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2012年8月16日 (木)

「ブッダのことば」 (39) 「世界を空なりと観ぜよ」  

 

岩波文庫の「ブッダのことば」(スッタニパータ)(中村元 訳)を読んでいます。
原始仏教のお釈迦様の言葉です。

「十五、 学生ポーサーラの質問」

1113 物質的なかたちの想いを離れ、身体をすっかり捨て去り、内にも外にも
     「なにものも存在しない」と観ずる人の智を、わたくしはおたずねする
     のです。 シャカ族の方よ。 そのような人はさらにどのように
     導かれねばなりませんか?

・・・難しい話になってきました、般若心経でいえば色即是空、空即是色
あたりの話ですよね。 「なにものも存在しない」ことをしっかり観なくては
いけないってことですね。

ほとんど、理解困難な部分ですが、とりあえず抜き書きだけしておきましょう。

1114 すべての<識別作用の住するありさま>を知りつくした全き人(如来)は、
     かれの存在するありさまを知っている。 すなわち、かれは解脱していて、
     そこをよりどころとしていると知る。

1115 無所有の成立するもとを知って、すなわち「歓喜は束縛である」という
     ことを知って、それをこのとおりであると知って、それから(出て)
     それについてしずかに観ずる。 安立したそのバラモンには、
     この<ありのままに知る智>が存する。

・・・「歓喜は束縛である」。つまり、喜びも悲しみも執着から発生するってことですね。
煩悩の元凶ってことです。

・・・ひとつ気になるのは、ここに「全き人(如来)」とある部分です。
つまり、お釈迦様自身よりも前の時代に「解脱した」人がいたってことですよね。
ある本によれば、「過去仏」と「未来仏」というのが出てくるんですが、
これはその「過去仏」、お釈迦様よりも昔に仏様がいた、という話にとれます。

過去仏、未来仏、それから浄土宗の阿弥陀如来との関係については、このサイトで:
http://www.geocities.jp/mitaka_makita/kaisetu/nyorai.html
阿弥陀様は 過去仏の一人で、西方浄土に住んでいるってことになりますか。

「十六、 学生モーガラージャの質問」

1117 この世の人々も、かの世の人々も、神々と、梵天の世界の者どもも、
     誉れあるあなたゴータマ(ブッダ)の見解を知ってはいません。

1118 このように絶妙な見者におたずねしようとしてここに来ました。
     どのように世間を観察する人を、死王は見ることができないのですか?

1119 (ブッダが答えた)、
     つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を
     空なりと観ぜよ。
 そうすれば死を乗り超えることができるであろう。
     このように世界を観ずる人を、<死の王>は見ることがない。

・・・出ました! 「世界を空なりと観ぜよ」ですね。
しかし、ここは意味が分からないですね。
解説によれば、次のようにあります:
死の王は見ることがない」=「死の王」の原語は「悪魔」のことである。
よってここの意味は、「死の王にううちまかされることがない」の意、とあります。

つまり、「世界を空だ」と観ずる人であれば、煩悩に苛まれることはない、ってことに
なるんでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ブッダのことば」 (38) カッパは激流でどうするか・・・??   

岩波文庫の「ブッダのことば」(スッタニパータ)(中村元 訳)を読んでいます。
原始仏教のお釈迦様の言葉です。

「十、 学生トーデイヤの質問」

トーデイヤさんが、聖者とはどんな人なのかを尋ねるんです。
そして、お釈迦様の答えは、

1091 かれは願いのない人である。 かれはなにものをも希望していない。
     かれは智慧のある人であるが、しかし智慧を得ようとはからいする人
     ではない。 トーデイヤよ。 聖者はこのような人であると知れ。
     かれは何ものをも所有せず、欲望の生存に執著していない。

・・・この中でひとつ気にかかるのは、「願いのない人」ってところなんです。
なぜかって言うと、浄土教の根本経典と言われている「仏説無量寿経」に
四十八願ってのがありまして、浄土宗や浄土真宗などでは、その中で特に
第十八願っていうのを重視しているんですね。
阿弥陀仏(阿弥陀如来、無量寿仏)が仏になる前の法蔵菩薩の時代に立てた48の
願いなんです。
それを元に、法然さんが「選択本願念仏集」の中で、第十八願の「念仏することが
一番大事」ってことを言っているわけです。
だから、「願いのない人」が聖者だってことになると、阿弥陀さんはどうなんの
って話です。
まあ、浄土思想は大乗仏教のものですけどね。

