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2012年4月 6日 (金)

ビジタ イグレシア - フィリピンの聖木曜日

今日は聖木曜日と聖金曜日の祭日でお休みなんです。
私の下宿のお手伝いさんたちもお休みで、田舎に帰ったりして、
下宿の周りはとても静かなんです。

大家の女将さんが、食事の心配をしてくれたり、お婆ちゃんがほうきを持って
うろうろしたりと、たいへんです。

で、大家の女将が、「ビジタ・イグレシアだから、あちこち教会を廻って
いるのよ。」って言うんですね。

もう、この下宿に丸7年お世話になっているんですけど、初めて聞いた言葉です。

Visita Igrecia って書くそうで、
Church Visits、つまり、教会を訪ね歩くということらしいです。

この言葉を検索してみましたら、このサイトが見つかりました:
http://en.wikipedia.org/wiki/Maundy_Thursday

このページの一番下の方に、こんな記事があります。

Visiting seven churches(See Seven Churches Visitation)

The tradition of visiting seven churches on Holy Thursday is an ancient
practice, probably originating in Rome.
In the Philippines, this tradition is called Visita Iglesia (Spanish:
Church Visit), where people visit one, seven, or fourteen churches and
pray the Stations of the Cross , with the stations divided amongst the
churches. A common practise until the 1970s was to recite all fourteen
stations in each church rather than a fraction of it.

つまり、聖木曜日に7つの教会を廻って、教会に飾ってある十字架の飾り棚の
ところでお祈りをするみたいです。

Station of Cross っていうのは、下のサイトに写真がある飾り棚のことですね。
まあ、日本で言うと神棚みたいなものかな・・・

http://en.wikipedia.org/wiki/Stations_of_the_Cross

大家の女将さんの話では、7つから10くらいの教会を廻ると言っていました。

同じ敷地の大家のお兄さんが、祭日なのにミニ・ストアを開けて夫婦でお店番。
今日は従業員が休みだからね、だと。

そして、時々食べにいくお店の御主人に、
「ホーリーウィークは田舎に帰らないの」
と聞いたところ、

「ホーリーウィークは お酒飲んで騒ぐわけにはいかないから
田舎に帰っても面白くないの。」
っていう返事でした。

本当に、静かな祭日です。

 

 

 

 

 

 

    

   

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「ブッダのことば」 中村元 訳 (15)  お釈迦様は人間です 

岩波文庫の「ブッダのことば」(スッタニパータ)(中村元 訳)を読んでいます。
原始仏教のお釈迦様の言葉です。

私がなんで この原始仏教の本を読み始めたのかといえば、それは「般若心経」を
読んだ後に、元々の釈迦とは、釈迦の言葉とはどんなものだったのかを知りたいと
いうところにありました。

小乗仏教だの大乗仏教だの、日本独特の仏教だの、そういうものが本来の
釈迦の考え方からどのように変遷してきたのかを知りたいということなんです。

今日読んでいるページには、それに繋がるヒントになる言葉が出てきました。

「12、ヴァンギーサ」

このヴァンギーサというのは人の名前で、以下のように書いてあります:

「ヴァンギーサさんの師でニグローダ・カッパという名の長老が、
アッガーラヴァ霊樹のもとで亡くなってから、間がなかった。」

そして、そのヴァンギーサさんが、

わが師は実際に亡くなったのだろうか、或いはまだ亡くなって
いないのだろうか?>

と思い悩むわけです。 そして、ブッダに尋ねるわけですね。

346「われらの疑念を断ってください。 これをわたしに説いてください。
    智慧ゆたかな方よ。かれらが全く亡くなったのかどうかを知って、
    われらの間で説いてください。 -- 千の眼ある帝釈天
    神々の間で説くように。 あまねく見る方よ。」

347「この世で、およそ束縛なるものは、迷妄の道であり、無智を朋とし、
    疑いによって存するが、全き人(如来)にあうと、それらはすべて
    なくなってしまう。 この<全き人>は人間のための最上の眼で
    あります。」

