その46 中村元著「龍樹」ー 五百年、千年経たねば思想ではない
中村元著「龍樹」の中の、
「 IV. ナーガールジュナ以後 」を読んでいます。
「2. 比較思想からみたナーガールジュナ」
いよいよ最後の章に辿り着きました。
p436
大乗仏教の<空>の思想を理論づけたナーガールジュナおよび
その後の中観派の思想は、<世界思想史>を「古代思想」
「普遍思想」「中世思想」「近代思想」の四段階ととらえた
ときに、<中世>に位置づけられる。
ここで<中世>というのは、ほぼ普遍的宗教の興起したのち、
近代的思惟の始まるまでの時期をいう。
西洋でいえば、ほぼキリスト教が興起し、ローマの古代帝国が
崩壊し、教権の支配が確立し、のちに宗教改革が起こるまでの
時期をいう。
p437
まず聖典が定められ、それが権威をもって後の時代に伝え
られた。 それが註解され説明されて、神学・教義学が
成立し、中世の主流となった。
・・・釈迦が紀元前5世紀ごろの人、中論を書いた龍樹は
紀元後2世紀ごろの人、その考え方はインドで始まり、それが
数百年の時を経て6世紀ごろ中国に伝わり、7世紀に日本に
伝来しているってことになりますね。
考えてみれば気の遠くなるような歴史です。
いろんな思想が、地域と、言語と、時と、人種を超えて、
昔はじっくりと大きな潮流が世界を練り歩いていたわけです。
今だったらインターネットで即時ですもんねえ・・・・
人間がそんなに速い価値観の変化に対応できるとも
思えませんけど。
p438
実体を否定する<空>の思想に対して西洋では全面的な
実体否定論はなかなか現われなかった。
・・・ラッセルの<実体>批判は注目すべきである。
かれは西洋で長年月にわたって優勢であったアリストテレース
の<実体>の概念を手きびしく批判していう、
p439
・・・かれは<実体>という観念は成立しえないというので
ある。 この議論はナーガールジュナやアーリヤデーヴァの
実体批判にちょうど対応するものである。
p441
究極の実体は概念作用をもって把捉することができないという
見解は、非常に古く・・・
新プラトーン派およびグノーシス派の思想形態、・・・
またそれらがキリスト教的な形態をとったものとして
オリゲネースやディオニシウス・アレオパギタなどの諸著作
・・・後者の「神秘神学」は「般若心経」のキリスト教版
であるとさえいわれている。
・・・ディオニシウス・アレオパギタ についてはこちら:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%91%E3%82%AE%E3%82%BF
「5世紀ごろの(おそらく)シリアの神学者。」とあります。
p441
究極の原理としての<空>に対応する思想を、古代中国にも
見出すことができる。 老子はいう。
「道はつねに何事もしない。だが、それによってなされないことはない」
・・・仏教が中国に移入されたころの指導者は、
「空」と「虚無」とを同一視して考えていた。
p442
中観派の哲学者たちは現象世界における変化を否定して、
真理は言語では表現できないものであるという理論を述べた。
p443
しかし道教の徒は必ずしもそれと同じ教説を述べなかった。
・・・<道>を<無>なりとして言及しているが、・・・
「無」が何を意味するかということについて、明らかに
説明することをしなかった・・・
しかし他の註解によると「何もないこと」の意に解せられて
いる。 ・・・ゆえに道は無であるから・・・
p444
否定の否定ー無立場の立場
ナーガールジュナは・・・・すなわち否定そのものが
否定されねばならないのである。 ・・一般に大乗仏教では
否定の否定を説く(「空亦復空(くうやくぷくう)」。
p444
もしも<空>というものが存在しないのであるならば、
<空>はもはや<空>ではありえないことになる。
この観念を継承して、中国の天台宗は、三重の真理
(三諦)が融和するものであるという原理をその基本的
教義として述べた。
(空諦)、(仮諦)、(中諦)、・・存在するいかなる
事物もこの三つの視点から観察されねばならない、と説く。
・・・天台宗については こちら:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E5%AE%97
「中国の天台宗は、隋の天台智者大師、智顗(ちぎ)(538年-597年)
を実質的な開祖とする大乗仏教の宗派である。」
「慧文は、龍樹による大智度論と中論に依って「一心三観」の
仏理を無師独悟したとされる。それが、慧思を介して智顗に継承された。」
(日本の天台宗は)
「初め、律宗と天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍が
日本に入った。次いで、伝教大師最澄(さいちょう、767年-822年)が
延暦24年(805年)唐に渡り天台山にのぼり、天台教学を受けて翌年
(806年)帰国し伝えたのが日本における天台宗のはじまりである。」
・・・そして、この日本における仏教の総合大学とも言うべき
天台宗の比叡山で、浄土宗の法然さんや、浄土真宗の親鸞さんは
学んだということになります。
いよいよ次回は「龍樹」の読書が完了します。
==その46に続く==
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