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2013年6月27日 (木)

「日本語の論理ー日本語点描」を読む その1 思考力を鍛える抽象語

「にほんごの論理」外山滋比古著 中公文庫 から「日本語点描」を読んでいます。

p107
言語学では話しことばが基本で、それを書き記したものが書き
ことばであると教えるけれども、・・・文字の方が音声言語よりも
ずっと表現性がかぎられているのである。

日本語はヨーロッパの言語と比べてみても話しことばと書きことば
の懸隔がいちじるしいように思われる。

p109
日本語では、聞いておもしろい表現と、読んでおもしろいものとが
どうもすこしちがうらしい。

書きことばの優位が日本的得失であったと書いたのは、近年、
書きことばが話しことばに歩み寄って事情がすこし変化している
からである。

==>> 日本語を教えている立場から言えば、
この違いはなかなかやっかいで、教える人によってどちらに
重点を置くかが違うのだろうと思います。
私の場合は、日本の大学に留学するという目的を持った生徒たち
であったということもあって、書き言葉から入って構文能力が
ある程度できた段階で、書き言葉を崩していくような進め方で
話し言葉を教えることにしました。

ただ、多くの場合は、日常会話を習いたいという希望があるので、
挨拶や慣用句など話し言葉重視になっているのではないかと
思います。
そうなると、どうしても、丸暗記することになってしまい、
単純な発声の繰り返し訓練になってしまいがちです。

p110
外国語のうち訳語がつくられたのはほとんどが名詞であった。
・・・ことに学術書の訳書は申し合わせたように日本語として
悪文で、原書よりも難解だが、これは訳者だけの責任ではない。
翻訳に使える日本語のきめが荒いから原文の密な組織を
すくうことができないのである。

===>> それはそうでしょうね。元々日本にはなかった
概念を表現しなくてはいけないわけだから、きめが荒いのは
仕方がない。そういう開拓者がいたと言うこと自体が
素晴らしいことだと思います。

p112
具体的表現が尊重される結果、言葉と具体の関係が密接に
なりすぎ、言葉が現実に拘束されすぎるようになったのである。
・・・あまりにも生活的になってしまった。 言葉が経験の
わくから出られないのである。
・・・どうしても、高等な数学に相当する抽象的言語を
発達させなくてはならない。
・・思考力の養成をも考えているのであれば、抽象語への
習熟は不可欠の条件と言ってよいであろう。

==>> 成程ねえ。 おそらくこれは、専門用語に
習熟すると同じような作業になるのでしょうね。
私自身は、若い頃には一時期哲学書みたいなものを読んで
いましたが、その時にはひとつひとつの概念語を理解するのに
哲学用語辞典が手放せませんでした。

仕事の現役時代には、アメリカの本社でつくられた様々な
社内のルールやマニュアル類の翻訳を担当したこともあります。
抽象語ということでなくても、アメリカの現場の実情を
知らない者が そのような翻訳をやるというのは 概念が
分からないという意味では抽象語と似たようなものを
翻訳するような困難があったと思います。

その2へ続く

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