353「あれこれの尊い理法を知っておられるのですから、(みずからは)
    知りながら<語らないで、われらを>迷わしたりなさいますな。
    励むことにすぐれた方よ。 夏に暑熱に苦しめられた人が水を
    もとめるように、わたくしは(あなたの)ことばを望むのです。
    聞く者に<ことばの雨を>降らしてください。」

355「師は答えた、「かれはこの世において、名称と形態とに関する
    妄執を断ち切ったのである。 長いあいだ陥っていた悪魔の流れ
    を断ち切ったのである
。」 五人の修行者の最上者であった
    尊き師はそのように語られた。」

356「第七の仙人(ブッダ)さま。 あなたのおことばを聞いて、わたくしは
    喜びます。 わたくしの問いは、決してむだではありませんでした。
    バラモンであるあなたは、わたくしをだましません。」

巻末の解説によれば:

348に「人」とあるところについて、
ブッダは原則的に人なのである。」と書いてあります。

356でも「仙人」とありますが、「バラモンであるあなたは」と釈迦のことを
言っています。 
バラモンというのは「バラモンとは、インドのカースト制度の頂点に位置する
バラモン教やヒンドゥー教の司祭階級の総称。」とwikipediaにあります。

「ここで仙人とはブッダをいう。 釈尊(ブッダ)が世に出る以前に過去に
六人のブッダが出て
、釈尊は第七人目にあたるという。」

355で「五人の修行者の最上者」とありますが、これについては、
「ブッダがさとりを開いたあとで、ベナレスの郊外の鹿野苑で最初に説法
したとき、教えを聞いた五人の修行者。 ブッダはかれらにとっての上首で
あると考えられた。」とあります。

そして、上記には、日本でもよく聞く名称である「帝釈天」とか「如来」とか
いう言葉も出ています。

「帝釈天」は 葛飾・柴又のトラさんで有名ですね。
「如来」は、釈迦如来とか阿弥陀如来とか大日如来とか薬師如来、よく聞きますね。

ここで、いわゆる神々と人間、そこにこの時代のお釈迦様がどういう位置づけ
なのか・・

こちらのサイトによれば、「如来」とは「修行完成者」「完全な人格者」
あります。 要するに「人間」であることにかわりはないわけですね。

http://www.mason-kitani.co.jp/butuzou/nyorai.htm
サンスクリット語で「真実から来た者」と言う意味の言葉の和訳が『如来』。
最高の境地に達した存在で、最高の位にあります。単に「如来」とは釈迦の異名。
仏教界で「修行完成者」「完全な人格者」を意味します。

それで、「帝釈天」なんですがね、こちらのサイトで見ますと:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E9%87%88%E5%A4%A9

帝釈天(たいしゃくてん)は、密教の守護神である天部の一つ。
バラモン教・ヒンドゥー教・ゾロアスター教の武神(天帝)でヒッタイト条文にも
見られるインドラと同一の神

本来のインドラ神は、阿修羅とも戦闘したという武勇の神であったが、
仏教に取り入れられ、成道前から釈迦を助け、またその説法を聴聞したことで、
梵天と並んで仏教の二大護法善神となった。

つまり、これは明らかに神なんですね。
人間であるお釈迦様の守護神ということになるでしょうか。

それはともかく、上記355で ブッダは 「死」について尋ねられて、
「悪魔の流れを断ち切ったのである」って答えているんですね。

つまり、「生」っていうのは「悪魔の流れ」ってことですか?

 

 

 

   

 

 

 

 

   

   

   

   

   

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2012年4月 5日 (木)

「ブッダのことば」 中村元 訳 (14) お釈迦様には一人息子がいた!

