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2012年9月22日 (土)

山折哲雄著「法然と親鸞」を読む(11) 「宿業」が気になって  

中央公論新社の 山折哲雄著「法然と親鸞」を読んでいます。

「宿業」って もしかして ホテル業みたいなもの?
・・・すんまへん、つまらんダジャレです。
今回は、私の疑問で つまづいています。

その(8)で宿業論というのが出てきたときに、
私は こんな風に書いたんです。

「・・・親鸞の宿業論というのは、この本で初めて知りました。
それが親鸞の悪人正機説の底辺にあるということも初耳です。」

それが、ずっと気になっていたので、いろいろ検索してみました。
・・・で、発見。

「宿業、これは現在の浄土真宗でよく使う言葉ですが、親鸞聖人の言葉と
しては非常に珍しい。『教行信証』には出てこない言葉
であり、
『歎異抄』だけにしか出てこないのである。」
http://homepage3.nifty.com/Tannisho/13_SyukugouBannen.htm

・・・ああ、ほっとしました。
やっぱそうですよね。 歎異抄にしかないんですよね。

ってことは、親鸞さんは宿業ってことを言っていないってこと?
唯円さんの創作ですかね?
歎異抄は誰が書いたのかは 明確ではないそうですしね。

十三章の初めには、「故聖人の仰には『兎毛羊毛の端にいる塵ばかりも造る
罪の宿業にあらずということなしと知るべしと候ひき、』」とある。

唯円さんが 親鸞さんから聞いたってことですね。
それも、親鸞の死後30年ぐらいたってから編纂されているらしいし。

そして、念を押すみたいに、
「『歎異抄』でも、この十三章と後序の最後に出るだけで他には出てこない。」
って書いてあるんですよねえ。
http://www.gem.hi-ho.ne.jp/sogenji/tanni/tanni-13.htm

な~~んか微妙。

さらに探したところ、この点を取り上げているサイトがありました。
http://d.hatena.ne.jp/zenkyu2012/20120507/p1
親鸞は自らの著書の中で「宿業」という言葉を一度も使ったことはあり
ませんが、「宿業」論こそが歎異抄の中心思想であり、なおかつ、
多くの人が受け入れがたく感じるのも、この「宿業」ということでしょう。

・・・私自身は 宿業そのものは受け入れることが出来るんですが、
親鸞が一度も言ったことがない、少なくとも書いたことがない
宿業論を この肝心なところで使ってしまっていいのかな? という
感じがするんです。

特にそれが「中心思想」だと言っていいのか、ってことなんです。

こちらのサイトは「宿業」は「運命論」とは違うと書いているサイト:
http://shinran-bc.higashihonganji.or.jp/report/report03_bn16.html
現在の苦境は過去世に犯した罪の報いだ、すべては決定しているのだ、
という解釈は運命論である。過去世に責任のすべてを押しつけて、現状
肯定させる解釈である。
宿業感はそれと違う。無限の過去から、無量無数の縁によって、
「わたし」が「わたし」と成ってきたのだと知り、その事実に感動する
ことである。いわば存在の原点が開かれることである。

親鸞が書き残したもののどこに「宿業」と解釈できるものがあるのか、
それが知りたいんですけどねえ。

ご存じの方がいらっしゃいましたら ご教授ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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山折哲雄著「法然と親鸞」を読む(10) 裏切った者は誰だ!

 

中央公論新社の 山折哲雄著「法然と親鸞」を読んでいます。

「第八章 ユダとアーナンダの物語」

さて、著者は私たちをどこに連れて行っちゃうんだろうと前回書きました。
そして、第八章に入ると、著者は「本題にもどらなければならない」
と書き出しています。 よかった。

・・でも、ユダなんて名前が出てますからねえ。 まだ安心はできません。

著者は、師弟の関係には三つあると書いています。
1. 徹底した弟子嫌いで、弟子がいなかった老子の道
2. 弟子が三千人いたといわれる孔子の道
3. 師と出会うときはその師を殺せ、という禅の道。

そして、法然と親鸞の関係は3番目に近いだろうとしているんです。

ここで、イエス・キリストのケースが取り上げられています。

ー 有力な弟子の一人、ペテロによる裏切りの物語である。

ー ペテロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らない
  というだろう」」といわれたイエスの言葉を思い出した。

