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2012年12月 8日 (土)

堀田善衛著 「インドで考えたこと」(11)英国なんか糞くらえ 

岩波新書 堀田善衛著 「インドで考えたこと」を読んでいます。

「IX. インドは貧しい国ではない」の章に入ります。

p143
インドの歴史は・・・・木綿工業、手紡績は、紀元前二千年以来、
高度に発達し、
・・・その生産様式と社会制度は、・・・
とにかくアラビア人、トルコ人、ギリシア人、ダッタン人、
蒙古人などが相次いで侵入して来ても、それに耐えてつづいて
来たのである。

それが、十六世紀のはじめにポルトガルが入って来、・・・
東インド会社が成立すると同時に、数千年来のインドの手工業は
破壊されはじめたのである。

p144
同様に、人間と食物を奪い合って生きている動物たちが、いる。
牛が一億数千万頭、馬、羊、水牛それぞれが数千万頭、野猿が
数千万匹、・・・

蚊を殺すことを奨励する意図のものが出ているが、つい近頃まで、
人々はバッタをさえ殺すことを好まなかったという

・・・この辺りは生き物を殺傷しないという仏教などの
思想にもとづくものなのでしょうけど。
次のものも もしかしたら・・・

p146
牛をいっしょに、街頭で眠り、街頭で食べ、街頭で歯を抜き、
街頭でひげをあたり、街頭で働き、街頭で病み患い、
そして恐らく街頭で死ぬ・・・。

・・・これも又、もしかしたら、例の「四住期」の慣習なのか。

p149
パーム・ダットは・・・いい放っている。
インドは貧しい人々の国である。 しかしインドは貧しい国ではない」と。

p150
地理的な理由、気候、自然、宗教、インド社会の基本的構造である、
カースト制度、合同大家族制度、村落共同体にはよい反面もあるには
あるのだろうけれども、反面、孤立的で閉鎖的な生活様式に
つらぬかれるという結果を来すだろう。

・・この辺りでも、又、著者の意図が見えなくなるんです。
それが50年前の時代に書かれたものだからなのか・・・という疑問です。
カースト制度については、孤立的で閉鎖的というイメージにつながる
のですが、合同大家族制度と村落共同体というものが、少なくとも
今の時代には、特に日本では、見直されるべきモデルの一つでは
ないだろうかと思うからです。

そして、著者は「私もひとことくらいはいいたい。」として
次のようなことを述べているんです。

p151
礼儀もエチケットも糞くらえ、英国のインドにおける搾取は、むき出しの
搾取だ。
 搾取以外の如何なることもしなかったといえば、いかに
忍耐強く執念深い英国人も、・・・怒り出すだろう。
・・植民地の上にあぐらをかいた国のインテリの云う事は、その分だけ
割引して考えてしかるべきであろう。

そして、著者は、英国がインドから去ったあとにも、
そのコントロール・システムはしっかり残っている、としているんです。
それがインドを疲弊させていると。

==その(12)に続く==

 

 

 

 

 

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堀田善衛著 「インドで考えたこと」(10)仏教徒だから社会主義なのだ 

岩波新書 堀田善衛著 「インドで考えたこと」を読んでいます。

「VII. ことば・ことば・ことば」の章です。

著者が使用言語にかんして、ベトナムのことを書いていまして、
ついでにこんなことを書いているんです。

p115
戦争中に、安南の王族だか貴族だかの令嬢たちに二三回接し、その
唐代風な(と私に思わせた)服装が、私に平安朝か「源氏物語」を
思い出させ、
この「源氏物語」中の人たちが、実に美しいフランス語
を喋るのに感心したことがある・・・
いまから思えば、バオ・ダイ一族の人々ででもあったろうか。

安南という地名を先に読んだ「天平の甍」で見たような気がします。

これですね。
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/11/post-1246.html
清河、仲麻呂はその翌天勝宝七年六月に、十余人の
生存者とともに都長安にはいって来た。
・・船は遠く安南のかん州沿岸に漂着し、大部分の乗員が土人に襲われたり、
病没したりしたが、・・・かろうじて身をもってのがれて来ることが
できたのであった。

遣唐使が命がけで中国に渡っていたころ、ベトナムは中国の支配下に
あったと書いてありました。
それがこの著者が行ったころにはフランス語になっていたということに
なりますね。

さて、
この本の著者が南ベトナムからインドへ来ていた代表に接して
ちょっと危ない体験をしているんです。

p116
(南ベトナムの代表たちが)「OK,OK」ということばをしきりに
つかうのに気付いた。 ・・・それで、私はあなたはアメリカに留学
したか、とたずねた。 ・・・意外なことに、たいへん不快そうな
表情をつくったので、その問いを引き下げた・・・

・・つまり、南ヴェトナムでは、フランスは、完全にアメリカに
肩代わりされて
しまっているらしいのである。
「OK」の国に、いかれてしまっているという印象を私が
もたされてしまったことも不幸なことに思う。

ここは、ちょっと微妙な言い回しなので著者の意図がよく分からない
んですけど、「いかれてしまっている」ってのも微妙ですし、
「印象を私がもたされてしまった」ってのも・・・

要するに、100年近くフランスの植民地であったベトナムに、
第二次大戦後に1946年から1975年までベトナム戦争が
あったんですもんね。

確かに著者の質問は戦争中の話ですから、険しい表情をされても
無理からぬものがありそうな気がします。

そして、社会主義という言葉についても、著者が驚いたとの
記述があるのです。

p121
たとえば、社会主義ということばは単一である。 けれども、
ひとつのことばによって人が理解するところのものは
人の数だけあるわけである

・・・ビルマから来ていた若い人に、どうしてあなたは社会主義を
よしとするようになったのか、と訊ねた。
その返答が私を驚かした。 彼は言下に、おれは仏教徒だからだ
と答えたのである。
私は呆然としてしまった。

ビルマでは、男は一生に一度は僧侶にならねばならぬことに
なっているらしい。・・・彼はすでに僧侶ではないのだが、・・
僧院に住みつづけていた。
ビルマ服の彼と英語で社会主義について話すというのは、なんとも
云いようのない経験であった。

・・・これは、インドの昔むかしの制度を踏襲しているのでしょうか、
例の「四住期」ですけど。
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/10/post-64a7.html
「二つの仏教」 大澤真幸著 : 不純だから広く受け入れられる?

