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2012年12月22日 (土)

その22 中村元著「龍樹」ー ブッダの言葉には いくらなんでも逆らえない

中村元著「龍樹」の中の、
「 II. ナーガールジュナの思想 ー 「中論」を中心として 」
に戻ってきました。

「5. 論争の意義」を読んでいます。 

「不生不滅」のところです。

「中論」での論理は「不来不去」の証明と同じであるとして、
次のように述べています。

p137
いま現に生じつつあるものも、すでに生じたものも、未だ生じて
いないものも、けっして生じない。 
いま現に去りつつあるもの、
すでに去ったもの、未だ去らないものについて、このように
説明されている。」

「未だ滅びないものも滅びない。 すでに滅んでしまったものも
滅びない。 いま現に滅びつつあるものもまた同様に滅びない。」

・・・ってことで、論法は一貫しているようです。

「不断不常」のところです。

ここは、ほかのものと違って、違いがあるそうです。

p138
不断不常の証明を検討してみると、これを他の不来、不去、不一、
不異、不生、不滅の証明の場合と比べると著しい相違がある
のに
気が付く。

その記述を比較するとこのようになっています・・・・

<法有> 
生、滅、一、異、去、来 を認めている。

<法空>
上記を認めず
不生、不滅、不一、不異、不来、不去 を主張。

しかし、「断滅」と「常住」については、双方ともにこれを排斥している
そうです。
そして、もちろん、自説の論理の方が正しいのだと主張しているらしい。

p138
元来ブッダは仏教外の諸派の説を断または常の見解に堕するものと
して排斥したのであるから、かりそめにも仏教徒たるものは
けっして断滅と常住との偏見をもつことは立場上許されない。

p139
すなわちいかなる個人存在もまたいかなる事物を永久に存在する
(常住)と考えてはならないし、また反対にただ消え失せて
しまうだけである(断滅)と考えてもならない。

「不断不滅」は仏教徒にとっては絶対の真理である。

・・・そこで、著者は、どういっているかっていうと、

p139
しかしながら有部のように、ダルマを独立の実体とみなし、
これが過去現在未来の三世に恒有であるというならば、
著しく集積説に近くなるから、これははたして「不常不滅」を
説いたブッダの思想に忠実であるといいうるのであろうか。

・・・ってことになります。

そこで、龍樹さんの主張はっていうと、

p140
「何故に業は生じないのであるか。 それは本質をもたないもの
(無自性)であるからである。 またそれが不生であるが故に
(生じたものではないから)、滅失することはない」

「もしも業がそれ自体として(自性上)存在するならば疑いもなく
常住であろう。 また業は作られたものではないことになるで
あろう。 何となれば常住なるものは作られることがないからである。」

・・・上記の龍樹さんの言葉は、説一切有部の主張に対する反論
という形で出て来ているようなんですけど、
その<法有>側がどう言っているかっていうと、

p140
「そうして心から個人存在の連続が(起こり)、また個人存在の
連続から果報の生起が有り、果報は業に基づいているから、
断でもなく、また常でもない。」

・・・これは私には理解不能です。
それに、果報とか業とかいう言葉自体も、私がもっている概念、意味とは
もしかして違うのかなという気持ちもあります。
いわゆる一般的(という自信もないですが)「果報は寝て待て」とか
「人の業ってものはどうにもならん」とかいうようなレベルの
ことなのか・・・
要するに、<法有>側の言っていることは分かりません。

そして、著者は この二つの論理についてどういっているかと
いいますと、

p142
(双方の)自己の説においては断常の理論的欠点の無いことを
お互いに主張し合っている。
どちらがブッダの真意に近いかという問題に関しては、なお独立の
研究を要する・・・

としています。

いずれにせよ、この「不断不常」のところだけは、
結論は同じことを言っているけれども、説明の論理がまったく
ことなるということのようです。

==その23に続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年12月20日 (木)

その21 中村元著「龍樹」ー やっぱ、著者の解説を読まないと分からん

中村元著「龍樹」の中の、
「 II. ナーガールジュナの思想 ー 「中論」を中心として 」
に戻ってきました。

「5. 論争の意義」を読んでいます。 

「不一不異」のところです。

p133
去るはたらきなるものが、すなわち去る主体であるというのは正しくない
また、去る主体が去るはたらきからも異なっているというのも正しくない。」

「もしも去るはたらきなるものが、すなわち去る主体であるならば、
作る主体と作るはたらきとが一体であることになってしまう。」

「また、もし去る<主体>は<去るはたらき>から異なっているとか
分別するならば、<去る主体>がなくても<去るはたらき>が
あることになるであろう、また<去るはたらき>がなくても
<去る主体>があることになるであろう」

