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2012年11月 3日 (土)

「金剛般若経」を読む - 3  宗教の始まり??

本の表紙には、「般若心経 金剛般若経」とある岩波文庫の本を
読んでいます。中村元・紀野一義訳注です。

<6>のつづき
これらの求道者・すぐれた人々には、<<ものという思い>>も
おこらないし、同じく、<<ものでないものという思い>>も
おこらないからだ。
・・思うということも、思わないということもおこらないからだ。

・・法をとりあげてもいけないし、法でないものをとりあげても
いけないからだ。

(巻末の解説によれば、「ものという思いーー小乗仏教は「人無我」
(実体としての個人存在の否定)を説くのに対して、大乗仏教は
「法無我」
(個人存在の構成要素の一つひとつについて実体性を
否定すること)を説くと普通いわれているが、この一節では
明らかに「人無我」にたいして「法無我」を説き、前者を後者に
よって基礎づけている。 「法」という語は・・ここでは「実体
としてのもの」と解して差支えない。」となっています。

つまり、大乗仏教では小乗仏教よりも、より広範囲、より根本的な
ものまで含めて実体がないと言っているのでしょうか。)

かれら求道者・すぐれた人々は、ひとりの目ざめた人(仏)に近づき
帰依したり、ひとりの目ざめた人のもとで善の根を植えたりしただけ
ではなく、・・・このような経典の言葉が説かれるとき、ひたすらに
清らかな信仰を得るに違いないのだ。

(ここで「信仰」という言葉が出ているんです。漢訳には
「一念生浄信者」=「一念に浄信を生ずる者」ってあるんです。
初期仏教の「ブッダのことば」の中には、この「信仰」という
言葉は出てこなかったと思うんです。
スッタニパータ(ブッダのことば)を読んだ時のまとめを
こちらで振り返りますと、
「最初期の仏教は<信仰>なるものを説かなかった。」と書いたんです。
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/08/post-4c5c.html

これだけではないんですが、私には、初期仏教は「修行法」であり、
「真理の哲学」であったものが、この般若経の時代になって、
小乗仏教から大乗仏教に移っていくにしたがって「宗教」になって
いったように思えるのです。)

<7>
如来が、この上ない正しい覚りであるとして現に覚っておられる法
というものはなにもありません。 また、如来が教え示されたという
法もありません。 ・・・認識することもできないし、口で説明
することもできない
からです。

・・それは法でもなく、法でないものでもありません。
それはなぜかというと、聖者たちは、絶対そのものによって
顕されているからです。

(「法」=原語はdharma、特に「理法」を意味するときには「法」
と訳した、とあります。
「聖者=諸仏、「絶対そのものによって・・」の部分の解説では、
「聖者たちは、単なる現象的存在から高まって、無限定な、
絶対者そのものとして生きている
からだ」とあります。
「無限定な絶対者」という解説そのものが 分かりません・・・・)

<8>
<如来によって説かれた、功徳を積むということは、功徳を積まない
ということだ>と如来が説かれているからです。

<目ざめた人の理法、目ざめた人の理法というのは、目ざめた人の
理法ではない>と如来が説いているからだ。

(訳が分からんいいかたですが、どうも、ある特定の目ざめた人が
それを言い出したのではなく、その前の師からのつながりの中で
そのような理法が出てきたのだ、という意味のような、文全体
からの雰囲気ですね。 つまり、縁起があって発生しているって
ことになるのでしょうか。

それともうひとつ、この辺りで感じたことは、「功徳」だの「施し」
などという、初期仏教の本には出てこなかったような言葉が
出てきていることです。 宗教らしい言葉が出てきていると
言ってもいいかもしれません。)

==その4へ続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年11月 2日 (金)

ある男の誤算 -「日本を捨てた男たち」の人生の破綻 - その3

湧井隆一は、八方ふさがりで、相手の土俵の真ん中に置かれている。

「離婚して、フィリピンでの財産を、私の分を取り戻したいんです。」

「フィリピンの法律は どうなっているんですかね。
私は知識がないんでアドバイスも出来ないんですが・・・」

「離婚の場合は、すべての財産を半分にすることになっているんですよ。」

ライオンズ・クラブの会員でもある某フィリピン人に確認したところ、
この話は本当であった。

夫婦が保有するすべての資産は、離婚の際には半分ずつにすることに
なっているそうだ。
もっとも、フィリピン人同士の場合は離婚は認められていない。
ただし、婚姻が元々なかったものとして一定条件で解消するという
アナルメントという制度はある。
http://rikon.ois-japan.com/annulment.html

