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2012年1月13日 (金)

Camp John Hay - Eco Trail  エコ・トレイル  バギオ市散策

下記のページで、バギオ市 キャンプ・ジョンヘイ内にあるハイキング・コース(エコ・トレイル)を御紹介しました。

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/12/japanese-trail-.html

その中で、Japanese Trail (日本人の小道)というコースがあって、その終点にアメリカ大使館の入口ゲートがありました。

今日は、そのAmerican Embassy ゲートから、バギオのPEZA(経済特区)にある Texas Instruments の裏に出るハイキング・コースを御紹介します。

テキサス・インスツルメンツ(TI)という会社は世界的な半導体(電子部品)の製造メーカーで、日本TIは 東京、茨城県美浦町、大分県日出町などに本社・工場があります。

5img_8860

さて、これが そのアメリカ大使館(バギオ)のゲートです。

5img_0042_2

この写真の左側に上のゲートがあって、守衛小屋があります。

そして、今回は、右にある茶色い道をどんどん下って行きます。

尚、この写真の右側方向に 大使館からの道が伸びていまして、

丘の上に蛇行しながら上っています。 丘の上には昔 VOA

ボイス・オブ・アメリカというラジオ局があったそうです。

その道をどんどん下ると、LOAKAN道路にぶつかり、そこに立派なゲートがあって、

守衛さんもいるようです。

今日は、そちらには行かず、途中で車道が途切れている道に入ります。

5img_0044

車がぎりぎり一台通れるくらいの道が どんどん急な斜面を下って行きます。

5img_0048

こちらは イトゴン町方面だそうです。

右にある一番高い山は ウゴ山 (Mt. Ugo)で、イトゴン町にある山だそうです。

5img_0050

途中、道が2~3箇所で分岐していますが、右の山道を辿っていけば

松林の中に民家が見えてきます。

その民家を左に見ながら進んで、崖を登ると、このような曲がった木があります。

5img_0052

その木を過ぎて登りきると、このバランガイ・ホール(バスケット・コート)があります。

5img_0062

バスケット・コートを通り抜けて、真っ直ぐ進むと、この写真の右側から

丘を削ったこの場所に出てくることになります。

5img_0056_2

広い道に出たところから坂の下方面を撮影したものです。

ここでは、ここを下らずに、反対方向に道を登ってください。

5img_0063

広い舗装道路をちょっと登ると、左側に Texas Instruments の工場が見えます。

ここは、TI社の裏側にあたります。

5img_0064

削られた丘の上は、Community Forest (コミュニティー・フォレスト)があって、

このような看板が出ています。

5img_0065

坂を上りきると、このように舗装道路が下っていきます。

この道の左側は PEZA(経済特区)の敷地になっています。

5img_0067

この写真の前方に、T字路にぶつかっている所に ロアカン道路があります。

ジプニーやタクシーが走っています。

左側の建物は MOOG(ムーグ)という航空機関連精密機器の製造会社です。

http://www.moog.co.jp/japanese/

これで、今日のハイキングは終わりました。

アメリカ大使館のゲートから、ほとんど下り坂ですが、およそ30分の距離でした。

反対に登ると、かなりきついコースです。

お勧めのコースとしては:

ジョンヘイの旧正門 -> Filling Station・ポニー乗り場

  ー>アメリカ大使館ゲート -> テキサス・インスツルメンツ/MOOG

(比較的早足で歩いて およそ2時間強です。)

このページの最初にリンクしたページで、このお勧めコース関連の写真をご覧下さい。

では、迷子にならないよう 御注意の上 お楽しみ下さい。

   

     

 

philippine  baguio city  camp john hay  eco trail  from american embassy to  texas instruments  moog inc.   loakan road  filling station  old main gate of cjh

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「般若心経」の本(26)  「まとめ」メモ   

宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」(角川ソフィア文庫)を読んでいます。

これは、今まで その(1)から(25)までに書き出してきたものを
さらに要点理解のために「まとめ」たメモです

「般若心経」は、
「般若波羅蜜多という名前のマントラ(祈りの言葉)を説いた経」である。

西暦紀元前後より、一種の仏教革新運動が起きた。
「般若心経」の原型は3世紀ころにはあった。
鳩摩羅什訳は 400年ごろ?
玄奘訳は649年

「般若心経」はお経の体裁が整っていなかった。
般若心経の「大本」のエッセンスが「小本である般若心経」になったと言われるが、
歴史的には小本の方が先に出来ている。

大乗仏教の先駆となった経典が「般若波羅蜜多経」(心は無し)だった。
略して「般若経」で、これは、紀元前後から600年間延々と生み出された。
これが大本。

構成としては、三幕もののドラマの内の第二幕だけが「般若心経」に相当する。

その内容は、
マントラを唱える修行をすれば、ここに説明したような内容が観えてきて、
素晴らしい成果が得られますよと、観自在菩薩(観世音菩薩)が舎利子に語っている。

そのマントラ(祈りの言葉)が「般若波羅蜜多」という名称のマントラである。

般若心経の「心」はマントラ(祈りの言葉、真言)のことである

般若波羅蜜多とは「智慧という完成」であって、「智慧の完成」ではない。

観自在菩薩は舎利子に 般若波羅蜜多の念誦法を伝授した

「般若心経」における本尊は、「般若波羅蜜多」そのもの
諸仏を生む母という意味で、「仏母」として般若波羅蜜多をあがめた。

「掲諦、掲諦、波羅掲諦、波羅僧掲諦、菩提、娑婆賀」
(ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー)
と言うマントラ、祈りの言葉は、この般若菩薩に対する祈りの言葉である。

仏教は:
アートマン説(有我説)に対する強力な反論として「無我説」を立てた。
無我説をさらに徹底させたのが「空」の教え。

観自在菩薩は、まず「五蘊あり」と見極めたのです。
「五蘊あり、しかも、それらは自性空である、と見極めた」

「諸行無常」と並んで仏教が標榜する根本命題のひとつが「一切皆苦」である。
「苦」の原語「ドゥッカ」=「思いのままにならないこと」「不如意」が
「一切皆苦」の意味。

四階建ての構想

屋上 = 釈尊瞑想の図 = 仏陀の居るところ (人知を超えた)
四階 = 釈尊入滅の図 = 観自在菩薩レベル (空を知る)大乗仏教
三階 = 釈尊説法の図 = 舎利子レベルのフロア(無我を知る)小乗仏教
二階 = 釈尊修行の図 = 世間レベルのフロア (自己形成)
一階 = 釈尊誕生の図 = 幼児レベルのフロア (出発)

「五蘊(ごうん)あり」という洞察は、舎利子のレベルで得られる。
このレベルは小乗仏教のレベル。

「すべては空」という洞察は、観自在菩薩のレベルで初めて得られる。
これは大乗仏教のレベル

世間レベルを超えるとは、世間レベルの自分を否定することではない。
世間レベルの自分を冷静に観察できることだ。
枠付けがなかったら自分の存在はどこにもないということ が見えてくる。
それが「無我」。

「空」の最も本質的な意味は、まったくの開放的な広がり である。

色 =「般若心経」では、人間の自分の体を意味する。
受 = 感覚的に知ること
想 = イメージとして知ること
識 = 言葉を介して知ること
行 = いろいろなイメージを総合して集めて意識を生み出す作用。