p134
「この二つはどうして成立するであろうか」と。 去る主体と
去るはたらきとは成立することはない、という趣意である。

・・・要するに、主体と作用は、一体でもありえないし、異なるものでも
ありえない、ってことですかね。

ここで、著者は一般的に解釈すればとして、以下のように書いている・・・

p134
相関関係にある甲と乙の二つの「ありかた」が全く別のものである
ならば両者の間には何らの関係もなく、したがってはたらきも
起こらない。 さらに甲であり乙であるということも不可能となる。
甲であり乙であるといいうるのは両者が内面において連絡している
からである。 故に甲と乙が全然別異であるということはありえない。

p135
「中論」がたんなる実在論を攻撃しているのではなくて
法有を説く特殊な哲学の根本的立場を攻撃しているということが
よくわかる。

・・・ここまで読んでも意味がよく分からないんですが、
この後に分かりやすい著者の説明がありました。

p135
たんなる実在論においては、ここに一人の人が有り、その人が
歩むからその人を<去る主体>といい、歩む作用を抽象して
<去るはたらき>というにすぎないから、両者の一異という
問題は起こらない。

ところが、法有の立場は自然的存在を問題とせず、その「ありかた」
が有る、となすのであるから
、一人の人が歩む場合に
「去る」という「ありかた」「去る主体」という「ありかた」
とを区別して考え、それぞれに実体視せねばならないはずである。

法有の立場を理論的にどこまでも突きつめていけば結局ここまで
到達せねばならない。
しからば両者の一異如何が問題とされることになる。
ナーガールジュナは実にこの点を突いたのである。

したがって、ナーガールジュナは概念を否定したのでもなければ、
概念の矛盾を指摘したのでもない、概念に形而上学的実在性を
付与することを否定したのである。

・・・なるほど、なるほど、こう丁寧に解説があると分かったような
気になりますね。 一応納得です。

こういう龍樹さんの批判を「一異門破」と呼ぶそうです。

==その22に続く==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原始仏教 初期仏教 釈迦 ブッダ 小乗仏教 部派仏教 大乗仏教 般若経 般若心経 中論 龍樹 色即是空 

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クリスマス・キャロルの夜 - バギオ・アパッチ in Camp John Hay

下宿の女主人から、兄がクリスマス・キャロルをやるから、一緒に聴きに行かないかと誘われた。

特に断る理由もなく、じゃあ、写真でも撮りに行くか、ってことでお付き合い。

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場所は、バギオのホテルの中では最高級のマノール・ホテル。

昔は米軍基地、米軍の家族の保養地だったキャンプ・ジョンヘイの中。

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レストランの前に広がる庭園は、イルミネーションでテーマ・パークのように飾られている。

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バギオの中でも、いや、フィリピンの中でも、ここは別天地のよう。

しかし、この時期のバギオは本当に寒い。

010

庭園にむけてオープンになっているレストランは、ところどころにアンブレラ型のヒーターがあった。 10年ほど前に メルボルンで日本語教えていたころに 歩道にはりだしたイタリアン・レストランなどでよく見たヒーターだ。

大家さんの家族、親戚が10名ほどでテーブルを囲み、コーヒーなどを飲みながら、クリスマス・キャロルのグループを待つ。

私は、赤ワインを頼んだ。

ウエイターが聞く、

「スイート、ドライ、スパイシーの どれになさいますか。」

スパイシーなんて初めて聞いた・・、そんなものがあるのか。

「スイートちょうだい。」

写真を撮影に来たつもりが、乾電池が切れてしまい、肝心のカロリン(キャロルのこと)が撮れないじゃないか・・・

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(photo by Monch)

大家さんの家族が見守る中、カロリンが始まった。

現れたメンバーを見ると、いずれもバギオの名士ぞろい。

「バギオ・アパッチ」という名前のグループだという。

条件は「バギオ出身であること」。

まあ、顔ぶれを見ると、絶対にそれだけでは無いことはすぐにわかる。

By_monch_1

(photo by Monch)

ピアノを弾いているのは市議会議員の弁護士だし、ギターを弾いているのはネバダ・スクエアーという若者のバギオの盛り場のオーナーだし、大家さんの兄上の竹馬の友であるというメンバーは国際線のパイロット兼パイロット養成の指導官だという。

こんなそうそうたるメンバーのこの「バギオ・アパッチ」、1938年、太平洋戦争の前からあったコーラス・グループなのだそうだ。

今日は、3ヶ所でクリスマス・カロリンンをやってきたという。 どうやら、資産家の家や高級な場所などをまわって寄付金集めをやっているらしい。 今年は、つい最近の台風パブロの被災者への支援に使われるそうだ。