ちなみにフィリピン人と日本人の離婚は リコグニションという
手続きがあるようです。
http://rikon.ois-japan.com/recognition.html

又、資産家の場合には、結婚する前に 半分にする対象にしたくない
資産の除外規定をつくるらしい。

「妻は私に日本に一人で帰れって言うんですよ。
飛行機代はあげるからってね。」

「もう、そうするしかないんじゃないですか? 
裁判するにしたって、費用を払えないじゃないですか。」

「それしかないですかね・・・」

しかし、日本に帰ったところで どうするのか。

「飛行機代だけだと、日本でのアパートなんかにも入れないですからね。」

今時50代の男に 簡単に仕事が見つかるだろうか。

「相手の土俵の真ん中で、戦える状態でもないでしょう。
日本に帰って、態勢を立て直して、出直すしかないんじゃないですか?」

「とにかく、この状態から早く抜け出したいんです。
気が狂いそうになるんですよ・・・・」

湧井隆一は、缶入りのビールを一本空にすると、
まだ話し足りないという様子で ジープニー乗り場に向かって
ふらふらと歩いていった。

ライオンズクラブの某メンバーとフィリピンでの困窮邦人のことを
話す機会があった。彼の義理の父は日系人である。

随分前の話だが、彼はルソン島の北東部にあるツゥゲガラオの農場を
仕事の関係で訪問したことがある。

その農場の経営者から、日本人が働いているという話を聞き、
詳しい事情を本人に尋ねたところ、フィリピン人女性と結婚した
のだが、すべてを失って行くところもなくなり、ここに置いてもらって
いるとの話だった。

彼は義理の父にそのことを話し、義理の父が経営する会社で
三度のご飯だけでも食べられるような仕事をあてがってもらった。

その日本人は、しばらくそこで住まわせてもらった後、
義理の父に付き添われ日本領事館で相談に乗ってもらい、
日本に無事送還されたそうだ。

「でも、その後 日本に帰った彼からは 葉書一枚来ませんでしたよ。」

彼は笑いながら言った。

<終わり>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「金剛般若経」を読む - 2 すべての実存を否定する

本の表紙には、「般若心経 金剛般若経」とある岩波文庫の本を
読んでいます。中村元・紀野一義訳注です。

この本には、原文と書き下し文と現代語訳があるんですけど、
もっぱらその現代語訳を読みながら、心にひっかかる部分を
引用していきたいと思います。
その中で確認したいときだけ書き下し文を読んでみます。

この「金剛般若経」も「般若心経」と同じように
「如是我聞」(是の如くわれ聞けり)で始まっています。

<数字は、本書の中に振ってある番号を書いています。>
(  )の中はわたしの感想です。

<1> 
あるとき師は、千二百五十人もの多くの修行僧たちとともに、
・・・林、孤独な人々に食を給する長者の園に滞在しておられた。

・・・大市街を食物を乞うて歩かれた。 ・・食事が終わると、
・・設けられた座に両足を組んで、・・精神を集中して座られた。

(この場所なんですけど、祇樹給孤独園(ぎじゅぎつこどくおん)と
書いてあるんですが、「孤独な人々に食を給する」場所ですから
今の日本で言ったら「ホームレスの人たちへの給食所」みたいな
感じなんでしょうか? 略して祇園精舎とあります。
元々インドにはある一定の年齢になったらシャバを離れて修行に
入るような「四住期」という慣習があったようなので、それが前提
なんでしょうか。

四住期とは、

学生期: 師を見つけ、その下でヴェーダを学習
家長期: 家長として家族を守り、カーストに定められた仕事に従事
林住期: 森に住み、ヴェーダを唱えながら苦行
遍歴期: 乞食をしながら遍歴し、ヴェーダの復唱に専念

という人生のありかたですね。)

<2>
スブーティ長老は・・・次のように言った。
・・師よ、求道者の道に向かう立派な若者や立派な娘は、どのように
生活し、どのように行動し、どのように心を保ったらよいのですか。