「知を主体とした形成作用」 = 五蘊(色・受・想・行・識)の総体 
                = 自己の正体

<第一の伝授>

ここから、観自在菩薩の舎利子への伝授が始まります。
最初の伝授は:

「舎利子、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是。」
(しゃーりーし、 しきふーいーくう、くうふーいーしき、
 しきそくぜーくう、 くうそくぜーしき、 じゅーそうぎょうしき、
 やくぶーにょーぜー。)

シャーリプトラよ、ここにおいて、人間の自分の体は「からっぽ」という性質が
あり、その「からっぽ」という性質が人間の自分の体なのである。
(あとの二度の繰り返しは単なる繰り返しだと解説にあるので意味はない。)
感覚的に知ること、イメージとして知ること、潜在意識、分別して知ること
についても、まったく同様である。

「ダルマ」=「自己という経験主体を構成する要素として瞑想の中に顕現して
       存在するもの」
     =「存在するもの」

「熱心に瞑想に励む修行者に諸法が顕現するとき」

諸法(ダルマ)とは:
  無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、
  老、死、愁、悲、苦、憂、悩 をさす。

この内、「老、死、愁、悲、苦、憂、悩」は、般若心経などでは「老死」と
括られている。
よって、これが 十二縁起と呼ばれる。

<第二の伝授>

観自在菩薩が舎利子に対して第二の伝授、つまり、
五蘊を含む諸法全般にかんする瞑想の指針が示される場面

「舎利子、是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。」

釈尊は 「ダルマが生じ、かつまた滅す、その次第を観よ」といった。
しかし、アビダルマ研究者は、ダルマを重んじるあまり、ダルマを永遠に
存在するものと考えるようになった。

「説一切有部」とは、「すべてのダルマは過去・現在・未来の三世に
わたって実在する」と説いたことに由来する。

小乗に対する大乗仏教が出てくることになる。その批判的な経典が「般若経」
という形になった

「空」とは、ダルマを解体するための言葉だった。

観自在菩薩は大乗仏教の立場、4階のレベルから、小乗仏教、3階のレベルで
修行をしている舎利子に 瞑想の仕方を伝授している

ー 苦しむ自己から開放されるには、自己そのものがないというごく単純な、
  しかし深遠な事実を知ればよい。
ー 自己は五蘊というダルマが仮に集まったものにすぎないと観察し、
  世間のレベルを超えて無我の境地を達成せよ。

ここまでが、釈迦が開示してくれた仏教の3階のフロアだった。

「空を特徴としている諸法」というのは、「4階のフロアで観察した諸法」と
いうことである。
従って、3階の小乗レベルでは「空を特徴としている」レベルではないので、
「不生にして不滅、・・・」と言うことにはならない、3階のレベルでは
「諸法は因によって生じ、また滅す」ということでしかない

観自在菩薩が伝授しているのは、そうした永遠のものはない、
ダルマは実在しない、ということを説いているのだから、
生ずることも滅することもないということになる。

<第三の伝授>

観自在菩薩から舎利子への第三の伝授

「是故空中、無色無受、相行識、無眼耳鼻舌身意、・・・・」のところ。

感覚装置(根)と対象領域(境)に加えて、それらの認識作用として
眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の 6識が加わって 合計18界に
なる

観自在菩薩は、これらの十八界のダルマが 4階のレベルでは
すべて無いと伝授

十二縁起は、
無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死 です。

十二縁起を否定しているのではなく、観察されるダルマの実在性を否定している。

「行」= 自己形成
「識」= 自己と他者との区別、分別。
「名色」= 固体的存在の精神的ならびに物質的な諸要素
「六処」= 感覚能力(センサー)
「触」= 対象との接触
「受」= 苦や楽などのさまざまな感覚
「愛」= 欲望
「取」= 執着、煩悩
「有」= 個人的自我の確立
「生」= 原語「ジャーティ」は「誕生」ではなく「生存の状態」と解釈すべき。
     よって、「日常の生活」が正しい。
「老死」= 老いること・死ぬこと

お釈迦様の時代には、上記のことをどう解釈するかとか、どう検証するかと
いうようなことではなく、瞑想を実践して如何にこれらを観察するかと
いうことだったのだろう。

アビダルマ論師たちのようにダルマを実在、永遠にしてしまうと
問題は解決できない。

「無苦集滅道、無智、亦無得」 の部分です。

釈尊は、愛欲にふけることと、苦行で身をさいなむこと、この両極端
を離れて中道を実践しなさいと教示した。 = 八正道の実践。
なぜならば、ということで、次に説いたのが「四諦」だった。

無苦集滅道という部分の
「苦」=「苦諦」は、無明から老死に至る因果系列のすべてのダルマ(諸法)
が苦であって、確実なものだ、と解釈すべきだ。

「般若心経」は四諦八正道を否定しているのではない
否定しているのは、あくまでもダルマの実在性

「苦諦」は、無明から老死に至る因果系列のすべてのダルマ(諸法)
が苦であって、確実なもの。
「集諦」=欲望の尽きないことが苦の原因として確実なもの。
「滅諦」=欲望のなくなった状態が苦の滅尽として確実なもの。
「道諦」=八正道つまり苦の滅尽に至る道として確実なもの。

この四諦すべてが 4階から観れば 無いのです。
八正道の成果としての智慧もありません。
さらに、ダルマの獲得作用はなく、分離させるはたらきもないのです。

般若波羅蜜多とは何なのか:
般若=智慧(プラジュニャー)
波羅蜜多(パーラミター)=完成
「智慧を完成させる」ではなく、「智慧という完成」という意味。

「以無所得故」の一句について
「四階のフロアにおいては、ダルマが結合することも分離することもない、
 なぜならいかなるダルマもないのだから」
と解釈するのが文脈に合っているとしています。

心無けー礙(けー=四+圭)
「心に何の妨げもない」ということになる。
妨げるもの=ダルマ である。
大乗仏教の菩薩たちが体験できる境地

「般若心経」は「心の大切さ」を説く経などでは全くない。
その反対に、「心というようなものはないのだ」ということが観察できる
4階というフロアがある、ということを説いているのみ。

「遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃」
「遠離顛倒」だけが元々の原典にはある 
「遠離する」=「超越する」である。
原語「アティクラーンタ」」=「階段を昇り切っている」である。
「涅槃を究竟せり」=「涅槃に安住している。」「涅槃を達成している。」

空海は、「妨げのない自由な境地が涅槃に入るということである。」
と解説している。
覆いのない状態」をさすのみである。

ダルマ(諸法)が実在するなんて逆さまのことをいっているような3階の小乗の
考えを超越して、この4階では心を覆うもの、つまりダルマのない、まったく
開放された大乗の境地になる。

「三世諸仏、 依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。」

大乗仏教の菩薩たちは、ついにこれこそ立脚すべきという確かなものとして
般若波羅蜜多に辿り着いた。

「般若心経」の大部分は、「大品般若経」の中から抽出されたもの。

ここで「三世諸仏」を登場させ、「大品般若経」を典拠とした
正統性を示す必要があった。

釈尊のようなブッダは釈尊以前の過去の時代にもいたとする伝承もかなり古い
時代からあった。
「過去七仏」の信仰。
釈尊自身の言葉が律蔵大品「出家篇」の中に書いてある。

