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2012年9月24日 (月)

山折哲雄著「法然と親鸞」を読む(13) 阿弥陀仏だけってことは一神教? 

 

中央公論新社の 山折哲雄著「法然と親鸞」を読んでいます。

「第十章 思想の継承と離反」

さて、法然さんの思想とはなんだったのかって言いますと:

ー 「われは、ただ念仏のみを選択する。」

ー 阿弥陀如来だけが帰依信順の対象となる。
  阿弥陀如来だけが、衆生(人間のすべて)を救済するという
  誓いを立てておられる。

ー 仏教の全体を「聖道門」(聖者への道)と「浄土門」(救済への道)
  に分けて、前者を退ける。
  ・・・エリート主義を否定している。

ー 「浄土門」を、「雑行」(自己中心的な行為)と「正行」(自我
  から解放された行為)
に分けて、前者を否定する。
  無私、無我の行為をめざす。

ー 脱我的な「正行」を「助業」と「正定業」に分けて、前者を廃棄。
  「助業」= 礼拝、読誦、観想などの行為 = 自我的
  「正定業」= 阿弥陀如来の名号を唱えることのみ

そして、「選択」という、本質からはずれる枝葉を払って芯をつかむと
いうことでは、日蓮も道元も同じ道を選んだそうで:

ー 「法華経」だけを選びとり題目(南無妙法蓮華経)を唱えつづけた
  日蓮・・・「法華経」以外の万巻の経典はどれもこれも紙くず同然。

ー 道元は、 親鸞や日蓮の場合におけるようなテキスト(経典)では
  なかった。 ・・・「正法」という脱経典的なテキストであった。
  「正法」をつかむために座れ、といったのだ。

  それがやがて、「只管打座」(ひたすら座る)という言葉に
  結晶する。

ただし、このような一部の流れに対して、当時の守旧派は
どうだったかっていうと:

ー 仏教と神道の連携、協同のもとに成り立っていた王朝政権
  守旧的な勢力だった・・・

ー その奥の院には、比叡山という教権の心臓部・・・
  「神仏習合」の体制

さらに時代の動きは、大河ドラマでご覧のとおり:

ー 時代はすでに「武者の世」になっていた。
  侍が貴族政権を圧迫するような下剋上の波動が足元に忍び寄って・・・

ー 「神仏習合」の三百五十年にたいして「選択」の百年、・・・

ー 「宗教改革者」が存在したとすれば、法然ほどそれにふさわしい
  人物はほかにはいなかったと私は思う。

・・・なるほどねえ。 時代の流れの中で考えるとそういうことに
なるんですね。 宗教改革であったと。
少なくとも、それまでは様々な仏様がいたんだけども、
阿弥陀仏のみを選んだってことで、一神教になったってことは
ないのかな? 著者はそれにはふれていませんが・・・・

そして、著者は、「教行信証」の中で「いったい何が主張されているのか
というと、それがはっきりしない。」と述べているんです。

以前読んだ「教行信証を読む」にも書いてあった「父殺し救済は
是か否か」という点に進んでいきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の宗教改革  比叡山の権威からの脱却 王朝政権から武家政権へ 選択の時代へ 法然と親鸞の思想の違い 多神教から一神教へ?

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