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2012年10月11日 (木)

初期仏教長老「ブッダは、真理を語る」 お釈迦様は科学者だった

サンガジャパン発行 2012春 Vol.9「上座仏教と大乗仏教」
雑誌の中から、初期仏教長老 アルボムッレ・スマナサーラ という
人が書いた 「ブッダは、真理を語る。」
ー 四聖諦は生命に対する永遠に変わらない真理 -
というのを読んでみます。

一言で感想を言えば、「随分大胆なことを平気で言う人なんだなあ。」
ってことですかね。

ちなみに、この方は、スリランカ生まれ。 スリランカ上座仏教長老
国立ケラニア大学で仏教哲学の教鞭。 1980年来日。
現在は、初期仏教の伝道と瞑想指導。 などとあります。

では、私が大胆だなあとおもった部分をピックアップします。

ー 科学は・・・まだ真理を発見していません。
  まだ曖昧で中途半端です。 

ー 東日本大震災時の原発事故直後、日本政府は作業員の被ばく線量の
  上限をそれまでの100ミリシーベルトから250シーベルトに
  引き上げました。 都合上、基準値を変えたのです。
  ・・・政治的・経済的な事情があって、主観で決めた数字でしょう。
  本当に安全かどうか、何の根拠もないのです

ー 状況が変わるたびに、言うことをすぐ変えなくてはいけなく
  なります。 それを我々は「科学の発展」と呼ぶのです。

・・・まあ、これは誰でもちょっと考えれば分かる、ある意味の
常識ですね。 でも、普通は こうはっきりとは言いません。

ー アラーが唯一の神様だと思っている人々は、エホバを信仰する
  人々に対し、テロをやったり、殺したりもします。
  また、エホバが本当の神様だと主張する人々は、空から爆弾を
  落としてアラー支持者をころしたりもしています。

ー 神様については、「それはパクリだ」と理解すればいいだけです
  昔のユダヤ人たちの誰かがいいかげんに書いたテキストがあり、
  それをパクっているだけ。

ー 神に対する真理に達していない段階なので、いまだに中途半端で、
  曖昧で、いいかげんですから、信じるしか道がないのです。
  「よくわからないから、信じよう」という「信仰」なのです。

・・・う~~ん、賛否はともかく、確かにおっしゃる通りかなあ、
って感じですかね。 

そして、次のサブ・タイトルが「神への信仰と異なる仏教の信」
という文章が続きます。

これは、私がいままで原始仏教の本を読んできて感じている
部分です。

端的に言えば、日本においては、親鸞になって初めて
「信仰」らしい信仰になったように思えるんです。

ですから、この著者がいいたいのは、その全く逆の話なんですね。

ー テーラワーダ(上座仏教)仏教の場合、「わからないから信じる」
  ということはあり得ません。 テーラワーダの世界はものすごく
  理屈っぽいのです
  たとえ神秘的な神々の信仰にしても、何か証拠を探します。

ー スリランカ人が信じる神々も、信じる人の頼みごとを聞かなかった
  ら何の躊躇もなく批判されます。

ー テーラワーダ仏教の「信」は、師弟関係の「信」なのです。

ー 相手の言っていることに「ああ、その通りだ」と納得するなら、
  そこで「信」が生まれ、「先生、お願いします。教えてください」
  となるという・・・

ー 神を信じる類の信仰は、仏教では アムーリカーサッダーと
  いいます。 「根拠のない信仰」です。 

ー 仏教の信仰というのは、科学でいう仮説なのです。

・・・つまり、お釈迦様が弟子に話したのは、信仰ではなく
科学だってわけです。

ー ブッダの教えを信じて、信頼して、説かれる通りに生きてみれば、
  信という仮説が正しかったのだと発見することができます。
  「真理」に納得するのです。

・・・ここで例えがいろいろ述べられているんですが、
それは、昔は日食で人々が怯えたけれども、科学的な真理が分かった
今では、それを怖がる人などはいない。
つまり、真理が明らかになれば、それはひとつしかないから、
だれも怖れたり、迷ったりはしなくなる、ということなんです。