過去仏の信仰はやがて未来仏の信仰を生み出しました。
これはブッダの普遍性を示している。

「故知、般若波羅蜜多、・・・・」から最後までの
観自在菩薩が舎利子に最後の伝授をやっている場面

ー 1階から2階へ: 幼児レベルから世間レベル「おとな」の社会へ
           成人式の誓いの言葉=マントラである。
           「大神咒=偉大なる真言」
           
ー 2階から3階へ: 舎利子のレベル=「明知」のフロアへ
           大明咒=偉大なる明知の真言に符号する。

ー 3階から4階へ: 観自在菩薩のレベル=4階建ての最上階
           「この上ない真言」=無上咒に符号する

ー 4階から屋上へ: 仏陀の居る屋上
           何の隔たりもない大空そのもの。
           この展望に比べられるものはない。
           無等等咒=比類なき真言に符号する。

これらの大神咒、大明咒、無上咒、無等等咒、という4つの名称が付けられた
マントラを唱える修行。

「能徐一切苦、真実不虚故、説般若波羅蜜多咒」

般若波羅蜜多のマントラは、すべての苦を鎮める、確実な、信頼のおける、
効き目のある言葉である。 なぜならば、矛盾なく、嘘偽りのないものだから。

「掲諦、掲諦、波羅掲諦、波羅僧掲諦、菩提、娑婆賀」
(ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー)

仏教は「ヴェーダ」の権威を認めなかったが、マントラに類する「祈りの言葉」
があった。

大乗仏教の般若波羅蜜多は、自己を探求する高度な修行体系の中で活用され、
智慧と慈悲を実践する菩薩の拠り所

「般若波羅蜜多」は、諸仏を生む母、すなわち仏母である。
「掲諦」「波羅掲諦」「波羅僧掲諦」「菩提」は全て「般若波羅蜜多」を
言い換えた言葉である。
仏陀の母は、「般若波羅蜜多」として蘇り、大乗仏教の原動力となった

「母よ、母よ、般若波羅蜜多なる母よ、どうかさとりをもたらしたまえー。」

「以上で、般若波羅蜜多のマントラ、提示し終わる。」

・・・・・

さて、一冊目の本を終わりました。

「般若心経」の本(1)に戻る場合は こちらへ どうぞ

二冊目の本、「現代語訳 般若心経」について、読み進めます。

こちら その(1) からスタートしています。

 

 

 

  

 

 

 

 

                 

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不安は荒野を駆け巡る・・・・ BDOのATMには気をつけよう

BDOっていう銀行がフィリピンにあるんです。
バンコ・デ・オロっていう銀行なんですけどね。フィリピンじゃあ
日の出の勢いらしいです。

バギオで一番の商業施設である SMバギオってのがありまして、
SMはフィリピン中にあるみたいなんですけど、そこがBDOを
使っているっていうのか、グループ企業なんですね。

私が元々使っていた銀行は、そのBDOに飲み込まれてしまいまして、
やむを得ず利用しているんですが・・・

日常的には、日本国内の銀行の口座からキャッシュ・カードで
現金ペソを引き出しているんです

今日も引き出しに行きました。
いつもは BPI銀行とかメトロ銀行とかのATMで現金を引き出すんですけど、
今日は買い物の都合で、SMバギオのATMを利用したんです。

SMバギオのビルの外側に3つの銀行のATMが並んでいましてね、
4台の内の2台がBDOなんです。

人も並んでいないし、使ったんです。
一応ちゃんと動いていたんですよ。

キャッシュ・カードを入れると、すぐに記憶してくれて、カードが返却
されるという素晴らしい手順なんです。
最後に返却だと、忘れてしまう人がいるから、それを防止するという
気配りですね。 なかなか良く考えてある。

・・・で、金額とか、暗証番号とかいれて、エンターを押しました。
そしたら、「Your transaction is being processed.」って表示されたんです。
「只今 処理をしております。しばらくお待ち下さい。」ってやつですね。

よし! 大丈夫だな。
って思うじゃないですか。

ここですよ。 「大丈夫だな」って思っただけなんです

私の妄想なんですね、これが・・・・

かなり待っても、その表示が変わらないんです!!

お金も出て来ないんです !!

これは、私が思ったわけではないんです。
目の前の現実なんです

やばい! 
そして、何と、待たせたあげくに、

「Your transaction was completed.」
「処理は完了しました。」って表示されたんですよ。

ここまでは、現実です。 そう出たんですから。

「なに~~? お金がでて来ないじゃないか!」
これも現実です。

日本のATMだったら、
「トラブルが発生しました。 XXXに御連絡下さい。」
とかなんとか 表示されるんじゃないですか?

「おいおい、じゃあ、俺の口座から引き落としされてんのかな?」
って思ったんです。

「口座から引き落とされたのに、現金は俺の手には渡っていないのかな」
って思うじゃないですか。

不安なんですね、これが。

だから、SMバギオの施設の中にある、BDO銀行に行ったんです。

カウンターの女性に
「お金が引き出せないのに、COMPLETEDって表示されたんだけど・・」

「どんなカードですか?」
「このカードですけど。」
「じゃあ、この銀行に連絡してみないといけませんね。」

はあ~~???

こんなの、ありですか??
自分の銀行のATMで起こっているトラブルなのに、カードの銀行ですか??

「わかった。 家に戻って パソコンで確認してから来ますよ。」

・・・で、そのまま帰ってしまっては、買い物も出来ないし、ってことで、
その銀行の壁にあるBDOのATMで引き出しをしてみたんです。

ここも同じでした。
おなじ症状で お金は出てこず。

「まずい、これで さっきの金額とあわせて2倍の金額が行方不明??」

って、思うじゃないですか。
不安が頭の中でお祭り騒ぎになるじゃないですか。

じゃあ、他の銀行のATMはどうなんだ。
カードの銀行だって言うんなら、他の銀行のATMでも駄目なはずだな。

・・で、ビルの外にあるATMの場所に戻りました。
BDO銀行のATMの隣に、チャイナ銀行のATMがあるんです。

そこで、引き出しを試してみました。

全く問題はありませんでした。
問題はないんです!! お金はちゃんと出てきたんです。

カードの銀行に問題があるというカウンターのお姉ちゃんの話は
ここで解決しました。
やっぱり、BDOの問題なんです・・・よね?

「あのお姉ちゃん、何にも分かっちゃいね~~な。」
って思ったんです。
現実かどうかは 分かりませんよ。
私の頭の中だけの妄想なんですから。

「BDOっていう銀行は、ATM装置やら回線の状態やら、
まったくメンテナンスなんてしていないんだな!」
って思ったんです。
私が思っただけですよ、だけ。
私の頭の中で妄想が駆け回っているわけですよ。

「そう言えば、以前にもBDOのATMは頻繁にこういうことが
あったよな!!」
って思ったんです。
そういうフィーリングですよ、思っただけなんですから。

・・そして、買い物を済ませて、下宿に戻ったんです。

早速 パソコンに向いました。
メールをチェックしました。
引き出し処理が完了していれば、その通知が日本の銀行から
確認のために入っているはずなんです。

「おお、良かった。 メールはひとつだけだ。」

銀行口座から引き落とされているのは1回だけでした。
チャイナ銀行のATMだけでした。

これは、私が思ったことじゃないですよ。
これは、メールが入っていたんです。
現実です。

これで、私の不安は解消されたんですね。
一件落着。

教訓: BDOのATMには気をつけよう !!

