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2011年2月 6日 (日)

「ひきこもり」 に フィリピンは 効くか?

昔は、「今日は家にひきこもって、本でも読んでるよ。」などと
気軽に言えたものですが、最近は この「ひきこもり」という言葉
自体を使うことが憚られる時代になってしまいました。

言葉狩りなどという現象もありますが、その内「ひきこもり」という
言葉は差別用語と見なされる日が来るのでしょうか。

NHKのクローズアップ現代を見ました。
日本にはひきこもりの人たちが70万人もいるのだそうです。
http://topicsnow.blog72.fc2.com/blog-entry-1228.html

以前から「ひきこもり」ってどんな理由で起こるのだろうと思っていました。
それで、このサイトを読んでみたんです。
http://www.nhk.or.jp/fnet/hikikomori/experiences/index.html
ひきこもりの当事者あるいは家族が書いた体験記です。

このサイトの体験談の中からちょっと気になる文章を下に書き出して
みました。 そして、フィリピンに住む一人の日本人として、
日頃から抱いている<随感>を書いてみたいと思います。
もちろん、私は専門家でもなんでもありません。 精神的な病気を
お持ちの方と会ってお話したことはありますが、ひきこもりの方と
直接接したことはありませんので、的外れな点はお許し下さい。

ー - - - - 
「私のような者は社会に出ては皆に迷惑をかけるだけだ・・」と
思い悩んで、ひきこもらないこと!!あなたがどうであろうが、
社会に出て行けばいいのです。迷惑もかければいいのです
<随感> 日本人は、私も含めて、よく「他人様に迷惑を掛けないように。」
     と言いますし、そう気をつけています。
     しかし、日本人は確かに考えすぎです。
     自分が思っているほど、回りの人間はあなたのことを
     考えているわけではないのです。
     そう考えているのは親ぐらいだと思います。
     迷惑を掛けてこその人間関係なのじゃないかと思います。
     フィリピンは大家族です。遠縁の家族までがひとかたまり。
     お互いに迷惑を掛け合っている大家族です。
     その日金のある者が、飯を食わせてくれるのです。

元来、学校とは人間を一定の枠に当てはめ、個性を失った従順な、
ところてん式に同質の子どもを作り出す装置に過ぎないと直感的に
気づいていた私は、そんな学校を拒否し、再び不登校となり、ひきこもった。
<随感> 私の学校生活は、まさに枠にはまった学生でした。
     いわゆる優等生でした。 おそらく面白みもなかったと
     思います。 私はいわゆる「不良」と呼ばれる同級生たちが
     羨ましかった。校則を破り、たばこを吸い、その当時
     エレキギターのバンドなんかをやっている同級生たち。
     だから、今 不良しています。
     フィリピンの人たちは枠にはめたりしません。
     悪く言えば、躾けがなっていません。
     躾けは 特定の文化に根ざす高尚な活動だからです。
     フィリピンの人たちは食べることに必死ですから、
     そんなことにかまけている時間はないのです。(笑)

点訳ボランティアサークルのメンバーは、少々変った人たちだったが、
無理をして自分を周囲に合わせることが必要とされなかった、つまり、
その中では私は私のままでいることを許されていたことに大いに救われ、
私は自分を充分にリハビリすることができた。
<随感> 海外ならどこでもいいのですが、フィリピンはいいですよ。
     英語は公用語ですから、そこそこのコミュニケーションは
     できます。
     当然文化は違いますから、価値観も違いますから、
     日本人と比べれば まったく変な人たちの集まりってことに
     なります。言葉もよく分からないですから、周囲に自分を合わ
     せる必要もありません。 あなたの悪口を言っていても
     あなたには分かりません。知らぬが仏です。
     フィリピン人の国民性はおおらかです。
     リハビリには最適です。

何とかして、病気を治そうと焦っている間は、その事だけに、捉われて
しまうため、自分のエネルギーが、マイナスの方向にしか作用しなかった
のですが、病気を治そうとする気持ちを別の方向に向ける事によって、
初めて、プラスのエネルギーとして作用する様になっていったのです。
<随感> 日本の常識では考えられないようなことが ごまんとあります。
     日本の常識に囚われている人だったら、それをぶち壊す
     環境としてフィリピンはお薦めです。
     予定する、計画するなんて、無いに等しいのがフィリピンです。
     時間に追われるように生活する日本人にとっては
     1年間は逆にイライラします。 それほど時間の流れ方が
     違います。

やはり、人との出会いによって、勇気付けられた側面が、大きかったと
思います。特に、世間体に捉われず、我が道を突き進む、
<随感> 少なくとも 日本でいう「世間体」はあなたに関しては
     あり得ません。 あなたはフィリピンでは異邦人ですから。
     どんな道を進むかは あなたが決めるしかないのです。
     だれもあなたの道を決めてはくれません。

ゆっくりと考える時間が必要だという事です。考える事によって、自分が
何者であるのか、そして、今、何をするべきなのかが、見えてくると思い
ます。
<随感> 視点を、価値観を大きく変えて考えるには海外が一番です。
     フィリピンには、「ええ~~、そんなのあり~~?」
     がたくさんあります。
     貧困に苦しむフィリピン人が それでも日本人より幸せそうな
     生活をしているのを見たら、何が大切かはすぐに納得
     出来るんじゃないかと思います。

「失敗」した活動のなかから、大きな収穫もありました。それは、自分が
これまで経験してこなかったことに対する心の動きであり、それがやがて
私自身の価値観の発見につながり、そして自分と親の価値観の相違の
気付きに発展していきました。
<随感> 日本人の価値観は 外から見ていると、実に狭いという
     気がします。 まったく逆の発想をみつけたいのなら
     フィリピンはいいと思います。