岩波文庫の「ブッダのことば」(スッタニパータ)(中村元 訳)を読んでいます。
原始仏教のお釈迦様の言葉です。

そして、さらにストイックなところへ読み進みましょうか。

「10、精励」

332「起てよ、座れ。 平安を得るために、ひたすらに修行せよ。
    汝らが怠惰でありその(死王の)力に服したことを死王が知って、
    汝らを迷わしめることなかれ。」

ここで、起てよ、座れ、って言っているのは「しっかりせよ」「足を組んで
禅定を修せよ」という意味で、「眠っては駄目」ということなんだそうです。
つまり、いかんともしがたいのは睡眠という欲求だから、これをコントロール
しろって言うんです・・・参ったな。
私なんぞは、午前中に仕事をするだけで、昼飯喰ったら眠くて眠くて・・・

睡眠時間ということで言ったら、昔の受験戦争時代には「三当五落」でしたっけ、
受験生の睡眠時間が3時間だったら入試に合格するけど、5時間も寝ていたら
落ちてしまうよってのがありましたね。

しかし、寝ないで精力的に仕事をする凄い人は ゾマホンさんですね。
はい、ビートたけしさんの付き人をやっていた、今や母国であるベナン共和国
からの駐日大使である あのゾマホンさんですけど。

ゾマホンさんは、本当に超人的な人だと思いましたよ。
毎日のように2~3時間しか寝ないで、仕事と母国の為のボランティア活動を
やっていましたからね。
それも生半可なボランティアじゃありません。
母国の為に人生を捧げている人ですね。

世の中の為になることをするためには、まず体力なんですね。
強くなければ、優しくなれない・・・

333「神々も人間も、ものを欲しがり、執着にとらわれている。 この執着を
    超えよ。 わずかの時をも空しく過ごすことなかれ。 時を空しく
    過ごした人は地獄に墜ちて悲しむからである。」

まだ分からないんです。
「神々」ってところが・・・

神々にも出来ないことが、人間に出来るのか、って素朴な疑問。

ギリシャや日本の神話に出てくる様々な擬人的な神様たちと同じようなものと
考えていいんでしょうかね。
いろいろと個性的な神様がいたみたいですから。

この本にはバラモンとかヴェーダという言葉がよく出てきますから、このサイトに
書いてあるような神々ということでいいのかもしれません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E7%A5%9E%E8%A9%B1

「11、ラーフラ」

338「善い友だちと交われ。 人里はなれ奥まった騒音の少ないところに
    坐臥せよ。 飲食に量を知る者であれ。」

340「戒律の規定を奉じて、五つの感官を制し、そなたの身体を観ぜよ
    (身体について心を専注せよ)。 切に世を厭い嫌う者となれ。」

人里離れたところで座禅しろとか、飯はたいがいにしとけとか、
あげくに 世を厭い嫌えとか、凄いですね。
まあ、世捨て人、まさに出家なんですね。

私は基本的に人間が好きなんですけど、ここで言っているのは人間嫌いに
なれって言っているみたいに聞こえますね。
そうでなければ悟りはないのか、って思えるんですけど。

巻末の解説では、「<四念処>の体系的教説がまだ成立していないで、
特に身体が無常であるとか、不浄であるとか観ずることを教えている」と
あります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%83%E9%81%93%E5%93%81

まだ、この時代には、般若心経の内容にまでは至っていないと言う事でしょうか。

341「愛欲があれば、(汚いものでも)清らかに見える。その(美麗な)外形
    を避けよ
。 (身は)不浄であると心に観じて、心をしずかに統一せよ。」

ラーフラというのはブッダの実子なんだそうです。
だから、これはお釈迦様が自分のただ一人の息子に説教している場面なんです。

ここで言っているのは、女人を遠ざけよってことですよね。
女の美貌にだまされんじゃないよ、ってことですか?
美人は特に悪いってことかな・・・
美容整形なんて最悪ですね。

解説には、「世俗社会の階位的秩序あるいは勢力関係が出家者の教団の内部に
入り込むおそれは、仏教の最初期から存在していた。ゴータマ・ブッダは
それを恐れていたのである。」と書いてあります。

自分の息子が修行者の中で偉そうにすることをたしなめていたわけですね。
お釈迦様でも、自分の子供のことはいろいろと心配だったんですね。

  

  

  

  

  

  

  

  

 

    

   

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2012年4月 4日 (水)