そして、著者はこの章の最後にこのように述べています。

p125
日本人をふくめてアジアの各国人のつかう英語は、それがたとえ
英語としてととのったものであっても、実は英語そのものを語って
いるのではないということである。
英語によって、各国人は各国語を語っているのである

そこには、英語としてはたとえ完璧であっても、つまり簡単に
云って、ワカッテモ通ジナイ、という事態が起こりがちである。
英語としては、ワカル、しかしその気持ちがどうしても、通ジナイ、
とうことが起こる。

・・・確かに、こういうことは起こります。
ひとつひとつの言葉に込めている意味が違うのでしょう。
そこには文化的、あえていえばインドなどの場合は日本人と違って
宗教的な意味なども込められているのではないかってことですね。

もっとも、ぶっちゃけた話、卑近な話で落語にしちゃって悪いんですが、
日本人の話す日本語であっても、一つの言葉、そこに込められた
意味ってのは、男と女で違っているんじゃないか・・・って感じませんか。

==その(11)に続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年12月 7日 (金)

堀田善衛著 「インドで考えたこと」(9) 日本人は中国語と日本語を使っている 

岩波新書 堀田善衛著 「インドで考えたこと」を読んでいます。

「VII. ことば・ことば・ことば」の章です。

さて、この著者の英語力ですけど、

p103
はじめ一週間ほどは、はなはだしく困難を感じた。
・・・私は中学生の頃に、一年と少しばかりアメリカ人の家にあずけられ
て暮らしたことがあり、・・・やっとどうにか用を足せたのだが、
・・・相手のインド人
たちの英語もまた、これは英国なまりなんだか、インドなまりなんだか、
これもまた相当な代物である。

p105
予備知識のなんにもなかった私は、インドのおそろしくこみ入った
言語事情
のことも知りはしなかった。それこそアケテビックリ玉手箱に
近かった。

「アッサムはインドではないのか?」
「勿論、インドだ。 しかし、インド語というものはないのだ。
 インド内の十七か語の代表が、それぞれにいるのだ」

インドにはいったいいくつことばがあるのか。 私は正確なことを
知らない。というのは、質問をしても答えが人によって違うからで
ある。 私の記憶では、いちばん多いのが二百二十という答えで
あったと思う。

p107
他国の標準で云えば、インドどいう国は、まず国というものではない。
ことばがちがえば、思考形式からして第一ちがって来る。

p108
このバラバラでメチャメチャな現実を統一しているものは、
結局、民族独立、経済建設、民衆の仕合せ、つまりインドの未来が
インドを統一しているのである

従って、「独立」ということばの内容が、ちがってくる。
すなわち、こういう現実においては、独立は independent ではなくて、
integrity あるいは integration (統合統一)
の方にぐっと
重みがかかって来る。

おそらく、日本のように一カ語だけで全国はなしの通じる国は、
地球の上では、むしろ少数に属するのだ。 特殊な国なのだ。

要するに、こういう話になってくると、フィリピンでも同じなんですけど、
いくつもの現地語があって、3つや4つの言語をあやつるのは
当たり前っていうのか、朝飯前っていうのか・・・
日本語の他に英語を覚えることぐらい、地球上の他の場所にいったら
あったりまえだのクラッカーだってことですよね。(古いな・・・)

p109
インドの教育は、ヒンディ語と英語と、その土地土地のことばとの、
三語、三ヵ国語と云いたくなるもので行われている。しかも、この
言語は、例えば東北弁と鹿児島弁というような方言による差異では
なくて、例えばラテン語とギリシア語のように、発生のもとになる
母語の語脈が既にちがっているのである。

そして、インド人側から見ると、こんな風にも見えているらしい・・・

p109
日本語は、中国語であった漢字と、日本独自の平仮名、片仮名を
まぜまぜにして出来ていることばであるということの概略を知って
いる人の一人は、しかし、日本人は、日本語と中国語とを
両用しているのだ、
つまり二言語国である、と思っていたらしい。

こうなれば仕方がないから、何故おれがこんなに英語がヘタクソか、
日本では日本語だけで一切の用が足りるからだ、とでも云うより法が
なくなる。

なるほど、なるほど、この手は使えますね。
日本語だけで用が足りる国なんだ」ってことで。

==その(10)へ続く==

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フィリピン 和民 ラーメン美味しかったよ - 在外投票のついでに

衆議院議員選挙の在外投票ってことで、12月4日にバギオからマニラへ降りまして。

ビクトリー・ライナーのバス、デラックスでノン・ストップ6時間で行ったんですけど・・・

一週間ばかりの風邪、病み上がりで、途中で具合が悪くなりかかり・・・

かろうじて何事もなく到着。

006_2

ホテルにチェックインの後、即 モール・オブ・アジアへ直行。

前回見つけた ニュー・オリンズってお店で スパゲティー・ボンゴレ・ビアンコを食べまして・・・・

それが目的で来たんですけど、その途中に 和民が開店しているのを思い出し・・

012_2

こういうロケーションで、和民のベランダ席に陣取りまして。

011

まあ、こういうメニューを見たあげく・・・・

結局は、これを注文。

028

バギオに居ますとね・・・ラーメンが恋しくなるもんでございまして・・・

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ラーメンだけじゃまずかろう~~ってことで、ししゃもにビール。

なんせ、さっきスパゲティーを喰っていますんでねえ、

それにラーメンでしょ・・・・

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まっ、こんなところに座っていたんですけどね。

平日だっていうのに、ご丁寧に 階下のお店で 生バンド演奏が始まったんです。

いいじゃないか・・・・って思って、ちょっとディスコっぽい音楽を聴きながらいい感じでビールを飲んでいたんですけど。

なんと、食事をしている二階のベランダでも 別の生バンドが演奏を始めちゃったんです。

一階と二階で まさに「競演」ですよ。

うるさいのなんのって・・・・

こんなの日本じゃ「あり得ない」・・・でしょ?

ひとつひとつを聴いていると、悪くはないんですよ。

一階と二階で、ちょっと話し合って、交互にやるとか、ちょっとずらして演奏すりゃあいいだろうに・・・・って思いませんか。

一緒に負けじとガンガンやるもんだから、両方とも台無し。

024

・・・ともあれ、ごちそう様でした。

ラーメン、スープも良し、麺も良し、チャーシューも良しでした。

でも、どんぶりのサイズは 日本のやつよりもふたまわりくらい可愛かったかな。

フィリピン・サイズですね。

問題ありません。

ところで、翌日5日、在外投票の初日 9:30amから マニラの日本大使館での投票でした。

突然の解散と合従連衡の政党の解散、設立、合流などで、日本のお役所も準備する時間がほとんどなかったようで、総務省のシステムのトラブルのため候補者名簿の正式なものが在外公館に間に合わないという事態になったようです。

それで大使館ではやむなく、マスコミ発表の候補者名簿で代用し、その説明をまずしなくてはならないという状況でした。

ところで、帰りもビクトリー・ライナーのデラックス・バスでバギオに戻ったのですが、ここでも珍しく気分が悪くなり、風邪の後遺症なのか、血圧なのか、調節が難しい冷房の風なのか・・・いろいろとだましだましの帰還でした。

そこで、デラックス・バスについて、ひとつの欠点を発見。

それは又後日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ついに来たか、ウオッシュ・レット - フィリピンでも「きれい」