だから、上記の宗教の例でいえば、神は一人しかいないという
ことについての真理について決着がついていないから
あ~だこ~だと宗教間の争いが起こるということになります。

さてさて、そこで、それじゃあ ブッダが言った真理ってのは
何だという話です。

ー ブッダが語った真理とは何か。 それは「生きるとは何か」
  という質問の答えなのです。

ー お釈迦様は・・・答えを発見されました。
  ・・そして、生きることに関連して生まれる一切の悩み、
  苦しみ、恐怖感がきれいさっぱり消えてしまいました。

ー 発見した真理を明確にまとめて、四つにして語られました。
  「四聖諦」です
  ひと言でいうならば、ただ「苦」だけですよ、ということです。

ー 我々は、昔の教会の方々と同じです。 「地球は丸い」と
  言われても、絶対に認めたくないのです。
  「人生は苦」だと言われても、「そんなバカな!」という
  態度をとります。

・・・ここがポイントですね。 「人生は苦だ」というのが
ブッダが言った真理なんです。

それはちょっと考えてみれば、誰にでも納得できることなんだ、
と言うわけです。

ー 我々は洗脳されているので、「生きることは尊い、ありがたい
  ことだ。 一つしかない命だ」と言いはじめます。
  本当は、命は無数にあるのに、一つしかない命だなんて、
  いいかげんで真っ赤な嘘ばかりです。

  
ー しかし、徹底的に「生きるとは何か」と調べると、「苦」が
  ないと「命」がないということになるのです。
  「苦」が「命」なのです。

ー もし、お腹がすいたら、あまりにも気持ちが良くて楽しく
  なるとしたら、どうなりますか?
  絶対に食べないでしょう。 ですから、お腹がすいたら苦しく
  て死にそうになるということになっています。

・・・別の例としては、呼吸についても書いてあります。
呼吸は 吐いているだけでは苦しくなる、吸っているばかりでも苦しく
なる、苦しくなるから吸ったり吐いたりする、それによって
生きていられる、というわけですね。

そして、お釈迦様の 面白い一面も書いてあります。

ー お釈迦様の自慢は度を越して相当なものです。
  自分が四聖諦を発表するときには、こんな言葉を言うのです。
  「私が語るこの真理は、そうではないと逆転することは
  誰にもできません。 たとえバラモン人であろうが、知識人で
  あろうが、梵天であろうが、マーラ(悪魔)であろうが、
  一切の生命、誰にもこれは逆転することはできません」と
  おっしゃるのです。

・・・・さっきは、アラーとエホバのことが出てきましたが、
こんな叙述もあります。

ー 「お釈迦様の言葉が事実に合っていない」と言える人は
  いまだに一人も現れていません。 一人も、です。
  これに対してキリスト教は、十年ごとにいろいろなものが
  変わります。 どうして、そんなに変わるのかといえば、
  教えが真理ではないからです。

ー どんな国でも、けっこう神秘文化はあります。
  日本ももちろん、中国にも嫌になるほどありますし、インドは
  本場です。
  ・・・・星占い、手相占い、人相占い師などが神秘的な
  世界の専門職として定着していきます。

ー 私たちはどんどん、仏教を変えていくのです。 
  ・・・お坊さんたちまで占うような現象が出ているのですね。
  そういう怠け者のニーズに「詐欺師が乗る」と、お釈迦様は
  おっしゃいます。
  「では、南無阿弥陀仏と唱えて、はい、それで終わりということ
  にしましょう」と、なるのです。

