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2012年9月28日 (金)

山折哲雄著「法然と親鸞」を読む(14) 法然さんの肩透かし  

中央公論新社の 山折哲雄著「法然と親鸞」を読んでいます。

親鸞がむにゃむにゃと「教行信証」に書いていた「親殺し」の罪に
ついて、法然さんはどう考えていたのか、ってところに著者の
筆が進みます。

ー 王子は成長して父王を殺し、母を獄に投じて苦しめ、
  そして王位を継いだ。
  ・・・「王舎城の悲劇」である。
  「涅槃経」や「観無量寿経」などの大乗経典に説かれている・・・

ー 父殺しは阿弥陀如来によって救われるのか。
  そこに条件はあるのか、ないのか

ー 末法の世に生きる親鸞の精神をとらえた。
  だがその論題の核心部分を、師の法然はかならずしもつかんでは
  いなかったのではないだろうか。

ー その論題を突き詰めていけば、師と弟子の決裂は目にみえていた
  からだったと思う。

・・・まあ、親鸞さんは、法然さんとポイントが違うところに
その重要性を感じたんだけど、それを法然さんに対してダイレクトに
ぶつけることはなかった、遠慮していた、のかな?
あまり重要なレベルの弟子でもなかったから そんなチャンスも
なかったのかもしれないし・・・

ー ところがかれ(法然)は「選択集」において、その物語には
  まったく言及してはいないのである。 驚くべきことに、
  一言半句ふれてはいない。

ー その物語について、法然が知らなかったなどということは、
  まずありえないことだ。

ー 法然も父殺しといった重罪を含む「五逆」のテーマに
  まったくふれていなかったというわけではない。
  五逆罪とは・・・父殺し、母殺し、聖者殺し、仏身をそこない、
  教団を破壊すること・・・
  この罪を犯すと、阿鼻(無間)地獄に堕ちるといわれてきた
  インド仏教以来、絶えることなく論議されてきた根本的な
  重罪のことだ。

ー そういう人間であっても最後は念仏によって往生することができる
  のだといっている。 「臨終の十念」(臨終のときに唱える
  十声の念仏)によって、罪滅ぼしをして浄土に生まれ変わる
  ことができるといっている。

ー けれども法然がその著作において悪と悪人を話題にするのは、
  そこまでである。

・・・つまり、法然さんは、さらっと「念仏でOK」と書いている
だけで、従来から「五逆」の輩は地獄に堕ちるとされていたことに
ついて何も「なぜ念仏だけで救われるのか」を書き残してはいないんですね。

ちょっとあまりにあっさりし過ぎていて、肩透かしをされたような
感じでしょうか。

ー 師の主著にたいする異議申し立ての衝迫、といっていいだろう。

・・・でも、親鸞さんも、「教行信証」を書いた時には、
まだはっきりとは そのポイントである部分をタイトルにはできなかった
ということのようです。

そして、法然さんが「本願念仏のみを選択する」と言ったのに
対して、親鸞さんは「大無量寿経を選択する」と、「教行信証」の
中で宣言していることの不思議が 次に述べられていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年9月27日 (木)

「最新ファッションは パンツ風ズボン?」 ミラノ・コレクション

日本語教師症候群なんですがね・・・・

以前にもこれで悩んだことがあるんですよ。

パンツなのかズボンなのか、ってね。

まあ、とりあえず、このサイトの「ミラノ・コレクション」の
写真を見てください。 (サンケイ新聞のサイトより)

http://photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/fashion/2012/09milan/0919richmond/

上のリンクのページのたくさん並んでいる写真の上から二段目の真ん中の写真です。

http://photo.sankei.jp.msn.com/essay/photo?gid={063CAC94-1722-4ADA-B287-B6DE0C1E27C3}

私の悩みは、パンツなのかズボンなのか・・・なんですけど。

まず、「ズボン」の定義なんですが、wilipediaによれば:

ズボンとは衣服のボトムスの一種で、2本に分かれた筒に片脚ずつを入れて
穿く形のものを指す。下半身の下着を身に着けたその上に穿くものである。

ちなみに、「ズボン」」の語源は フランス語のJupon(ジュポン)なんだ
そうです。

そして、「パンツ」は

下着のうち、下半身に着るもの(ショーツ、パンティー、ブリーフ、
トランクスなど)を指す。英語では男女を問わず「underwear」だが、
アメリカでは女性用・女児用のものを特に「panties」とも呼ぶ。

なお、語源的には、アメリカではズボンは通常「pants」であり、
堅い言い方として「trousers」も用いられる。

となっています。

ただし、定義に加えて、以下のような現実的な説明もあります:

同様のものは、場合によって、スラックス、トラウザーズ、パンツなどと
呼ばれることも多い。
現在は、ファッション業界を主として、英語圏内で現在主に流通している
「pants」(「pant」の複数形 )に即してパンツという呼び方も勢力を
増しつつあるが、一般的な日本語としては「ズボン」という呼び方の
ほうが今なお根強い。

・・・・おお、今でもズボンが根強いんですね。 よかった。

私は、日本語を教え始めて10年くらいになるんですけど、
そのほとんどを外国で教えているもんですから、最近の日本語の常識、
トレンド、意味ってのがだんだん分からなくなって、自信がなくなって
くるんです。

さらに、wikipediaを読んでいくと:

日本では1970年代までは女性の下着を指す言葉として「パンティー」が一般的
であったが、1980年代後半ぐらいから男女・年齢の区別なく使われる
「パンツ」が広く用いられるようになった。日本の下着業界では女性用・
女児用を「ショーツ」と呼称している。
(※英語で「shorts」といえば半ズボンの意味になるので注意。)

・・・へえ~~、そうだったんですねえ。
確かに私が小さかったころは女性用は「パンティー」でしたね。
「パンティー」って 音自体になんだか 色気がありますよね。(笑)
それが「パンツ」になったということは知りませんでした。
そしてさらに「ショーツ」。
これは、タモリのテレビ番組で知ったくらいですかね。

しかし、「下着業界」では、ってありますね。
業界用語なのに、なんでわざわざ英語での半ズボンの意味とは異なる
下着の意味に使うようになったんでしょうか?
そういう混乱するような使い方はやめて欲しいなあ。

ところで、ミラノ・コレクションの写真ですけど。
これって、ズボンって言うには無理があると思いませんか。
どうみたってパンツですよね。
あえて言えば「見せパン」。
一応新聞記事だから「見せパン」という言葉が使えずに、
日本国内で一番勢力のある言葉をふたつ使って「パンツ風ズボン」って
書いたんでしょうか。

もしかしたら、何年か後には、「ショーツ風パンツ」なんてことに
なっているかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本語教育 日本語教師 フィリピン バギオ 日本語教師の悩み 語彙の変化 変遷 今の日本語をどう教えるか 日本語学校 日本の中での一般的な意味 変化する日本語 業界用語か一般用語か

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2012年9月24日 (月)

山折哲雄著「法然と親鸞」を読む(13) 阿弥陀仏だけってことは一神教? 

 

中央公論新社の 山折哲雄著「法然と親鸞」を読んでいます。

「第十章 思想の継承と離反」

さて、法然さんの思想とはなんだったのかって言いますと:

ー 「われは、ただ念仏のみを選択する。」

ー 阿弥陀如来だけが帰依信順の対象となる。
  阿弥陀如来だけが、衆生(人間のすべて)を救済するという
  誓いを立てておられる。

ー 仏教の全体を「聖道門」(聖者への道)と「浄土門」(救済への道)
  に分けて、前者を退ける。
  ・・・エリート主義を否定している。

ー 「浄土門」を、「雑行」(自己中心的な行為)と「正行」(自我
  から解放された行為)
に分けて、前者を否定する。
  無私、無我の行為をめざす。

ー 脱我的な「正行」を「助業」と「正定業」に分けて、前者を廃棄。
  「助業」= 礼拝、読誦、観想などの行為 = 自我的
  「正定業」= 阿弥陀如来の名号を唱えることのみ

そして、「選択」という、本質からはずれる枝葉を払って芯をつかむと
いうことでは、日蓮も道元も同じ道を選んだそうで:

ー 「法華経」だけを選びとり題目(南無妙法蓮華経)を唱えつづけた
  日蓮・・・「法華経」以外の万巻の経典はどれもこれも紙くず同然。

ー 道元は、 親鸞や日蓮の場合におけるようなテキスト(経典)では
  なかった。 ・・・「正法」という脱経典的なテキストであった。
  「正法」をつかむために座れ、といったのだ。

  それがやがて、「只管打座」(ひたすら座る)という言葉に
  結晶する。

ただし、このような一部の流れに対して、当時の守旧派は
どうだったかっていうと:

ー 仏教と神道の連携、協同のもとに成り立っていた王朝政権
  守旧的な勢力だった・・・

ー その奥の院には、比叡山という教権の心臓部・・・
  「神仏習合」の体制

さらに時代の動きは、大河ドラマでご覧のとおり:

ー 時代はすでに「武者の世」になっていた。
  侍が貴族政権を圧迫するような下剋上の波動が足元に忍び寄って・・・

ー 「神仏習合」の三百五十年にたいして「選択」の百年、・・・

ー 「宗教改革者」が存在したとすれば、法然ほどそれにふさわしい
  人物はほかにはいなかったと私は思う。

・・・なるほどねえ。 時代の流れの中で考えるとそういうことに
なるんですね。 宗教改革であったと。
少なくとも、それまでは様々な仏様がいたんだけども、
阿弥陀仏のみを選んだってことで、一神教になったってことは
ないのかな? 著者はそれにはふれていませんが・・・・

そして、著者は、「教行信証」の中で「いったい何が主張されているのか
というと、それがはっきりしない。」と述べているんです。

以前読んだ「教行信証を読む」にも書いてあった「父殺し救済は
是か否か」という点に進んでいきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の宗教改革  比叡山の権威からの脱却 王朝政権から武家政権へ 選択の時代へ 法然と親鸞の思想の違い 多神教から一神教へ?

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山折哲雄著「法然と親鸞」を読む(12) 大河「平清盛」の時代

 

中央公論新社の 山折哲雄著「法然と親鸞」を読んでいます。

「第九章 親鸞、法然のもとへ」

ー 親鸞は・・・師の思想の再検討、という仕事に身をのりだしていく。
  その救済の教えに、やがて疑いの視線が注がれる。

ー 中国浄土教の発展に大きな道を開いた善導が、法然の導きの師だった。
  (法然は)・・「観無量寿教疏」という個性的な浄土往生論を読んで、
  ・・・「専修念仏」を唱えるようになった。

ー 「選択本願念仏集」・・と宣言した文書・・・・
  法然の信仰告白の書であると同時に、戦闘的な論争の書でもあった。

ー 1177年6月、京都の鹿ケ谷でおこなわれていた平家打倒の
  謀議が発覚。
  1180年、以仁王が平家追討の令旨を出す。
  この年、源頼朝が伊豆で挙兵している。

ー 1181年、親鸞(9歳)が出家得度。
  法然は、すでに49歳。
  この年、国中に飢饉が発生していた。
  
ー 1185年3月、平家一門が壇ノ浦の合戦で敗れ、滅亡

ー 1198年、法然が九条兼実の求めに応じて「選択本願念仏集」を
  書き上げる。

ー 1201年、親鸞が山お降り、法然のもとに駈込む。
  法然の往生まで、あと十年。

・・・とまあ、このような激動の「大河ドラマ」の時代なんですねえ。

この十年のうちの前半の5年しか、親鸞は法然と一緒にいなかったそうです。
流罪になったからですね。
それで、この5年の間に親鸞はどういう体験をしたか、ってことです。

「教行信証」の「後序」に出ているそうです:

ー 三十三歳のとき、師のお許しをえて「選択本願念仏集」を書写
  することが出来た。 また師の肖像をかりてそれを映すことが
  できた。

ー (法然)ご自筆で別の名前(善信)をお書き下さった。
  (綽空からの改名)

ー 真宗の本質と念仏の奥義を説き明かした比類のない最重要の
  宝典である。

ー 師の門下は千万をこえるほどだが、そのなかで本典の書写を
  許された自分のような者ははなはだすくない

ー これはひとえに念仏に専心した徳によるのであり、もはや
  浄土往生は間違いないと思っている。

・・・ありゃりゃ、もうこの時点で「往生間違いなし」って
思ったんですねえ。
そして、その後 苦悩が始まるってことですか。

要するに、この時は、感激のあまり 天にも昇る気持ちだったんで
しょうね。

そのご弾圧の嵐が吹きまくって、流刑になるわけです。

ー 親鸞は、師の法然との別れを契機にして、しだいに自分自身の
  立脚地を定めなければならないと考えるようになっていたのだ。

ー 「教行信証」・・・「教」とはテキストのことだ。
  「行」とは実践、「信」とは信心、・・・「証」とは悟り、
  救済の証し、・・・・
  重要な論題というよりは、ものの本質を考えていくための思考
  枠組みといった方がよいかもしれない。

・・・ ここのところは、山折哲雄著 岩波新書「教行信証を読む」
大きな議論になった部分ですね。
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/06/post-d948.html

ー 問題は、そこに盛ろうとしている思想の中身が、師の法然の
  それと背反するような性格をもつだろうことを、親鸞自身が
  気づいていたということだ。

・・・ってことで、次回からは 法然と親鸞の間での
裏切りと克服(師殺し)に入っていくわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