まあ、情報が遅いよ、って言われるかもしれませんけど・・・

001

これ、なんです。   なにが? って

002

分りますか? のっかっているんですよ。

004

日本のみたいに複雑じゃないんです。

水道からここに引っ張ってきてあって、レバーが 上か下に・・・

フィリピンは暑いですからね。

お湯は必要ないし・・・  電気は使わなくってもいいし・・・

006

はい、水が出てくるんですね。 ふたつの管が・・・・

007

はい、拡大すると分りますよね。

女性用と、お尻用の二つです。

008

これが説明書です。

フィリピンのトイレって、いろいろと問題がありましてね。

まず、便座がない・・・

汚い・・・

周り中が 水浸し・・・・

なぜかっていうと、お尻をきれいにするために

元々、お水を使っているからなんですね。

手動式で 水で お尻を洗っていたわけですよ。

それが、電気も使わずに、レバーを上に回すか、

下に回すかすれば、シャワーが出てくるってことになったわけ。

010

・・・で、このメーカーなんですけど、

アメリカン・スタンダードって会社なんです。

そこが出している スマート・ウオッシュ ってんです。

検索してみました。  ありました・・・

http://www.americanstandard.com.vn/en/news.php?id=345&cid=25

このサイトは ベトナム向けのサイトで、動画もありますねえ。

東南アジア各国で こういう簡易タイプの ウォッシュ・レットを売っているんですねえ。

知りませんでした。。。

そして、さらに、さらに、なんとこんなサイトを見つけました・・・

http://inax.lixil.co.jp/company/news/2009/090_company_0518_415.html

イナックスが このアメリカン・スタンダードの一部を買収したと・・・

おおおお、なんと、日本の会社が 東南アジアの国々の事情に合わせたものを作ってくれたんですねえ。

日本じゃあ、冬は寒くて お湯が出ないと お尻が凍ってしまうでしょうけど、フィリピンだったら水で十分だし、電気代もいらないしね。

日本のやつって、いろんなボタンがあって、なにがどうなってのか訳がわからないし・・

素晴らしいじゃないですか。

もともと 水でお尻をあらっている、綺麗好きのフィリピン人に 朗報だと思いますよ。

012

・・・で、これがどこにあったかっていうと、

マニラのホテルなんですけどね。

014

はい、こういう電車の駅のすぐ目の前のホテルです。

・・・あっ、そうだ。

INAXってことになると ウオッシュ・レットって呼んじゃいけないんですね。

シャワー・トイレっていうんですか?

TOTOさんも 東南アジアで売っているんかな・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年12月 6日 (木)

堀田善衛著 「インドで考えたこと」(8) フィリパインで驚くな 

岩波新書 堀田善衛著 「インドで考えたこと」を読んでいます。

「VII. ことば・ことば・ことば」の章です。

p99
実に多くの人が外へ出た。・・・いつも私は一つの疑いをもっていた。
それは、そういう人たちが帰国して、たとえば国際会議などに出て来て、
そして帰朝報告をするというと、ことばの障害がまるでなっかったみたいに
なにもかもが実にツーツーに通じたみたいに云う。
極く少数の人を除けば、そんなことはないだろうと私は思うのだが・・・

p100
われわれの英語教育は、とにかくどうにかしてもらわぬことには
始末におえない、と。

・・・はい、実に実に、わたしも激しく同意します。
私は20歳のころからず~~っとアメリカ系の会社で働いてきて、
その後もフィリピンなんかで生活しているんですけど、
未だに不勉強の為か、才がないのか、さっぱりです。

p100
ある外交官がしみじみと嘆いていた・・・・

ここで外交官氏があげたという事例を書き上げますと:

ー I thank you. の発音が I sunk you. になってしまう。
  「ありがとう」のつもりが、「おれはお前を沈めたぞ」

ー I love you. のつもりが I rub you. と Rの発音になる。
  「愛しているよ」のつもりが、「お前を揉んでやる」

ー I want to eat boild rice. が boiled lice.
    「米の煮たのが食べたい」が、「シラミの煮たのが・・」

p101
こうなると、喜劇を通り越して、これはもう悲劇ですよ。
かないませんなあ・・・

まあ、こういう日本人が苦手な例というのは、かなり古典的に言われた
間違いではあるんですが・・・
次の例は初めて聞きました。

p101
医者が来てマラリアではないかと疑い、私にキニーネ薬をくれた。
・・・英語ではクワイナインと発音されるものだったことが私に
わかった。
・・・わからないと、時としてはイノチにかかわる。

それから、フィリッピンという国が、フィリパインと発音される
こともあると知ったときも、びっくりした。

最近の日本人は、海外旅行の経験も豊富でしょうから、これは
ある程度ピンとくる人もいるんじゃないかと思いますが、
イギリス英語の発音ですね。

quinine  クワイナイン : 「i」を「アイ」と発音しますね。

philippine フィリパイン : 最後の「i」の発音が「アイ」になる。

私は10年くらい前にオーストラリアのメルボルンで日本語を教えて
いたことがあるんですけど、その時に同じような経験がありました。

「カムバック アイト オクロック トゥモロウ」

旅行代理店でこう言われて、キョトンとしたんです。

「アイト」=「エイト」 eight o'clock だったんですねえ。

日本語を教えるときに、いつも私は、ローマ字で日本語を覚えるな、
って生徒たちに言うんです。
ローマ字で書くと、日本語の発音がきちんと覚えられませんからね。

その例として、私が冗談で言うのは、

「アイム ゴーイング トゥ チャーチ トゥ ダイ

なんです、
意味ですか? 「ダイ」はイギリス英語での発音。
それをアメリカ英語でいえば・・・「デイ」ですね。

つまり、「俺は 教会に 死にに行くんだ」ってことにならね~か、
ってことです。

==その(9)へ続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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堀田善衛著 「インドで考えたこと」(7) 千年単位のいやになるほどの・・・

 

岩波新書 堀田善衛著 「インドで考えたこと」を読んでいます。

「VI. 怪奇にして異様なるもの」の章です。

p86
シムラにはパンジャーブ美術館があり、ここに集められたギリシアの
血をひくガンダーラ彫刻を見ていると、・・・
パンジャーブ州一帯はアーリア系文化交流の場であり、ということは
ギリシア・地中海文明の基礎となったものがここまで来ていることで
あり、西欧ということがつねに意識にのぼって来て・・・

p87
地中海は人間の規矩だ」と断言し、「人類がボスフォラスの海峡なり、
ヘラクレスの柱なりを過ぎて、この美事な湖を去ったとき、彼らは
怪奇にして異様なるものに近づくのだ」・・・

・・・要するに、西欧の人間にとっては、地中海から出た世界と
いうのは「怪奇にして異様なる」外の世界だってことのようです。

p89
怪奇にして異様なるものと判断しっぱなしでいることは、
自分を内的に豊かにも幸福にもしはしない。 かえってそれは
漱石の云う、「空虚の感、不満と不安の念」を増し、「涙を呑んで
上滑りに滑って」行かなければならなくするばかりである。

p91
私が我慢ならなくなったのは、この場合、土地の広大無辺さについて
というよりは、むしろ、その、千年単位の、いやになるほどに濃厚な
持続性
についてである。
・・・いま私は分裂したインド、と云ったが、分裂と矛盾とが、
それこそ弁証法的に統一されて、統一体としての魂をもって存在
している全体としてのインドというものを・・・