<3>
およそ生きもののなかまに含まれるかぎりの生きとし生けるもの、
・・・それらのありとあらゆるものを、わたしは、<<悩みのない
永遠の平安>>という境地に導き入れなければならない。
しかし、・・・導き入れても、実は誰ひとりとして永遠の平安に
導き入れられたものはない

(そして、いきなりここで、難しい話がでてきます。)

それはなぜかというと、
・・・もしも求道者が<<生きているものという思い>>を
おこすとすれば、もはやかれは求道者とは言われないからだ。

誰でも<<自我という思い>>をおこしたり、<<生きている
ものという思い>>や、<<個体という思い>>や、
<<個人という思い>>などをおこしたりするものは、
もはや求道者とは言われないからだ。

(巻末の解説には、「生きているものという思いーー実体としての
生きものが実存するという考え
を指す。この他、自我・個体・
個人などを実体視するのは求道者の態度としてふさわしくないと
言われている。」とあります。)

<4>
求道者はものにとらわれて施しをしてはならない。
なにかにとらわれて施しをしてはならない。 形にとらわれて
施しをしてはならない。 声や、香りや、味や、触れられるものや、
心の対象にとらわれて施しをしてはならない

(「求道者」を解説でみると「漢訳では「菩薩」と音写し、「大士」
「開士」などと訳す。とあるんですが、修行者がシャバの人から
食事などの施しを受けるということではなさそうですね。
それを置いたとしても、「声や、香りや・・・」というのが
分からない。)

<6>
これから先、後の時世になって、第二の五百年代に正しい教えが
亡びる頃に
、徳高く、戒律を守り、智慧深い求道者・すぐれた人々は、
このような経典の言葉が説かれるとき、それは真実だと思うに
違いない。

(「第二の五百年代ーー釈尊がなくなって後五百年間は「正法」
世に行われ、教えと修行と証りの三つ共に存在する時期、
第二の五百年間は正法に似た「像法」の行われる時期で、教えと
修行はあるが証りのない時期、それ以降は「末法」の時代で、
教えはあるが修行も証りもない法滅の時代が来るという説が
後代には行われた。」と解説にあります。

しかし、ここでは、さらに、
「大乗仏教が興起した時代の一般的観念として、釈尊がなくなって
から五百年たつと宗教的な変動があり、大乗経典が世の中に行われる
ようになると考えていた。」ともあります。

それはともかく、法然さんから親鸞さんへの変化の時代は、
この「像法」から「末法」への移り変わりと言うことなんでしょうか。)

==その3へ続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年11月 1日 (木)

ある男の誤算 -「日本を捨てた男たち」の人生の破綻 - その2

「日本の銀行預金とかは、残していないんですか?」

湧井隆一は、妻の母国であるフィリピンへ来る前に、
日本の資産をすべて処分していた。

元国家公務員のような仕事をしていた人なのに、海外で生活する
上でのリスクのことすら考えないというのが 私には信じられない。

「全部処分して、こっちに持ってきたんです。」

「お金の管理はどうしているんですか?」

すべてのお金は、妻が管理していると言うのだ。

「それで、そのお金は 自分名義の口座じゃないんですか?」

「妻が、私の名前では口座を作れない、って言ったんです。
私は英語が出来ないもんだから・・・・」

フィリピンにも、湧井の名義の預金はなかった。

「いざと言うときのお金は どうするつもりだったんですか?」

「日本円を200万円くらい現金で銀行の貸金庫に預けたんです。」

現金を日本から持ってきた?
そんな大金を、現金を、フィリピンの持ち込むこと自体
違法だしリスクが大きいのに・・・

「それは自分で出し入れできるんですか?」

「いや、それも妻が出し入れしてくれてたんです。」

湧井は、自分が直接管理しているお金は、何もないというのだった。

「その貸金庫の円も、妻が何かに使ってしまったんです。」

いくら妻を信頼していたからって言っても、
それはあまりにも不用心ってもんじゃないですか?