「十一、 学生カッパの質問」

いろいろ名前は出てきますけど、インド人の名前って本当に面白いですねえ。

1092 カッパさんがたずねた、
     極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、
     老衰と死とに圧倒されている人々のために、洲(避難所、よりどころ)
     を説いてください。

・・・まあね、カッパさんが水浸しについてたずねるところなんぞは、笑えますけどね。
ここは、まあ、真面目にいきましょうか。

1094 いかなる所有もなく、執著してとることがないこと、---これが洲
     (避難所)にほかならない。 それをニルヴァーナと呼ぶ。
     それは老衰と死との消滅である。

・・・要するに、簡単に言ってしまえば、所有するもの、愛するものがなければ、
水浸しになってもなんら執着することもない、ってことになるんでしょうかね。
まあねえ、失うものがなければ、損したとか、悲しいとか、執着もないんですけどね。

「十二、学生ジャトゥカンニンの質問」

1099 過去にあったもの(煩悩)を涸渇せしめよ。 未来には何ものも
     ないようにせよ。
 中間においても、そなたが何ものにも執著しない
     ならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。

「十四、 学生ウダヤの質問」

1106 ウダヤよ。 愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを
     除くこと、悔恨をやめること、

1107 平静な心がまえと念いの清らかさ、---それらは真理に関する
     思索にもとづいて起こるものであるが、---これが、無明を破る
     こと、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。

・・・「沈んだ気持ち」を除く。「悔恨」をやめる。
面白いですね。 暗くならず、くよくよもせず、明るくやろうよってこと??

「無明」というのは、「仏教の真理にたいする無知」のことだと辞典にあります。
いろいろな他人の考えに惑わされることなく、自分で真理についての思索をすれば、
無知から抜け出して、解脱ができるってことのようですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年8月14日 (火)

言葉が分らないってのは、やっぱ辛いわ・・・・

今、我が下宿に中国人2人とフィリピン人1人が3泊しているんですけどね・・・

なんと、商売で中国本土から来ているらしいんですけど、英語が全くできない。

私は中国語なんて全くダメ。

これは、困りまっせ。

タバコを一本くれるんです。

別にくれって言ったわけでも、なんか楽しく話をしたわけでもないんですけどね。

「謝謝」

しか知りませんから・・・・

下宿屋ですから、他の人が寝泊まりしても、別に文句があるわけでもないんですがね、コミュニケーションが全くとれないっちゅうのは、困りまっせ。

相手が、フィリピン人だったら、一応英語で話ができますからね。

初めて会った人であっても、なんかの話はできるわけで、気まずいことにはならないんですけど・・・・

部屋の使い方とか、トイレの使い方とか、ドアの鍵のかけ方とか・・・

「このテレビは俺の私物だから、俺にチャンネルの優先権はあるんだからな。」

とかね。

まあ、諸々のルールっていうか、そういうのを教えて、お互いに気持ち良くスペースを共有できるんですけどねえ・・・・

それに、間の悪いことに、終戦記念日真っ盛りじゃないですか。

NHKのテレビを見ていると、戦争関連を次から次にやっているわけですよ。

相手は、中国本土からきた中国人でっせ。

英語で話ができればね、テレビを見ながら、「お前はどう思う?」なんてことを話もできるってもんじゃないですか。

これがねえ、できないとなると、そりゃあ気まずいでっせ。

「おめえさんの国じゃあ、戦争の歴史なんかは どんな風にマスコミで扱ってんだ?」

とかね、聞けませんからね。

共通言語があればね~~。

いや~~~、言葉は大事だわ。

・・・・・

などと言うのは、ただ単に国際交流・友好レベルの話なんですけどね、

彼らが下宿を出ていくという朝に、初めてフィリピン人と話をしたんです。

彼はマニラから来た商社か代理店の人間だと思うんですけど・・・

中国本土のバイヤーが、パンガシナン州の銅鉱山から銅を買う商売に、マニラの人間が間に入っているという取引みたいなんです。

「あなたが通訳なの?」

「いや、通訳はいないんですよ。 だから、もう大変・・・」

・・・はあ~~~、中国語の通訳がいない?

