾートだったかもしれないんですね。

どこでやられたのかは分からない。

この腫れ上がった手を見せて、「これは何に刺されたと思う?」と フィリピン人の人たちに聞いてみたんですけど・・・

「それは 蚊だ。」

「いいや、それはゴキブリだ。」

「違うよ、きっと蟻んこだよ。」

「ブヨじゃないかな。」

と諸説フンプン。

おまけに、

「手が若くなってる。」

「色艶がいいじゃないですか。」

なんてことを、他人事だと思って・・・・

今日は、11日なんです。

かなり赤い色も普通になり、腫れも結構ひいて来たし、痒みも緩和されては来たんです。

たまたま、イトゴンで開催された「アジア太平洋国際平和フォーラム」に参加していて、イトゴンの町役場が会場だったもんで、その保健室で診てもらったんです。

で、無料で 抗ヒスタミン剤をもらって飲んでいるんですけど・・・

腫れた箇所で 噴火が始まっちゃって、体液ってんですか、流れ出してきてるんです。

それに、多分 毒素が腕にも廻っているんでしょうね、肘の所まで噴火の気配が・・・

インターネットで「虫さされ」を調べたんです。

「アトピーの体質の人は 腫れがひどくなることがある。」

なんてことが書いてあるんですねえ。

私は高校生の頃まで、アトピーで悩まされた過去があるんですな。

だから、いつも暑いのに、長袖シャツを着たりしてね。

辛かったなあ~~。

まあ、それはいいんですけどね、

この噴火、いつまで続くんだか・・・

「あ~~あ」

 

 

 

 

  

   

 

 

 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

« 2011年12月4日 - 2011年12月10日 | トップページ | 2011年12月18日 - 2011年12月24日 »