ー ペテロの耳もとに「悪魔」の声がささやきかけて・・・

ー イエスの一味であることがわかれば師と同じように殺される、  
  ・・・罪を免れるために「知らない」といって師を裏切る。
  しかし、本当にそれだけであろうか。

そして、仏教においても、同じようなことがあったそうなんです。

ー ブッダの生涯においても、忠実だったはずのアーナンダという
  弟子が師のブッダを裏切る話が出てくる。
  それも三度にわたって。
  (大般涅槃経にあるそうです。)

ー (ブッダは)弟子や人々が望むならば、神通力によって寿命を
  超えてでも生き抜こうと考えていた。 ・・・そのことを弟子の
  アーナンダにそっとほのめかした。
  ・・・・ブッダの真意がどこにあるかがわからないままに、
  聞き流してしまう。

ー ブッダがそのことを三度も繰り返してほのめかしたにも
  かかわらず、アーナンダはついにそのことに気が付かない。
  ・・・アーナンダに「悪魔」がとりついていたからである。

・・・キリスト教の方の話は分かりやすい話ですが、アーナンダの方は
妙な話ですね。 それに「悪魔」という言葉が 仏教に出てくるって
いうのがちょっと日本人的には・・・・・

ブッダが「もっと長生きしようか?」ってほのめかして、
アーナンダがそれに気が付かないで 3度も無視したってんですがね
それが裏切り? ですか。

著者は、この聖書や仏典に似たような場面が出てくるところに
なにか師と弟子の相克の深い意味があるんじゃないかと解きほぐして
いくんです。

ー ユダの物語である。 イエスを銀貨三十枚で売った弟子の物語だ。

ー 「最後の晩餐」のとき、ユダとペテロがやがて自分を裏切るで
  あろうことを予告している。

ー イエスを裏切った二人の弟子のうち、一方は奈落の闇に
  突き落されたユダ、そして他方は権威と栄光の座にのぼりつめた
  ペテロ、--・・・対照的な運命に注目しよう。

さてさて、お立合い、ここで異議を唱えた日本人がいたそうです。
太宰治だそうですよ。

ー ペテロの偽善に注意を喚起し、裏切者の典型とされてきたユダ
  こそイエスの真の弟子
、イエスを心から愛した真実の弟子
  だったのではないか、と太宰はいう。

ー 「あの人は、どうせ死ぬのだ。ほかの人の手で、下役たちに
  引き渡すよりは、私が、それを為さう。

  けふまでの私の、あの人に捧げた一すぢなる愛情の、これが
  最後の挨拶だ。 私の義務です。」

ー ペテロやヤコブやヨハネのような弟子たちなど、ものの数では
  ない。 かれらはたんなる出世を欲しがっている野心家たち
  ではないか。

ー しかし現実には、そのペテロが殉教してイエスの正統の後継者
  になった。 これにたいして、弟子たちのなかでは師のイエス
  をいちばん愛していたはずのユダは、自殺して裏切者の
  烙印を押された。

・・・ちょっと、この太宰の短編小説「駈込み訴へ」っての、
読んでみたいですね。

読んでみないと分かりませんが、なんとなく日本人の判官びいき
から言うと、あるいは師への献身的な信仰という意味からいうと
日本人的な自己犠牲という雰囲気なのかもしれませんね。

ー ペテロを筆頭の弟子とするキリスト教会の秩序が形成された・・

ー 十二人の弟子たちが、イエス・キリストがのこした全遺産を
  分割相続したのである。

ー 一人の弟子としてのペテロが、一人の師としてのイエス・キリスト
  の全遺産をついに継承することはできなかったということだ。

ー 一人の弟子だけがそのことに反対した。 ユダである。
  ・・・異議申し立てをして、単独相続を主張しようとしたからだ。
  師の人格は、これを全面的に受容するか全面的に拒否するしか
  ない
と考えたからだ。
  ・・・・そのことに耐えつづけることができず、みずから
  命を絶った。

・・・あまりにも師を想うがための、悲劇の弟子ということに
なるのでしょうか。

そして、そう考えれば、仏教においても同じように考えることが
できる、と著者は述べているんです。
ユダ=アーナンダという構成ですね。

ー しかしかれは、師のブッダの遺産を分割することに承認
  与えたために、その後の仏教教団において有力な弟子の一人
  として生き残ることができた。

ー ブッダの遺体は、入滅後七日経ってから火葬に付された。
  さらにその七日後、あとに残された遺骨が八つに分割された
  ・・・それぞれの地にストゥーパ(塔)をつくり、ブッダの
  遺骨を安置した。