もう、唖然とするしかないっすね。

大きな商売の話なのに、身振り手振りで契約の話をしているってんだから・・・

中国人とフィリピン人のこの商売のやり方、

どう思います???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ブッダのことば」 (37) 妄執を滅する方法を教えてあげましょう   

岩波文庫の「ブッダのことば」(スッタニパータ)(中村元 訳)を読んでいます。
原始仏教のお釈迦様の言葉です。

「八、 学生ナンダの質問」

ナンダさんが質問するんですけど、他との違いを聞くところです:

1079 およそこれらの<道の人>・バラモンたちは、(哲学的)見解によって、
     また伝承の学問によっても、清浄になれると言います。
     戒律や誓いを守ることによっても清浄になれると言います。
     そのほか種々のしかたで清浄になれるとも言います。
     先生! かれらはそれらにもとづいてみずから制して修行しているの
     ですが、はたして生と老衰とを乗り超えたのでしょうか?

1080 ・・・たといかれらがそれらにもとづいてみずから制して行っていても、
     生と老衰とを乗り超えたのではない、とわたしは言う。

そこで、さらにナンダさんが突っ込みを入れるわけです:

1081 聖者さま。もしおあなたが「かれらは未だ煩悩の激流を乗り超えて
     いない」と言われるのでしたら、では神々と人間の世界のうちで
     生と老衰を乗り超えた人は誰なのですか?

そこで、お釈迦さまは答えて:

1082 わたしは「すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆われている」
     と説くのではない。 この世において見解や伝承の学問や想定や
     戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをも すっかり捨てて、
     妄執をよく究め明かして、
心に汚れのない人々ーーーかれらは実に
     「煩悩の激流を乗り超えた人々である」とわたしは説くのである。

・・・と言っているんですね。
様々な知識、戒律、誓いなど、全部捨てなさいっていうことみたいです。
何ものにも囚われないで「何も存在しない」「実在しない」ってことを究めろってことですかね。

「九、  学生ヘーマカの質問」

1085 聖者さま。 あなたは、妄執を滅しつくす法をわたくしにお説きください。
     それを知って、よく気を付けて行い、世間の執著を乗り超えましょう。

1086 この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する
     欲望や貪りを除き去ることが
、不滅のニルヴァーナの境地である。

・・・さて、これが「妄執を滅する法」なんですね。
ここにある「ニルヴァーナ」という言葉なんですが、巻末の解説には、以下のようにあります。

1070の解説:

ニルヴァーナというものは、固定した境地ではなくて、<動くもの>である。
前掲の「妄執を昼夜に観ぜよ」という文章を解釈して、ブッダゴーサは
「昼夜にニルヴァーナを盛んならしめて、観ぜよ」という。 
われわれが、ホッとくつろいだときには、その安らぎの境地を増大させることが
できる。 それと同様にニルヴァーナを栄えさせ、増大させるか、あるいは
少なくとも作り出すことのできるものだと解していたのである。

又、1061の解説では:

自分の安らぎ(ニルヴァーナ)を学びましょう。 この文章から見る限り、
安らぎを実現するために学ぶことがニルヴァーナであり、ニルヴァーナとは
学びつつ(実践しつつ)あることにほかならない。
・・・この詩の原文によって見る限り、学び実践することがニルヴァーナであると
漠然と考えていたのである、と解することができよう。

・・・つまり、独断と偏見で強引にまとめると、
自分の安らぎ、心の平和を得るためには、様々な知識や考え方などをすべて
捨て去って、何ものも存在しないのだということを実感しなさい、ってことに
なりますかね??

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年8月13日 (月)

「ブッダのことば」 (36)  仏は 人々を救うことなど出来ない !!  

