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2012年12月11日 (火)

その10 中村元著「龍樹」ー 中観派の空観は異端なのか、虚無主義なのか・・

中村元著「龍樹」の中の、
「 II. ナーガールジュナの思想 ー 「中論」を中心として 」
に戻ってきました。

「2. 空観はニヒリズムか」に入ります。

このタイトルを見て、まず最初に思ったのが、今まで読んできた
「インドで考えたこと」です。
一番最後に、
「そして、そのいわゆる「無常観」、親鸞が嫌いだとしている
無常観、ではなくて、生身の人間が現実の娑婆で生きて行く
エネルギーとしての「色即是空」なるものが そこにあるような
気がしてきました。」
と書きました。

ですから、もう私にとっては結論が出ているようなものなのですが、
それは置いておいて 読みすすみます。

p67
「中論」の思想は、インド人の深い哲学的思索の所産の中でも
最も難解なものの一つとされている。
その思想の解釈に関して、近代の諸学者は混迷に陥り種々の批判を
下している。

p68
ベルギーの・・・・、ドイツの・・・、インドの・・・・らの
学者は虚無主義であるといい、ドイツの・・・、イギリスの・・・
などは否定主義であるといい、・・・
これらの解釈い対し、ロシアの・・・はむしろ相対主義であると
批判し、フランスの・・・がこれに賛意を表している。
・・記号論理学に大いに興味をもっていたポーランドの・・・は
「中間はは哲学史上最も徹底した唯名論者である」と批判した。
さらに中観派を幻影説ときめつける学者(たとえば峰崎正治博士)
もあり、全く諸説紛々として帰一するところを知らぬ状態である。
しかしながらインド学者一般の態度をみると、中観派を虚無主義
であるとみなす人が多いように思われる。

・・・まさに諸説紛々ですね。
学者でさえこの調子ですから、僧侶であろうが、一般人であろうが
どのように受け止めるかは本人次第ってことでしょうか。
そういうことであれば、逆い凡人としては都合がいいかな?

p69
仏教内においてさえも中観派は虚無論者だとみなされていた。
古代インドにおける伝統的保守的仏教(・・説一切有部)は
中観派を目して「都無論者」(一切が無であると主張する論者)
と評しているし、・・有力な学派であった経部も、・・・
「中の心を有する人」は・・・・「一切は無なりという執」に
陥っているから、・・・仏教内における二つの異端説のうちの
一つであるときめつけている。

p70
さらに中観派と同じ大乗仏教に属する他の一派であるヨーガ行派
からの非難も少なくない。
いずれの極端にもとらわれないで中道を説くところの中観派が、
・・・一つの極端説に固執する極端論であると・・

「非有を執している」と批評され、・・・「空見に著している」と
いわれている。

・・・確か、私の理解が間違っていたんでしょうね、龍樹と言う人、
そしてこの中論、空観は、大乗仏教の祖とでもいえるような
人だと思っていたんですけど、古代からそうでもないみたいですね。
大乗仏教の一派からも批判されているんですもんね。

p70
中観派は無を説いたとして、各学派から排斥されている・・・

p71
ところがこのような解釈はきわめて困難な問題に遭遇する。
「中論」はけっして「無」を説いているのではない。
その理由お一つとして「中論」の本文である詩句の中において
有と無との二つの極論(二辺)を排斥している、・・・

p71
ナーガールジュナは「有」を否定するとともに、「有」がない以上、
当然「有」と相関関係にある「無」もありえない、と主張する。

・・・事物の常恒性を主張する見解(常見)と事物の断滅を主張
する見解(断見)とを排斥せねばならぬ・・・

「中論」おいては排斥されているこの「断見」の方がむしろ
虚無論とよばれるべきものであり、現にそういう意訳をしている
学者もある・・・

p72
「中論」は無や断見を排斥しているから、「中論」はたんなる無を
説いているのではない
ことはほぼ推察しうる。

p72
では、何故に中観派は虚無論者ではないのであろうか。

・・・さて、やっとこの玄関先に、基本的な疑問の前に立ったような
雰囲気なんですが、次のページをみると・・・「理解するためには
当然その歴史的背景が問題となってくる」ってあるんです。

では、次回をお楽しみに。

==その11に続く==

==その1に戻る場合はこちらです==

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/11/post-60ca.html

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原始仏教、小乗仏教、大乗仏教、無の論理、般若心経、無とはなにか、初期仏教、色即是空

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