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2012年12月 7日 (金)

堀田善衛著 「インドで考えたこと」(9) 日本人は中国語と日本語を使っている 

岩波新書 堀田善衛著 「インドで考えたこと」を読んでいます。

「VII. ことば・ことば・ことば」の章です。

さて、この著者の英語力ですけど、

p103
はじめ一週間ほどは、はなはだしく困難を感じた。
・・・私は中学生の頃に、一年と少しばかりアメリカ人の家にあずけられ
て暮らしたことがあり、・・・やっとどうにか用を足せたのだが、
・・・相手のインド人
たちの英語もまた、これは英国なまりなんだか、インドなまりなんだか、
これもまた相当な代物である。

p105
予備知識のなんにもなかった私は、インドのおそろしくこみ入った
言語事情
のことも知りはしなかった。それこそアケテビックリ玉手箱に
近かった。

「アッサムはインドではないのか?」
「勿論、インドだ。 しかし、インド語というものはないのだ。
 インド内の十七か語の代表が、それぞれにいるのだ」

インドにはいったいいくつことばがあるのか。 私は正確なことを
知らない。というのは、質問をしても答えが人によって違うからで
ある。 私の記憶では、いちばん多いのが二百二十という答えで
あったと思う。

p107
他国の標準で云えば、インドどいう国は、まず国というものではない。
ことばがちがえば、思考形式からして第一ちがって来る。

p108
このバラバラでメチャメチャな現実を統一しているものは、
結局、民族独立、経済建設、民衆の仕合せ、つまりインドの未来が
インドを統一しているのである

従って、「独立」ということばの内容が、ちがってくる。
すなわち、こういう現実においては、独立は independent ではなくて、
integrity あるいは integration (統合統一)
の方にぐっと
重みがかかって来る。

おそらく、日本のように一カ語だけで全国はなしの通じる国は、
地球の上では、むしろ少数に属するのだ。 特殊な国なのだ。

要するに、こういう話になってくると、フィリピンでも同じなんですけど、
いくつもの現地語があって、3つや4つの言語をあやつるのは
当たり前っていうのか、朝飯前っていうのか・・・
日本語の他に英語を覚えることぐらい、地球上の他の場所にいったら
あったりまえだのクラッカーだってことですよね。(古いな・・・)

p109
インドの教育は、ヒンディ語と英語と、その土地土地のことばとの、
三語、三ヵ国語と云いたくなるもので行われている。しかも、この
言語は、例えば東北弁と鹿児島弁というような方言による差異では
なくて、例えばラテン語とギリシア語のように、発生のもとになる
母語の語脈が既にちがっているのである。

そして、インド人側から見ると、こんな風にも見えているらしい・・・

p109
日本語は、中国語であった漢字と、日本独自の平仮名、片仮名を
まぜまぜにして出来ていることばであるということの概略を知って
いる人の一人は、しかし、日本人は、日本語と中国語とを
両用しているのだ、
つまり二言語国である、と思っていたらしい。

こうなれば仕方がないから、何故おれがこんなに英語がヘタクソか、
日本では日本語だけで一切の用が足りるからだ、とでも云うより法が
なくなる。

なるほど、なるほど、この手は使えますね。
日本語だけで用が足りる国なんだ」ってことで。

==その(10)へ続く==

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