・・・それで、その遺骨の分配が広がって、それぞれ仏教教団が
広まっていったそうなんです。

そういえば、今年の5月に一時帰国した折に、東日本大震災の被災地
ツアーに参加したんですが、 釜石大観音にもお参りにいったんです。
その時に 仏舎利塔がありました。
日本中あちこちに仏舎利塔なるものがあるみたいです。
世界中には何か所あるんでしょうか、そして、
どのくらいの量の仏舎利が ここにはあるんでしょうかねえ。
http://www.kamaishi-daikannon.com/gaiyo.html

話が逸れてしまいました。
さて、著者の話の筋にもどりますと:

ー 十大弟子も十二使徒も、いってみれば、師のブッダやイエスの
  遺産を分割したあとにに残された残骸の管理者だったのではないか。

そして、著者は、キリスト教の十二使徒の最後に ユダの名前があって、
仏教の十大弟子の最後に アーナンダの名前があると書いているんです。

ー かれら二人は「教団」的思考の見えざる手によって、危うく
  「弟子」の地位につらなることができたのである。

ー 法然門流のなかでただ一人親鸞だけが、その困難な道を歩いて
  いった異端の弟子だったと、私は思う。

ー 師への帰依信順か、裏切りか、という思想的葛藤が生ずる。
  セクトの形成か、自立への模索か、というテーマが浮かび上がる。

・・・・まあ、はっきり感想を言えば、かなり強引な著者の話の
筋道だとは思うんですが、ちょっと冗長であるようなところを
除けば 嫌いではないですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年9月21日 (金)

山折哲雄著「法然と親鸞」を読む(9) 内村鑑三と日蓮上人  

中央公論新社の 山折哲雄著「法然と親鸞」を読んでいます。

「第七章 師と弟子の関係軸」

著者は、内村鑑三の次の言葉を引用する。

弟子を作るの資格なき者が弟子を作り得ざりしとて少しも恥辱ではない。
彼には亦彼の天分がある。 彼はただ独り働いて神と人とに仕ふる事
が出来る。 願ふ人よ、殊に青年よ、殊更に文士よ、理想家よ、
切に願ふ再び師事せんとて余の許に来る勿れ。

・・・これは「弟子を持つの不幸」という文の一節だそうです。
そして、これを、親鸞の「歎異抄」の中の
「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」の世界と同じだと言っています。

そして、

ー 日本近代の知識人のなかで、この内村鑑三ほど親鸞の思想の
  中核に肉薄していた人間が、ほかにいたであろうか。

・・・もちろん、内村鑑三はキリスト教で有名な人ですけどね。
そこで、多くの「弟子にしてくれ」といって来た著名人に
裏切られているわけなんです。

そして、著者はさらに、内村鑑三自身が「代表的日本人」という代表作
の中で、親鸞ではなく日蓮を挙げていることについて 以下を引用
しています:

日蓮の論法は粗雑であり、語調全体も異様です。 日蓮はたしかに、
一方にのみかたよって突出した、バランスを欠く人物でした。
だが、・・・しんそこ誠実な人間、もっとも正直な人間、日本人の
なかで、このうえなく勇敢な人間であります。

ー 弟子を持つことの不幸を嘆き、絶望している内村にとって、
  まさに「師」として仰ぐべき美質と映っていたのではないだろうか。

ー 弟子捨ての激情を抑えかねている内村鑑三は、その点において
  かぎりなく親鸞の立場に近いところにいた。

ー (内村は)自分の理想とする教会の姿を発見しようとするけれども、
  それがどこに行ってもみつからない。ついに「無教会」、としか
  いいようのない思想が、こうしてかれの心に萌芽する。

ー 内村鑑三の「聖書之研究」は「歎異抄」のキリスト教化
  試みであったといってもいいほどだ。

ー 内村鑑三にとって「師」日蓮の存在感は、あえて飛躍を怖れずに
  いえば、親鸞にとっての法然にも比すべき人格として迫って
  いたような気がしてならない。

・・・う~~ん、これはまさしく著者の心の中での飛躍としか
思えませんが、今まで原始仏教の「ブッダのことば」やら、
「教行信証を読む」やら、「般若心経をよむ」みたいなものを
読んで来た流れで感じるのは、浄土真宗の阿弥陀如来への信仰
ってのはキリスト教的な信仰に似ているという意味で
仏教の中では かなりぶっ飛んでいるんじゃないかと感じるんです。