「マンゴーの畑を買ったんです。 それに、小さなレストラン
みたいな店もやっているんです。 ・・・でも、経営が
どうなっているのか、帳簿や報告書を見せてくれと言っても
妻は何も話してくれないんですよ。」

勿論、これらの土地や店の名義も湧井の名義ではなさそうだ。
何からなにまで、すべてを妻に握られ、英語が分からないから
お金をどう使われたのかも、契約の内容も分からない。

「最近は、妻と会うこともほとんどなくなってきて・・・・」

「なにかビジネスをされているんですか?」

「何かやっているらしいんです。 でもそれが何だかも・・・・」

日本では しっかり夫婦をしていたのに、今ではそれも無くなって
しまったと湧井はこぼした。

「ビールも飲めないんですよ。 妻がお金をくれないんです。」
「じゃあ、どうしているんですか、今は。」

「一日に5ペソとか10ペソくらいしか使えないんですよ。
タバコも1本ばら売りのを買っている始末ですよ。」

「それじゃ、どうにも動けないじゃないですか。」

「日本に姉がいるんですけど、電話もさせてくれないんです。」

その3へ続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年10月30日 (火)

Pepotの夢 - フィリピン映画の庶民の世界

SMバギオのすぐ近くにある フィリピン政府が運営する
バギオ・シネマテック映画館で、
「Pepot Artista(俳優ペポット)」と言う映画を観た。

Pepot_artista_s

この映画は ペポットという小学生が主人公のコメディーである。

声を出すことが出来ないお兄さんと、妹がいる貧しい5人家族の家庭。

お父さんは中東の国に出稼ぎに行く予定が、ブローカーに騙されて
台湾から戻ってくる。
お母さんは、粗末な家でミシンを使って内職をしている。
お兄さんは働けず、ペポットが薄っぺらいフィリピン漫画の冊子を
売って小遣い稼ぎをしている。

近所のサリサリ・ストアーで毎日のパンを買ったりするのだが、
ツケは溜る一方で返せる目途は立たず。

小学校の教室では、宿題をやってきていない連中が 厳しい女先生に 
「教室の隅っこ(コーナー)に立っていなさい!」と言われ、
ペポットもその常連になっている。

「すべての者には コーナーがある。」

という言葉は、どうも「誰にでも居場所はある」という意味に
聞こえた。

そのペポットは、授業中にも常に夢を見ていた。
「スーパースターになる。」
それが彼の夢だ。

この作品は2005年の制作であるようだが、
その スーパースターは なんだか60~70年代のアメリカのスターを
コピーしたようないでたちである。
エルヴィス・プレスリーのような格好ですね。

そして、家出をしたペポットは、あるカップルのバラックのような
家に転がり込む。
正にろくな食事もできないような夢見るアーティスト・カップルだ。

映画の撮影現場で、子役募集との情報が入る。
オーディションに出るために衣装代として100ペソが必要だと
思ったペポットは、母親が子供たちの為に竹筒に貯めていた
虎の子をもらう。

しかし、不足している金額を補おうとギャンブルをして、
結局友人に騙し取られてしまう。

アーティスト・カップルは友達に頼んでペポットの衣装を作り、
オーディション会場に行くのだが、子役の募集は
「ホームレスの子供」という役だった。

フィリピンの貧しい庶民の日常の中で、厳しい現実の中で、
スターを夢見る子どもと大人。

「夢見ることは 誰も傷つけない。」

今も続くフィリピンの貧困という現実を、70年代という懐かしい時代に
遡って見せているのだが、この映画には心を和ませる楽観主義と
悲哀を含む笑いが満載だった。

そしてペポットはライターになった。
周りの仲間たちも それぞれに自分の夢を、多かれ少なかれ現実の
ものにしてきた。

フィリピン人の心の底辺を形作っている風景をみるような
映画だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ある男の誤算 -「日本を捨てた男たち」の人生の破綻 - その1

以前 マニラ新聞の記者である大谷竹秀氏著の「日本を捨てた男たち」
副題「フィリピンに生きる困窮邦人」という本を読みました。

率直に言って、そのほとんどが「なるべくしてそうなった」という
感じの話でした。

多くの場合、日本のフィリピン・パブなどで仲良くなり、
後先をあまり考えないまま、フィリピンへ戻った女性を
追いかけて来たというようなケースだったからです。

しかし、最近私が本人から直接聞いた話は、それとはちょっと
違うものでした。

「そんなことがあるのか!」と信じられないような、また本人に
とってみれば正に青天の霹靂とでも言うしかない誤算だったのです。

以下は、その本人の話に基づいて、推測を含めて書いた、一部創作を
含む事の次第です。

・・・・

「フィリピンの女を信じちゃいけないよ。 特に日本なんかで会った
女なんか・・・」

そう言ったのは、ちょっと皮肉屋のフィリピン人の男。
大学を途中で休学し、数年間 兄弟姉妹を学校へ行かせるために
住み込みで某名家のヘルパーとなり、今やっと、自分の為に
大学に復学し、ヘルパーをしながら教育学を学んでいる。
大学の教室にいると、時々講師と間違われると笑う。