・・・つまり、多分、著者がいいたいのは、
インドには様々な日本人の理解を超えたものが混然一体となっていて、
それが信じられないほどの時間の単位の中で流れている、ってこっちゃ
ないかなと思うんです。
それに比べて日本って国は、なんとチマチマしていることかと・・・

p94
アジア大陸からはなれた島にいて、われわれはよほどわれわれにとって
ちょうど都合のいい工合の、短編小説的というよりは、周辺の
ボヤケタ随筆的な限定のなかに
住んでいるのであるらしい・・・

インドのある文学者が、アジアの多様性について述べて、
「極西には砂漠の住民、極東にはソフィスティケーテッドされた
日本人
」と云ったが、それを聞いていて、ソフィスティケーテッドか、
ちきしょうめ、うめえこと、あるいはひでえこと云ったもんだな、と
私が思った。
この場合、ソフィスティケーテッドは、悪ずれした、というほどの意
であるだろう。

p96
われわれの祖先がうけいれた、というよりは内心の必要にもとづいて
少数の人たちが積極的にとりに行ったところの、いわゆる「アジア的」
無限定さ、永続性、あるいは停滞と呼ばれるかもしれぬものが生むもの、
生んだものが、日本を含むアジアの大陸と島々を、地を這うように
ひびいて行っているその低い音、隠微で無慙なようで、愛の宗教とは
ちょっとちがうような基調低音のようなものを
、果たして聞き取れ
ないか・・・

・・・まあ、これは仏教のことを言っていると思うんですけど、
内心の必要にもとづいて」っていうところが、今までいろいろと
日本の仏教のことを読んで来た中では、ちょっとばかり違和感が
あるんですよねえ・・・なんでかな。
どっちかと言えば、政治的な意味合いの方が、当時の日本という
国にとっては重かったんじゃないかと思うんです。
もちろん、仏教が民衆のものになっていった頃は方向が変わった
ように思うんですけどね。

==その(8)に続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年12月 5日 (水)

堀田善衛著 「インドで考えたこと」(6) 日本人の存在証明がやってきた? 

岩波新書 堀田善衛著 「インドで考えたこと」を読んでいます。

「V. 無慈悲な自然から思想が生まれた」の章です。

p71
私をもっとも悩ましたものは、気候、はっきり云って温度であった。
・・いくらか誇張して云えば、腰から上に日があたり、腰から下が
影になっているとき、胸や腹、顔はあたたかく、足腰がさむく
冷えて来る。

p73
輪廻の車のように燃えている太陽から直に、燃え立ったままの、
真白な光線が太い束をなして大地に襲いかかって来る。
・・・残酷な土地である。 それでも、人間はこの薄い土層を
耕して生きて行かねばならないのだ。

自然が、どんなにまで苛酷でありうるか。 それはもう、自然が
ほとんど人間となれあっている日本島
では想像出来ない。
この自然に、人間が自らの持つもので対抗するとなれば、それは
宗教を含めた意味での思想
、それ以外にある筈がない。
そのことが一瞥で、感動的にわからされてしまう。

・・・これを読むと、苛酷な砂漠の中に自然と対峙する思想として
一神教であるキリスト教のような宗教がうまれた、と言われている
ことを思い出すんですが、下のサイトでインドの宗教の割合をみると、
多神教であるヒンドゥー教が8割
なんですね。
一神教であるイスラム教とキリスト教は十数パーセント。

https://www.jpmorganasset.co.jp/promotion/brics/column/india2007_4.html
「とくに13世紀初頭にイスラム教徒が侵入すると、仏教勢力は著しく衰退した。
インドで誕生した仏教はインド国内よりもむしろ、他のアジア諸国へと
広がっていった。」

日本のような自然が豊かな土地だからこそ神道あるいは仏教のように
様々な神様を信じる宗教が定着したんだという理解が、ちょっと
軌道修正をさせられるような話の筋になってきました。

p74
夜は、・・急激に温度が落ちて、・・・冷え冷えとして来て、
しかも白昼の空の青が暗い夜の穹窿の奥に、深い海のような青さで、
青々と、いつまででも残っていて、そこに純粋な色の月がのぼって
来ると、いかなる不信仰の者も何かを拝したくなって来る。

月は、ひたすらに美しくて、しかも無害なのだ。
・・美は月光と大理石と水と花の色を基礎とするもののようである。
・・苛酷な自然の只中の、幾何学的な、冷っとする王者たちの抒情
である。 ・・広大なイスラム世界をうかがわせるに足るものを、
北インドは豊かにもっている。

p77
荒涼たる自然に圧倒された人は、・・しきりと無言の独白にふけり、
従って独断と誤りにみちみちた、考えと称されるものを次第に
うちたてて行く。
オシャカ様その他の古代インドの思想家たちの瞑想もまた、
こんな風にして行われたのであろうと・・・

p79
気候温和で食物の種類の多い日本島に育ったものにとって、
インドの自然が人間に対してどんなに邪慳で無慈悲、かつ事実として
脅迫的であるかを云うことはむずかしい。

・・この自然に対抗して、人間のあかしを立て、存在を証明する
ためにうちたてられた無類の思想が、極東の島に住む、われわれの
祖先の人間のあかし、存在証明の手伝いをしてくれたのである。

・・・つまり、存在証明の基礎となる仏教がここインドで生まれて
中国や朝鮮半島などを経由して日本にやってきてくれたってことですね。

p83
われわれの祖先は、この大々的なモノに学んで、それを取り入れた。
ヒマラヤの向こうの山の方から、三蔵法師がひょこりと出て来る
ような気がする。 遣唐使たちが、そのまた向こうの方でウロウロ
しているように思う。 
ところが・・・我々日本人は、この広大なる地域を、たとえば
腰にぶらさがっていたオモシを、ドサッとばかりおっことして
しまうような工合で、もっぱら西欧にとりついた

・・・アジアは、われわれからおっこちてしまったのである。

==その(7)へ続く==

 

 

 

 

 

 

 

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2012年12月 4日 (火)

堀田善衛著 「インドで考えたこと」(5) アジアを裏切った日本 

岩波新書 堀田善衛著 「インドで考えたこと」を読んでいます。

p48
「我々の遣っている事は内発的ではない、外発的である
是を一言にして云へば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であると
云ふ事に帰着するのである。・・・併しそれが悪いからお止しなさい
と云ふのではない。 事実已むを得ない、涙を呑んで上滑りに
滑って行かなければならないと云ふのです。」

これは今のご時世を語っているのではないか、と思うぐらいですが、
実は この著者、堀田氏の1957年の話でもなく、
なんとそれよりも47年も前の夏目漱石の言葉だというのです。

