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2013年6月22日 (土)

「日本語の論理」 その7 日本語には文章の原型がない??

「にほんごの論理」外山滋比古著 中公文庫 です。

p35
「文章構成の原理 - 日本人の文章」

日本人はどうも一般に文章が下手なようである
・・・だれも政治家に文章の書けることを期待していない・・
学者は悪文であることを誇りにしているのではないかと思われる
ほどである。
・・・イギリスなどでは学者が実によい英語を書く。
ことに歴史家に名文家が多く、ペンクラブの会長が歴史家
であったりする。 ・・・ある程度わかりやすい文章が
書けないと偉い学者とは見なされないのだから、日本とは
ひどい違いである。

===>> まあ、どんな文章が上手で、どんな文章が下手か
ってところが難しいところですけどねえ。
私が理解し易い、納得のいきやすい文章は上手だ、とまで
言えるほどの自信もないですしね。(笑)
開き直って言えば、私に「なるほどなあ」と思わせるような
首尾一貫したロジックがある文章だったら上手だと
感じるんだろうと思います。

p36
わが国では文学者ですらあまり文章がよくないのではなかろうか。
・・・例外は漫画家と科学者で、概して達意の文章を書く人が
多いようである。
・・・日本人は文章の下手なためにどれくらい損をしているか
わからない。
・・・明治以来、文章表現に依存する人文系諸学問が自然科学
に比べてどうもぱっとしない
のは、この文章下手と無関係では
あるまい。

===>> このあたりになると、私には知識がありませんから、
著者が言っていることが本当なのか勘違いなのかは判別できま
せんけど、ちょっと断定しすぎのきらいがありませんかね?

日本語の論理ってのが問題なんだとすれば、自然科学系の
学者はうまくやっていて、人文科学系の学者はダメだと
いうのは筋が違っていませんか?
文章の上手・下手というのが個人の問題だとするならば、
上のような分け方は変じゃないかと思うんですけど。
それに、漫画家の文章って読んだことありますか?
漫画は読みますけどね・・・・

p37
「原型の欠如」

どうして多くの日本人、しかも、相当教育のある人たちの
書く文章が骨なしになってしまうのであろうか。

・・・原型とはなにか・・・

幼児が言葉をどうして覚えるのか、まだよくわかっていない
ところが多い・・・

数歳になればたいていのことは言えるようになる。
そのときの幼児の頭には、話しことばの原型がほぼできあがって
いると見てよい。 

p38
・・・何らかの事情で原型形成期に言語学習を受けない幼児は、
あとになってどんなに努力しても一人前の言語生活はできなく
なってしまう。
これは、かの有名なアヴァロンの野生児の例によっても
明らかである。

・・この話しことばの原型は、そのままでは文章を書くときの
原型としては役立たない。
 雄弁家が名文家とはかぎらないし・・・
話しことばと書きことばでは論理が違うのである。

===>> この辺りは、日本語教師としても興味のある
部分ですねえ。 特に話言葉と書き言葉ですけど。
ここで、著者は座談会記事を例にあげて述べていくんですけど・・・

p39
日本語では言文はまだ不一致であると言ってよい
・・日本語には、かんたんには言文一致が実現できないような
両者の言葉の原型に違いが厳として存在しているらしい。

(話しことばの原型とは別に)文章の原型をつくり上げる
努力が必要なのに、これがなおざりにされている。

===>> これは、小学校からの国語の勉強では
遅すぎるってことを言っているんでしょうかねえ?
それとも、小学校以降の義務教育でも なおざりにしている
ってことなんでしょうか?
確かに、いわゆる国語の授業と、日本語の授業を比較した
場合には、国語の授業で文章の作り方というのを教えて
もらった覚えはほとんどないような気もしますけど。

日本語教育の場合は、まったく白紙の状態の外国人に
文の作り方を教えないと、本人が言いたいことを表現でき
ないですから、文型を中心にして文の組み立て方を
教えるんですけどね。

いずれにせよ、著者の言いたいポイントの部分がはっきり
していないように思うんです・・・私だけ??

p41
言葉の教育における目下の急務は、日本人の文章感覚に
対する自覚を高めることでなくてはならない。
・・・原型の欠如というふしぎな事態を発見するであろう。

==>> その認識ができれば問題はもはや半ば以上
解決したと言ってもいいと著者は書いているんですけど、
私が読むかぎり、その「文章の原型」とはなにかとか、
どういうことをやったら問題が解決するのかとか、
そういうことは全く書いてないんですよねえ。

だから、私には 原型の欠如と言われても具体的な
イメージが出来ません。
せめて、英語に文章の原型があるというのであれば
それを例示して欲しいもんです。

なんだか、突っ込みどころばかりで、愚痴っているよう
ですけど、本当に私は 日本語の論理なるものが
知りたいんです…

今、ふっと思い出したんですけど・・・
戦前のエリートたちの常識、素養として重要だったものに、
漢文の素読ってものがあったやに聞いているんです。
よく言われる
「読書百遍意自ずから通ず(どくしょひゃっぺんいおのずからつうず)
ですけど、著者がこういうのをイメージしているんでしょうか。

もし、私に文章を書くときの原型が少しでもあるとするならば、
ひょっとして この漢文の素読が下地になっているかも
しれません。
小学校の高学年の時に、詩吟を習っていましたんでね。
ただ、これは漢文を読み下すというやり方ですから、
日本語の文章を作るということとは別なんでしょうかね。
日本語としては不自然な読み方ですもんね。

その8に続く

 

 

 

 

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コメント

nogaさん、
コメントをいただき有難うございます。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」

・・・この司馬遼太郎の言葉、是非読んでみます。
『文章にして語れ』というのは本当にそうだと思います。

私自身がフィリピンで日本語を教える際の教え方は まさにこれです。
文章を構成する力がなければ、自分の気持ちを相手に伝えることは出来ない。
それが出来て初めて、文章の中から必要な間合いをもって、会話が成立するのだと思います。

投稿: させ たもつ | 2013年6月23日 (日) 10時10分

‘日本語も十分話せないのに、英語を学んでなんとする。’と言う人がいる。だが、現実には、日本語脳による話の失敗は避けられない。

>政治家が、その言葉で失敗したり、問題をおこすことは古今、数多い。
>特に最近は、それが目立つ。例えば、アベノミクス効果で好調な経済を演出し、今や圧倒的な支持率を誇る安倍首相は、歴史認識問題で米国や韓国の不興を買い、その言葉をトーンダウンさせた。
>また猪瀬東京都知事は、アメリカのメディアのインタビューで、オリンピック招致のライバル都市を貶めることを言ったということで謝罪に追い込まれた。
>さらに橋下大阪市長、日本維新の会共同代表は、従軍慰安婦について誤解を与えるようなことを言い、また沖縄駐留米軍に風俗業の活用を進言したということで問題になっている。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

日本人は文章を熱心に作らない。文章を作ることは、考えを練る事に通じている。
英語には時制がある。文章を作らなくては、時制が表せない。だから、文章にして語ることは重要なのである。
日本語には時制がない。文章は常に現在時制 (現実に関すること) に定まっているようなものである。だから、単語だけのやり取りで、ことが足りるものと自他ともに思っている。
そのため、政治家となって、外国人と理想 (非現実) の話もできず、何を言っているかも理解されず、そのために国を過ちに導くことも多い。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2013年6月23日 (日) 04時38分

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