「そんなんだったら、裁判で取り返さないと・・・

信頼できるフィリピン人の男が、そんなことを言い放つ。

その日本人の男が 彼女に会ったのは、もう20年近くも前の
話だった。

「こんなことになるなんて、信じられないんです。
もう今は、刑務所か地獄にいるみたいですよ。」

ある種の国家公務員であったという50代の男 湧井隆一(仮名)は、
昔話から語りだした。

おそらく水商売のフィリピン女性だったのだろう、湧井はその妻と
どんな場所でどのように知り合ったかについては話そうとはしなかった。

「いつごろ結婚したんですか。」
「結婚したのは もう15年以上前なんです。」

「子供さんは?」
「いや、子供はいないんです。」

15年以上も連れ添ったフィリピン人妻
離婚が多い昨今、それだけで信頼するに足る、と考えるのが
普通であろう。

「妻は 私の母親の面倒を見てくれたんですよ
私の母親はほとんど寝たきりでしてね。 それを妻は15年も
世話してくれたんです。」

「そうなんですか。それだったら、もちろん信頼しますよね。」

「はい、そうなんです。 その母が亡くなったもんですからね、
今度は私が 彼女の父親の面倒をみようと思って、フィリピンに来る
ことを決めたんです。」

「恩返しですね。それは素晴らしい。」

「私は英語ができないもんですから。 お父さんとはなかなか話も
できないんですがね。 彼女のお父さんには分かってもらいたいんですよ。」

湧井は そのお父さん宛てに書いたという英文の手紙を見せてくれた。
つたない、分かりにくい英文だったが、その熱意だけは伝わるような
訴えるような手紙だった。
しかし、その父親は最初のページを少し読んだだけで、
そのあとは読んではくれなかったと言う。

その2へ続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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中村元・紀野一義訳注「金剛般若経」を読む - 1

本の表紙には、「般若心経 金剛般若経」と二つが書いてあるん
ですが、「般若心経」については、既にいくつかの解説本を
読みましたので、今回は「金剛般若経」だけを読んでいきます。

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なぜこの本なのかって言いますと、同じく表紙にあるように
「金剛般若経は古来より広く読誦されてきた大般若経典のなかの
代表的な経典
」であって、大乗仏教の初期の経典だってことなので、
原始仏教の「ブッダのことば(スッタニパータ)」と比べて
どんなところが変化したのかな、ってことに興味が湧いたからなん
です。

そして、それがどのように浄土宗や浄土真宗につながっているのか、
繋がっていないのか、そこんところを感じたいわけです。

ちなみに、この本の「あとがき」を読みますと、
「この二つの経典は、日本の仏教では昔から、大乗仏教の精髄
示すものとして重要視され、つねに読誦されて来たものである・・」
とあります。

又、巻末の「解題」というところを見ますと、
「金剛般若経」というのは略称であって、詳しくいうと漢訳で
金剛般若波羅蜜経」または「能断金剛般若波羅蜜多経」というそうです。

さらに「解題」の中の「歴史的社会的背景」のところで
以下のように説明されています:

ー 「金剛経」は空の思想を説いているにもかかわらず、
  その中では「空」という語を用いていないのが、般若部経典と
  しては奇異に感ぜられるが、それは恐らくまだ「空」という
  述語が確立していない時代に成立したものだからであろう。

ー 「小乗」に対する「大乗」という意識も明確でない。

ー 経典の形式が極めて簡素で古形を示している。
  ・・・これは原始仏教聖典一般の書き出しかたと全く同じで
  あり、大乗経典らしいところが少しもない

・・・つまり、大乗思想がまだ孵化する前段階の時代のものだって
いっているんですねえ。
恐らく西紀150年か200年頃には成立していたんじゃないかと
書いてあります。

確かに読んでみると、原始仏教とされる「ブッダのことば」と
似たような書き方、雰囲気なんです。
「般若心経」には「空」という言葉が使われていますから、
それよりもかなり前に「金剛般若経」は出来たってことですね。