さて、それで、著者が私をどこに連れていくんだろうと思っていましたら、
こういうところでした・・・・

ー 戦後の「人間」が戦前の「師」を殺したのだ・・・・

ー 戦後六十五年を通観すればただちにわかることだが、
  その人間関係主義の大合唱のなかから師弟関係という人生軸が、
  はじめから徹底的に排除されていたのだ

ー 会社という組織における上司と部下の関係からも、
  この「師弟」の人生軸がいつのまにか一掃されていた。

ー 大学という組織体においても同じことだった。
  教授と学生の関係軸のなかから教師と弟子というイメージが
  いつのまにか追放された。

・・・おやおや、法然と親鸞の関係の話が 著者の体験を通じて
現代の師弟関係の話になってきました。

さあ、その(10)では、どこに行っちゃうんでしょう・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年9月20日 (木)

山折哲雄著「法然と親鸞」を読む(8) 宿業論と悪人正機説

 

中央公論新社の 山折哲雄著「法然と親鸞」を読んでいます。

前回(7)の続きです。

そして、親鸞の言葉は:

それはすでに前世において決まっていることだ。自分の心が善いから
殺さないのではない。 たとい殺すまいと思っていても、いつの
まにか百人千人の人間を殺していることもあるのだ。

ー 人間の犯すわずかな罪悪でも、過去の報(宿業)でないものは
  ひとつもない、・・・・人間の自由意志を完全に否定したような
  問いかけであるといっていい。

ー 相手の無力を徹頭徹尾あばき立て、最後に絶対の救済仏
  顔をむけさせる。

ー 弟子たちがもっている世界観や人生観を一度根本的にひっくり
  返してみようとする意図があったからではないか・・・

ー 「汝、弟子たちよ、そのことに耐えうるや否や、
   それに耐えてみよ。」

ー 師と弟子のあいだに打ち込まれる攪乱の杭である。
  師が弟子につきつける試練の問いーー。

・・・・こういう話になってくると、おそらく多くの皆さんが
オウム真理教のことを思い出されるのではないでしょうか。
そう、この著者もそれを書いているんです。

唯円は 「私の力では、とても一人も殺せそうにはありませぬ。」
って答えたんですけど、オウム真理教の弟子たちは、
「わかりました。 ポアいたしましょう。」って答えてしまった
わけですね。

そして、著者は、これは一見 決定的に異なっているように見える
けれども、親鸞の宿業論に従うかぎり、同じかもしれないって言って
いるんです。

ー 親鸞は・・・・人を殺すも殺さないも、それはすでに前世に
  おいて決まっていることだ、・・・・悪い考えが浮かぶのも
  過去の悪い因縁があるからだ、と。

ー 問いそのものが人間の常識的な洞察を混沌に突き落す
  動機をそもそももっていたということだ。

・・・現代的な言い方をすれば、過去の因縁がDNAに沁みこんで
いて、人間はそれに突き動かされてしまうものだ、ってことに
なるんでしょうか。

戦争だってそういう風に言えるのかもしれませんね。
国が人を殺して来いと命令する。
国を守るため、国民を守るため、自分の町を守るため、自分の親族を
守るため、自分の家族、妻、子供、孫を守るため、
そして、究極には自分自身の命を守るために 人を殺すわけです。

そう言えば、「ブッダのことば」を読んだ中に、
殺そうと争闘する人々を見よ。 武器を執って打とうとしたことから
 恐怖が生じたのである。 わたくしがぞっとしてそれを厭い離れた
 その衝撃を宣べよう。」

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/07/post-1591.html

ってのがありました。

そして、「教行信証を読む」の中にも、親殺しの部分が
親鸞が最も苦悩したところだ、という話がありました。

「この父殺しの悪人アジャセは、はたして救われるのか。 『教行信証』と
いう作品の全篇に流れる基調低音であり主題である。 ・・・人間に
おける根源悪についての問題提起であり省察だった。」