しかし、著者は言います、

p50
近代日本もまた「現在と過去との間に何か現実のつながりがあるの
ではないか」と、苦しみつつ未来のためのバネをさがし求めて
来たのである。

p52
牛がそのまわりをグルグルゆったりとまわって地下水を汲み上げて
いる。 ・・足首に金属の輪をはめこんだ女が素焼きの壺に水を
入れ、それを頭の上にのせて運ぶ。 二千年前もまたこうだった
のだろう。

p53
青年が私に云う。

「われわれは貧しい。 しかし五十年後にはーー」と。
・・一般に、長い未来についての理想をもたぬものは、それを
もつものの未来像のなかに編入されて行く
のが、ことの自然と
いうものではなかろうか。
何かぎょっとさせられる。

・・・う~~ん、私もぎょっとしました。
今の、現代の日本に、それがあるのか。
今までどこの国の路線の中にあって、今からはどこの国の路線に
引きずられていくのか・・・

p55
老人は、日本について・・・
「日露戦争以来、日本はわれわれの独立への夢のなかに位置をもって
いた。 しかし、日本は奇妙な国だ。 ・・・われわれアジアの敵
である英国帝国主義と同盟を結び、アジアを裏切った。
工業建設をどしどし押し進めてわれわれの眼をみはらせてくれた。
が同時に、・・・(対支二十一カ条要求)を中国につきつけた。
・・植民地解放をやろうとしてくれた。 が、・・日本帝国主義の
植民地としようとした。 ・・・つくづく不思議な国だ。」

つまり、日本という国は、アジアの希望であったのに、それを
ことごとく裏切ってきた、と言う事らしい。

p62
怖ろしいスピードで走り、そのかげで、いったいわれわれの、モノでは
ない方の、本物の心の方は、本物の創造の方はどうなっているのか。
それは、妙にさびしいことになってはせぬか。

p64
インドではインド自体についてのインド自体による近代的研究と
いうものがそれほど進んでいない、ということになるのかもしれない。
もし日本人が、日本の歴史について書いて、(ネルーのように)
これほどまでに多く、西洋人の手になる日本の文化文明についての
評価を引用したならば、日本の読者は恐らく文句を云うであろうと
思われる。

p66
日本から空輸されて来る雑誌や週刊誌を見ると、それが異様なことに、
リアリティがひどく希薄なもの、あるいは非常に特殊なものとしか
思えないことに気付いた。
・・ところが、英米の雑誌、・・などは、・・日本にいて読んでいた
ときと同じ、等質なリアリティが感じられることにも、おどろいた。
この辺に、何とも表現しがたい日本の特殊性があるように思われる
のだが、・・・

・・ってことは、つまり、日本は確かにものすごいエネルギーで
突っ走ってはいるんだけど、そこに心の底からのリアリティってものが
欠如しているんじゃないか、ってことを言っているんですかね。
だから、なんとなく上滑りな空虚感があると・・・

p67
どこをでも、インドの友人のすすめるがままに見物に行くとするなら、
一切は宗教である、ということになってしまう。
・・その昔の帝王の実に巨大な墓や回教礼拝堂の廃墟がいくらでも
あるが、それらはたとえ廃墟であっても、決して死んではいないという、
生き生きとした印象を与える。
・・・インドでは一切の廃墟が生きている
・・現在に生きている信仰の対象として話をすることが出来る。

p68
人間とその生活、文化文明などについて、・・より根本的、根源的
なことを考えてみたいという傾きのある人に、私はインドへ行って
ごらんなさい、とすすめる。

しかし、・・・ホドのよいカゲンのところでお茶を濁して生きすごし
たいという人には、インド行をすすめない。

私は今のインドに行ったこともないし、せいぜいマスコミで
IT産業が凄いってことぐらいしか知らないんです。
でも、インターネットで検索してみると、いろいろと情報だけは手にはいる。

多様性の国、インドの概要
http://www.museindia.info/museindia/general.html

実録インド生活 結婚編
http://www.interq.or.jp/ruby/mahamaya/okite.html#7

これを読んでみただけでも、著者の堀田さんが書いた1957年当時と、
表面的な発展はともかく、庶民の生活の中の実態はさほど違わないのでは
ないかという気がするんです。

==その(6)へ続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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堀田善衛著 「インドで考えたこと」(4) 西欧経由のアジア文学 

岩波新書 堀田善衛著 「インドで考えたこと」を読んでいます。

p30
デリーにいて、私は自分の視線がぐいぐいと伸びて行くのを感じた。
・・・デリーを中心としてみれば、むしろ日本島はアジアの極東
地方にこびりつき、ひっかかっているようなもの
であって、
パキスタン、アフガニスタン、イランがアジアであるならば、
そのすぐ北にひろがっているソヴェトの中央アジア諸国、それから
ペルシア語を母語とする諸国がアジアであるのはあたりまえすぎる
ことであった。

p31
私は、・・自分のうけた幼い頃の東洋史教育について考えてみた。
いったい、なにがのこっているか。
・・・結果は、皆無、ナッシングである、と思わざるをえなかった。

確かに、確かに、このことはこの本がかかれた1957年ころと
まったく変わっていないんじゃないかと思います。
思いませんか ?
私が世界史や世界の地理を学んだのは この本が出されてから10年ほど
経った頃ではあるんですが、その後も状況は変わってはいないんじゃ
ないかと思うんです。

少なくとも、インド大陸に視点を置いて考えたことなんて
金輪際ないわけで・・・
だから、私は仏教のことをきっかけにして インドの本に辿り着いた。

p34
われわれの、そしてこれまでのアジアの文学者の、えもいわれぬ
悩ましさが、ここにおそらくむき出しになっている・・・。
アジアは西欧に対する否定と対立のかたちでしか、自己の存在証明
が出来ない
という場が、政治についてはもとより、非常に広い場に
おいて、存在した。

p36
わけのわかったとされている基準。 その一つは、世界的であるとは、
西洋に知られているということである。

悲しいことに、アジアでは、中国、ソヴェト、日本の三国をのぞけば、
文学者が文筆だけで自立できる国は、いまのところどこにもない
のである。 

つまり、西欧で認められてスポンサーがつかないことには
文学者としての生活が成り立たないってわけですね。

もしかしたら、これは文学に限らないのかもしれません。

私は西アフリカのベナン共和国で1年間日本語を教えたのですが、
公用語はフランス語でした。
しかし一方で、現地の言葉は50以上もあるとの話でした。
教育は当然フランス語、すべては旧宗主国であるフランスを見て
フランスで作られた教科書を使っているとのことでした。

フィリピンも似ているような気がします。
公用語はフィリピン語と英語。 裁判所では英語しか使えない。
しかし主要な地元言語だけでも8つくらいはありますし、北部ルソン地域
に限っても数種類の現地語があるのです。

極東の東の端っこにある小さな国に1億2千万人の人々が暮らし、
一つの現地語で通じて、独自の文学があるというのは、まさに奇跡、
あるいは超特殊と呼べるのではないでしょうか。

本書の著者は、ニュー・デリーに立って、こう書いています。

p39
「これが廃墟になったら、さぞ立派だろう。」・・・
ニュー・デリーには首都しかないが、その郊外、周囲にもまた、
中央アジア辺の、回教徒で、数百年にわたってインドの北半分を征服
したデリー諸王朝やムガール王朝の首都であったときの遺跡が
いくらでもある
からである。

