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2012年11月11日 (日)

井上靖「天平の甍」を読む。-3 奈良ー博多ー蘇州 遣唐使船

旺文社文庫 井上靖著「天平の甍」を読んでいます。

さて、いよいよ遣唐使の出発です。
天平5年(733年)

p15
「四月二日早暁、広成らは憶良の歌にある難波津へ向けて、
奈良の都を立った。 一行の大部分はすでに出航地難波津に
集まっていて、・・・普照、栄叡らもこの一団の中にいた。」

p17
「船着き場には異変が起きていた。 切岸にはかなりの距離を
おいて四艘の大船がつながれ、見送り人や見物人がそのあたりに
ひしめき合っていた。・・・縄張りの中だけでも二千人ほどの
人間がいるであろうか。 女の多いのが目立っている。」

「四艘の船は、いずれも長さ十五丈(一丈=約3m)、幅一丈余の
大船で、百三、四十人の乗員ならそう窮屈ではなく収容できる
大きさだったが、・・・」

そしてその四艘なんですが、どのように分乗したかっていうと:

第一船: 大使広成
第二船: 副使中臣名代
第三船: 判官、普照、栄叡、戒融、玄朗
第四船: 判官

そして、どんなものを積み込んでいたかといいますと、
p18
「どの船もそれぞれ百五十人近い人間と、それらの食糧と、
滞在費に充てる物資と、衣料、医薬、雑貨の類と、それから
唐の朝廷へ献ずる莫大な貢物とを満載していた。」

出航してからは、瀬戸内海を通り、博多湾が国内の最後
寄港地となっていたようです。

p19
「第六次以降の(遣唐使の)三回はいつも大津浦(博多湾)を
立つと西航して、壱岐海峡を過ぎ、肥前値嘉島に出て、そこから
信風を得て一気に支那海を横断、揚子江を中心とする揚州、
蘇州の間のどこかへ漂着するという方法がとられていた。」

003

(地図の中国側、揚州のちょっと下に蘇州があります。)

「漂着」ですもんねえ。
風任せってことですよね。
そりゃあ遭難だってします。

ちなみに、肥前値嘉島というのは長崎県・五島列島です。
http://www.gotokanko.jp/kentosi.htm

ところで、第三船に出た新たな名前の二人ですけど、
この留学僧はどんな人物かと言いますと:

p20
戒融は一人だけ発航当日に大津浦(博多)から乗り込んで
来た筑紫の僧侶で、普照と同年配であったが、大がらなからだの
どこかに傲慢なものをつけていた。
玄朗のほうは二つ三つ若かった。玄朗は紀州の僧で、ここ一年
ほど大安寺に来ていたということだった・・・容貌も整っていて、
どことなく育ちの良さがその言動の中に感じられた。」

p21
「普照には・・・(戒融が)留学僧に選ばれるほどの何もの
かを持っている人物とは思えなかった。いかにも筑紫あたりの僧侶
でも持ちそうなあかぬけのしないものをその風姿に付けているのが
感じられた。」

まあ、一応このような人物像にはなっているんですけど、
戒融と玄朗は、インターネットでこの二人の名前を検索してみても
この小説の中に出てくる名前以外には 歴史資料としての
ヒットはありませんでした。
インターネットだけでは史実かどうかは確認できません

さて、外海に出た四艘の遣唐使船ですけど、どうなったかと
いいますと:

p24
二十一日めの夜、海上には深い靄が立ち込め、そのため船は
航行が困難となり、碇を降ろして一時停止することになった。
その夜を最後として、以後第一船も第四船もその船影を認める
ことができなくなった。 このころから乗員には水三合、糒(ほしい)
一合が一日の食糧として配給されることになった。」

p25
四十何日目に初めて激しい暴風雨に見舞われた。
それまでも何回か小さい暴風雨には襲われていたが、そのときの
ような大きいのは初めてであった。・・・海水が滝のように
船内に落ちてきた。」

そして、留学僧たちが口走るのです:

戒融: 「死ぬのはごめんだということをな。犬死はいやだ
     ・・・人間はけっきょくは自分だけだ・・・」

栄叡: 「こうしたことを、いままで多勢の日本人が経験して来た
     ということを・・・そして何百、何千の人間が海の底に
     沈んで行ったのだ。
・・・一国の宗教でも学問でも、
     いつの時代でもこうして育ってきたのだ。
     たくさんの犠牲によってはぐくまれてきたのだ。
     幸いに死なないですんだらせいぜい勉強することだな」

p26
「普照には、身をかがめるようにして口もきけないでいる玄朗が、
いちばん素直な、真実の姿であるように思われた。」

p27
「普照自身の心は・・・もう何年も、毎日のように色欲との
陰惨な闘いがのべつに彼をとらえていた。 ただ、現在はそれが
死の恐怖にかわっているだけの話だった。」

もし私がこの船に乗っていたら、船酔いだけで死んでいるかも。

気持ちとしては、玄朗と普照の中間くらいでしょうかね。

この部分は創作でしょうが、いずれにせよ国費留学生として
選ばれた僧侶たちは行きも帰りもこのような悲愴な決意で
海を渡り、中国本土に骨をうずめることになるかもしれない
十年以上の留学をしたということですね。

「第三船が大陸に近い小さい島々で順風を待つためにいたずらに
日を重ねて、ようやくにして蘇州へ漂着したのは八月であった。
筑紫の大津浦(博多)を出てからじつに三か月間以上船は海上を
漂っていたわけであった。
他の三船も同じ八月に相前後して蘇州海岸に漂着した。」

しかし、この第九次の四艘は幸運だったんですねえ。
こちらのサイトでみると結構 難破しているようですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A3%E5%94%90%E4%BD%BF

詳しいサイトは こちらにもあります。(地図あり)
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-3/2010_0510.htm

==その4へ続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

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