« 「ブッダのことば」 中村元 訳 (11) 口先き男 ? | トップページ | 「ブッダのことば」 中村元 訳 (13)  原始仏教は ストイック »

2012年4月 1日 (日)

「ブッダのことば」 中村元 訳 (12) 仏教と乳製品 

岩波文庫の「ブッダのことば」(スッタニパータ)(中村元 訳)を読んでいます。
原始仏教のお釈迦様の言葉です。

だんだん、内容が難しくなってきました。

「五、 スーチローマ」より、

スーチローマという神霊は、次の詩を以て、師に呼びかけた。
その質問に答えたブッダの言葉、

271「貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。 好きと嫌いと身の毛のよだつこととは、
    自身から生ずる。 諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ、--
    あたかもこどもらが鳥を投げすてるように。」

「六、理法にかなった行い」より、

275「もしもかれが荒々しいことばを語り、他人を苦しめ悩ますことを好み、
    獣(のごとく)であるならば、その人の生活はさらに悪いものとなり、
    自分の塵汚れを増す。」

276「争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は、目ざめた人(ブッダ)
    の説きたもうた理法を、説明されても理解しない。」

279「あたかも糞坑が年をへると糞に充満したようなものであろう。
    不潔な人は、実に清めることがむずかしい。」

281「汝らはすべて一致協力して、かれを斥けよ。 籾殻を吹き払え。
    屑を取り除け。」

上に書いたことを読んでいると、どう理解したらよいのかが難しくなってきます。
いろいろな感情、妄想は、自分自身から出てくるってことは分かるんですが、
他の人に対する感情、判断が問題なんですよねえ。

ここでは、修行僧のことについて書いてあるんですが、その中でブッダの説く
理法を理解しないやつは駄目だって言っているわけですね。

279の「糞に充満」なんてのは、こりゃあもう実に過激な表現だと
思いませんか。

分からん奴は排除していいのだ、ってことなんですよね。

私には そういうことが出来ないんだなあ。
まあ、自分自身の信念がないってことになるんでしょうね。
レベルの低い話に当てはめて考えてもしょうがないんですが。

自力本願という立場で、自分の身を常に修行の場に置くことを信念とするならば、
その信念を誠実に実行するためには、友を選ぶということもそのひとつの
条件、要素になるということなのでしょうかね。

「七、バラモンにふさわしいこと」

大富豪のバラモンの質問に答えたブッダの言葉、

285「(昔の)バラモンたちは家畜もなかったし、黄金もなかったし、穀物
    もなかった。 しかしかれらはヴェーダ読誦を財宝ともなし、穀物とも
    なし、ブラフマンを倉として守っていた。」

290「バラモンたちは他の(カーストの)女を娶らなかった。 かれらは
    またその妻を買うこともなかった。 ただ相愛して同棲し、相和合して
    楽しんでいたのであった。」

296「母や父や兄弟や、また他の親族のように、牛はわれらの最上の友である。
    牛からは薬が生ずる。」

巻末の解説によれば、ここでは
「真のバラモンとなることを教えているのである。仏教徒となることを教えている
のではない。 これは、仏教の発展の最初期の段階の教えだからである。」
とあります。

この辺りは当時の様子、インドの慣習を垣間見るようで、面白いですね。
仏教が生まれようとしている時代の話なんですけど、ブッダはカーストについては
どう考えていたんでしょうか。
それに、牛が何故大切にされるのかが興味深いですね。

カースト制度と仏教との関係についても、解説には以下のようにあります、

「この詩句においては、カースト制を乱さないことを理想としているということ
である。 だからカースト制度を容認しているわけである。 他方、多くの
仏典では、カーストの区別は無意義であると説いている。 そこの関係が
どうなるのか、ということが問題となるが、恐らく世俗の世界においては
カーストを容認して、高い立場から見るとカーストの上下関係は無意味である、
ということを言おうとしたのであろう。 だから、仏教は階級闘争の理論を
説いていたのではない、と言えよう。」

要するに、当時の状況で、現実路線を進んだということなのでしょうか。

又、牛から生ずる薬についても、解説に書いてありました、

「牛から生ずる五味をいいう。 すなわち乳と酪と生酥(ショウソ)と熟酥
 (ジュクソ)と醍醐をいう。」
 
さらに、辞書によれば、「仏教では乳を精製する過程の五段階を「五味」といい、
「乳(にゅう)」「酪(らく)」「生酥(ショウソ)」「熟酥(ジュクソ)」
の順に上質で美味なものとなり、最後の「醍醐」で最上の味を持つ乳製品が
得られるとされた。」とあります。
 
また、醍醐味という言葉は元仏教用語であるとも書いてあります。
http://gogen-allguide.com/ta/daigomi.html

仏教を学ぶということは、日本語を学ぶことにもつながっていたんですね。
面白いですねえ。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィリピン バギオ 宗教 インド 原始仏教 ジャイナ教 バラモン教 ブッダ 釈迦 釈尊 お釈迦様 般若心経 小乗仏教 大乗仏教 自力本願 他力本願 親鸞 教行信証 浄土真宗 肉食妻帯 

|

« 「ブッダのことば」 中村元 訳 (11) 口先き男 ? | トップページ | 「ブッダのことば」 中村元 訳 (13)  原始仏教は ストイック »

コメント

他力本願 自力本願で 検索中です。
私の自論からいえば、結局 祈るということは 自力で他力でも あると思う。結論と相違の解釈~んで そういうことなんだろうなぁ?
宗教研究会(名前検討中
 

投稿: 村石太ガール&陶酔人 | 2012年4月22日 (日) 17時12分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/134315/54367817

この記事へのトラックバック一覧です: 「ブッダのことば」 中村元 訳 (12) 仏教と乳製品 :

« 「ブッダのことば」 中村元 訳 (11) 口先き男 ? | トップページ | 「ブッダのことば」 中村元 訳 (13)  原始仏教は ストイック »