・・・あいや~~~。 キリスト教も、浄土宗、浄土真宗も
めった切りになっちゃいました。

ここでは、神秘主義を批判しているんですが、

ー 神秘の力というのは、通常の方法では得られないものを、
  どうにかして得るための、よく理解できない何か別の力
  のことです。 「祈り」は代表例です。

ー 必要な条件は科学的に決まっています。 
  ・・そこに祈りなど、よくわからないものを入れると、
  話がハチャメチャになってしまうのです。

ー お釈迦様は、神秘主義に反対なさって、ものごとを現実的に
  観察するべきだと説かれました
。 

・・・確かに、「ブッダのことば」に、占いや呪術はだめだと
書いてありました。

ー 人間の生き方は、他の生命の邪魔をすること、迷惑を
  かけること、いじめること、害を与えることで成り立って
  いるのです。

ー この悪循環を、慈悲の実践はいとも簡単に破るのです。
  一人の生命が他の生命を慈しむのです。

・・・ここで著者がいっているのは、
「祈っても無駄、慈悲を育てろ」と言うことです。

ー お釈迦様は・・・論理的なことを説明しているのです。

ー 呪文ではなくて、「慈しみを育てなさい」という経典なのです。

ー 「はっきりと理解すると、私たちの心が安らぎを感じる」と
  いうことなのです。

ー もともとのお釈迦様の仏教は、科学であって、何の神秘も
  ありませんでした。

ー 密教に至っては呪文「陀羅尼」というものができ上がって
  しまったのです。

ー お釈迦様は客観的にものごとを見る科学者よりも、はるかに
  すぐれた科学者でした。
 「生きる」という本題に対する
  真理を発見して、苦しみを乗り越えたのです。
  それは単なる科学的なやり方であって、神秘ではありません。

・・・この著者の説には、俄かに納得というわけにはいきませんが、
原始仏教の時点、あるいは上座仏教の立場の仏教というものが、
私が感じていたようなものであったということを
納得させてくれるものではありました。

つまり、上座仏教は いわゆる「信仰」を目的とする「宗教」
ではない、ってことです。

・・・・

後日、初期仏教と浄土真宗の関係をチェックしようとしてインターネットで検索していましたら、なんとこんなサイトがみつかりました。

浄土真宗のお寺さんのサイトです:

http://myosaiji.sakura.ne.jp/index.html

なかなか大胆な試みですね。

できることなら大分まで行って、このお寺の講演会・仏教勉強会に参加してみたいです。

http://myosaiji.sakura.ne.jp/pg135.html

実に面白そう。

こういう浄土真宗のお寺さんは他にもあるんでしょうかねえ。

正式名称/浄土真宗 浄楽山明西寺(じょうらくざん・みょうさいじ)
正式名称/※宗派に属さない単立の寺院です

この意味が何か微妙なんですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年10月 8日 (月)

CINE EUROPA フィリピン・バギオで ヨーロッパ映画 2

私が観た 二つ目の映画は これです:

005_2

スリナムという国、ご存じですか? 

私は知りませんでした。 南米の北東部にある 昔はオランダの植民地だったんですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%8A%E3%83%A0

この物語は 基本的には恋愛ものなんですけどね。

実際にあった話を元に作られたものだそうで、ストーリーは、スリナムから オランダ、そして、ナチス・ドイツの迫害の歴史から、最後はちょっとだけ日本につながるんです。

この映画は、オランダ語・・・なんでしょうね、英語字幕を一所懸命追いかけましたが、ついていけませんでした。(笑)

でも、恋愛ものですし、映像でなんとか分りました。

南米のスリナムから若い黒人男性が 宗主国であるオランダに留学するんです。 たまたま金持ちの家族だったんですね。

その若い男性が、オランダである女性に会います。

その女性は子供もいる37歳の主婦。 亭主が若い家政婦とできちゃって、その営みの現場を見てしまうんです。 それで、子供を連れて家を出る。

女性は、家を借りて住むんですけど、その一室を その黒人男性にまた貸しするんです。 お金が必要だから。 男性は大学入学の為に 猛勉強をしている。

歳がほとんど二倍も離れているんですけど、恋に落ちてしまうんです。

そして、二人の間に子供ができる。 それが SONNYボーイというわけ。

SONNYボーイというのは、男の子供への親しみを込めた呼びかけ語 だそうです。

二人は頑張って自分の家を持つまでになるんですけど、そこで ナチス・ドイツが出て来ます。

迫害を逃れるユダヤ人をその家に隠して、一緒に住むんです。

そして、それがバレて、 その主婦と黒人である主人は ユダヤ人とともに収容所送りになるというストーリーです。

人種差別もいろいろあるんですが、収容所の男性は、4ヶ国語を話せるということで、事務の仕事に就くんです。 それまでは良かったんですが、最後には・・・・・

・・・

そして、最後にちょっとだけ、家族や友人の結末が ナレーションで語られるんです。 そして、その字幕の中に、「日本の収容所で生き延びた」人がいたと出たんです。

ご存じですか? 

