ここでは 松原泰道著の「般若心経入門」(祥伝社黄金文庫)を読んでいるの
ですが、先に読んだ 宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」(角川ソフィア文庫)
と私なりの比較をしながら 勝手なことを書いています。
ーーー
こちらのサイトを見ましたら、松原氏のこの本は、200万部を超す
ベストセラーだとありました。
そして、2009年に101歳の長寿でなくなられたそうです。
http://my.dl-market.com/biz-voice/product_info.php/products_id/207/sort/8d/
松原泰道
明治40年東京生まれ。臨済宗妙心寺派教学部長を務める。
昭和47年出版の『般若心経入門』(祥伝社)は200万部を超すベストセラーとなり、
仏教書ブームを作った。平成元年仏教伝道文化賞受賞。その著書は百冊を超える。
平成21年歿。
そのベストセラーの本を読んでいるわけなんですけれど、
残念ながら私には その凄さがまだ分からないんです。
・・で、ちょっと、私の心にひっかかった部分だけを 書き出してみます。
ー 妄想は、真実でないものを真実であるかのごとく誤解することで、
精神活動を浪費します。 執着は、何かにこころがとらわれて、
説くに自分自身の利害に密着して、動きがとれなくなる状態です。
この二つほど精神を沈滞させ腐敗させるものはありません。
・・・これは私の現実の生活の中で、よく悩まされることですねえ。
心配する必要もないこと、実際に起こっていることじゃないのに、
自分の頭の中だけで勝手に話を作っちゃうわけですね。
皆さんにもありませんか?
出きるだけ、余計なことは考えないようにしているんですけどねえ。
ー 存在するものは、そのものだけでけっして存在できるのではない、
他との多くのかかわりがあって、はじめてそのものが存在できるのです。
かかわりが無かったら、いかなるものも存在しえないというのを
「目に見える存在は空に異ならない(色不異空)」というのです。
このかかわりあいの道理を「因縁の法(因果律とも)」といいます。
・・・「すべての存在が、お互いにかかわりあって存在する事実を空という」
と押さえておきましょう。
・・・ちょっと分からない部分なんです。
確か、因果律というのはお釈迦様が実際に言ったことだと思うんです。
でも、空の理論っていうのは、大乗仏教の売り物のはずなんですよね。
その二つが同じだと言っているんでしょうか?
小乗であろうが大乗であろうが、元々お釈迦様が言ったことを言い換えて
いるとすれば同じだと考えていいのでしょうが・・・
ー 舎利子見よ空即是色花ざかりーー舎利子を固有名詞にとどめておいては
いけないと申しました。 舎利子とは、私たちなのです。
いや不特定多数の私たちという無責任な存在でなく、どこまでもお互いの
自分のことです。 ・・・ここに、「空」がたんなる「ゼロ」でも
「無」でもないどころか、すべての出発点であることが見事に示されて
います。
・・・ここで「舎利子=私たち」とありますが、私たちとは世間一般の
私たちのことなのか、あるいは、舎利子と同様に少なくとも小乗仏教での
修行をしている修行者のことを言っているのか・・・
どう転んでも、私と舎利子が同じレベルだとは到底思えないんです。
ー ”死にとうない”といって、ほほえみながら死んでゆけたら、それが生死
の中にあって生死を超える不生不滅の生き方です。
・・・容易なことではありません。 ゆえに般若心経が「すべての存在
するものには実体がない」という空観を身につけよ、と教えるのです。
このことを学ぶのがほんとうの人生の知恵です。
たとえ、深く理解できずとも、般若心経をいくたびも読誦してゆくと、
その積み重ねに応じて心の安らぎが得られるものです。
・・・「死にとうない」とは言えそうに、今は、ないですけど。
いざとなったら、そう言いたくなるのかもしれないですね。
その時に微笑むことができたらいいな、ってことですか。
でも、やっぱり、今は、「ついに来たか」って思うんじゃないかなと
思います。
ー XX主義というように、主義にかじりつくのはもちろん、信仰にすら
執われたら、ほんとうの人生は分からないのです。
・・・ ちょっと、これは訳が分かりませんなあ。
仏教ってのは信仰じゃないんですか?
般若心経ってのはお経じゃないんですか?
信仰じゃない??
信仰をすることによって、空の境地になれるんじゃないの??
お坊さんが こんなこと言ってもいいのかな?
