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2012年12月13日 (木)

その16 中村元著「龍樹」ー 説一切有部の弱点とは・・・経験論的実在論

中村元著「龍樹」の中の、
「 II. ナーガールジュナの思想 ー 「中論」を中心として 」
に戻ってきました。

「3. 論争の相手」です。

実有と名有・和合有」のところです。

p101
第三に実有は「名有」と区別されねばならない。
名有とは亀の毛、兎の角などのような、それ自身に矛盾を内包し、
自然的存在の領域においてその対象を見出し得ない概念である。

・・・つまり、名前を勝手につけることはなんとでもできるけど、
そんなものはこの世に有り得ない名前ってことでしょうか。

第四に実有は、ブドガラすなわち連続した個人存在のような
和合有と区別される。 有部はブドガラの実有を認めなかった。
個体を構成する五つのあつまり(五蘊)の和合を仮に施設して
ブドガラとみなすにすぎぬという。

・・「ブドガラ」=「連続した個人存在のような和合」
=「個体を構成する五つの集まり(五蘊)の和合」ってことになりますか?

・・五蘊のひとつひとつは実有だけど、そのあつまりは違うってことかな?

p101に著者が要約したところを、さらに簡単にまとめると:

第一: 実有=自然的存在を可能ならしめる「かた」としての「法」
    のみにいわれうる。
    仮有=自然的存在
    名有=自然的存在の中に対象を見出しえない。
    和合有=実有なる五つのあつまり(五蘊)の仮の和合(プドガラ)

第二: 法は自然存在の「ありかた」
    他に依存せず、独立
    よって、相待有とは異なる。

(3) 「一切」の意義

説一切有部の「一切が有る」の意味はなんなのかってところです。

p102」
「一切」」とは五蘊十二処十八界であるといわれ、あるいは
たんに十二処であるともいわれる。

十二処 = 眼などの六つの器官(六根)
      それらの対象(六境)
      

十八界 = 六根 + 六境 + 六入
      十八の要素で構成される主観・客観のすべての世界

有為法 = つくられた現象的存在
無為法 = それ自体で存在する永久不変の存在

五蘊は有為法のみ。

p102
「一切」とは過去・現在・未来の三世である、とも説明されている。
・・仏教は時間という独立の実体を認めないから、「三世に属するもの」
であったろうと思われる。

・・・ほお~~~、時間を認めていないんですか。
どういう意味なんだろう・・・
この前NHKの番組で、光の速さだけが一定であって、
時間と空間は変化するって話だったようなことでしたけど・・・
相対性理論の話でした。

p103
法の変化は生起(生)、持続(往)、異(変化)、消滅(滅)の
四有為法によって起こされるから
、「三世に属するもの」とは結局
有為法の意味である。・・たいていは有為法と無為法と両方を含む
としている。

「一切」が無為法を含むか否かに関しては、・・・無為法を実有なる
法とみなすか否かによって定まるのではなかろうか。
有部のように無為法という実体を認めるならば「一切」の中に
含めざるをえないのであると思う。

「一切有」とは「一切の法が実有である」という意味である。
法ならざるもの、・・・は、「一切」の中に、含まれていない。

p104
「一切」を文字通り「すべて」という意味に解してはならないし・・・

p105
インド一般の集合説と共通な、「ありかた」が有る、と解する
立ち場に従うならば徹底的に実有なる法の範囲を拡大せねばならぬ
はずであるのに、仏教である以上それが許されない
何となれば、実有という概念の範囲を拡大すれば、ますます
経験論的実在論の立場に・・・接近するからである。
ここに有部の弱点があり、・・・

・・・「インド一般の集合説」ってのが分からないんですけど、
ここで言っているのは基本的に釈迦は
「p88
ゴータマ・ブッダが有・無の二つの極端説を否定したにもかかわらず、
有部が・・・・何故にとくに法の「有ること」を主張したのであろうか。」
ってところで書いてあるように、釈迦がしゃべったことから
大きく外れていくわけにもいかないってことを「仏教である以上それが
許されない」と述べているんでしょうかね?

小乗仏教はブッダの言葉に忠実だったのかっていうと、そうでもない部分もあったってことになりますか。

ともあれ、ここに有部の弱点があると書いてあります。

==その17に続く==

 

 

 

 

 

 

 

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