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2012年12月 3日 (月)

堀田善衛著 「インドで考えたこと」(2) アジアのことをお互いに知らない 

岩波新書 堀田善衛著 「インドで考えたこと」を読んでいます。

「アジアがアジアをなんにも知らない」というのがこの章のタイトルです。

006

著者の堀田さんは、アジア作家会議の書記局員としての仕事をするために
初めてインドに旅行したんです。
その1956年晩秋から57年の年初にかけての滞在期間中に
何を思ったかを書いているんです。

p18
インドがこれらの藩王国を完全に廃止し、明治維新流にいうならば、
廃藩置県の仕事を完了したのは、1956年10月のことであった。
世界中でいちばんの金持ちであったとかいうことで有名な
ハイデラバードの藩王さまも一平民となった。

p19
召使といえば、朝、ベッドのなかでぼんやりしていると、次から次へと
いろいろな召使が入ってくることにも私はおどろかされた。
七時に、ドアーをノックして、「モーニング・ティ、マスター」
と云って、紅茶を持ったルーム・サーヴァントのアジズ君が入って来る。

p20
英帝国と紅茶、トルコ帝国とコーヒー・・・。 私は、日本人と酒を飲む
ときに限って、デタラメに酔っぱらったという振りをしてくれる

中国人と朝鮮人を、知っている。

p20
次には、スウィーパーと英語で呼ばれる掃除人が入って来る。

ルーム・サーヴァントの方は、じかに床には触れない。床の上にある
物品、ベッドとか椅子とかテーブル、そういう物品をはたいてくれる。
そしてスウィーパーは、床を掃除する。
廊下のスウィーパーは、また別にいる。

ついで、・・・、バス・ルーム・アテンダントと称する男があらわれる。

それぞれに、階層、職業がきまっているのであるらしい。
・・憲法で差別することは禁じられてはいるものの、現実には、
まだまだなくなってはいない、・・・
・・・不可触賤民という、一番低いカーストにも加えてもらえぬ
アウト・カーストの連中であるらしい。

要するに、著者は帝国主義が残したものやら、大昔からのカースト制度の
ことなどで かなりのショックを受けているようですね。

この著者が書いたのは 50年以上も前の話なので、
最近の状況はどうなのだろうとインターネットで検索してみますと、
今でも根強いみたいですね

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
「ヒンドゥー教はカーストというものを極めて重視している。他宗教の信者は
その現実的な影響力や力によりその社会的地位が決まる。
ジャイナ教やシク教、
ゾロアスター教が、カースト上位でない裕福層に支持されているのもこのため
である。カースト制は5千年以上もの歴史を持ち、何度か取り除かれようと
したものの、ヒンドゥー教とカーストの結び付きが強いためインドの社会への
影響は未だに強い。」

そして、さらに仏教との関係については、次のように書いてあります、
「紀元前5世紀の仏教の開祖であるゴータマ・シッダッタは、カースト制度に
強く反対して一時的に勢力をもつことが出来た
が、5世紀以後に勢力を失って
行ったため、カースト制度がさらにヒンドゥー教の教義として大きな力を
つけて行き、カースト制度は社会的に強い意味を持つようになった。」

お釈迦様は王家の王子として生まれながら、反体制的な活動をやったって
ことになりますね。

そして、著者はちょっとしたことでも、大英帝国の影響を感じとるんです。

p22
洋食のことを、(ウェスターン・ディッシュとは呼ばずに)イングリッシュ・
ディッシュ、すなわち、英国料理というのであった。
洋食とは、英国人の食べる食事ということになっているのである。
・・・英国というものが、どんなに深く中層以上、あるいは上層の
生活に浸透しているかを、そこで痛感しないわけにはいかない。

さて、この著者がインドで開かれた作家会議で、どんな国の人たちと
交流があったか(あるいはできなかったか)なんですけど、

p23
中国人(中国語、英語)、ビルマ人(ビルマ語?、英語、フランス語)、
タジクスタン人(タジクスタン語、ペルシア語系?、ロシア語、英語)、
ロシア人(ロシア語、ヒンディ語、ウルドゥ語)、インド人(英語)

なんと、食事は別として、快不快の感じ方が、中国、ビルマ、日本は、
共通していることか。

私は、中国をのぞいては、アジア、特に中央アジアや西アジアのことなど、
なにひとつ知らなかった。

p26
彼らはペルシア語で話しているのであるという。
ウルドゥ語は、ペルシア語を母語としてもつものであった。
あたかもラテン語が、仏伊西のことばの母語であるような工合である。
そして、タジクスタンのことばも、ペルシア語を母語とするものであった。

すなわち、・・ソヴェトの広大なアジア諸共和国の人々は、直接に
同じものを母語としてもつ西アジアの広大無辺な諸国の民衆と
話すことが出来るのである。

それで、ここにはある一定の共通語があるような話ではあるのですが、
著者は奇妙なことに気が付くんです。

p27
ここに不思議なのは、この七人の文学者は、森羅万象について話しても、
文学についてだけは話さぬという奇奇怪怪な結果になったことであった。

・・・要するに、お互いがお互いの文学について、なにひとつ知らない
からなのだ。

私は中国の現代文学について少しをしっている。 ソヴェトの、それも
欧州系の文学について、中国のそれよりもより少く、少しをしっている。
それらぞ除けば、インド・・ビルマ・・ヴェトナム・・パキスタン、
アフガニスタン、セイロン、インドネシア・・、なにひとつ知っては
いないのだ。

==その(3)へ続く==

 

 

 

 

 

 

 

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