http://www.city.tsuruga.lg.jp/sypher/free/kk-museum/index.html

日本までの逃避行を手伝った外交官 杉原千畝 ですね。

たった一行の字幕でしたけど、嬉しい一行でした。

・・・

ヨーロッパ映画。。。もっとたくさん日本でも観られるといいんじゃないかと思いました。

最近はDVDもあるから、その気になれば観られるんですかね?

ヨーロッパ人の感性や、植民地を含めた歴史や、世界大戦の悲惨な事柄など・・・

面白いですね~~、おもしろいですね~~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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CINE EUROPA フィリピン・バギオで ヨーロッパ映画 1

バギオ・シネマテックというフィリピン政府直轄の映画館で、 ヨーロッパ映画を15本やっているんですけど、その内の 2本をみてきました。

http://janl.exblog.jp/16504122/

その内の一本は:

003

この映画は オーストリア映画。 BREATHING (呼吸)というタイトル。

始まっていきなり 若い男がすっぽんぽんになる映像(モザイクなし)が出てきて、「なんじゃこれは」と思いましたが、ストーリーが進むにつれて、「ああ、これは刑務所なんだ」ってことが分りまして、納得。

オーストリア映画なので、ドイツ語なんですね。 一応英語の字幕はあったので、なんとかかんとかついていけました。 セリフがあまりなかったんで、それも幸いして。

ところが、ナレーションが のべつ幕無しで入っているんです。 ドイツ語。

最初は気になって集中できなかったんですけど、分らない言語なんで、そのうちに気にならなくなりました。 不思議ですね。

・・・で、後で 映画を一緒み見ていた日本人の映画監督に聞いたところ、あのナレーションは視覚障碍者の為にすべての映像を説明しているのだ、と教えてもらいました。 ヨーロッパでは多いのだそうです。

映画そのものですけど、一言でいうと、淡々として、シュールな感じで、以前に見たドイツ映画の「命の食べ方」と共通する妙な感覚があって、素晴らしいと思いました。

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/08/post-bcc2.html

主人公は、殺人容疑で刑務所にいるんですけど、外に出て社会復帰のリハビリみたいなことをやるんです。 彼が選んだのは「葬儀屋」。 

日本映画の「送り人」を思い出しました。

それに、一瞬ですけど、黒澤明の映像の色使いを感じさせるような、ちょっとモンドリアンのコンポジションっぽい配色を思い出したり。

http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/M/Mondrian/Mondrian.htm

ヨーロッパ映画って、日本映画ともアメリカ映画とも違う感覚があって、いいですよ~~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2012年10月 7日 (日)

猫にだって 仁義はある ?

うちの下宿に 猫がいるんです。

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ハナジロと トラちゃん。

ハナジロがお母ちゃんで、トラちゃんは娘です。

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トラちゃんは、食事を持って来てくれる人が キッチンで食事をしていると、

そのキッチンの窓の網戸に登って、「早くオマンマちょうだいよ~~」と

窓の中を覗き込んで、鳴き叫ぶんです。

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・・・ところが。

その給仕人がですね、食事を持って行くと、なぜか、

自分は食べないで、「オカアチャ~~ン、食事が来たよ~~」

って鳴くんですよ。

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それで、こんな具合に、お母ちゃんが食べているのを 横で見ているんです。

な~~んでかな?