一応、さらり~~っと流し読みをしたんです。
全体の雰囲気がどんなんかな~~と思いましてね。
はっきり言えば、「わけわかんない」です。(笑)

どこがどう「空」なんだか・・・・って感じ。
まあ、3週間の日本語研修の仕事も終わったし、暇なんで、
じっくり読むことにします。

==その2へ続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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兵役を終えた ある韓国人のつぶやき

バギオで、ある韓国人男性と話す機会があった。

おそらく40歳前後ではないかと思う。
彼は、韓国語の外に日本語が外国人とは全く気づかないほど堪能で、
英語もかなりできるようだ。
小さいころに3年間 親の仕事の関係で日本に住んでいたそうだ。

日頃から韓国人の普通の人に聞きたいと思っていたことがある。

日本人と雑談をする彼の様子を見ていて、冷静に客観的にものごとを
見ることができる人だと思い、思い切って尋ねた。

昨年の12月8日、アジア太平洋国際平和慰霊祭というのが
フィリピン、バギオ市で開催された。

1941年12月8日、バギオ市の米軍基地があったキャンプ・
ジョンヘイに、日本軍機によって爆弾が投下され、日比戦争が
始まった。 その場所で開かれた平和慰霊祭である。

その会場には、地元のフィリピン人、抗日ゲリラとして闘った
元ゲリラ兵士、その孫の世代、ルソン島北部の山岳地帯で 当時の
ゲリラ部隊の歴史を研究する若者のグループ、戦時中を知る中国系
フィリピン人、台湾の大学で教鞭をとる日本人教授、そして日本人学生、
日系人団体関係者、マニラ、バギオなどからの日本人、などなど。
そこに、バギオの大学で学ぶ若い韓国人学生がいた。

それぞれの戦時中の体験や、それらの調査を踏まえたスピーチが
続く中で、若い韓国人学生の話は、私の耳には異様に響いた。
いつもマスコミなどで聞くような、韓国政府の見解をそのまま
主張するような内容であったからだ。

私は、そのことが聞きたかったのだ。

「韓国人は一般的に 政府の見解をそのまま口移しに言うような
考えの人たちばかりなんですか?」

もとより、私は、年配の韓国人の中には、親日的な人たちがいることも
知っている。
実際にバギオに来てから、日本語学校で年配の韓国人男性に
しばらく教えていたことがあるからだ。

私の質問に、ちょっと躊躇いながらも、その男性は答えた。

「若い人たちは、反日教育を受けていますからね・・・」

日本との関係において、近代史を十分すぎるほどに教育されていると
いうことである。

振り返って、日本の学校教育での近代史はどのように教えられているのか。

私が高校生だった頃、もう45年ほども前の話だ
日本史あるいは世界史の授業の中で、教科書にはほんの少しではあったが
記述はあった。
しかし、学年末時間切れというような雰囲気で、ほとんど近代史を
学ぶことはなかった。
 つまり、教育されなかった。

日本の若い人たちに聞いても、その状況にたいした変わりはないというのだ。
おそらく、右から左までさまざまな主張がある近代史を教えることは
文部科学省にしても、教師にしても、触らぬ神に祟りなしという
空気があるのではないか。
要するに逃げているのではないか。

平和慰霊祭を企画している日本人映画監督が、バギオの韓国人会の役員と
話をしたそうだ。

「日本人は、韓国のような歴史教育は受けていないんですよ。」
「えっ、そうなんですか? それは知りませんでした。
それにしても、日本人が こんな企画をやっているなんて、信じられない。
大丈夫なんですか。」

私自身は、両論併記でもなんでもいいから、世界的な視野で
右から左までの歴史観を並べて教えるべきだと思う。
日本人は、もっと広い知識を持つ方が、将来の日本を作っていくためにも
必要だと思うからだ。隣人がどのように考えているのかは知っておいた
ほうがいい。