ー 見わたす限り、白一色の山里の景色です。 晩秋以上に何もない眺めです。
しかし、冷たく降り積もった雪の間に、すでに草が芽ばえているではないか。
と空じつくした底は、決してゼロではなく、あなたの求めている真理
の「花」を感じとるのが、利休の「わび茶」のこころだったのです。
・・・もう、これはギブアップです。
さっぱり分かりません。
要するに、「空じる」という動詞の意味が分からんのです。
それが又、いっきに「わび茶」だもん・・・
ー 空観のギリギリは「ないがままにある・あるがままにない」と有・無に
停滞しないのです。 二律背反そのままに実体を見すえるのが空観ーー
空の眼です。 このことをくり返して説いているのが般若心経です。
・・・ ???
分かったようで分からない、ってのが一番たちが悪いですよね。
ー 般若心経は、この八正道も「なし」と空ずるのです。
それは八正道を実践することを誇りとしたり奢ってはならぬ、というのです。
・・・ 八正道ってのは、お釈迦様が言ったことなんですよね。
お釈迦様が八正道の修行をしなさいって言ったんですけど・・・
やるのはいいけど、やらなくちゃいけないんだけど、
のぼせあがんじゃあないよ、っていうことですか?
ー 障害を除いたとき、自分の周囲に美しいものを眺めることができます。
私たちに敵意を持っている人の中にも、善なるものを見ることができます。
私たちが苦しんでいる現実の中にも、しあわせを写すことができます。
それが般若の知恵です。
・・・敵だ味方だとか、善悪だとかいうのは、どちらの立ち位置にいるかで
いくらでも変わることですから、これは分かります。
その立ち位置を決めないと、なかなか周りは許してくれないのが現実
ってこともありますね。
それを乗り越えるってのは、娑婆ではほとんど不可能だと思います。
国と国との戦争がいい例ですよね。
ー 「般若の知恵のおかげで、無上のほとけのこころ、ほとけのいのちは
万人の胸に宿っていることをさとった」ということです。
般若の知恵が体得されたら、それで万事は解決したというのではないのです。
般若の知恵にもとどまってはいけない、というのです。
・・・ えっ!?
般若の知恵が究極の知恵じゃないんですか?
ー 完成に止まってはならない、完成をさらに否定し(空じて)、
永遠に現在進行形で宝石を磨きつづけよ、というのが、心経のこころです。
・・・ それは娑婆だけの話かと思ったら、あの世でもそうなんですかね?
心が休まらないな。
ほとんとサラリーマンの馬車馬とおなじような気になってしまうなあ。
ー しかし、すべての人間が、ことごとくさとりを得られるのが真理で
ありますが、それはどこまでも真理の範囲であって、事実としては
人間がことごとくさとりを得られる日は永久にありません。
いわば、無数の人間の悩みと、無限のほとけの誓願との永遠の対決です。
・・・ えええ~~~? そうなの?
真理と事実は違うって?
そんなあ~~~。
仏様はすべての人間を救ってくれるんじゃなかったの?
浄土真宗の考え方が じゃましてんのかな?
自力本願と他力本願の違いですか?
結論。
私には 分からないことが多すぎます。
読んでいても どういうことを言っているのか 分かりません。
おそらく、いろいろな歴史上の人物や著名な人の言葉などが
引用されて、それを使って般若心経のこころなるものを解説していますので
広い教養がないと、これを理解するのは無理ってことなんでしょうか。
なんで、この本が 200万部の ベストセラーになったのか・・・・・
おそらく、人生を真面目に考えている人たちが、その生き方を正す
拠り所を探すひとつとして読まれたのではないかと思います。
私は、また、出直すしか、読み直すしかないな。
ちなみに、こちらのサイトの紹介では、 「平易な入門書」とあります。
http://kindai.sk46.com/showa03/shingyo.html
もっと詳しく この本にコメントをしている方のサイト:
http://www.din.or.jp/~honda/book9-82.htm
てっとり早く 多くの人の感想を読んでみたければ、やっぱり アマゾン:
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4396313152
最後に、宮坂宥洪著の「真釈 般若心経」との比較ということで言いますと。
般若心経という経典がどのようなものであるのかを、サンスクリットの原典に
遡って、歴史的に、書いてあることに忠実に、理解しようと思ったら、
宮坂氏の本が良いのではないかと思います。
ただ、人生訓や処世訓を求めたいのであれば、お門違いになるでしょう。
お付き合いいただき、有難う御座いました。
フィリピン バギオ 宗教 仏教 般若心経 禅宗 浄土真宗 悟りとは 色即是空 空即是色 空の概念 空とはなにか
最近のコメント