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2012年12月10日 (月)

堀田善衛著 「インドで考えたこと」(15) 虚無の音が恐怖となって・・ 

岩波新書 堀田善衛著 「インドで考えたこと」を読んでいます。

いよいよ最後の章 「XIII. おれは生きたい」に入ります。

p193
インドの古代洞窟寺は、未開人が住居として掘った洞穴とはまったく
異なり、二千年以上むかしに、人間とこの世界について高度な認識、
思想をもちえた民族の手になった規模雄大なものである。

p194
アジャンタ洞窟は、・・・ぜんぶ仏教系のものである。紀元前二世紀
から紀元後七世紀までの九百年間にわたって、前後5回にわけて
掘られている。 七世紀にバラモン教が仏教徒の王侯を亡ぼした
ため、その後約一千年にわたって忘れられ、1817年、英国の
一将校によって発見されるまで、この世から、ほとんど消えていた
のである。

p194
エローラは、・・・紀元580年から850年までのあいだに
つくられ、大乗仏教、バラモン教、ジャイナ教の三宗教が仲良く、
共存している。 

p195
痛切に感じ考えたことは、・・・・
ギリシア彫刻にも建築にも決して劣りはしないと思われる、
ずれも千年以上の時間を超えて存在して来た、厳然たる存在、
人間の証拠にとりまかれ、その只中にあって感じた、「虚無」
いうよりほかに、云い様とてもないようなもの・・・

・・・そして、著者は、このエローラ洞窟の中で、恐ろしい経験を
することになったのです。

p197
エローラの、ある奥深い洞窟の広間。
・・その穴ぼこは、みな僧房、僧侶の居室、修道院になっているのである。
・・その石柱を、何気なく、ひょいと一両度掌で叩いて私は、ぎょッ、
とした。
・・・なんともかとも気味のわるい、しかも虚しさもきわまったような
こだまが、・・・ゴー・・ボァ・・・ルルル・・・ン、 ゴーボア・・・
ルル・・ン、と陰にこもって何度も反響し
洞内ぜんたいにひびきわたり
はじめたのだ。
私は恐くなって逃げ出しかけた。 しかし、どうにお足がうごいて
くれなかった。
両側の僧房にいた数十人の僧たちが読経をしたかと思うと
そのことばと声よりも先に重く濁ったこだまが空想されて身の毛も
よだつような思いをした。

p198
・・・バニックのひとときがすぎると、どういうものか、そういう
私自身、その気味の悪いこだまに、凝っと聴き入り、聞き惚れていた。
その虚しさもきわまったような音に、私自身の内部に相通い、相互に
反響しあうものがある
ことを、ありありと感じてしまったのである。

p198
虚無。 これをわれわれの生活に根差した、リアリティをもつ日本語で
云いなおすなら、無常、諸行無常の感ということになり、われわれの
無常感がいのちに対する優情にみちたものであることは、私にも
いくらかわかっている。

けれどもそれは恐らく歴史を否定し、・・・そのときどきの人間を
とりまいて無意味な黒光りを発する、単一の、単色の背景と化して
しまうようなものである。
・・・歴史とは、虚無との人間の戦いである、と私は理解している。

・・・・う~~ん、文学者、詩人であるこの著者の言っていることは
なかなか骨が折れます。

なんとなく分かったようなつもりで言うと、
日本人だったら無常と呼びそうな圧倒的な虚無があるんだけれども、
人間の営み、文学あるいは思想ってものが人間の歴史と呼べるものを
継続するものを生み出しているってことでしょうか。

しかし、しかし、ここで、対立していると著者がいっているものは、
もしかしたら、その文学、人間の歴史というものが、実はその
綿々たる虚無の中から底知れぬように生れ出ているってこと
なんですかね?

だから、洞窟の中のこだまという恐ろしい虚無が、
なぜか聞き惚れてしまう音という、ある種の懐かしさのようなものに
思えてしまって、文学者として「しまった・・」と思ったのでしょうか・・・

そして、著者はこう続けます。

p199
「地中海は人間の規矩だ」とする西欧人たちが、・・・「・・奇怪にして
異様なるものに近づくのだ」という、・・その実体は、恐らく、
地中海的、西欧的な意味での歴史を形成しない、してくれない、
そのためのひっかかりをどうにも与えてくれない経験にぶっつかるから
なのだ。

p200
西欧の眼から見て「下等ながら決して死滅しない生物のように、・・・」
アジアの現実。
かれらの意味における歴史、「理にかなった形式に
宿る精神」をすらも音もなく呑み込んでしまうような虚無のこだまに
ぶつかったとしたら、どうすればよいか。

p201
あのこだまは、いったいなんだったのか。  ・・・「音」ともいえず、
さりとて沈黙ともいえず、何か聴覚以上、あるいは以下のような、
霊的、あるいは動物的な・・・
・・これを理にかなえて表現しようにも法のない、経験。

・・・ほとんど、密教の世界に入っていきそうな話になってきました。
さて、著者はこの本を、このインドでの体験をどのように
締めくくってくれるんでしょうか・・・

==その(16)完 に続きます==

 

 

 

 

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