そして英国はムガール王朝の首都に膚接した半砂漠地帯に、彼等の
政治的都市計画に従って、彼等の首都を建設したのである。

ネルーは「アジアは、ただ一つの答で間に合わせるにはあまりに
大きく、あまりに相違がありすぎる。」と云っている・・・
インドもまた、私の狭小で・・・答えなどありようがない。

「われわれは古い民族である、というよりはむしろ、多数の人種の
妙な混合物である。
」(ネルー)

p40
「現在と過去との間に何か現実のつながりがあるのではないか・・・
現在というのが、・・・中世的なものと、恐るべき貧困や惨めさと、
そして中流階級の何か皮相浅薄な近代性との、奇妙な混合物
なのであった。」(ネルー)

p41
「日本人」と一口にまとめて云えるような工合には、「インド人」
というものは存在していないのだ。 存在の構造がまるきり違って
いるのだ。

p41
要するに「永遠」なんだ、これはまったく始末におえんわい。

p43
ここでは、ほとんど有史以来、言語、風俗、宗教、人種のまったく
違う人たちがいりまじって住んでいる。

つまり、著者は 日本人というものは歴史ということについて
すっと一本筋の通ったものをイメージして
、著者にとっては
たとえば万世一系などというようなものが強い影をおとしているかも
しれないと言うんです。
そしてそれは、島国の民族に特有な心性なのかもしれないと・・・

==その(5)に続く==

 

 

 

 

 

 

 

      

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2012年12月 3日 (月)

堀田善衛著 「インドで考えたこと」(3)フィリピンに文学はない !? 

岩波新書 堀田善衛著 「インドで考えたこと」を読んでいます。

アジアがアジアをお互いに知らないって話なんですけど・・・

p28
お互いがお互いを完全に知らないのである。

お互いに作品も傾向も知りあわない作家たちがあつまって、
いったいどんな成果が上がりうるか? とつっこんで来てしかるべき
理由が成立する。

p29
・・・ひどい話だが、いったい本当に文学者なのかどうかさせ
判定のつかぬ人々があつまって、どういうことに相成るのであるか?
しかし、これがアジアなのだ。

西欧で、西欧の作家たちが会議をひらいたとしよう。
事態は逆であろう。
お互いはお互いを、むしろ知り過ぎているだろう。

この著書は50年以上も前の話ですから、今はアジアの中での
文学者の交流も相当に状況が変わっているのでしょうが、
要するに すべてが西欧をセンターとして動いていたということに
なりますね。

でも、卑近な例で 日本とフィリピンですけど・・・
日本の文学者・・・たくさんいます。
フィリピンはどうなのか。

ちょと前の話なんですけど、
フィリピンの有名な文学者ってどういう人がいるの?
 有名な、フィリピン人なら誰でも知っているような小説って何?」
とフィリピン人の大学生に尋ねたころがあるんです。

答えは ホセ・リサール でした。
あのフィリピンを革命に導いた英雄です。
そして、彼が書いた二つの名作。 学校で必ず教えられる本だそうです。

しかし、その他の名前が フィリピン人の口から出てこないんです。

ホセ・リサールの2冊の名著なら、私も日本の国会図書館で
和訳されたものを読みました。
いわゆる歴史大河小説みたいなものでした。
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2005/09/post_a44c.html

元々、この英雄の名著にしても、スペイン語で書かれたものだそうで、
現在でも多くの本は英語で書かれてアメリカあたりで出版される
ものが多いようです。

30歳近くなるフィリピン人の現役大学生に聞いてみました。
教育学部で勉強をしている男性いわく。

ホセ・リサールくらいしか小説家はいない。20~30年くらい前に
有名な小説を書いたフィリピン大学の学生がいたが、反政府的な
内容だったから大学から追放されてしまった。
彼はその後アメリカの大学に移って小説を書き、有名になって
フィリピンに戻ったところ、追い出したフィリピン大学から
一番名誉のある学位かなにかを与えられた。」

「フィリピンには小説で食っていけるようなマーケットはない
小説家になるのであればアメリカに行くしかない。」

ちなみに、この本の著者が参加した1956年の アジア作家会議に
フィリピンからはなんの反応もなく、だれも参加しなかったそうです。
現在でも その状況に基本的な変化はなさそうですね。

アジア・アフリカ作家会議
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E4%BC%9A%E8%AD%B0

==その(4)へ続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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堀田善衛著 「インドで考えたこと」(2) アジアのことをお互いに知らない 

岩波新書 堀田善衛著 「インドで考えたこと」を読んでいます。

「アジアがアジアをなんにも知らない」というのがこの章のタイトルです。

006

著者の堀田さんは、アジア作家会議の書記局員としての仕事をするために
初めてインドに旅行したんです。
その1956年晩秋から57年の年初にかけての滞在期間中に
何を思ったかを書いているんです。

p18
インドがこれらの藩王国を完全に廃止し、明治維新流にいうならば、
廃藩置県の仕事を完了したのは、1956年10月のことであった。
世界中でいちばんの金持ちであったとかいうことで有名な
ハイデラバードの藩王さまも一平民となった。

p19
召使といえば、朝、ベッドのなかでぼんやりしていると、次から次へと
いろいろな召使が入ってくることにも私はおどろかされた。
七時に、ドアーをノックして、「モーニング・ティ、マスター」
と云って、紅茶を持ったルーム・サーヴァントのアジズ君が入って来る。

p20
英帝国と紅茶、トルコ帝国とコーヒー・・・。 私は、日本人と酒を飲む
ときに限って、デタラメに酔っぱらったという振りをしてくれる

中国人と朝鮮人を、知っている。

p20
次には、スウィーパーと英語で呼ばれる掃除人が入って来る。

ルーム・サーヴァントの方は、じかに床には触れない。床の上にある
物品、ベッドとか椅子とかテーブル、そういう物品をはたいてくれる。
そしてスウィーパーは、床を掃除する。
廊下のスウィーパーは、また別にいる。

ついで、・・・、バス・ルーム・アテンダントと称する男があらわれる。

それぞれに、階層、職業がきまっているのであるらしい。
・・憲法で差別することは禁じられてはいるものの、現実には、
まだまだなくなってはいない、・・・
・・・不可触賤民という、一番低いカーストにも加えてもらえぬ
アウト・カーストの連中であるらしい。

要するに、著者は帝国主義が残したものやら、大昔からのカースト制度の
ことなどで かなりのショックを受けているようですね。

この著者が書いたのは 50年以上も前の話なので、
最近の状況はどうなのだろうとインターネットで検索してみますと、
今でも根強いみたいですね

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
「ヒンドゥー教はカーストというものを極めて重視している。他宗教の信者は
その現実的な影響力や力によりその社会的地位が決まる。
ジャイナ教やシク教、
ゾロアスター教が、カースト上位でない裕福層に支持されているのもこのため
である。カースト制は5千年以上もの歴史を持ち、何度か取り除かれようと
したものの、ヒンドゥー教とカーストの結び付きが強いためインドの社会への
影響は未だに強い。」