私の二つ目の質問は、北朝鮮との関係だった。

「韓国の人たちは、北朝鮮のことをどんな風に受け止めているんですか?」

「北朝鮮のテレビ放送でアナウンサーが 過激なしゃべり方を
している、あれなんかは、ばかばかしいと思っていますよ。」

「あまり深刻な雰囲気ではないんですかね?」

「私は 兵役を終わっているんですが、医療関係の部隊にいたんです。
前線では、ニュースにならないけれども、小さないざこざは結構
起きているんです。」

ピリピリした雰囲気が実際にあるということですか?」

「はい、それはあります。 そのいざこざで負傷者たちが運ばれて
来ますからね。」

日本は、対韓国にせよ、対中国にせよ、今は政治的な神経戦のような
状況にある。
しかし、韓国という国を思えば、昔から、中国と日本の狭間にあって、
常に緊張状態を強いられて来た国だともいえるのだろう。
おまけに、祖国をふたつに分断されてしまった国である。

平和ボケと言われてきた日本とは、比較にならないくらいの
ストレスが韓国の人たちに掛かっていることは想像できる。

日本語が流暢なその韓国人男性は、落ち着いた声で、何度かこう言った。

「こういう場所で、こういう話をするのは、ちょっと微妙なんです。」

周りに座って彼の話に聞き入っている4人は全員日本人だった。
彼がどういう意味で言ったのか、私にはその背景は理解できない。
けれども、日本の閉鎖的な村社会的な雰囲気を思い起こせば、
そして、父や母の時代、戦前、戦中の一億総「軍国少年、軍国少女」
時代の雰囲気を思えば、それはなんとなく分かるような気がする。

「隣国でありながら、韓国が、韓国の人たちがどういう考えなのか、
私なんかは さっぱり知りませんからね。 フィリピンに対しても
同じだったんですけど・・・・」

「それは、お互い様ですよ。 韓国も日本のことは知りません。」

日本外交が、ボタンの掛け違いで変なことになってしまっている。
外務省には多くの優秀な人材がいるはずなのだが、それがうまく
機能していないのではないか。

あるいは、民間にしても、様々な「友好」と名のつく活動があるのに、
一気に吹き飛んでしまう。

何故なのか・・・
なんとなく、「本音の議論が日常的なレベルで」行われていないからじゃ
ないのか、と感じているのです。
そして、それを許す寛容さが周囲に足りないのではないかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あなたの頭は 分散処理か 集中処理か・・

お釈迦様でしたか,聖徳太子でしたか・・・とにかく偉い人で 
何人もの話を同時に聞くことができる、って人がいましたよね。

私は全く逆の人間で、一人の話を聞くのが精一杯なんです。

何かをやっている時も、ある一つのことしか出来ないんです。
あることをやっていると、他の事は目に入らないし、聞こえなく
なるんですね。

目に入らないってのは、ほんとに、物理的に見えなくなるみたいだし、
周りでいろんな音がなっていても 物理的に聞こえなくなる
みたいなんです。

車の運転なんてことをやるときは、そりゃあ危ない。
運転に集中しているときはいいんですけどね、誰かと話しながら
ってことができないんです。

最近は、携帯電話とか、いろんなものを運転しながら使う人が
多いですよね。 フィリピンのタクシーの運ちゃんなんかが
よくやっているんです。

「やめてくれ~~」っと叫びたくなるんです。

「お前は俺を殺す気か」なんてことすら、いらっとしながら
思うわけですよ。

コンピューターの社会でいえば、大型か小型かは分かりませんが、
メイン・コンピューター1台ですべての情報を集中的に処理している
かっこうですね。
同時に複数の処理は無理だから、優先順位をつけながら考えている、
行動しているって感じです。

でも、世の中には、その逆の人たちってのもいるんですねえ。
私からすれば、もうびっくりなんですけど。

分散処理ができる人たちですね。

分散処理ができる人っていうのは、複数のことが同時にできる人
みたいなんです。
複数の人たちが話していることが、同時に耳に入ってくるらしいんです。

車を運転しながら、おしゃべりしたり、携帯電話で話が出来たり、
車窓から見える道路端になにかを探し出したり・・・

人ってのは、なんだって自分を基準に物事を判断しますからねえ。

自分とは違った思考回路や能力を持った人のことを理解できるわけも
ないんですね。

でも、そういう人もいるんだろうなあ、ってことは想像することは
できるんですね。

そういう人がいて欲しいとも思うんですね。

自分に見えないものが、見えている人だっているかもしれない、とかね。

今、NHKでやっている朝ドラですね。
荒唐無稽なもんだと言ってしまえば、それまでなんですけど。
あんな主人公みたいな能力の人だって、ひょっとしたらいるかも
しれない、とかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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