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2012年7月19日 (木)

フィリピン・バギオは山の上・・・夜は寒いんです。 7月です・・・

あの、ちっちゃい子が・・・・

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・・でも、やっぱり寒いから・・・

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もう他の四匹は3倍の大きさなのに・・・

がんばれ! ちっこいの!

003

犬は地べただけど・・・・ 猫は楽してる。

トラちゃんは 元気です。

ちなみに、 バギオは7月19日零時45分現在 18度Cです。

http://weather.jp.msn.com/local.aspx?wealocations=wc:rpxx0046&q=%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3+%E3%83%90%E3%82%AE%E3%82%AA

日本の皆さん、熱中症に十分ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ブッダのことば」 (33) タフでなければ 生きていけない。

 

岩波文庫の「ブッダのことば」(スッタニパータ)(中村元 訳)を読んでいます。
原始仏教のお釈迦様の言葉です。

「十六、 サーリブッタ」

この章は、「長老の質問の経」とも呼ばれているそうです。

その質問というのは、修行者はどのようにあればいいのか、と言ういくつかの質問です。
ブッダはそれに次のように答えています。

964 しっかりと気を付け分限を守る聡明な修行者は、五種の恐怖におじけては
    ならない。 すなわち、襲いかかる虻と蚊と爬虫類と四足獣と人間(盗賊など)
    に触れることである。

・・・野宿があたりまえの修行者は、自然の生き物との戦いなんですね。
アブや蚊や、たぶん蛇みたいなものなんでしょうね。それに虎やライオン?
古代インドにはどんな四足の獣がいたんでしょうか。
一番怖いのは人間かもしれませんけど、何も所有していないのが修行者ですから
盗まれるものなどはないんでしょうね。

966 病いにかかり、餓えに襲われても、また寒冷や酷暑をも耐え忍ぶ
    べきである。

・・・医術もダメだって言っているお釈迦さんですからね。 我慢しなくちゃいけない。

969 智慧をまず第一に重んじて、善を喜び、それらの危難にうち勝て。
    奥まった土地に臥す不快に堪えよ。 次の四つの憂うべきことに堪えよ。

970 すなわち「わたしは何を食べようか」「わたしはどこで食べようか」
    「(昨夜は)わたしは眠りづらかった」「今夜はわたしはどこで寝ようか
    --家を捨て道を学ぶ人は、これら(四つの)憂いに導く思慮を抑制せよ。

・・・う~~ん。 何を堪えるっていっても、この「食べる」「寝る」ですからね。
どこまで根源的かって・・・

971 適当な時に食物と衣服を得て、ここで(少量に)満足するために、
    (衣食の)量を知れ。 かれは衣食に関しては恣ままならず、慎んで
    村を歩み、罵られてもあらあらしいことばを発してはならない。

・・・「適当な時に」というのは「托鉢の時に」という意味。
「罵られても」っていうのは、そりゃああるでしょうね。
黙って、村人と仲良くもしないで、食物をもらうっていうのは、そりゃあ難しいでしょう。

972 眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめて
    おれ。 心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと
    悔恨とを断ち切れ。

・・・前から、何に努力するのかと思っていたんですが、結局「瞑想に専念」という
ことみたいですね。 座禅。 そして歩いていても「瞑想」と言うことか。

973 他人からことばで警告されたときには、心を落ち着けて感謝せよ
    ともに修行する人々に対する荒んだ心を断て。 善いことばを発せよ。
    その時にふさわしくないことばを発してはならない。 人々をそしることを
    思ってはならぬ。

・・・この言葉は身に沁みます。
他の人から何かいわれると、心から素直に それに感謝するっていうのは難しい
ですよね。 わたしも「心を落ち着ける」ことにします。

そして、「人々を そしることを思ってはならぬ。」
「思ってはならぬ」なんですね。 「そしってはならぬ」じゃなくて、思っても
いけないってこと。

しかし、しかし。 こういうことを実際にできる人ってのは、余程 精神的にも
肉体的にも頑強でなくちゃいけませんよね。

次回 (34) は こちらに飛びます:

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/07/post-f93e.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年7月15日 (日)

「ブッダのことば」 (32) お釈迦様も「ぞっと」した・・・・ 

岩波文庫の「ブッダのことば」(スッタニパータ)(中村元 訳)を読んでいます。
原始仏教のお釈迦様の言葉です。

「十五、 武器を執ること」

935 殺そうと争闘する人々を見よ。 武器を執って打とうとしたことから
    恐怖が生じたのである。 わたくしがぞっとしてそれを厭い離れた
    その衝撃を宣べよう。

・・・なんだか恐ろしい言葉が出てきました。 暴力に関する章です。

936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄えているのを見て、
    また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起こった。

・・・この章の表現はちょっと珍しい表現のような気がします。
今までに読んできたところには、お釈迦様自身の感情的な部分はなかったように
思うんですが、ここには お釈迦様自身が「恐怖」を感じたとかいてあるんです。

937 世界はどこも堅実ではない。 どの方角でもすべて動揺している。 
    わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるが、すでに(死や苦しみ
    などに)とりつかれていないところを見つけなかった。

・・・「堅実ではない」の意味は、巻末の解説には「恒久的な本質がない」とあります。
お釈迦様の古代インドのころも、世界は今と同じように平和なんてものはなかった
んですね。

938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは
    不快になった。 またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に
    見がたき煩悩の矢が潜んでいるのを見た。

・・・「終極においては」とは「青春が終わったときには老いに襲われることをいう」
と解説にあります。
又、「違逆」を辞典で調べると、「背くこと。道理にたがうこと。」
仏教でのひとつの意味としては「意見を異にすること」とあります。

ここのつながりが分かりません。
武器や暴力の話が、急に 「老人が道理にたがうこと」になっているみたいなんです。

939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。
    この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆け巡ることもなく、沈むことも
    ない。

940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。--世間における諸々の
    束縛の絆にほだされてはならない。 諸々の欲望を究めつくして、
    自己の安らぎを学べ。

・・・これは、どういう話の筋なんでしょうか。
つまりは、煩悩がいろいろとあるから、それが武器を執ることにつながるのだ、
ってことを言っているんでしょうかね。

実践のしかたをたくさん書いてあるんですが、それは今までにいろいろと書いてあった
ものと似たようなことが書かれていまして、特にどうしたら武器を執らずに済むかとか、
暴力にいたらずに済むか、というような具体的なことは書いてありません。

例えば次のようなことが書いてあります、

952 苛酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩まされることなく、
    万物に対して平等である。ーー動じない人について問う人があれば、その
    美点をわたくしは説くであろう。

・・・「苛酷なる」は「嫉妬する」ことの意味だそうです。
また、「万物に対して平等である」ーーだから平静な心を保つことができるのだ、と
解説にあります。

つまりは、人間に煩悩があるかぎり、戦争はなくならないってことを言っているん
でしょうね。

せめて、世界の政治を預かっているトップの叡智が 煩悩に動かされないことを
祈るしかないってことでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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