岩波文庫の「ブッダのことば」(スッタニパータ)(中村元 訳)を読んでいます。
原始仏教のお釈迦様の言葉です。

「六、 学生ドータカの質問」

1061 偉大な仙人さま。 わたくしはあなたのおことばを頂きたいのです。
     あなたのお声を聞いて、自分の安らぎを学びましょう。

・・・お釈迦さんは「仙人」だったんですね。
この本を読みながら、お釈迦さんはその当時どんな雰囲気、立場の人だったんだろうと思っていたんですけどね。

1064 ドータカよ。 わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させ
     得ないであろう。 ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、
     そなたはこの煩悩の激流を渡るであろう。

・・・さて、ここなんですが、巻末の解説によれば、
「ここでは、徹底した<自力>の立場が表明されている。 仏は、人々を救うことが
できないのである。
」とあります。

つまり、このポイントだけをみると、小乗仏教の方が正しい・・・少なくとも
お釈迦様はそう言っていたってことですね。
人々を救うという大乗仏教は後代の発展的拡大解釈ってことになるんでしょうか・・・

でも、ちょっと気になるのは、「世間におけるいかなる疑惑者」ってところですね。
「疑惑者」つまり「信心のない者」ってことにはならないんでしょうかねえ。

いずれにせよ、原始仏教っていうのは 「いかに自分は解脱できるか」 だけを追求していたってことなんでしょうかね。 「あなたが自分で解脱する為にその方法を教えてはあげるけど、あとは自分で頑張りなさいね。」 という宗教?  なんか、宗教とも呼べないような気がするんですが、気のせいですか?

1065 バラモンさま。 慈悲を垂れて、(この世の苦悩から)遠ざかり
     離れる理法を教えてください。

・・・ここでは、お釈迦様は「バラモンさま」なんですね。 バラモン教が主流である
時代の真っただ中にあって、仏教が生まれてくる前の段階ってことですね。
解説には、「釈尊はバラモン階級の出身ではなかったけれども、理想的な修行者と
見なされていたのであろう。」とあります。

「理法」というのがよくわからん言葉なんですが、解説には、
理法と呼ばれているものは、真理と訳して差し支えないが、それは事実認識の
表象内容としての真理ではなくて、実践的認識としての真理なのである。」
とあります。
難しいいいまわしですね。 つまり、実践的認識ってのは 実感して理解するという
ことなんでしょうか。

1068 ドータカよ。 上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っている
     ものは何であろうと、--それは世の中における執著の対象であると知っ     て、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない・・・

・・・これは、1055でも同じような話がでてきましたね。
すべては実体がないから、執着するなってことでしょうか。

「七、 学生ウパシーヴァの質問」

1070 師(ブッダ)は言われた、「ウパシーヴァよ。 よく気をつけて、無所有を
     めざしつつ、「何も存在しない」と思うことによって、煩悩の激流を渡れ。
     諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」

・・・おおお、ついにはっきり出てきましたね。
「何も存在しない」と言い切っています。
般若心経に出てくる部分に重なりますね。 自分の感覚すら存在はしないってことですね。

さて、ここで、ウパシーヴァさんが解脱した人はどうなるのか、ってことを聞くんです。
そこで、お釈迦さんの答えは:

1074 たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)
     数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して
     滅びてしまって、 (存在する者としては)数えられない のである。

・・・げげげ・・・なんか凄いですね。
「解脱した人は存在しない」?? ってこと・・・ですか?

1076 滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。 かれを、ああだ、
     こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。 あらゆることがらが
     すっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまった
     のである。

・・・基準がなくなるから、論議すらなくなる・・・
解脱した人は 俗の者の世間を超えているから、存在や基準や論議すら無くなる
ってことですかね??

世捨て人、仙人だから、この世に居ないのも同然ってことですか??

===

ここで、我に返って、日本語教師にもどるんですけど・・・・

「解脱した人は存在しない」

この表現って、誤解される言い方ですよね。

「解脱した人は 過去に一人もいない。」という意味にもとれるし、

「解脱した人は もうこの世にはいない者となる。」とも読めますね。

もちろん、上記の場合は、後者の意味ですけどね。 

なんで、日本語ってこんなに分りにくい言語なんですかねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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