法然と親鸞 浄土宗と浄土真宗 なにが違うのか 

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フィリピン・バギオ市で あるイベントがあったんですけどね・・・

こんなイベントがバギオのSMというモールであったんです。

http://janl.exblog.jp/16338808/

バギオ市が103年目の誕生日のお祝いの一環としてやったもので、姉妹都市が世界中にあちこちあるんですけど、その中で特に、バギオ市にあるコミュニティーとして大きな国である、中国系、韓国系、そして日本系のコミュニティーに協賛を依頼して開かれたんです。

E072

なんせ今時ですからねえ。

フィリピン、中国、韓国、日本ですよ。

中国はフィリピン、日本との島の問題。 韓国は日本と島の問題。

正直言って心配だったんです。

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日本とフィリピンは全く気がかりなことはないんですけど・・・

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まあ、中国っていっても中国系フィリピン人の人たちですからね。

戦前からず~~っと住んでいる人たちですし、フィリピンの日系人と同じで、基本的にフィリピン人ですから 今のご時世がどうかとはあまり関係ないし、どっちかと言えば、今の中国とフィリピンの関係の方が 中国系の人たちにとっては微妙な問題なんでしょうね。

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問題は、韓国人コミュニティーなんですよねえ。 気になったのは。

昔から住んでいる韓国系フィリピン人というわけじゃなくて、多くはここ数年の間に急激に増えた人たちですし、しばらく英語の勉強をしたら、どこかに行ってしまう人たちが多いのでしょう。

まあ、完全に韓国をそのまま持ってきている人たちなんですね。

スピーチなんかでなんか政治的なことでもいわれちゃ困っちゃうよなあ・・・

なんてことを少しは気にしていたわけです。

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でも、杞憂に終わりました。

こういう恰好をしてくれた日本人留学生は、韓国人の女の子たちにもモテモテでしたしねえ。

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最後は K-POPの韓国人組と 日本かぶれのコスプレ・オタクの連中が、入り乱れてのダンス・パーティみたいになっちゃってね。

よかったですよお。

まあ、このイベントの準備打ち合わせのミーティングに出ていた韓国人の代表の人たちも、気さくな人だったし、ここはフィリピンだし、バギオ市の主催だし、問題が起こる方がオカシイだろうとは思っていたんですけどね。

でも、やっぱり、オリンピックの場でポリティカルなアピールをする人たちですから、それが唯一心配だったわけです。

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そういう雰囲気を和らげてくれるのが、もしかしたらフィリピン人の人たちのキャラクターじゃないかな、ってふと思ったんです。

「まあ、いいじゃないの、そんな難しいことを考えなくても」

って感じかな。

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もうひとつの心配ごとは、日本人コミュニティーの出し物として コスプレのグループが「何かをやってくれる」 ってところだったんです。

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コスプレ・グループの代表とは、2~3回 打ち合わせはしたんですよ。

でも、当日 「グループの連中が集まらないんですよ。」ってなことを言いだしたんです。 もう、パフォーマンスはフィリピン、中国、韓国、日本の順番に始まっていたんですよ・・・

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おまけに、元々 「コスプレをやってくれ」って言い出したのは 市議会議員のおばちゃんですからね。

そのおばちゃんが(って言ってもたぶん私より若いかな)、「コスプレは大丈夫なの?」って 韓国のK-POPをやっている時にプレッシャーをかけてくるじゃないですか・・・

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・・・そこで、この写真の右側の男、コスプレ・グループの代表なんですけどね、この男が 会場にバラバラにやってきていた 他のグループやら個人のオタク連中を説得してくれたみたいで・・・

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土壇場になって、こんな感じの行列が出来上がっていったんです。

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今までお互いに知らなかった連中ですよ。

その彼らが、一列に並んでくれたんです。

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凄いじゃないですか。

やっぱり、オタク同士の連帯感なんでしょうか?

根が明るいフィリピン人オタクだから?

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最後は、こんな感じで K-POP組と入り乱れての 盛り上がり。

浴衣の男・・・なかなかやるねえ~~。 

(聞いたところによれば、彼は中国系フィリピン人らしい。)

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感謝の気持ちはビールで表す、ってのが私の唯一の手段なんですね。 気持ちを表現するのが下手な奴なんです・・・

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しかし・・・それも、先立つものがないと・・・・

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終わったらビール飲もうね・・・・って言ったら、なんと30人くらいも集まっちゃって。

やっぱり、感謝の気持ちを表すのって難しいよね。(笑)

 

 

 

 





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