・・・これは、私がそう思っただけです。
妄想です、不安を予感させる言葉なんです。

勇気のある方はBDOのATMをお試し下さい。

・・・そういえば、動いているATMが4台のうちBDOのは2台も
あるのに、だ~~れもその前に並んでいなかったな

な~~んだ、みんな知っているんじゃない。

NHKの「ためして合点」で いかに不安をなくすか、をやっていました。
脳の背内側前頭前野に 人間の頭の中に浮かぶ不安を客観的に見て注意信号を
出してくれる 客観視くんが住んでいるそうなんです。

その客観視くんが異常を起こすと、不安が暴走するらしいんですね。
その不安を鎮めて、客観視くんを強くするには 座禅がいいんですってよ。

座禅をすると、脳の背内側前頭前野が鍛えられて、主観的妄想が抑えられ

客観的な事実をきちんと認識するようになるようです。

「座禅でもやろうかな?」

って思ったり・・・

    

 

 

 

 

 

             

            

             

バギオ 銀行 キャッシュカード ATM 引き出し トラブル SMバギオ BDO フィリピン

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2012年1月12日 (木)

「般若心経」の本(25) ガテー、ガテー、パーラガテー、・・・   

宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」(角川ソフィア文庫)を読んでいます。

「掲諦、掲諦、波羅掲諦、波羅僧掲諦、菩提、娑婆賀」
(ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー)

やっと辿り着きました。

これが そのマントラ(真言、祈りの言葉)なんですね。

一般的な解説書には、古来マントラは「秘密のもの」と言われて、翻訳も
しないということで扱われているようですが、
著者は、般若心経そのものが公開されて日本なんかじゃ大人気なんだから
完全に公開されていると考えるべきだろうとしています。

そこで、その意味なんですが:

ー マントラの語源 = 「思考の道具」= 祈りの言葉
ー 一種の呪文である。
  古代の人々にとって言葉とは本来的に人間同士のコミュニケーションの
  手段であるよりも、・・・大自然にひそむ神意を聞き、また神意を問う
  ための手段であった。

ー わが国にも 言霊信仰があった。
ー インド人が、ある言葉を「マントラのようだ」といえば、それは
  最高のほめ言葉である。
ー インド人が何のことわりもなくマントラについて語るときは、
  いつでもそれは「ヴェーダ」聖典の中の一節をさす。
ー バラモン司祭者がマントラをとなえなければ、神々は動かず、
  世界は秩序を保つことができないとすら信じられていた。

ー 仏教は「ヴェーダ」の権威を認めなかったが、マントラに類する
  「祈りの言葉」
があった。
ー インド仏教は、最終的に大乗を超えて、実にマントラ乗(真言乗=密教)
  に行き着いた。

要するに、「般若派羅蜜多」は、大乗仏教のスローガンとして掲げられて、
これこそが大乗仏教の祈りの言葉なのだと宣言した最初の経典が
般若心経だったのだと、著者は書いているんです。

そして、従来のマントラと この祈りの言葉の違いは:

ー バラモンのマントラは、神々を動かして日常の願望を達成するための呪文。
ー 大乗仏教の般若波羅蜜多は、自己を探求する高度な修行体系の中で
  活用され、智慧と慈悲を実践する菩薩の拠り所。

としているんです。
だから、著者は、「秘密のもの」とする理由はない、と考えているようです。

ただし、ここで著者は、マントラは作者がいないため「作者の意図」は
探りようがなく、ひとつとして起源の分かるマントラもないため、
マントラを翻訳することの難しさも述べています。

そして、日本国内での代表的な訳し方として 3つをあげています:

「往けるときに、往けるときに、彼岸に往けるときに、
 彼岸に完全に往けるときに、さとりあり、スヴァーハー」(1)

「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、
 彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ」 (2)

「到れり、到れり、彼岸に到れり、
 彼岸に到着せり、悟りに。 めでたし。」 (3)

(1)と(2)は、正規のサンスクリット文法を適用して翻訳。
(3)は そうではなく、釈迦の時代に用いられたと推定される古語の
 文法を適用して解読したとされています。

しかし、しかし、著者は、さらに飛躍して、このように翻訳するのです。

「母よ、母よ、般若波羅蜜多なる母よ、どうかさとりをもたらしたまえー。」

いや~~、凄い翻訳ですね。

なぜ、こういう翻訳になるのか・・・・

これは、もう、この本を実際に読んでもらうしかないでしょうかね。

ヒントは:

ー 「般若波羅蜜多」は、諸仏を生む母、すなわち仏母である。
ー 「掲諦」「波羅掲諦」「波羅僧掲諦」「菩提」は全て「般若波羅蜜多」を
  言い換えた言葉である。
ー 「娑婆賀」だけは、「成就あれ!」という意味である。

そして、著者の最後のしめくくりは次のようなものです:

ー お釈迦様の生母は摩耶(マーヤー)夫人。
ー お釈迦様を産んでわずか7日で没した。 マーヤーは「幻影」を意味する。
ー その聖地の名称「ルンミンデーイ」は「失われた女神」を意味する。
ー よって、仏陀の母は、「般若波羅蜜多」として蘇り、大乗仏教の原動力となった。

皆様、これで、この本を一旦読み終えました。

その(1)から(25)までを、読み返して、私なりの理解を
反芻してみたいと思います。

(その1 は こちら です。)

それが その(26)になるかどうか・・・・分かりません。

その(26)に「まとめ」メモを書きました。

 

 

  

  

  

  

  

            

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 「・・・・・・・」 と思う

見ましたか?

NHKの「ためしてガッテン」。

次から次に起こる不安を解消する方法。

いつも 良い番組だなと思ってみているんですが、

この回は、非常に良かったと思いますよ。

いろいろな不安が浮かぶ。

自分の頭の中の妄想ですよね。

その不安を丸めて、川面を流れる葉っぱに乗せて、流してしまう。

そのようにイメージする。

あるいは、

頭の中に次々に浮かんでくる自分の考え・・・

頭に浮かんだら、言葉に出して言う。

「・・・・・・・・」と思う。

「と思う」を付け足して言葉にすればいいんですって。

客観視くんを鍛える訓練だそうです。

かなりテキメンに効くそうですよ。

基本は、昔のことや、将来のことをクヨクヨ考えてもしょうがない、

と悟ることのようです。

頭に浮かぶ不安は 現実ではない、と割り切ることのようです。

う~~ん、何だか 般若心経の世界のような・・・・

 

 

 

 

       

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そうか、カルシウムだったのか。

お母ちゃんが ほとんど何も食べなかったんです。

体をさわると、まるで骸骨なんです。

だから、5匹の子犬ちゃんに ミルクをあげているんです。

・・・・

私は猫の担当なんですね。

それで、毎日、魚を食べているんです。

ほとんど1日3食中2食は魚です。

おにゃんこちゃんの為に 魚を食べているようなもんです。

・・・・・

で、猫ちゃんがご飯を残したんですよ。

だから、もったいないな、と思って、お母ちゃんにあげてみたんです。

バリ、バリ、バリ、バリって食べたんです。

昨日も、今日も、食べたんです。 魚の骨。

お昼に、子犬ちゃんたちにミルクをあげたんです。

あげていたら、お母ちゃんが見に来たんです。

そして、子犬ちゃんたちと一緒に飲んだんです。

3、4日前は、ミルクを見向きもしなかったんですよ。

お母ちゃんは、カルシウムが欲しかったんですね。

魚の骨と一緒にお米のご飯を入れても これは 食べない。

骨が欲しかったんですね。

猫の食べ残しの骨が もう乾燥して 散らばっているんです。

もう一ヶ月以上そこに散らかっていたかもしれない骨ですよ。

それを集めて お母ちゃんにあげてみたんです。

パリ、パリ、ボリ、ボリって 一所懸命食べたんです。

お母ちゃんには カルシウムが必要だったんだな・・・きっと。

  

    

    

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2012年1月11日 (水)

「般若心経」の本(24) 空海の教えは こうだったんだぞ !

