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2013年6月25日 (火)

「日本語の論理」 その18 日本語のナショナリズムが必要だ

「にほんごの論理」外山滋比古著 中公文庫 を読んでいます。

p92
「翻訳文化の展開」

島国は文化的成熟度が早い。 すぐ覚える、すぐ馴れる、
すぐ飽きる。 また、新しいものを求める。
大陸言語の社会ではこういうことがおこりにくい。

p93
われわれの国は明治以来、西欧先進国の言葉や文化を学んで
きたから、翻訳文化の国であった。

p95
遣唐使覇権から平安朝女流文学に至るまでの中国文化の輸入
摂取がやはり、・・・翻訳文化の展開にほぼあてはまる・・・

大正から昭和へかけての時代で、外国文化、思想の輸入が
さかんに行われ・・・外国文化の生活化がはかられ・・・
第三期になる・・・伝統文化の再発見と、外来文化と
在来文化の調和の時代である。

===>> 翻訳については、自分の経験からは
英語から日本語への翻訳は比較的易しく、日本語から英語への
翻訳は難儀するという感じです。

何故ならば、すでにこの本にも出てきたとおりで、
日本語をどう理解すればいいのかというところで苦労するからです。
いろんなものが脱落しているわけです。 主語がなかったり、
本来説明しておかなくてはいけないような言葉がなかったり。
全体の意味、文脈を理解した上で、それらの脱落したものを
補って英文に再構築しなくてはいけないんですね。

英語から日本語へは、英語がしっかりしていますから、そのままを元に翻訳すれば大きな間違いはでません。 ただ、日本語らしい日本語になるかは別問題ですが。

ここにちょっと興味深い記事がありました:

「英語で「がんばります」は要注意?
「お先です」「お疲れさま」も英訳不能」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20130607/249352/?P=5

はっきり「I don’t agree with you.」と言われます
しかし、それはその人を否定しているのではなく、その人の意見や情報に
異を唱えているだけなので、さばさばしたものです。アメリカの高校留学中に、
先生に対して「I don’t agree with you.」と言う生徒がいたのには驚きました。」

「日本の「がんばります」「よし、がんばれよ」はLow Contextのカルチャー
では通じません。いったい何をするのかというところまで踏み込んで説明
すべきです。」

外国人の方には、「がんばってください」も言わない方がいいでしょう。
Low Contextの世界では、「Please do your best.」と言うとベストを
尽くせば結果はどうでもいいのね、と受け取られかねません。日本の滞在が
長い外国人の方であれば、ニュアンスを理解してくれるでしょうがそれは
例外です。」

===>> 私は現役時代はずっとアメリカ系の会社だけで働いて
来ましたので、仕事上のやり方、スタイルは、割と日本人的ではない
かもしれません。

フィリピンでの駐在員という時代もありましたので、通訳という
立場になったことも多々あります。
その時に悩んだのが、やっぱり上のような話の内容をどのように
フィリピンの仕事仲間に伝えるかでした。

日本人のお客さんがバギオに出張してきて、現場の人たちに質問を
する際に、日本人が質問した言葉をそのまま直訳で通訳しても
どういう意味なのか、なにが具体的に必要なのかということが
分からないようなことが多々あるのです。

その質問の背景までも含めて通訳をしないと、質問された人は
どんな趣旨で、どんな答えをお客が期待しているかが分からない。
すると、どうしても 日本語1に対して英語が5とか10に
なってしまうこともある訳です。
すると、日本人側としては、「こいつは本当に正確な通訳を
やってくれてるんかいな?」って雰囲気になっちゃうわけですねえ。

直訳が正確なのか、意訳が正確なのか、の問題ですね。

p96
「言語のナショナリズム」

明治のはじめの文化も漢語の翻訳語によってつくられたもので
あったが、女性的な言語が発達してきて、・・・文化の円熟期
と言わなくてはならない。

p97
ナショナリズムは危険なものと頭からきめてしまっている。
なるべくそれを正面からまともに見まいとするような風潮もある。

軟質の、言語、文化の上における女性的、芸術的な自己再発見
につながるところのナショナリズムである。

新しい国学としてのナショナリズムが興ってくると、漢心が
うとましく感じられるのはことの当然である。

国学的ナショナリズムは外国語教育に批判的になりやすく、過去に
おいて、わが国で学校の英語教育廃止論がおこった・・・・・

外国の文化、言語、文学に触れることによあって、母国の文化、
言語、文学がいっそう深く理解できるようになる・・・・

日本語のような島国言語が島国性の悪い面をおさえて行くため
にも、適正な外国語の摂取はどうしても欠かせない・・・

かつてのような孤立した島国性は次第に考えにくくなるであろう。

===>> 私は島国から島国に移住してきた人間ですが、
私の中で、インターナショナルな心情がおのずと育っていく
一方で ナショナリズム的な考えが表面に浮かんできているのも
事実です。

それがどうやって火をつけられるかといいますと、
今のバギオであれば コスプレ、漫画、アニメおたくの連中です。
日本大好き、日本文化大好きというバギオの若者たちが
ちょくちょく日本のことを聞いてくる。
自分が知らなかったことでも、知ったふりをしなくちゃいけません。
それは外国に住んでいる日本人の務めと言うものです。(笑)

昔から、海外に出ると、外国かぶれになるか、国粋主義者に
なって戻ってくると言われたものです。
今は、世界中にインターネットで繋がれる時代ですから
そんなに気負うことも必要ないでしょうけど、せっかく外国に
住んでいるのであれば、その両方を楽しむってことで人生が
豊かにもなるってもんじゃあないでしょうか。

その19に続く

 

 

 

 

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