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(phot by Monch)

ステージで歌うメンバーは40人くらいだが、総メンバーは何百人いるか分らないということだった。

クリスマス・キャロルの歌声は、決していわゆるコーラス・グループのように上手ではない。 練習に練習を重ねて今日発表します、という感じではない。

しかし、格好いい、聴いていて楽しい、みんな身体がリズムに乗ってくる・・・

ほとんどが英語の曲で、日本でも聴きなれたものだったが、それにしても気取ったところが全くなくて、数十人の観衆も一緒に歌ったり、踊ったり。

そして、変な感動がわき上がってきた。

言葉は大切だ・・・・

音楽は凄い・・・

まあ、ありふれたことではあるのに、妙に感動している。

戦場のなんとか、というような映画のことを思い出す。

音楽が敵味方の心を静めて、休戦があったことなど。

・・・・

そして、カロリンが終わると、二杯目の赤ワイン。

「スパイシーを頂戴。」

しばらくして、

「すみません、スパイシーがございませんでした・・・」

初めてのスパイシー・ワインはお預けとなった。

レストランの奥にあるバーでは、プロのミュージシャンのライブをやっていた。

しかし、先ほどまでの肩の凝らない音楽とは違い、

最高級ホテルの気取った音に聞こえてしまう・・・・・

おそらく、こういう場所の、そういう音楽は、日本だったらもっと堅苦しく聞こえてしまうんだろうなあ・・・ などと思ってしまう。

005

しかし、それはそれ、これはこれ、

このクリスマス・シーズンだけを狙って、この高級ホテルで、気取った雰囲気で、豪華なディナーを 特別の人と一緒に過ごすのは、わざわざ日本からやってくるとしても価値があるんじゃないか。

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特別なディナーでも 2,000円くらいだし・・・・・

 

 

 

 

 

 

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フィリピン ラーメン考 : そんなに高いもんが喰えるか!

先日、町を歩いていたら、久々にバギオの某大学に留学中の日本人男性に会いまして、飲み会の会場探しに付き合ってもらったんです。

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お陰様で このカフェが良さそうだってことで、予約をしたんです。

話は、この話じゃなくて、ラーメンの話なんですがね。。。

この前 こんなラーメンを食べた話をしたんです。

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韓国人経営らしきラーメン・ハウスで、韓国ラーメンだと思うんです。

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ご覧のとおりで 袋入りのインスタント・ラーメンを1袋分で65ペソ(130円)。

野菜とゆで卵? ぴらり~~ん、ってお供えしてありました。

それで、フィリピン人学生の間に ラーメンが流行っているのかどうかを、その日本人留学生に聞いてみたんです。

「よく食べていますよ。」

「でも、普通の学生の昼飯って、せいぜい50ペソでしょう。」

「はい、普通の大学生、貧乏大学生は、スーパーで7~8ペソ(15円)くらいのインスタント・ラーメンを買って、自分で作ってますよ。」

「外食なんかで、こんな高いのは手が出ないよね。」

「はい、スーパーの日清のインスタント・ラーメンでも10ペソ(20円)するから高い、って言うくらいですから。」

「そうかあ、日本の中華三昧なんてラーメンなんか、高くて無理だな。」

「日本のインスタント・ラーメンって安いので一袋80円くらいですかね?」

「中華三昧なんて 今時は140円くらいかな・・・・」

「韓国のインスタント・ラーメンを65ペソ(130円)で売っていて、儲かるんですかね。」

「まあ、食べてみたら美味しくもなんともないのが130円だから、日本の安い80円のくらいだったら、なんとか利益は出るってことか。」

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「この前、マニラにできたばかりの 和民に行って、ラーメン食べたんだけど、そりゃあ旨かったよ。」

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「いくらだったんですか?」

「たしか350ペソ(700円)くらいだったと思うけど。 どんぶりは日本のに比べると一回りかふたまわりくらい小さかったかな。」

「700円ですか。」

「とてもじゃないけど、20円のラーメンが高いっていっている学生には、ラーメンごときで700円は信じられないよね。」

「35倍ですもんねえ・・・・」

・・・・などと言いつつも、私はやっぱり、せめて中華三昧ぐらいの味、140円、を食べないと、ラーメンを食べたという満足感はないのでありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 




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2012年12月18日 (火)

その20 中村元著「龍樹」ー いちゃもん付けるのが「帰謬論法」なの?