   

宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」(角川ソフィア文庫)を読んでいます。

故知、般若波羅蜜多、・・・・」から最後までの部分です。

「故に知るべし」と最初にあって、般若心経の全体の中で、ここだけが
強い命令口調になっていると、著者は述べています。

つまり、観自在菩薩が舎利子に最後の伝授をやっている場面なんです。

ここでも、漢訳とサンスクリット語原典で微妙な差があって、
原典では、最後のマントラまでが知るべしの対象となっているけれども、
漢訳では 「是無等等咒」まで、つまり、
「大神咒(だいじんしゅ)、大明咒(だいみょうしゅ)、
 無上咒(むじょうしゅ)、無等等咒(むとうどうしゅ)であると知るべし」
と言うように読めるのだそうです。

もちろん、著者の場合は、原典の方をとっています。

で、ここで、空海がこの四つの褒め言葉をどのように解釈したかを
「般若心経秘鍵」から解説しています。

大神咒(だいじんしゅ)= 偉大なる真言
           = 聞いただけのことを理解するもの(声聞)の真言

大明咒(だいみょうしゅ)= 偉大なる明知の真言
            = 縁起を知って独力でさとる者(縁覚)の真言

無上咒(むじょうしゅ)= この上ない真言
           = 智慧と慈悲を実践する者(大乗)の真言

無等等咒(むとうどうしゅ)= 比類なき真言
             = すべての成仏を説く最奥義(秘蔵)の真言

著者は、この空海の解釈は、密教独特なので、一般の解説書ではほとんど
顧みられることもないが、それよりも、段階的な意味合いに重要なポイントが
あると言っています。

要するに、著者の主張である4階建ての話ですね。

そして、その意味で、著者は空海が解釈したことを、現代に蘇らせて
いるのだ、と言いたいようです。

著者は:
「修行の階梯」を踏まえて、はじめて「般若心経」は首尾一貫した経典
として解読できるのです。
・・・としています。

そして、その4階建て+屋上に至る4つの階梯の名前が上の四つの褒め言葉
なんじゃないだろうか、と仮定して、それを検証しようとしているんです。

ー 1階から2階へ: 幼児レベルから世間レベル「おとな」の社会へ
           成人式の誓いの言葉=マントラである。
           
ー 2階から3階へ: 舎利子のレベル=「明知」のフロアへ
           大明咒=偉大なる明知の真言に符号する。

ー 3階から4階へ: 観自在菩薩のレベル=4階建ての最上階
           「この上ない真言」=無上咒に符号する

ー 4階から屋上へ: 仏陀の居る屋上
           何の隔たりもない大空そのもの。
           この展望に比べられるものはない。
           無等等咒=比類なき真言に符号する。

1階から2階への梯子の部分は、「大神咒=偉大なる真言」に符号するのか、
ってところが今ひとつだと思うんですが、その内容が「聞いただけのことを
理解するもの(声聞)の真言」という意味だとありますから、これが
子供から大人への通路だと理解できなくもありませんね。

よって、著者は、般若波羅蜜多(マントラ、真言、祈りの言葉)は、
上の階に昇っていく手立て、修行法だとしているんですね。

そして、「般若波羅蜜多」=「智慧という完成」、「究極の智慧」でしたから、
これらの大神咒、大明咒、無上咒、無等等咒、という4つの名称が付けられた
マントラを唱える修行をすれば良い、と言うことのようです。

・・・

そして、次の部分、「能徐一切苦、真実不虚故、説般若波羅蜜多咒」の
文の解釈についても、一般的な解釈は間違っていると著者は述べています。

一般的には、「故に」が「真実にして虚しからず。 故に・・・」と
その後ろの文の理由として解釈されているが、

著者は、サンスクリット原典では、「偽りがない故に、真実である。」という
文構成になっているとしています。

さらに:
ー 「真実」にあたるサンスクリット「サトヤ」は、「確実な、信頼のおける、
  効き目のある」とすべきだ。

ー 「不虚」はサンスクリットの「アミティヤー」であり、「矛盾していない」
  「嘘偽りでない」意味である。

そこで、他の本の解釈とを比べてみますと:

ー この真言はあらゆる苦しみを取り除く真実の言葉なのです。
  さて、この智慧の完成の真言を説きましょう。
  (仏教のすべて)

ー すべての苦しみを除き、真実にして偽りがないからであると。
  智慧の完成の真言を説く。
  (お経の本)

ー この咒文は世の一切の苦悩を取り除くことにおいて、まさしく
  真実であるし、一点の虚妄もないのである。
  ではその「般若波羅蜜多」の咒文を示そう。
  (現代語訳 般若心経 ちくま新書)

そして、この著者の解釈は:

ー 般若波羅蜜多のマントラは、すべての苦を鎮める、確実な、信頼のおける、
  効き目のある言葉である。 なぜならば、矛盾なく、嘘偽りのないもの
  だから。
  
たしかに、上の3つの解釈は「真実」としていますね。
こうやって並べてみると、この著者の解釈が一番内容が具体的で
はっきりしていますね。
分かりにくいお経を、有難がって、様々に解釈するというのも
楽しみ方のひとつかもしれませんけど、その元々は意外にシンプル
だったと言う事かもしれません。

さて、次回 その(25)は マントラそのものの話になります。

 

   

   

   

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2012年1月10日 (火)

いつ飛んでいるのかな?  マニラーバギオーマニラ 航空便

バギオにも空港があるんです。

飛行機が飛んでいるんです。 ・・・・当たり前?

Sky_pasada_s

( Rey Dacones氏提供、2011年11月撮影)

マニラーバギオーマニラを週に2往復・・・することになっているんです。

ところが、どういうわけか、2012年1月現在は運行を一時休止しているとか。

昔は、結構毎日みたいに飛んでいたんですけどねえ。

私が出張族だったころには、何度か利用していました。

でも、雨季になると、雨や濃霧で離着陸が出来なくなったりして、

ちょくちょくキャンセルされちゃったり、途中で引き返すはめに

なったり、運行すること自体が難しいんでしょうね。

今、1月は、乾季も乾季なのに、なんで一時休止なのかな~~~。

・・・・・

で、もしこの飛行機に乗ってみたいという方がいらっしゃったら、

下のサイトに SKY PASADAのバギオ・ロアカン空港事務所の電話

番号がありますので、スケジュールを聞いて、確認してから 御利用下さい。

http://janl.exblog.jp/13736424/

まあ、過去に何度も航空会社が変わっていますから、

いつまた変わるか分かりませんけどね。

 

 

 

 

              

     

フィリピン 飛行機 航空便 バギオ マニラ スカイ・パサダ バギオ・ベンゲットへの行き方 philippine manila baguio air flight sky pasada how to go to baguio city benguet

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おっぱいか ? ミルクか ?

