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2012年12月15日 (土)

その19 中村元著「龍樹」ー 「空の論理」 「去りつつあるものが去る」

中村元著「龍樹」の中の、
「 II. ナーガールジュナの思想 ー 「中論」を中心として 」
に戻ってきました。

「4. 空の論理」を読んでいます。 

第二章の哲学的意義の解説です。

p123
「中論」は何故に「去りつつあるものが去る」というと二つの
去るはたらきが随伴すると主張するのであろうか。
常識上われわれの理解に苦しむところである

・・・はい、私も苦しんでおります。

「去りつつあるものが去る」という命題は「日本人は人である」と
いう命題と同様に何らの矛盾をふくまないではないか。
しかるにこれを不合理であるとしてナーガールジュナが極力
論駁するのは何故であろうか。

p124
法有の立場では作用をたんに作用としてみないで、作用を作用と
してあらわし出す「かた」「本質」が形而上学的領域において
実在している
と考える。

「去りつつあるもの」もわれわれによって考えられ、また志向
されている「あり方」であるから、たんに意識内容たるに
とどまらず、背後の実在界に根拠を有するものとみなされる。

p125
法有の立場は・・・
「去りつつあるもの」という「あり方」と 「去る」という「あり方」
とは全く別のものとされ、・・・二つの去るはたらきを含むことに
なる。

「あり方そのもの」(法のみ)であり、他のいかなる内容をも
拒否している二つの実体がいかにして結合しうるであろうか。
これがナーガールジュナの論点である。

・・・って言われても、分からないな。
ふたつの「あり方」の結合か・・・?

p125
一般に法有の立場に立てば、「去ること」をも実体視せねばならず、
そうだとすると種々に困難が起こるということをナーガールジュナは
強調したのである。

・・・あれれ、ここで「空の論理」の章が終わってしまいました。
どこに「空の論理」が書いてあったのかな、って感じですね。
要するに、この訳のわからない「論理」展開の部分が重要だって
ことを言いたかったのか?

・・・・

ところで、ここで今 私がどこにいるのかが分からなくなってきたので
目次をチェックしてみます。

「II.ナーガールジュナの思想 -「中論」を中心として」

という章の中身なんですけど、

1. 大乗仏教の思想
2. 空観はニヒリズムか
3. 論争の相手
4. 空の論理

ここまで読んできたわけですが、この後は、

5. 論争の意義
6. 縁起
7. 空の考察
8. 否定の論理の実践

ってなっているんです。

つまり、7.の空の考察を読まないと、「空」のことは分からない
ってことになりそうですね。

長い旅になりそうです。

==その20に続く==

 

 

 

 

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