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/11/post-361f.html

そして、著者は話をオウム真理教の問題に進めて、
島田裕巳氏の著書オウムーなぜ宗教はテロリズムを生んだのか
取り上げています。

ー 読んでいてとくに胸を衝かれたのが、教団内部における教祖
  (麻原彰晃)と弟子たちのあいだでおこなわれていた
  「マハー・ムドラ」の問題だった。

ー この言葉・・・一種の「宗教的試練」とでもいうべき事柄を
  意味していた・・・

ー 師が弟子に、本来的にジレンマを含むような難問をさしだして、
  それにたいしてどう行動するか答えを出せと迫る。

ー サリンを撒くのは悟りを開くためだ、だからサリンを撒いて
  人を殺すことでオウム教団を守り、ひいてはそれで人々の
  魂の救済に役立てよ、という命令を含む難問だった。

ー 麻原にいわれたからやったのかと問い詰められると、そのこと
  にはっきりと答えることができない。

ー 教祖は・・・自分が指示しているにもかかわらず、弟子たち
  自身の責任においてそういう気持ちになって行動しているのだ
  と思わせる。
  そういう状況に、心理的に追い込んでいく

ー 親鸞もまた師と弟子のあいだに演じられるそうした危機的状態
  の前に立ちつくしていたのではないだろうか。
  かれの弟子捨ての根本動機がそこにあったのではないかと
  私は思う。

・・・親鸞の宿業論というのは、この本で初めて知りました。
それが親鸞の悪人正機説の底辺にあるということも初耳です。

人間ってのはどうしようもない存在なんだ、ということを認める
ならば、人間の業というものはそういうものだとするならば、
そういう者であっても救済しなくてはならないというのが
親鸞の思想だということになるのでしょう。

私自身はどうかっていうと、元々 師と弟子、あるいは親分と子分
というような固い熱い関係というのは あまり実感できないタイプの
人間なもんですから、「弟子捨て」などという言葉もピンと来ない
んですが、法然から飛び立った親鸞としてみれば、弟子たちも
自分と同じように飛び立つものだという意識だったんじゃないで
しょうか。

「弟子たちよ、一人で立て、という親鸞の声がきこえてくる。」

という著者の結びにはすんなり納得です。

それに、お釈迦様だって 「独り歩け」って何度も言っていますしね。

「仲間の中におれば、遊戯と歓楽とがある。 また子らに対する情愛は
 甚だ大である。 愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角の
 ように ただ独り歩め。」
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/02/post-038d.html  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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秘密のメディア博物館 in BAGUIO えびす & エルビス

9月18日に バギオ・シネマテックというフィリピン政府の映画館に 呼ばれて行ったんです。

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なんでかって言うと、 上の写真のとおり、この映画館の1周年記念だったんです。

国際交流基金の日本映画祭なんかも扱ってくれた映画館なんで、今年の7月ごろからのお付き合いがあるんです。

映画館の中にある事務所で、お酒を使って簡単な儀式みたいなことをやったんです。 日本でもお酒を使ってお祓いをしたりしますよね。 あんな雰囲気です。 

一応キリスト教の信者なんだろうと思うんですが、山岳民族の出身なので 伝統的なお祝いの仕方をしているようです。 神父さんなんかがこれを見たら、やっちゃいかん!と言うところらしいです。

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そして、その儀式が終わったあとに、映画館のマネジャーが「シネマテックの別棟」に行こうと誘ってくれて たどり着いたところが、ここ。

「バギオ・メディア博物館・アニメ・スタジオ」 と書いてあります。

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おおお、雰囲気ありますねえ。

映画監督なのかと聞いてみると、テレビ番組制作をやっていたそうです。

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面白そうなものが いろいろと並んでいます。

素人には その有難味は分らないんですけどね。

映画監督には、それが分るらしいんですね。 「懐かしい~~!!」

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まあ、素人でもびっくりは、分りやすいこれですかね。 

「なんで エビス食堂が こんなところに あるんだ!?」

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こういうコレクションが満載の アニメ・スタジオ。

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エビス・・・エルビス とくりゃあ、やっぱ こういうのがないとねえ~~。

この男も 映画館で働く政府の役人ですよ。

なかなかの演奏ぶりでした。  中学生時代を思い出すなあ・・・・ 同級生がビルの一番上の倉庫みたいなところで、エレキ・バンドをやっていましたよ。

===

ところで、ここは マネジャーの方の 自宅兼仕事場兼博物館らしいので、一般の見学はお断りだそうです。

ですが、専門の教育関係者は 受け入れているみたいです。http://tibaldoarts.tripod.com/id22.html

 

 

 

 

 

 

 

 

Baguio Media Museum / Animation Studio,  Baguio City, Philippines

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