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2012年12月14日 (金)

その18 中村元著「龍樹」ー 中論の「空の論理」とは何か。

中村元著「龍樹」の中の、
「 II. ナーガールジュナの思想 ー 「中論」を中心として 」
に戻ってきました。

「4. 空の論理」です。 いよいよ佳境かな。

1.否定の論理の文章をいかに理解すべきであるか

・・・そうです、これが一番問題なんです。 知りたいんです。

p111
まずその書の立論の原意を知るためには どの註釈によるべきか
ということが問題となる。

・・・ってことで、出版されている註釈が六種類あるとして解説されています。
ただ、その中にはいろいろと註釈した人の傾向や取り扱い方、使用言語、
翻訳上の問題などがあるのでだれの註釈を選ぶのがいいのかの検討がされて
いるんです。

p112
ブッダパーリタ(仏護、470ころー540年ころ)・・は、・・・
中観派を復興した人であるが、・・・大体においてナーガールジュナの
原意を得ているであろうということは、すでに諸学者の認定する
ところである。
・・・信頼しうるのであるが、重要な思想を含む後半の部分は未出版・・・

p113
ブッダパーリタの弟子であるチャンドラキールティ(月称)の書いた
註釈である「プラサンナパダー」のサンスクリット文が残存し出版
されている。
・・「中論」研究におそらく最も重要であろうと思われる。

・・・ってことで、「ブラサンナパダー」を中心にして、その他の
5つの註釈を必要に応じて参考とするような読み方のようです。

p115
解釈の相違は実際に認められる。
その著しい例は同一の詩の文句に対し諸註釈により正反対の
解釈がなされ
ているところがある。
・・こういう場合にどの解釈が原意に合しているかを決定することは
容易ではない。

p116
「中論」における論敵排撃(破邪)の論理は、概念や判断内容の
実在性を主張する論理(法有の立場)を排斥しているのであり、
概念や判断の内容を説明しているのではないから、・・・
註釈者によって著しく異なった解釈がされるということはなかった
のである。

2.運動の否定の論理

「中論」の論法の基礎について書いてあります。

p118
第二章の論法をきわめて重要視していたらしい。
まずこの第二章の第一詩をみると、

「まず、すでに去ったものは、去らない。また未だ去らないものも
去らない。 さらに<すでに去ったもの>と<未だ去らないもの>
とを離れた<現在去りつつあるもの>も去らない

第二章は直接には行くこと{「去」を否定し、ひいては作用を
否定する。 また<時間のみち>{「世路」または「世」}を
問題としているから現象的存在である。<有為法>全体の問題
にもなってくる。

p119
その理由を諸註釈についてみるに、まず「已去」とはすでに去られた
ものであり、すなわち、「行く作用の止まったもの」であるから
作用を離れたものに作用のあるはずはない。
したがって、すでに去られたものが、さらに去られるということは
ありえない。

・・・かなり理屈っぽくなってきましたが、なんとかついていきます。

p119
ところが已去と未去とが去らないということは誰でも常識的に
理解しうるのであるが、しかし現在の<去りつつあるもの>が
去らないということはいえないはずではないか
、という疑問が
起こる。

p120
ナーガールジュナは答えるーー
・・「去りつつあるもの」というだけならば、それはさしつかえない。
しかしながら「<現在去りつつあるもの>が去る」とはいえないと
主張する。

・・もしも「去りつつあるものが去る」というならば
主語の「去りつつあるもの」の中に含まれている「去」と、
あらたに述語として附加される「去」と二つの<去るはたらき>が
付随することとなる。

p121
すなわち<去るはたらき>と<去るはたらき>とは互いに相い依って
成立しているものであり、<去るはたらき>があるとすれば
必ず<去る主体>が予想される。 故に<去るはたらき>が
二つあるとすると<去る主体>も二つあらねばならぬことになる。
このように全くありうべからざる結論を付随して引き起こすから、
「去りつつあるものが去る」ということはいえないと主張
している。

この議論は真にプラサンガの論法の面目を最も明瞭に示して
おり、第二章の論理の中心は上述のところで尽きている。

・・・まあ、もっともらしく聞こえるんですが、論理的なんでしょうが、
正直ぴんとはきません。 (笑)

p122
上述の論法と似た議論は「中論」のうちの各所に散見する。
吉蔵はこれに「三時門破」または「三世門破」という名を与えている。

・・どれも「大品般若経」の中の不来不去を註釈するところに
説かれているから、「中論」のこの議論も「般若経」の不来不去を
証明するつもり
であったかもしれない。

・・・これが何度も出て来る論理だってんですが、
わたしとしてはそもそもこの論理が正しいのかどうかさえ
分かりません。 困ったなあ。

==その19に続く==

005

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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