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2012年12月18日 (火)

その20 中村元著「龍樹」ー いちゃもん付けるのが「帰謬論法」なの?

中村元著「龍樹」の中の、
「 II. ナーガールジュナの思想 ー 「中論」を中心として 」
に戻ってきました。

「5. 論争の意義」を読んでいます。 

p128
「中論」のいわゆる「破邪」とはどのような意味であるのか・・・

・・破邪という言葉は否定の論理ということのようです。
空観から出発する大慈大悲の利他行が何故成立するのか。」を
目指した破邪であるべきという、著者の考えのようです。

p129
そもそも基本的な態度として、<空>の哲学は定まった教義なる
ものをもっていない。
中観派はけっして自らの主張を立てることは
しないという。 このことはすでにナーガールジュナの明言した
ところである。

・・・中論という理論の書だから、当然のこととして主張があると
思うのが普通なんですが、龍樹さんがなんと言ったかっていうと。

p129
「もしもわたくしに何らかの主張があるならば、
しからば、まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存すること
になるであろう。 しかるにわたくしには主張は存在しない。
まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存在しない

・・・う~~ん、そう来ましたか。
こういうこと自体が主張じゃないかと思うんですけどねえ。

p130
「中論」の用いる論理は推論ではなくしてプラサンガ(帰謬論法)
である。プラサンガとはけっして自説を主張することではなくて、
論敵にとって願わしからざる結論を導き出すことなのである。

・・・、文句の言いっぱなし、いちゃもんつけっぱなしで、自分の主張は
言わないって、なんだか食い逃げみたいな感じがしますけど・・・

こちらに「帰謬論証派」についての解説がありました:
http://kotobank.jp/word/%E5%B8%B0%E8%AC%AC%E8%AB%96%E8%A8%BC%E6%B4%BE
「自らは主張をもたずただ対論者の主張の過失を指摘することによって
空性を論証すべき
ことを主張」

・・・なんだかいやらしいですね。

相手の主張、理論の穴を見つけて ほじくるってことですもんねえ。

p130
中観派の哲学者たちは、自分たちの立場が論駁されることはありえない、
という確信をいだいていた。 そうして大乗仏教が、(禅を含めて)
神秘的な瞑想を実践しえた
のは、そのような思想的な根拠があったから
である。

・・・要するに、「ああ言えば、こう言う」をやってりゃいいわけ
ですよね。 

p131
中国では僧肇(374-414年)が<有>と<無>とが何ものかに
ついて絶対的にまた普遍的に述語されることはありえない
と主張した。

(龍樹は)・・いわゆる「破邪」の論法によって、当時の諸学派によって
論議されていた種々の哲学的問題を縦横自在に批判したのである。

p132
「中論」の論法を説明するには、ただその代表となるべき論法について
その特質を明らかにすれば「中論」の論法全体を説明するための鍵を
与えることとなると思う。

・・・そして、その否定的表現の代表的なものとして、
次の「八不」というのがリストアップされています。

不生、不滅、不常、不断、不一、不異、不来、不去

その18で既に書いたところが「不来、不去」として<運動の否定>
にあたるようです。

次回から、それ以外の「八不」の解説です。

==その21へ続く==

 

 

 

 

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