どれも単純な作業なのですが、単純だからこそ人の心に響くものがあるの
ではないかと考えています。テレビやパソコンなどの情報機器やエアコン
などの、暮らしを快適にする電化製品がない山の生活のなかで、
四季折々の変化に直接肌に触れて自然を体で感じることで、町の生活では
感じることができなかった「生きている」という実感を持つようにもなって
きました。
<随感> フィリピンは日本の最先端技術などに比べれば、まさに
     最低レベルの技術だと言ってもいいでしょう。
     でも、どこにそんな金があるのかと言うくらいみんなが
     携帯電話を持っています。 インターネットカフェも
     学生たちで満員です。
     でも、金の無い彼等は、自分だけで閉じこもってそれを
     するわけにはいかないんです。
     電話代を誰かに貸してもらったり、パソコンをシェアーしたり、
     貸し借り、おまけに踏み倒しは当たり前。
     フィリピンにはほとんど日本のような四季の変化はありません。
     ・・・が、人々の中に、人々の行事のなかに、四季の変化が
     あるのです。 誕生日、結婚式、葬式、などなど。
     どこからこんなに出てくるのというくらい、どこの人か
     分からない人たちまでパーティーにやってきます。
     NGO活動などは 腐るほどあります。
     山の中に行けば、豆や野菜ばっかりで肉を食べられない地域も
     あります。 今どき 電気や水道などがない所もあるのです。
     そこで生活するには、まず体力が必要だと思います。
     精神より前に、まず体力です。

人に自分を見られることはただひたすら恐ろしかったですし、そうした不快
なことはなるべく避けたいと感じていました。また、ものを考えると
どうしても自分の将来に行き着いてしまい、絶望しか見出せない中では、
自殺を考えてしまうのでした。
<随感> フィリピンの人たちは行き当たりばったりの生活をしています。
     計画もありません、貯金もありません。 でも、毎日を、
     とりあえず食べて、楽しそうに暮らしています。
     日本人は将来のことを考えすぎです。 
     「どうにかなるさ。」と「周りに迷惑をかけて」生きるのが
     フィリピン・スタイルと言ってもいいかもしれません。
     フィリピンでは あなたは見られます。
     ただ外国人だから 人に見られるというだけの話です。
     でも、あなたの皮膚の色が ちょっと焼けたら、
     だれもあなたを日本人とすら思わないでしょう。
     だれもあなたなんかに興味はないのです。
     今日はどこで飯を喰おうか、それが重要なんです。

とりたてて何が人に劣るということはありませんでした。しかし自分が
人より著しく劣った存在であるという考えは、厳然として存在し続けて
いたのでした。
<随感> フィリピンに入ると、日本人は日本人というだけで
     何か自分が偉い人間のように錯覚します。
     フィリピン人より優れている民族だ、という偏見が
     態度に表れるのです。
     時間の正確さ、技術のレベル、10倍の経済レベル、
     品質の高い産物、それは誇れるものでしょう。
     でも、それが日本人が傲慢になってよいという理由には
     ならないはずなんです。
     私も傲慢になった時期がありました。
     あなたの理由のない劣等感を治すには、この手を使うと
     もしかしたら効果があるかもしれません。

私は強い自己否定的な感情を持って育ってきたのですが、ある時なぜそう
なってしまったかが分かりました。自分は親に愛されていないと、無意識
に感じていたようなのです。
<随感> フィリピンの人たちの中に 入っていると、
     まあ錯覚なのでしょうが、大家族の中にいるという
     感じがします。
     I love you !!  の連発です。(誤解してはいけませんが・・)
     そして、日本人だというだけで、なにかにつけ
     頼りにされます。 ・・・特にお金ですけど(笑)

私が引きこもってしまったのは、世の中が豊かになり、そうできるだけの
経済的な環境が整ったことも一つの要因だと思うのです。父や母が育った
時代では、引きこもるということは物理的に不可能でした。両親らの世代
にとって、「日々の生活をしてゆく」 あるいは 「食べてゆく」 
ということが常に最優先とされてきました。

<随感> はい、これなんです。
     フィリピンは昔の日本と同じような そんな国なんです。
     さあ、あなたも 1年ばかりゆっくりと
     フィリピンのぬるま湯に浸かってみませんか?
     ぬるま湯って、一旦入っちゃうと、なかなか出られなくなりますけど(笑)
     (別に、私は旅行業をやってるわけじゃないですよ。。)

・・皆さん、是非 このいい加減な<随感>にコメントを下さい。
お叱りも大歓迎です。

これを読んで、
「騙されたつもりで、フィリピンに行ってぶらぶらしてみるか。」
「じゃあ、ダメもとで、英語留学ってことでフィリピンに行ってみるか。」
と思った方が一人でもいらっしゃったら、ビンゴ~~ですね。(笑)
(私は、英語学校のまわし者でもありませんからね・・お間違いなく。 貧乏なフィリピンにお金を落としてくれる人を呼び込みたいってだけですから・・・)

・・・・・

いろいろ検索していたら こんな団体のリンク集がありました。

http://www.khj-h.com/rinku.htm

このサイトもどうでしょう。

http://www.futoko.co.jp/isota%5Eessei/hiki-ugokidasu-3joken.html

このサイトに書かれた3条件が必須だとすると、私の考えは却下ですね・・・とほほ・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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