って考えてみたんですけどね。

今は このお母ちゃんに 新しい赤ちゃんがいるんです。

赤ちゃんたちにおっぱいをのませないといけないんです。

たぶん、それが理由じゃんじゃないかと思うんです。

トラちゃんは、お姉ちゃんとして、それが分っているんじゃないかと思うんです。

・・・

でもね、お母ちゃんがずっと食べてばかりで 席を譲ってくれないと、

左手を延ばして、「お母ちゃん、ちょっと退いてよ」ってやってるんですねえ。

かわいいっす。

 

 

 

 

 

 





 

 

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女を遠ざけよ! 男を見てはならぬ! 古代インド?

この日本人女性のサイトは 衝撃的です。
インドの片田舎だと思われますが、日本人の私の目からみると
まるで古代インドのような印象を抱かずにはいられません。

この日本人妻の方がお住まいの場所は ブッダガヤ
インド北東部の宗教都市ガヤーの近くにある仏教遺跡があるところ。
お釈迦様がお釈迦様になった、悟りを開いた場所だそうです。

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%80%E3%82%AC%E3%83%A4/

もしかしたら、「ブッダのことば」の背景となった時代の慣習が
そのまま 今の時代に保存されているのかも・・・

では、ちょっとだけ引用させていただきます:

実録インド生活
結婚編

http://www.interq.or.jp/ruby/mahamaya/okite.html#6

*だんなさんのお兄さん、お父さんに顔を見せるべからず。話してもいけない。

結婚式の日から突然、お兄さんやお父さんに顔を見せたり、しゃべっては
いけないと言われました。そういえば、それまででもお兄さんは日本語
ぺらぺらなのに、全然話をしなかったなと思いました。一つの家に住む
ので、若い年下の女性である弟の嫁に目移りしないためのルールだと
思われます。お兄さんが家にいる時はトイレに行くのも大変です。
廊下にお兄さんがいないことを確認して走ります。もし途中で
お兄さんが出現したらとりあえずすぐ近くの部屋に隠れます。

年上の男性全般に顔を見せないようにします。お客さんが来た時も、
それがだんなさんより年上の場合は隠れます。その人より年上の女性、
もしくは子供達に食事やチャイを運ばせます。

だんなさんの14歳だった妹が新しい学校に入学する時、その学校の
先生が面接に来ました。私はもちろん立ち会うつもりで待っていましたが、
先生が家に到着したとたん、私だけ違う部屋に呼ばれました。
先生は年上の男性なので先生が帰るまでここに隠れていなさいと言うのです。

・・・・・

なんとも「凄い!」としか言いようがありません。

なぜ、このサイトを探し出せたかと言いますと、
こちらの頁で書いた インド人のライフ・スタイルの慣習的な
考え方 「四住期」というものが、今の時代にもなんらかの
形で インド人の生活の中にあるのかどうかが 知りたくなったんです。
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/10/post-64a7.html

それで、インターネットでいろいろ検索していて見つけ出したんです。

四住期の中の家長期であっても、徹底して女人を遠ざけるという
のが、それも家族の中でもある、 今でもあるというのが想像を
絶していました。

学生期: 師を見つけ、その下でヴェーダを学習
家長期: 家長として家族を守り、カーストに定められた仕事に従事
林住期: 森に住み、ヴェーダを唱えながら苦行
遍歴期: 乞食をしながら遍歴し、ヴェーダの復唱に専念

イスラム教でも同じような慣習があることはマスコミなどでも
広く知られているところですが、インドのヒンドゥー教あるいは
古代仏教が生まれた場所に、もしかしたらその当時と同じような
慣習が生きているというのが驚異です。

ただ、以前から事あるごとに思っていたんですけど、
日本でも世界でも、政治家やら、役人やら、教師やら、警官やらの
社会的立場にある男どもが、色欲がらみで いろんな失敗をやらかして、
マスコミで叩かれていますよね。

まあ、男だからしょうがないよね、というのが皆本音なんですけど、
男も女も分かっているんですけど、それじゃあどうすると言った
議論は出ることがないわけです。
今の現代社会で 議論しても、法律を厳しくしても、どうにも
ならないことは分かり切っているからでしょうね。

そういう意味で言えば、こういったインドの古い慣習やら、イスラムの掟
などが、古代からの人間の智慧を反映したものなんだろうな、と思うことも
あるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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