「ブッダのことば」 中村元 訳 (13)  原始仏教は ストイック

岩波文庫の「ブッダのことば」(スッタニパータ)(中村元 訳)を読んでいます。
原始仏教のお釈迦様の言葉です。

ますます、訳の分からんところに入り込んできました。

「九、いかなる戒めを」

人が正しく安立し、また最上の目的を達するための態度について、

326「強情をなくし謙虚な態度で、時に応じて師のもとに行け。 ものごとと
    真理と自制と清らかな行いとを心に憶い、かつ実行せよ。」

328「笑い、だじゃれ、悲泣、嫌悪、いつわり、詐欺、貪欲、高慢、激昂、
    粗暴なことば、汚濁、耽溺をすてて、驕りを除去し、しっかりとした
    態度で行え。」

「笑い」と「だじゃれ」はいかんそうですよ。
何故なんでしょうかね。
私は この二つが好きなんですけどねえ。 困ったな。

ちょっと戻ったところに、こんな一文がありまして、

318「未だことがらを理解せず、嫉妬心のある、くだらぬ人・愚者に親しみ
    つかえるならば、ここで真理(理法)を弁え知ることなく、疑いを
    超えないで、死に至る。」

この中の「嫉妬心」について、巻末の解説に面白い記述がありました。

「嫉妬心のあるーー師が弟子に対して嫉妬心があり、弟子の成長発展に
 堪えられないことをいう。 この点では、原始仏教が主知主義的また
 貴族主義的表現を愛好していたことが知られる。 そうしてこの点で、
 原始仏教は、ストアの哲人を思わせる。」

http://kotobank.jp/word/%E4%B8%BB%E7%9F%A5%E4%B8%BB%E7%BE%A9
こちらのサイトの辞典によれば、
主知主義」とは:

感性・情意に認識の起源を求めず,知性ないし精神の思考にこれを
求める哲学上の立場。

又、「貴族主義」とは、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E6%97%8F%E5%88%B6

貴族制(きぞくせい、貴族主義、Aristocracy)は、貴族が政治権力を握って
人民を支配する統治形態(政体)である。

さらに、「ストア哲学」について調べてみると、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A2%E6%B4%BE

徳の実践を第一 自分達が善い生き方であると考えた生き方について
実践することを要求する。堕落した生活は魂までをも堕落させると考える。
ソクラテスの「ただ生きるのではなく、より善く、いきる」につながる考え方だ
と思われる。また、ストア学派はソクラテスの主知主義を継承し、徳即ち知
あるとした。

・・・・・

要するに、愛好していた表現方法として、このような主義に通ずるものが
あるってことで、「ストイック」という言葉が当てはまるみたいですね。

これで、ちょっと謎が解けたような気がします。
「友は選ばなくちゃいけない」という主旨のことが度々出てくるのは、
この辺りが関係しているようですね。

こういう筋で考えれば、お釈迦様は、原始仏教は、レベルの高い、知性的な
集団の哲学的な思考や、厳しい修行を求めるものであったように見えます。

日本の現代の仏教で言えば、禅宗のように師から弟子へ悟りを伝えていく
ような宗派に近いということでしょうか。

武士階級によって発展したとされる禅宗ですから、庶民とは遠い存在だった
んでしょうね。

   

   

   

   

   

   

   

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2012年4月 1日 (日)

「ブッダのことば」 中村元 訳 (12) 仏教と乳製品 

岩波文庫の「ブッダのことば」(スッタニパータ)(中村元 訳)を読んでいます。
原始仏教のお釈迦様の言葉です。

だんだん、内容が難しくなってきました。

「五、 スーチローマ」より、

スーチローマという神霊は、次の詩を以て、師に呼びかけた。
その質問に答えたブッダの言葉、

271「貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。 好きと嫌いと身の毛のよだつこととは、
    自身から生ずる。 諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ、--
    あたかもこどもらが鳥を投げすてるように。」

「六、理法にかなった行い」より、

275「もしもかれが荒々しいことばを語り、他人を苦しめ悩ますことを好み、
    獣(のごとく)であるならば、その人の生活はさらに悪いものとなり、
    自分の塵汚れを増す。」

276「争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は、目ざめた人(ブッダ)
    の説きたもうた理法を、説明されても理解しない。」