そして、さらに仏教との関係については、次のように書いてあります、
「紀元前5世紀の仏教の開祖であるゴータマ・シッダッタは、カースト制度に
強く反対して一時的に勢力をもつことが出来た
が、5世紀以後に勢力を失って
行ったため、カースト制度がさらにヒンドゥー教の教義として大きな力を
つけて行き、カースト制度は社会的に強い意味を持つようになった。」

お釈迦様は王家の王子として生まれながら、反体制的な活動をやったって
ことになりますね。

そして、著者はちょっとしたことでも、大英帝国の影響を感じとるんです。

p22
洋食のことを、(ウェスターン・ディッシュとは呼ばずに)イングリッシュ・
ディッシュ、すなわち、英国料理というのであった。
洋食とは、英国人の食べる食事ということになっているのである。
・・・英国というものが、どんなに深く中層以上、あるいは上層の
生活に浸透しているかを、そこで痛感しないわけにはいかない。

さて、この著者がインドで開かれた作家会議で、どんな国の人たちと
交流があったか(あるいはできなかったか)なんですけど、

p23
中国人(中国語、英語)、ビルマ人(ビルマ語?、英語、フランス語)、
タジクスタン人(タジクスタン語、ペルシア語系?、ロシア語、英語)、
ロシア人(ロシア語、ヒンディ語、ウルドゥ語)、インド人(英語)

なんと、食事は別として、快不快の感じ方が、中国、ビルマ、日本は、
共通していることか。

私は、中国をのぞいては、アジア、特に中央アジアや西アジアのことなど、
なにひとつ知らなかった。

p26
彼らはペルシア語で話しているのであるという。
ウルドゥ語は、ペルシア語を母語としてもつものであった。
あたかもラテン語が、仏伊西のことばの母語であるような工合である。
そして、タジクスタンのことばも、ペルシア語を母語とするものであった。

すなわち、・・ソヴェトの広大なアジア諸共和国の人々は、直接に
同じものを母語としてもつ西アジアの広大無辺な諸国の民衆と
話すことが出来るのである。

それで、ここにはある一定の共通語があるような話ではあるのですが、
著者は奇妙なことに気が付くんです。

p27
ここに不思議なのは、この七人の文学者は、森羅万象について話しても、
文学についてだけは話さぬという奇奇怪怪な結果になったことであった。

・・・要するに、お互いがお互いの文学について、なにひとつ知らない
からなのだ。

私は中国の現代文学について少しをしっている。 ソヴェトの、それも
欧州系の文学について、中国のそれよりもより少く、少しをしっている。
それらぞ除けば、インド・・ビルマ・・ヴェトナム・・パキスタン、
アフガニスタン、セイロン、インドネシア・・、なにひとつ知っては
いないのだ。

==その(3)へ続く==

 

 

 

 

 

 

 

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2012年12月 2日 (日)

堀田善衛著 「インドで考えたこと」(1) まったく別のアジア

岩波新書 堀田善衛著 「インドで考えたこと」を読んでいます。

この本は1957年に出版された本なんです。
戦後12年くらいですか・・・。
私が小学生に入るか入らないかぐらいの時代ですね。

いわゆる紀行文みたいな本なので そんな古い情報を読んでどうすんだ、
って感覚もないではないんですが。

そもそもこの本を読んでみようと思ったのは、ある方に推薦された
ってことと、聞いた内容がインド仏教というものを考えるのに ちょっと
ヒントになりそうだな、と思ったからです。

ですから、かなり偏った読み方になりそうです。

002

ところで、堀田善衛さんはこんな方です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E7%94%B0%E5%96%84%E8%A1%9B

「はじめに」にこんなことが書かれています。

p1
人々が、この世の中について、人間について、あるいは日本、
または近代日本文化のあり方などについて、新しい着想や発想
もつためには、ときどきおのおのの生活の枠をはずして、
その生活の枠のなかから出来るだけ遠く出て、いわば考えてみた
ところで仕方のないような、始末にもなんにもおえないようなもの
にぶつかってみる必要が、どうしてもある、と思われる。

・・私もこの考え方には同意です。
いわゆるカルチャー・ショックと言うものを意識的に感じるためにも
海外に出た方がいい。
日本の外に住んでみないと分からないことがたくさんあると思うのです。

p4
この旅行は、私にとってひょっとするとアジアにおける日本の特殊性
について考えるための旅行であったかもしれない。

p5
日本の河というものも、どきどき暴れ河と化して、大いに威力を
示してくれるけれども、メコン河やイラワジ河にくらべたら、
河は既にほぼ完全に人間の統制に服していると思われる。

東南アジアからインドにかけての河は、大体において、乾季である
にも拘らず、水面と地面とがほとんど同一の平面にある。
あの分では、恐らく洪水ということは、特殊な事件ではなくて、
普通あたりまえのことということになるだろう。

p6
この河が、一切の用をたしているわけである。
この河で、身体を洗い、汚物を捨て、かつ口をすすぐ。
だから、ここで人は、先ず第一に、たとえば清潔という概念についての
考えを切り替えさせられる。 自然についての考え方も、特に
日本人は急角度に切りかえなければならなくなる。

p9
日本にいては決して身に覚えのなかったような感覚の変転、
不安定、麻痺に類したものを経験した。
ここらあたりの自然は、人間なんぞには何の関心もないぞ、といった
面魂を、むき出しにしている。

・・・この著者は、どういう人かっていうと、
「戦争中から戦後にかけて二年ほど中国にいたことがある。
戦後は、上海で国民党の宣伝部に留用され、つまり中国人の只中で
中国人の機関で働いていたことがある。」
という人なんです。
つまり、あの広大な中国大陸で住んで働いていた人なんですね。
そういう人が、インドの大陸の凄さにすっかり参っているわけなんです。

p9
インドは、仏教の国じゃないぞ、ヒンドゥ教とイスラムだぞ、などと
考えると、イスラムは中近東からモロッコを通ってスペインまで
行っているーーと思うと、・・・そして日本は、アジアに位置するとは
いうものの、それは本当にいちばん端っこの、極東の島なのだ
ということもしみじみとわかって来る。

・・・そして、著者はカルカッタに降り立ちます。

p13
インド・ユーロピアンということばを思い出さざるをえない。
すなわち、カルカッタに入って、人はアジアと一言でまとめは
するけれども、ここからは日本、ビルマなどを含めての中国的世界
から出て、まったく別のアジアに入ったことに気付かされる。

夜だからとはいえ、町に「女」がほとんどいないことだ。
どれもこれも、男だ。 男、男、男・・・。男ばかりの世界という
ものが、どんなに異常なものであるかは、軍隊で経験ずみな筈だが、
軍隊などの強制組織ではなくて、都会の日常ーーそこで眼につく
人間がことごとく男であることの異常さ、しまいには、そこを絶えざる
流れのように歩いているものが、「男」ではなく、男根が歩いている、
という気がして来るのだ。 息苦しくなって来る。

==その(2)へ続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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その9 中村元著「龍樹」ー大乗仏教の思想- 一乗思想ってなんのこと?