3img_9937

カワイイでしょ?

5img_9941

お~~い、みんな~~。 ミルクだよ~~~。

5img_9909

「なに、これ? ・・・・ お母ちゃんのおっぱいと ちょっと違うよね・・」

「ミルクだってよ。」

5img_9915

「う~~ん、 割といけるんじゃん。」

「ぼく、まだ飲んでないし・・・・」

5img_9933

「うんうん、まあまあ・・かなあ。」

「おまえ、もう 腹いっぱいになった?」

5img_9957

「あっ、お母ちゃんだあ~~~。 」

「やっぱ、おっぱいだよね~~。」

「ふむふむ・・・」

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「お母ちゃ~~ん。」

「ぼくちゃん、早くおいで。」

5img_9961

「おっぱい出ているかしら・・・・」

5img_9970

「おっぱい飲めた?」

「・・・・・、ちょっとだけ。」

5img_9974

「あっ、お父ちゃんだ・・・」

「ごめんね。 もう、おっぱいが出ないのよ。」

5img_9976

「おかあちゃ~~ん。 どこいっちゃうの~~。」

「お父ちゃんと 今後の育児方針を話すのよ。」

5img_9978

「まだ、ミルク、残っているかな~。」

5img_9981

「おお、まだあったよ。 ミルク。」

「そんなに うまいか?」

5img_9984

「まっ、背に腹は代えられないって言うしね。」

「おい、ミルクのおならは くさいぞ。」

「へえ~~」

5img_9987b

「ぼくたちは、やっぱり おっぱい派・・・だよね。」

「・・・でも、出てこないなあ。」

「そうかあ~~。」

5img_9993

「これ、なんだろ?」

「にんげんって言うんじゃない?」

「臭くね?」

「ほんと、臭うよね・・・」

 

 

              

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2012年1月 9日 (月)

「般若心経」の本(23)  宗教的体験をしたことがありますか? 

宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」(角川ソフィア文庫)を読んでいます。

「三世諸仏」の話のところなんです。

著者いわく:

ー 伝承を総合してみるに、仏教が興起した初期の時代から、釈尊は
  新しい宗教の創始者ではなく、古仏の道を歩むことにより普遍的な
  教えを体得
し、それをこの世の人々に説き示した聖者だと考えられて
  いたようです。

ー 過去仏の信仰はやがて未来仏の信仰を生み出しました。
  その代表が弥勒菩薩。

ー これはブッダの普遍性を示している。

そこで、著者としては、小乗と大乗を次のように言っています:

ー 小乗仏教 = 仏陀釈尊をただ一人超絶した雲上の存在のように
         考えていたのが部派仏教。
  大乗仏教 = 成仏の可能性は万人にそなわっていると説いた。
         ブッダは一人一人の内なる存在

私の印象では、小乗は「修行」で、大乗は「宗教」のように思えるんです。

空海さんが書いた「般若心経秘鍵」という本があって、その後書きに
不思議な文句が記してあるそうです。

「自分は、かつて霊鷲山の釈尊の説法の場所にいた。まのあたりに、
この深遠な教えを聞き、その深い意味を知り得た。だから、この「秘鍵」を
書くことができた。」

この霊鷲山というのはインドにある山のことなので、それに時代も違うんだから、
釈尊の話を聞いたなんて大妄言だと、鎌倉時代の祖師も、江戸時代の学僧も、
そして現代の学者も 鼻で笑っているんだそうです。

でも、ここでこの著者は、
「私はあえて、これは真実を伝えていると思うのです。」
と書いているんですね。

本物の宗教体験っていうのは、そういう確信と感激、神秘的な実体験なんじゃ
ないかということのようです。

・・・で、急に超身近な話になって、申し訳ないんですけどね、
私が20歳の頃の話なんです。

仏様の啓示を受けたとか神秘的体験をしたとかいうのじゃないんですけどね、
ある本を読んで「宇宙が見えた」と思ったことがあるんです。
まあ、大袈裟な話ですけど。

ある本っていうのは、ショーペンハウエルの「哲学入門」っていう文庫本です。
その頃は そういう類の本をちょっとだけ読んでいたんです。

「宇宙が見えた」っていう表現は分かりにくいと思うんですけど、
宇宙の体系というか、論理の体系というのか、全体を包含するようなある
体系みたいなものを理解したような気になったんです。

まあ、ああ言えば、こう言う、というような屁理屈を言えるようになった
っていうことだけなんですけどね。
妙に自信がついちゃったわけです。

これは非常にレベルの低い私の体験なんですけど、もしかしたら
それと似たようなレベルの高い体験というのが その神秘的体験なのかな
と理解できるということです。

これも私個人の低いレベルの話なんですけど、
十年以上も前に本を出版したんです。
元々 出版するつもりなんて無くて、駐在員生活の暇にまかせて気づいたことを
メモにして書き散らかしていたんです。

それを1年くらいも続けていた頃からでしょうか、書き散らかしたメモの内容が
頭の中で様々に繋がって来て、特に意識的に書こうとは思わないのに、どんどん
ストーリーが自動的に出てくるような状態になったんです。

もしかしたら、こういう状態が長く続く才能を持っている人が小説家と
呼ばれる人たちなのかな、と思ったものでした。
もちろん、レベルはまったく違いますけど。

どちらの経験も、結局、どうしよう、こうしよう、と考えている時じゃあ
ないんですよね。
何かを夢中になって続けている時に、ある瞬間があって、急にそういう状態に
なるというか、はまるというのか・・・

まあ、最近はそういう能力もなくなってしまったようですけど。

では、次回は その(24)、
最終章の第八章「祈りのマントラ」に入りましょう。

                     

               

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「より」と「よりも」、「以前」「以後」、そう言えば 日本語教師だった・・

古訳=羅什よりも古い翻訳
旧訳=羅什の翻訳が その代表 (衆生、観世音、般若波羅蜜、舎利弗、など)
新訳=玄奘の翻訳 (有情、観自在、般若波羅蜜多、舎利子、など)

こう書きながら、ふと疑問に思ったんです。

私は、日本語教師なんです。

今は、実質失業中ですけど・・・とほほ

「羅什よりも古い」=「羅什より前」、「羅什以前
「羅什よりも新しい」=「羅什より後」、「羅什以後」

ってことになるのかなって。

「羅什よりも古い」「羅什よりも新しい」には羅什は含まれないわけですよね。

「羅什以前」「羅什以後」は?
「7時以前」「7時以後」は、7時を含むわけですね。
「以前」「以後」は、含むと思っていたんですが、
なんとなく「含まない」場合もあるよな、と感じたんですね。

調べました、辞書にこう書いてあります:(小学館・日本語新辞典)

(1)(時期・時点を表す語に付いて)ある時を基準として、その時点を
   含んでそれより前。 その時点を含まないでいう場合もある。
(3)ある事柄や範囲に達する前の段階。
   例:文学以前の幼稚な作品。話し合い以前の問題だ。

困ったね。 日本語ってなんでこんなにいい加減なんだろう・・・・

念のために、漢和辞典でも調べてみたんです:

