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2012年11月14日 (水)

「話し言葉には関係なく、意味を伝える漢字」 <その3>

NHKスペシャル「中国文明の謎」
第二集は「漢字誕生 王朝交代の秘密」からの発想なんですけど、
高島俊男著 文春新書「漢字と日本人」を読んでいます。

明治維新あたりからは、ご存じのとおり、脱亜入欧とこうことで、
中国よりも欧米に向いて、様々な概念が新しい漢字熟語が
つくられたわけですね。

そして、一方では、漢字をやめて、日本語をローマ字表記に
しようという動きも出た。

高島俊男さんは このようなことを言っています。

「いま日本人が、「権利」「義務」と言ったり書いたりする。
これは、形はたしかに日本語だが、その内容、その実質は
西洋語なのである。
 つまりこれらのことばは「形をかえた英語」
なのである。日本人の頭は、これらのことばを、西洋語の
意味でしか、考えることも使用することもできない。」

つまり、英語の Rightや Dutyという概念は西洋の
もの
であって、中国にも 権利とか義務とかいう言葉はあるん
だけれども、「権勢と利益」(財産)の意味であり、
「務民之義」は「人としての正しい道を実践する」という意味
であって、完全一致するもんじゃない、と高島さんは言っているわけ。

そして、今の日本人の頭の中はどうなっちゃったかと言えば、

「その語を耳にした刹那、瞬間的に、その正しい一語の文字が
脳中に出現して、
相手の発言をあやまりなくとらえるのである。」

「その最大のヒントになるのは、その語の出てくる文脈、
ないしは環境
なのである・・・・」

日本人にとって、ことばの実体は文字なのである。
音声は、それがおとすかげにすぎない。」

・・・ここは日本語教師として ヒジョ~~に大事なポイント
なんですよねえ。

よく「日本語会話を教えてください。 読み書きはいらないから。」
って話があるんです。
まあ、英語だったらそれでもいいんでしょうけど、
日本語はそうはいかないんです。

まあね、単なる挨拶程度、旅行日本語程度の話なら それもあり
ですけど、まともなコミュニケーションを目指す外国人だったら
「きちんと読み書きからやらなくちゃダメだよ。」
って話です。

さてさて、漢字を捨てちゃおうという話なんですけど、
「かな」派と「ローマ字」派があったらしい。

しかし、内部抗争ばかりで、漢字を倒すところまではいかなかった
そうな。

音標文字化すれば、以後の日本人は、それまでの日本人が
書き残してきたものをよめなくなる
が、明治のなかごろまでは、
そのことを考慮した者はほとんどなかった。 明治初めごろの
日本人は、それまでの日本のいっさいを、何の価値もないものと
思っていた。かえって日本へ来た西洋人のほうが、・・・
心配したくらいである。」

・・・もう、イケイケどんどん、って雰囲気だったんですね。

そして、これも有名な話ですけど、日本語をやめて英語に
しちゃえ、って言った人たちもいた。
それも時の文部大臣、森有礼ですよ。

「わが国の最も教育ある人々および最も深く思索する人々は、
音標文字 phonetic alphabet に対するあこがれを持ち、
ヨーロッパ語のどれかを将来の日本語として採用するのでなければ
世界の先進国と足並みをそろえて進んでゆくことは不可能だと
考えている。」と森大臣は書いたそうです。

これはトンデモナイと思うのが当然ですが、
そこには当時の教育という背景があったんですねえ。

「明治の前半ごろに教育を受けた人たちは、日本語の文章を
書く訓練を受けたことはなく、
もっぱら西洋人の教師から
西洋語の文章を書く訓練をきびしく受けたのであるから、
日本語の文章は書けないが、英語やフランス語なら自由に書ける
というのはごくふつうのことであった。
・・・明治前半ごろまでの日本語の文章というのは、それを書く
のに特別の訓練を要するものであった。 こんにちの日本人
が書くような、だらだらした口語体の文章というのはまだ
なかった。 文章は、話しことばとは別のものであった。」

・・・う~~~ん、これは知りませんでしたねえ。

私は今フィリピンに住んでいるわけなんですが、
以前からよく思ったんです。

「フィリピンは英語なしだったら、どうなってしまうんだろう。」

「共通語としてのフィリピン語が弱いから、フィリピン国内の
産業も伝統も根付いていかないんじゃないか。」

・・・まったくもって、ついこの前、百年ちょっと前の話ですよ。
たったの3~4世代前の話です。

その頃の日本と同じような状況だったってことじゃないですか。

フィリピンの場合は、スペインの植民地時代が 330年ほど
アメリカの植民地時代が 50年弱、日本の占領時代が3年半強
ですからね。
その度に言語が移り変わったわけでしょう。
今現在だって 公用語は英語とフィリピン語ですし、
裁判所なんて英語で、現地語との通訳付きですからね。

では、この続きは<その4>で・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

nogaさん、書き込みを有難うございます。
膨大な論文、まだ途中までしか読んでいませんが、
下記の部分が響きました。

「意思の内容に関する文章を作らない日本人は、優柔不断・意思薄弱にみられます。
昔の軍部も、今の官僚も、政治指導者自身も、責任者の意思が大切であるとは考えていません。
それで、意思を鮮明にする必要のない当番・お役目気風の官僚に国の政治がゆだねられています。
未来構文の主語が第一人称である場合に、本人の意思を表します。
意思 (will) は、未来構文 (未来時制) の内容です。
だがしかし、日本語には時制 (tense) がないので、未来構文はありません。
人称がないので、第一人称の主語もありません。
それで、日本人には意思がない。」

日本語には主語がないとか、日本語は西欧人の英語などと異なり客観的な描写ができないという話もあります。

キリスト教だかなんだかは知りませんが、英語などは神の視点から地上を俯瞰するような言語になっている、という話を読んだことがあります。
それに比べて日本語は、地上にへばりついて自分と周りとの関係性で記述する言語だということのようです。

興味深い論文を有難うございました。

   

   


投稿: させ たもつ | 2012年11月15日 (木) 13時51分

文章があれば意味がある。論理もあれば、矛盾ある。
文章がなければ意味がない。論理もなければ、矛盾もない。

日本語には、時制がない。
意思は、未来時制の内容であるから、時制がなければ意思もない。
日本人には意思がない。

意思があるところには方法がある。
意思がなければ方法もない。

実況放送・現状報告の内容には、個人差がない。あれば事実誤認を疑わなくてはならない。
だが、「あるべき姿」の内容は非現実の内容であるから、事実もなく誤認もない。ただ、優劣があり、個人差がある。

発言に個人差がなければ、どんぐりの背比べとなる。子供のようなもの。
実況放送・現状報告の内容だけを語る人たちの社会の特徴である。

「あるべき姿」は非現実、これを現実構文で語れば、真っ赤なウソになる。
聞き手も話し手も真面目にはなれない。
だから、日本人は、「あるべき姿」の実現には力が入らない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/


投稿: noga | 2012年11月15日 (木) 05時24分

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