« 夢っていうのは 映像だけじゃないんですか? | トップページ | 井上靖「天平の甍」を読む。- 9  密航・・そして座礁。 鑑真は・・ »

2012年11月20日 (火)

井上靖「天平の甍」を読む。- 8 百に一度も 辿りつけない日本

 

旺文社文庫 井上靖著「天平の甍」を読んでいます。

さて、ここから何故鑑真さんが日本へ行くことになったのかの
激変がはじまります。

p61
栄叡、普照らが突如帰国を思い立ったのは、長安に五年余の歳月を
送った天平十四年、・・の夏であった。
・・最近日本から帰ったという新羅僧によって道せん(玉+睿)のその後の
消息が伝えられたことである。

p62
道せん(玉+睿)は天平八年に名代の船で日本にはいっていたが、
授戒の師として招かれたにもかかわらず、衆僧が足らないために、戒法を
行うことができず、
ただ大安寺で律蔵、行事鈔を講じているのみだと
いうことであった。

栄叡はいまだに日本に戒律が施行されていないということを、まったく
自分の責任として感じて・・・・

・・・そして、その頃 業行が普照を訪ねるんですが、

p63
業行は、自分の写経の仕事も近くいちおう片がつくので、なんとかして
それを持って日本へ帰りたい・・・
・・義浄訳の経典類は全部写してしまい、現在金剛智三蔵の訳した
秘密経典
の写経に専念・・・

p64
業行が三十余年かかって、一字一句おろそかにせず写し取った
おびただしい経巻の束は・・・うず高く積み上げられてあった。

「人に頼めるといいんですが、しかし、いざというときにはこの経本の
身代わりになって
、自分のからだを海に投ずる人でなければ困ります。」

・・・業行は、自分の命を捨ててでも、三十年かかって写した経典を
日本に持って帰ると言うわけです。
当時の写本というものの貴重さをこの一言がすべて語っているのでしょう。

そこで、栄叡は、この経巻と、しかるべき伝戒の師を日本へ送り込む
ことこそ 自分がやるべき任務だと決心するわけです。

p66

周辺の四人の僧に渡日の話をもちかけて、それを承諾させた。
・・この中で道抗が渡日を承諾したことは・・・好都合であった。

道抗の師は揚州の高僧鑑真だったので・・・多数の弟子の中から
適当な伝戒の師僧を推挙してもらうことの便宜が・・・

・・・つまり、最初は鑑真さん本人じゃなくて、その弟子を
派遣してもらおうという考えだったようですね。

で、なんで鑑真さん本人が行くことになったのか・・・・

p69
揚州の・・・大明寺は・・相対する大伽藍と、九層の塔とを持つ
大きい寺であった。
一行は鑑真と会った。 鑑真の背後には三十数名の僧が控えていた。
このとき鑑真は五十五歳であった・・・

・・・そして、栄叡の推薦の要請に応えて鑑真さんが

p70
「この一座の者の中で たれか日本国に渡って戒法を伝える者はないか
って言うわけなんですけど・・・

だ~~れも「行く」とは言わないわけです。

「日本へ行くにはびょうまんたる蒼海を渡らねばならず、百に一度も
たどりつかぬ
と聞いております。・・・」

・・まあ、そんな噂を聞いていれば 誰だって行こうとは言いませんよね。

==その9へ続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

|

« 夢っていうのは 映像だけじゃないんですか? | トップページ | 井上靖「天平の甍」を読む。- 9  密航・・そして座礁。 鑑真は・・ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/134315/56152724

この記事へのトラックバック一覧です: 井上靖「天平の甍」を読む。- 8 百に一度も 辿りつけない日本:

« 夢っていうのは 映像だけじゃないんですか? | トップページ | 井上靖「天平の甍」を読む。- 9  密航・・そして座礁。 鑑真は・・ »