「角川最新・漢和辞典・新版」

(最新とか、新版とか言っても1993年の発行ですけどね。)

「以」 イ ・ もって

「道具を使って何かをする」ということから、「・・・を使って」「・・・でもって」の意味に使う。

(1) もって、それによって、それを使って、ゆえに。

   例: 以心伝心

(2) ・・から。 ・・より。 そのところを基点として。

   例: 以下、以降、以西、以外

「以後」 (1) その時からあと。 

     (2) これからあと。 今後。

「以前」 (1) そのときから前。

     (2) もと。 むかし。

         例: ここは以前来た場所だ。

以後と以前じゃ、ちょっと微妙な差がありますね

以後の場合は未来とか将来とかいう意味がなくて、これからという意味合いが強い。

一方、以前は、ある一定の期間をおいて前、つまり、「昔」とか「元々」とか言う意味もあるんですね。

じゃあ、
「羅什より前」「羅什より後」はどうなるの ?
「7時より前」「7時より後」

普通に、さらっと読んで感じるのは、羅什は含まないんじゃないかと思うんです。

辞書にどう説明してあるかと言いますと:

(1)動作・作用の起点を示す。
   時間的・空間的な起点や経過点を示す。
   例: 6時より上映。 窓より光が差し込む。
(2)比較や対照の基準となるものを示す。
   「よりも」「よりは」「よりか」の形もとる。
   例: 梅は桜より早く咲く。 私は彼より年上だ。

上の二つのどちらかと言えば、(2)が当てはまるでしょうね。
「比較して」だから、含まないと考えるべきでしょうか。

・・・結局、
「羅什よりも古い」=「羅什より前」、「羅什以前」
「羅什よりも新しい」=「羅什より後」、「羅什以後」

これは全部、羅什を「含まない」ってことで、いいんですね。
「以前」「以後」は、含むケースもあるんですけど・・・

誤解を生むように出来ているのか? 日本語は・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

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おまえは 拒食症になっちまったのか ?

お母ちゃんが 痩せこけて骨と皮みたいになっているんです。

ブッダの涅槃の図みたいな・・・

食べ物・・・いや、餌を、食べないんです。

フィリピンは 犬は基本的に 番犬であるか、あるいは、地域によっては人間さまの食用ですからね。

ペットという定義は、ここではあてはまらない。

もちろん日本人以上に立派なペットを飼っている上流の人たちはいますよ。

でも、普通は番犬。 あるいは、食用の家畜です。

我が下宿では、基本的に番犬なんです。

過去に一匹 若い連中の酒宴の近くを運悪く通りかかって 肴にされた茶色の犬がいましたけどね。 私が茶坊主と名前をつけていた奴なんです。

・・・・

お母ちゃんが死んだら、5匹の子犬も運命共同体ですから、ほっとくわけにもいかない。

かと言って、大家さんの番犬ですからね、余計なことは出来ないんです。

そうでなくても、わたしは、猫を甘やかしていると言われているんです。

だから、犬には手を出さないように 控えているんです。

家人がいないことをいいことに、ご飯をちょっと多めにして、魚の骨を多めに残して、混ぜてあげようとしたんです。

いろいろと言って聞かせて、食べなさい、とやったんです。

でも、後ろを向いてしまうんです。

日本語も、英語も、通じないみたいです。

イロカノ語じゃないとだめなのか・・・

鶏肉のおかゆは、日曜日の朝しか作らないんです。

おかゆは無い。

でも、牛乳なら飲むだろうと思ったんです。

非常事態だから、大家さんが気づいても、見逃してくれるだろう。

さっそくミルクを買ってきました。

器に入れて、鼻先まで持っていったんです。

「ほら、ミルクだから。 飲んでよ。」

日本語だって、気持ちは通じると思うじゃないですか・・・(思わない?)

でも、後ろを向いてしまうんです。

食べ物を入れた器を見るのもかったるいみたいなんです。

食べる気力も、飲みたいという気持ちも、なくしてしまったのか。

何度も、ゴツゴツの背中に手をあてて 説得? したんです。

でも、だめなんです。

もう、顔も細くなっちゃって、毛もパサパサになっちゃって、

眼にも光が無くなって、黄色い目やにも出たりして・・・・

その弱々しい眼で、私をちらっと見るだけで、眼をそむけるんです。

・・・・・・・

後は、どうしたらいいんだ。

・・・・・ 注射か?  

ブドウ糖の注射ならいいんじゃないか?

私の犬なら、そうしたいところなんですが・・・

 

でも、ひとつだけ、救いがあるんです。

子犬ちゃんたちが、ミルクを飲んだんです。

お母ちゃんが どうしても飲まないミルクを、元気に飲んでくれたんです。

少なくとも、赤ちゃんたちだけは、なんとかなりそう。

・・・・・

お母ちゃん、

お前は 初めての出産で、そのまま命を落としてしまおうというのか ?

犬は安産のお守りじゃないか !!

 

 

 

   

 

 

 

 

      

 

 

   

   

   

    

 

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「般若心経」の本(22)  ブッダの前に ブッダがいた・・?? 

宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」(角川ソフィア文庫)を読んでいます。

さて、残った問題っていうのはなにか。
翻訳の謎なんですねえ、これが。

ー 「般若心経」の大部分羅什訳の「大品般若経」の中に類同の文がある。
ー しかし、これは玄奘訳の「大般若波羅蜜多経」六百巻の中での訳し方
  とは違っている。

ー つまり、玄奘訳である「般若心経」が羅什訳の「大品般若経」の訳し方に
  近いのはなぜなのか?

ってことなんです。

要するに玄奘さんは この「般若心経」について、自分が翻訳した文よりも
羅什さんが翻訳したものを使っているって言うんですね。

ここで、古訳、旧訳、新訳って言葉が出てくるんです。
聖書の旧約、新約とは違いますよ。

古訳=羅什よりも古い翻訳
旧訳=羅什の翻訳が その代表 (衆生、観世音、般若波羅蜜、舎利弗、など)
新訳=玄奘の翻訳 (有情、観自在、般若波羅蜜多、舎利子、など)

ご覧になると分かるように、羅什訳の方が一般的によく知られているんですね。

なぜかって言うと、玄奘さんは、従来の翻訳を全面改訂する意気込みで
やっていたらしいんですけど、この「般若心経」についてはなぜか
羅什の翻訳を尊重しているっていうんです。

その例として、玄奘さんは頻繁に「無上正等菩提」という言葉を使っているのに、
般若心経の中では この自分の翻訳語を使わずに、羅什さんの翻訳語である
「阿耨多羅三藐三菩提」を使っているそうです。

ここで、ちょっと面白い話が書いてあるんですけど、
それはこの本を買って 204ページを読んで下さいね。(笑)
「三蔵法師玄奘がインドに向う途上、・・・・」ってところですよ。

で、そこに、
「この経は玄奘が観自在菩薩から親授された梵本(サンスクリット本)なので
潤色しない」と書いてあるのだそうです。
大事な本だから、いろいろ手を加えないでおく、としているんだそうです。