279「あたかも糞坑が年をへると糞に充満したようなものであろう。
    不潔な人は、実に清めることがむずかしい。」

281「汝らはすべて一致協力して、かれを斥けよ。 籾殻を吹き払え。
    屑を取り除け。」

上に書いたことを読んでいると、どう理解したらよいのかが難しくなってきます。
いろいろな感情、妄想は、自分自身から出てくるってことは分かるんですが、
他の人に対する感情、判断が問題なんですよねえ。

ここでは、修行僧のことについて書いてあるんですが、その中でブッダの説く
理法を理解しないやつは駄目だって言っているわけですね。

279の「糞に充満」なんてのは、こりゃあもう実に過激な表現だと
思いませんか。

分からん奴は排除していいのだ、ってことなんですよね。

私には そういうことが出来ないんだなあ。
まあ、自分自身の信念がないってことになるんでしょうね。
レベルの低い話に当てはめて考えてもしょうがないんですが。

自力本願という立場で、自分の身を常に修行の場に置くことを信念とするならば、
その信念を誠実に実行するためには、友を選ぶということもそのひとつの
条件、要素になるということなのでしょうかね。

「七、バラモンにふさわしいこと」

大富豪のバラモンの質問に答えたブッダの言葉、

285「(昔の)バラモンたちは家畜もなかったし、黄金もなかったし、穀物
    もなかった。 しかしかれらはヴェーダ読誦を財宝ともなし、穀物とも
    なし、ブラフマンを倉として守っていた。」

290「バラモンたちは他の(カーストの)女を娶らなかった。 かれらは
    またその妻を買うこともなかった。 ただ相愛して同棲し、相和合して
    楽しんでいたのであった。」

296「母や父や兄弟や、また他の親族のように、牛はわれらの最上の友である。
    牛からは薬が生ずる。」

巻末の解説によれば、ここでは
「真のバラモンとなることを教えているのである。仏教徒となることを教えている
のではない。 これは、仏教の発展の最初期の段階の教えだからである。」
とあります。

この辺りは当時の様子、インドの慣習を垣間見るようで、面白いですね。
仏教が生まれようとしている時代の話なんですけど、ブッダはカーストについては
どう考えていたんでしょうか。
それに、牛が何故大切にされるのかが興味深いですね。

カースト制度と仏教との関係についても、解説には以下のようにあります、

「この詩句においては、カースト制を乱さないことを理想としているということ
である。 だからカースト制度を容認しているわけである。 他方、多くの
仏典では、カーストの区別は無意義であると説いている。 そこの関係が
どうなるのか、ということが問題となるが、恐らく世俗の世界においては
カーストを容認して、高い立場から見るとカーストの上下関係は無意味である、
ということを言おうとしたのであろう。 だから、仏教は階級闘争の理論を
説いていたのではない、と言えよう。」

要するに、当時の状況で、現実路線を進んだということなのでしょうか。

又、牛から生ずる薬についても、解説に書いてありました、

「牛から生ずる五味をいいう。 すなわち乳と酪と生酥(ショウソ)と熟酥
 (ジュクソ)と醍醐をいう。」
 
さらに、辞書によれば、「仏教では乳を精製する過程の五段階を「五味」といい、
「乳(にゅう)」「酪(らく)」「生酥(ショウソ)」「熟酥(ジュクソ)」
の順に上質で美味なものとなり、最後の「醍醐」で最上の味を持つ乳製品が
得られるとされた。」とあります。
 
また、醍醐味という言葉は元仏教用語であるとも書いてあります。
http://gogen-allguide.com/ta/daigomi.html

仏教を学ぶということは、日本語を学ぶことにもつながっていたんですね。
面白いですねえ。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ブッダのことば」 中村元 訳 (11) 口先き男 ?