中村元著「龍樹」の中の、
「 II. ナーガールジュナの思想 ー 「中論」を中心として 」
に戻ってきました。

「5. 論争の意義」を読んでいます。 

p128
「中論」のいわゆる「破邪」とはどのような意味であるのか・・・

・・破邪という言葉は否定の論理ということのようです。
空観から出発する大慈大悲の利他行が何故成立するのか。」を
目指した破邪であるべきという、著者の考えのようです。

p129
そもそも基本的な態度として、<空>の哲学は定まった教義なる
ものをもっていない。
中観派はけっして自らの主張を立てることは
しないという。 このことはすでにナーガールジュナの明言した
ところである。

・・・中論という理論の書だから、当然のこととして主張があると
思うのが普通なんですが、龍樹さんがなんと言ったかっていうと。

p129
「もしもわたくしに何らかの主張があるならば、
しからば、まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存すること
になるであろう。 しかるにわたくしには主張は存在しない。
まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存在しない

・・・う~~ん、そう来ましたか。
こういうこと自体が主張じゃないかと思うんですけどねえ。

p130
「中論」の用いる論理は推論ではなくしてプラサンガ(帰謬論法)
である。プラサンガとはけっして自説を主張することではなくて、
論敵にとって願わしからざる結論を導き出すことなのである。

・・・、文句の言いっぱなし、いちゃもんつけっぱなしで、自分の主張は
言わないって、なんだか食い逃げみたいな感じがしますけど・・・

こちらに「帰謬論証派」についての解説がありました:
http://kotobank.jp/word/%E5%B8%B0%E8%AC%AC%E8%AB%96%E8%A8%BC%E6%B4%BE
「自らは主張をもたずただ対論者の主張の過失を指摘することによって
空性を論証すべき
ことを主張」

・・・なんだかいやらしいですね。

相手の主張、理論の穴を見つけて ほじくるってことですもんねえ。

p130
中観派の哲学者たちは、自分たちの立場が論駁されることはありえない、
という確信をいだいていた。 そうして大乗仏教が、(禅を含めて)
神秘的な瞑想を実践しえた
のは、そのような思想的な根拠があったから
である。

・・・要するに、「ああ言えば、こう言う」をやってりゃいいわけ
ですよね。 

p131
中国では僧肇(374-414年)が<有>と<無>とが何ものかに
ついて絶対的にまた普遍的に述語されることはありえない
と主張した。

(龍樹は)・・いわゆる「破邪」の論法によって、当時の諸学派によって
論議されていた種々の哲学的問題を縦横自在に批判したのである。

p132
「中論」の論法を説明するには、ただその代表となるべき論法について
その特質を明らかにすれば「中論」の論法全体を説明するための鍵を
与えることとなると思う。

・・・そして、その否定的表現の代表的なものとして、
次の「八不」というのがリストアップされています。

不生、不滅、不常、不断、不一、不異、不来、不去

その18で既に書いたところが「不来、不去」として<運動の否定>
にあたるようです。

次回から、それ以外の「八不」の解説です。

==その21へ続く==

 

 

 

 

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2012年12月17日 (月)

アクセス 1,591 御礼 - 衆議院選挙

びっくりしました。

2012年12月16日(日)

衆議院議員選挙の日。

このブログのアクセスが なんと 1,591 となっていました。

このページを書いたのが理由。

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/12/post-9191.html

皆さん、悩んでいたんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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フィリピン・バギオのラーメン屋さんに・・・・

フィリピン・バギオ市のラーメン屋さんの壁にこんなものが・・・

006

ちょっと右側が切れちゃったんですが、

Love does not consist in gazing at each other,

but in looking together in the same direction.

って書いてあるんです。

004

「愛ってのは お互いに見つめ合うことにあるんじゃないよ、

二人で同じ未来を見ることにあるんだよ。」

って感じですかね。

003

・・・まあ、それはそうかな、とも思うんですけどね。

昔聞いた歌で こういうのがありましたよね。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=fOBvEzmEuiU

それに、こんな歌だってあったわけです・・・

http://dogaeigo.blog118.fc2.com/blog-entry-53.html

たたみかけるように、もう一つ・・・・

http://www.youtube.com/watch?v=c2WGVGw2oJY

要するにですね・・・・

タイミングなわけですよ。

見つめ合うという奇跡が起こる タイミングね。

007

見つめ合う瞳の中に未来がある。

・・・ってことで、

皆さん 頑張って下さい。 (笑)

ところで、このラーメン屋の詩。

ラーメンを食う時は、一列に横に並んで食え・・・ってことを言いたいわけ?

 

 

 

 

愛の奇跡  ヒデとロザンナ

素敵なタイミング 坂本九も歌っていました

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