そこで、著者が推理しているのは、玄奘自身がインドへ行く長い旅の途中、
ずっと唱えながら歩いたのが、この羅什訳の般若心経だったからじゃないかと
いうことなんです。

そう説明されると、私もなんだか そういう気持ちは分かりますけど。

この本の面白いところは、こういう歴史のディーテイルを踏まえて推理している
ところでしょうかねえ。

さてさて、ここで 「仏(ブッダ)」という言葉の歴史も書いてあります。

ー 仏(ブッダ)は、元々はインド一般で、「覚者」「聖者」の意味。
ー やがて、釈尊ただ一人の尊称となった。
  現在の南方仏教では この考えである。

ー しかし、釈尊のようなブッダは釈尊以前の過去の時代にもいたとする
  伝承もかなり古い時代からあった。
  「過去七仏」の信仰。

ー バーリ長部経典の中の「大本経」の中にその仏の名がある。
ー 過去七仏が共通して保ったと伝えられる「七仏通戒げ」は
  古来 南伝・北伝を問わず、日本に至るまで重んじられてきた。

そして、そして、その後に、この七仏が実在したことをほのめかす
釈尊自身の言葉が律蔵大品「出家篇」の中に書いてある ってんですね。

さらに、釈尊が初めてだ思っていたあるエピソードが、釈尊よりも前の
時代の七仏にもあったっていうんです。
「大本経」に、釈尊と同じように、十二縁起をさとり、梵天の勧請により
説法を決意した、というエピソードが どの過去仏にもあったと書いてある
らしいのです。

凄いと思いませんか。
こんなこと知りませんでした。
仏さんの前にも仏がいたんですってよ。

そこで、「三世諸仏」に戻るんです。
それは その(23)で・・・・

   

                     

   

            

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お願いだから、 なんでも食べてちょうだいよ。

実は、心配事があるんです。

5匹の子犬ちゃんたちが危ないんです。

お母ちゃんが行方不明。

3日間ばかり、少なくとも私は姿を見なかったんです。

ヘルパーのお兄ちゃんに聞いても、やっぱり最近見ていないって言うじゃないですか。

まだ、子犬ちゃんたちは丸っこいから大丈夫そうには見えるんですけど・・・

自分でなにかを食べられるようではないし・・・

痩せていたしなあ、お母ちゃん。

育児放棄なのか・・・

交通事故にでも会ったのか・・・

それとも、何かもっと待遇の良い場所を求めて彷徨っているのか・・・

「お母ちゃ~~ん、早く帰ってきてよ~~~。」

・・・・

私の願いが、って言うより、子犬ちゃんたちの願いが伝わったのか、

お母ちゃんが戻ってきました。

「ああ、よかった。」

5匹の子犬ちゃんを目の前にして、階段に座っていたんです。

階段の下にお母ちゃんが現れて。

階段をえっちらおっちら登って来て、子供達の間をとおりぬけました。

そしたら、さすがに親子ですね。

子犬ちゃんたちが、一列に並んでその後を追いかけたんです。

ちょっとよたよたしているお母ちゃんの後を、元気に追いかけたんです。

そして、みんなでお母ちゃんの胸にぶらさがったんです。

「よかった、よかった・・・」

でも、お母ちゃんはちょっと変なんです。

今までは食べていた物を 鼻先まで持っていっても食べないんです。

かろうじて、日曜日にだけ毎週朝食に出る鶏肉のおかゆをあげたんです。

食べてくれました。

でもね、人間様の食べるものを こっそりあげたんです。

おおっぴらにはあげられないんです。

ヘルパーの男に聞いたんです。

「あいつは、本当に好き嫌いが激しいんだよね~。」

って言う答がかえってきました。

彼もいろいろ食べさせようとしているらしいんです。

でも、食べてくれない。

犬も、妊娠前後は嗜好が急激に変化するんでしょうかねえ。

姿を消す前よりも、さらに身体がゴツゴツになっているんです。

「お願いだから、なんでも食べてちょうだいよ。」

お前が死んだら、子犬ちゃんたちも死んじゃうんだよ。

頼むよ!!

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

               

     

          

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2012年1月 8日 (日)

フィリピンの山奥にだって コスプレぐらいは流行っているんだぜ~~

1月7日夜。

日本人の新年会が終わった後、酔い覚ましにいったんです。

7img_9904

場所は、バギオの目抜き通りのセッション通りから、観光名所であるライト・パークや旧大統領官邸であったマンション・ハウスへ向う レオナード・ウッド通りの左側。

こんな看板が出ている、ちょっとお洒落なカフェなんです。

3img_9894

入口はこんな感じです。 ピンキーカフェ。

トラベルって文字もあるんで、旅行者の宿泊も出来るみたいですね。

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・・で、入口では、こんな格好をした子たちが受付やってました。

私もビジター登録の記帳はしたんですけど・・・まあ、来たぞという足跡を残すだけね。

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そして、こんなサインが掲げてあるんです。

BLACK & NIGHT というイベントですね。

誰がどういうイベントをやっているかっていうと:

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「うふふ」な世界みたいなんです・・・

これって 日本じゃあ、なんって呼ぶんでしたっけ??

「冥土カフェ」??

このカウンターでスパゲティーとかなにか食べ放題で199ペソだったみたいです。

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こんなに暗い、ちょっと怪しげな屋外の涼しいところで、お兄ちゃんが飯くってました。

もう私は、新年会で腹いっぱいだし、そもそも酔い覚ましに来たんですからね。

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で、店の庭にそのイベント会場があるんですね。 

まっ、割といい感じなんじゃないですか?

バッグを背中に担いで飯をくっているっていうのが「らしい」かな?

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はい、こんな連中が集まっているんですねえ~~。

バギオのコスプレ・オタクのグループなんです。

この中の何人かとは 一応は知り合いなんですけど・・・

FACEBOOKフレンドも 何人かいるんですけど、顔と名前が合わないんですよねえ。

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バギオには 5つくらいのコスプレ・オタクのグループがあるみたいなんです。

OTAGEKIとか、GOMENとか、XD組、ANIME HQとかね・・・

私がお付き合い?があるのは XD組とアニメHQなんです。

バギオではトップのフィリピン大学バギオ校とセント・ルイス大学などの学生やOBがやっているコスプレ・グループなんです。

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それで、一番でかいグループはOTAGEKIっていうグループみたいで、30人以上のメンバーがいて、なんと法人化しているんですねえ。

NGOなのか会社なのか分かりませんけどね、バギオのコンベンションセンターでゾンビを題材にしてイベントを打って、徹夜営業で大もうけしたなんて噂もちらほら・・・

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しかしねえ、こういう連中を見ていると、やっぱりバギオって山奥だけど、避暑地だったんだなって思いますよ。

お金持ちの子息・お嬢じゃないと、こんなこと出来ないですよね。

なんせ参加の条件が、「完璧にコスプレ正装してくること。少なくとも、マスクはやってきてね。」ってんですから。

私もね、本当はね、ピカチューの着ぐるみを着ていくつもりだったんです。

せめてね・・・

でも、新年会が忙しくてね。 酔っ払ったし、もう面倒になっちゃって・・・

こういうオタクの集まりって、面倒だなんて思っちゃ、もう失格ですよね。

還暦過ぎた爺が、こんなことして、若い女の子たちのコスプレ姿なんか写真にとったりしていていいんだろうか・・・・

・・・ いいんです。

日本文化の世界への広がりをレポートしているんですから、

立派な国際文化交流活動なんです !!

 

 

   

   

  

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