岩波文庫の「ブッダのことば」(スッタニパータ)(中村元 訳)を読んでいます。
原始仏教のお釈迦様の言葉です。

最近 仕事疲れで、毎日リポビタンDを飲みながら頑張っているんですが・・・
って言っても、半日働いたぐらいでへたばっているんですけどね。(笑)
明日が日曜日となるとホッとします。

今日は、「三、恥」から読んでいきます。

253「恥じることを忘れ、また嫌って、「われは(汝の)友である」と
    言いながら、しかも為し得る仕事を引き受けない人、--かれを、
    「この人は(わが)友に非ず」と知るべきである。」

254「諸々の友人に対して、実行がともなわないのに、ことばだけ
    気に入ることを言う人は、「言うだけで実行しない人」であると、
    賢者たちは知りぬいている。」

う~~ん、「為し得る仕事を引き受けない」ってところがなかなか厳しいですね。
「為し得る」かどうかを自分で判断するってところがなかなか微妙なんですよねえ。
つまり、友の為にどこまで無理が利くか、出来るか、という実力の問題に
なってきますからね。

「気に入ることを言う」ってことは、私には難しいんです。 馬鹿正直っていうのか、
言葉の使い方を知らないっていうのか、気がつかないっていうのか・・・

それで思い出したのが、フィリピン人は「出来ないとは言わない。」ってことですね。
だから、日本人には誤解をされるみたいです。
その場だけでも相手を気持ちよくしようという、喜ばせようという気遣いが
どうもあるらしい。
だから、特に日本人のように一旦約束したことは守るってタイプの人間からは
「嘘をついた」といわれるような結果になることがしばしばあるみたいです。

なかでも、約束の期日を守る、という点で こういう例が多いかもしれません。

英語のMaybeって言葉がありますね。
日本人的感覚で言うと「多分」って感じで、「多分、行けます。」という
雰囲気で使っているんじゃないかと思うんですけど。
フィリピンじゃあ、これは「行けません」ってことみたいなんです。

辞書で調べたら、ありました、
「誘いを断るときに使う言葉。」
「はっきり言って、口先だけのつれない返事。」
って書いてあります。

他の説明には、「たぶんそうだと思います。」って説明もありますから、
難しいところですけどね。

まあ、これは単に英語の理解の問題だけかもしれないんですが、
一般的にフィリピン人は、日本人からみると、いわゆる安請け合いが多いような
感じはします。

「四、こよなき幸せ」

258「多くの神々と人間とは、幸福を望み、幸せを思っています。
    最上の幸福を説いてください。」

259「諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を
    尊敬すること、--これがこよなき幸せである。」

266「耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の(道の人)に会うこと、
    適当な時に理法についての教えを聞くこと、--これがこよなき
    幸せである。」

268「世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、
    汚れを離れ、安穏であること、--これがこよなき幸せである。」

幸せとはなにか。
たくさん書いてあるんですが、やっぱり厳しいですね。
特に259の「諸々の賢者」「尊敬すべき人」を選びなさいってところです。

前にも同様の言葉が出てきました。
要するに、朱に交われば赤くなるから、交わる相手を選ぶことが幸せの条件
ってことになるんでしょうか。
しかし、選ぶってことは難しくないですか?

人にはそれぞれの持ち味もあれば、個性もあれば、良し悪しもありますから、
スパッと決め付ける、選んでしまうってことが難しい。
つまりは、人を見抜く眼を持っていなくちゃいけないってことですよね。

だから、「なぜ私は この人が嫌いなんだろう」って、それで興味をもって
しまうんですね。
「嫌い」っていう感覚は、そもそも何なのだろうってね。
理由の分からない「嫌い」が結構ありますからね。
いわゆる「毛嫌い」「食わず嫌い」みたいなもの・・・。

 
巻末の解説には、愚者と賢者について、以下のようにありました:

人間の理に気づかない人が愚者なのであり、理を知って体得している人が
賢者なのである。 金儲けだけはうまくても、自分のもっている財産を
ふやすことに汲々として夜も安眠できないというような人は、いくら
頭がよくても愚者であるといわねばならぬ。
また、知識に乏しく、計算や才覚が下手でも、心の安住している人は
賢者なのである。

267に「修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ
     (ニルヴァーナ)を体得すること、--これがこよなき幸せである。」

とありまして、解説に次のようにありました:

世俗の人が出家してニルヴァーナを証するのではなくて、
世俗の生活のままでニルヴァーナに達しうると考えていたことがわかる。

と書いてあるんですね。
つまり、在家であっても「安らぎ」は得られる、必ずしも出家しなくても
いいってことですから、ここから大乗仏教が出てくるんでしょうか・・・

 

 

 

 

   

   

   

   

   

   

 

 

   

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