中村元著「龍樹」の中の、
「 II. ナーガールジュナの思想 ー 「中論」を中心として 」
を読んでいきます。

今日は、「一乗思想と久遠の本仏の観念」という部分です。

まず「法華経」という経典がどんなものかという説明がありまして、

p65
大乗仏教徒は小乗仏教徒を極力攻撃しているけれども、
思想史的現実に即していうならば、仏教の内の種々の教説はいずれも
その存在意義を有するもの
であるといわねばならない。
この道理を戯曲的構成と文芸的形式をかりて明瞭に表現した経典が
「法華経」である。

そして、有名な鳩摩羅什訳による「妙法蓮華経」によれば、
声聞乗(釈尊の教えを聞いて忠実に実践すること)
縁覚乗(ひとりでさとりを開く実践)
菩薩乗(自利利他をめざす大乗の実践)
の三乗があるんだけれども、それをひとつにまとめる一乗という
考え方のようです。

p65
従来これらの三乗は、一般に別々の教えとみなされていたが、
それは皮相の見解であって、いずれも仏が衆生を導くための方便として
説いたものであり、真実には一乗法あるのみである、という。

そこで、ちょっとこの一乗思想ってことでインターネット検索を
しましたところ、分かりやすい説明がありました。

「天台宗の教え」というサイトです。
http://www.keifukuji.org/oshie.html

「この法華経の視点に立てば、仏の教えに触れたものはいかなる者でも、
またいかなる形式の教えに依拠しようとも、いずれは必ず菩薩の道を経て
仏となるのであり、何ひとつとして切り捨てられるべきものはないという
ことになります。この思想が「法華一乗思想」であり、天台宗の思想的
根幹をなすものです。」
と書いてあります。

「伝教大師は法華経が説くこの一乗思想に立って、すべての法門を融合
させた仏教というものを模索されました。その結果、比叡山は円教・密教・
禅・戒律・念仏すべてを実践する仏教総合大学となった
のです。こうして、
すべての人の成仏を説き、一切の法門を内包する比叡山には多くの人材が
集まり、鎌倉時代には その門下から道元・栄西・法然・親鸞・日蓮などが
それぞれ一宗を起こす偉業を成し遂げられたのです。」

要するに、天台宗は仏教の総合大学であって、法然や親鸞などが
開いたのは単科大学って話ですかね。
あるいは、デパートと専門店の違い。

分かりやすくていいですね。

そして、こういう考え方を支える基盤として、
お釈迦さんは生身の人間ということを脱け出して、時間的・空間的な
限定を超えた絶対者・諸法実相の理
にほかならない、としているんです。
これが「久遠の本仏」と呼ばれているようです。

つまり、
「実は、釈尊は永遠の昔にさとりを開いて衆生を教化しているのであり、
常住不滅である。 人間としての釈尊はたんに方便のすがたに
ほかならない。」
として、いろいろな仏様として人間の前に現れるんだってわけですね。

・・・なんだか、総合大学・比叡山に行きたくなっちゃったな。(笑)

さて、続きは 「龍樹」の <その10>になるんですが、
その前に ちょっと浮気をしまして、
岩波新書 堀田善衛著「インドで考えたこと」を読みたいと思います。

仏教を産んだインドという国がどのようなところなのかを
感じてみたいと思っているんです。

====

その10へは こちらをクリックしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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その8 中村元著「龍樹」ー大乗仏教の思想- インドの浄土教ってどんなん?

中村元著「龍樹」の中の、
「 II. ナーガールジュナの思想 ー 「中論」を中心として 」
を読んでいきます。

浄土宗とか浄土真宗とか聞いても、法然さんや親鸞さんくらいしか
思い出さないんです。

それが日本以外にあるんだっていうのは、先に読んだ井上靖の「天平の甍」
で確認できたんですけど、中国を通り越してインドとなると
もう想像を超えちゃっている訳です。
浄土宗ってのがインドと結びつかないっていうのかなあ。

その辺りが インドでどうなっていたのかを ひも解いていきましょう。

「浄土教」

p63
一部の大乗教徒は現世を穢土であるとして、彼岸の世界に浄土を求めた。
阿しゅく仏(あしゅくぶつ)の浄土だる東方の妙喜国、弥勒菩薩の浄土である
上方の兜率天(とそつてん)などが考えられ、これらの諸仏を信仰する
ことによって来世にはそこに生まれることができると信じたのであるが、
後世もっとも影響の大きかったのは阿弥陀仏の浄土である極楽世界
観念である。

「阿しゅく仏」については、初耳の仏さんなので こちらのサイトで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%8F%E5%A6%82%E6%9D%A5
密教における金剛界五仏の一で、金剛界曼荼羅では大日如来の東方
(画面では大日如来の下方)に位置する。唯識思想でいう「大円鏡智」
(だいえんきょうち)を具現化したものとされる。」
とあります。

日本で一番人気の阿弥陀さんは、ちょっと出てくるのが遅かったんですね。

ー 阿弥陀仏の信仰は当時の民衆の間に行われ、諸大乗経典の中に
  現れているが、そくに主要なものは左の浄土三部経である。

ってことで、「仏説無量寿経」、「仏説観無量寿経」、「仏説阿弥陀経」
の三つが紹介されています。

「仏説阿弥陀経」については、「あなただけの阿弥陀経」っていう本で
勉強しました。 こちらでどうぞ・・
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/11/post-cafd.html

p64
ー 浄土経典は五濁悪世の衆生のために釈尊が阿弥陀仏による救いを
  説いた経典である
ということを標榜している。

原語の音訳をしたのが阿弥陀仏で、意味から訳をしたのが無量寿仏
または無量光仏ってことだそうです。 アミターバですね。

で、その阿弥陀仏さんは昔は法蔵菩薩だったそうで、その時に
衆生を救うという四十八の誓願を起こしたってことになっているわけですね。

そして、その中の第十八願なんですけど、

p64
ー 「もしわれ(未来の世に)仏となることを得んに、十方の衆生が
  至心に信じねがって、わが国に生まれんと欲し、乃至十たび念ずるも、
  もし(わが国に)生ぜずんば、われは正覚を取らじ(仏とはならず)」
  と誓ったが、いまや仏となりたもうたから、仏を念ずる人は
  必ず救われる
はずであるというのである。

これこそ、日本の法然さんが「私は念仏に決めた」って言った根拠と
したところですね。

でもでも、その7に書いた「在家仏教運動」のところでは
現世を理想の世界として日常生活の中で安らぎを得るっていう動きだった
わけで、これと来世ってはなしは矛盾しちゃうわけですよね。

それで、

ー 現世の意義が後代の浄土教では大いに問題となる・・・

と書いてあります。

=その9に続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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